ふわふわとした心持ちで、高専の廊下を歩く。補助監督のひとから言われたことを反芻しながら、携帯の連絡先の画面をつけたり消したりする。

「電話、かけないんですか」
「……びっくりした」
「すみません」

 白い制服が、夕焼けの光を反射して目に痛い。目線を下げるわたしに、憂太くんが一歩近づいた。憂太くんの表情は見えないままで、どうでもいい世間話をする。

「あさって、憂太くんってひま?」
「明日の夜から東京を出て、終わり次第戻ってくる予定です」
「そっかあ」

 詳しく聞くと、緊急性の高めの大きな任務だ。わたしの落胆が伝わったのか、憂太くんは心配そうな声を出す。なんでもないよ、と取り繕っても諦めてくれそうにない。わたしが明後日から任務が入っていることはすでに把握していたらしい憂太くんは、ついていくとまで言い出しはじめる。できれば着いてきて欲しいな、なんて下心ありきで話題を振ったわたしももちろん悪いのだけれど、自分の立場を考えてほしい。やんわりとお断りをいれるわたしに、憂太くんはいくつかの質問をする。
 一緒に行く術師、補助監督官、立地、呪霊の種類・等級。大体の事前情報を聞いて、憂太くんは少しだけ困惑した様子で、どの要素がわたしにとって問題があるのかを質問する。わたしは苦笑しつつ、憂太くんの質問に答える。

「断れないんですか」
「仕事だからねえ」
「先輩は、なんで術師をやってるんですか?」

 憂太くんの問いかけには、言外にわたしへの侮りが滲んでいた。それに反論する気は起きない。憂太くんにはわかるはずがない、という諦めがあった。誤魔化すように笑うわたしに、憂太くんはなんで、と独り言のようにこぼす。
 しばらく沈黙していた憂太くんが、わたしの手首にそっと触れる。彼が何をしたいのかは分からないまま、わたしは手首を持ち上げる。名前を呼ばれて、憂太くんの顔を見上げる。

「なるべく早く帰ってきます」
「うん、憂太くんも気をつけて」

 ちょっと照れたように笑った憂太くんが、わたしの前腕にやさしく触れる。痛みより先に、憂太くんの謝罪の声が脳の奥に届く。左手に握っていた自分の携帯が床に落ちる。それをゆっくりとした動作で拾い上げた憂太くんが、わたしに手渡そうして、あっ、と声を出す。僕が代わりに電話しますね、とこちらを気遣う様子で携帯を操作する憂太くんの声色はいつもどおりだった。

「あ、もしもし、はいそうです。先輩は今ちょっと電話できないので、代わりに連絡してます。利腕の前腕が折れているので、はい、明後日の任務は他の方に回してもらえますか。……え、僕は今先輩と喧嘩中なので、治しません。はい、喧嘩しました、で、僕が折りました、反省してます」

 しばらく電話先のひとの言うことをじっと聞いていた憂太くんが、一瞬わたしの顔を確かめる。自分の喉が、緊張で引きつるのがわかった。すでに目線をこちらから外している憂太くんは、落ち着いた声で一言二言、電話口でしゃべる。電話の相手に、丁寧な感謝と挨拶をしてから、憂太くんは電話を切る。

「医務室で氷嚢もらってから帰りましょうか」

 返す言葉が見つからないまま、立ちすくむわたしの顔を覗き込んだ憂太くんが、軽く乱れた前髪をそっと直してくれる。

「痛いですか」
「い、たくない」
「先輩、嘘つかないで」

 目の奥が熱くなって、視界がじんわりと歪む。憂太くんの両腕がのびてきて、震える体が男の胸に固定される。痛いですか、と憂太くんがわたしに問いかける。涙でうまく声が出ないわたしに、憂太くんは同じ質問をする。いたい、とわたしは答える。憂太くんはわたしの後頭部をやさしく撫でながら、ひどく悲しげな声でつぶやく。

「みんな、なんでわかってくれないんだろう」
「い、たい」
「先輩はこんなに弱いのに」

 憂太くんに抱き抱えられて運ばれながら、なんでわたしはこんなに弱いんだろう、という疑問がずっと脳内を回り続けていた。どうして強いひとと弱いひとがいるんだろう。不公平だし、理不尽だ。つらい目にあいたくないっていうのは、そんなに贅沢な願望なのだろうか。

「わたし、もう、憂太くんのこと嫌い」
「はい、それでもいいです」
「わたしのこと好きなんじゃなかったの」
「好きです」

 憂太くんが立ち止まる。違うんだよ、とわたしはどうにか弁解をしようと足掻く。もはや取り返しのつかないと理解しながら、意味もなく口を開いて、また閉じる。憂太くんはゆっくりとまばたきをする。わたしの顔が写り込んでいる彼の瞳孔は変わらず真円で、彼の口から出てくる言葉も、相変わらず実直だった。

「僕は貴方が好きです」
04


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