都内を徒歩で移動することに、特別な感情はわかない。わたしはそれほど目が良いわけでもないし、人混みに酔うような繊細さも持ち合わせていない。ただ、乙骨憂太という少年が、雑多な空間に何を思うのかという好奇心はあった。
 隣を歩く憂太くんを横目で盗み見ようとして、彼の視線がわたしに注がれていることに気がつく。一度重なったそれを一方的に外すことは躊躇われたし、お互いの無言に割り込むような、気の利いたセリフも浮かばなかった。

「……憂太くんさ」
「先輩」

 肩を掴まれて、足が止まる。

「前、危ないですよ」

 舌打ちをした男性がわたしたちの横を通り過ぎていくのを、視界の端で見送る。いつも通りの、ぼんやりした表情の憂太くんは、わたしの体を押さえたままで、じっと動かない。

「あー、ありがとう」
「いえ」

 短い返答の後、黙り込んでしまった憂太くんとその場で見つめ合う。表情も足も動かそうとしない憂太くんの腕を軽く叩いて、信号がすでに変わっていることを伝える。曖昧な返事をする憂太くんの手を引っ張って、とりあえず人の邪魔にならない場所を見つける。

「憂太くん、大丈夫?」
「ちょっとまだ、わからないです」

 憂太くんは大体いつもどこかズレているけれど、今日はいつも以上に風変わりにみえた。ひとが多いのは苦手なのかもしれない、都心の賑わいが苦痛なのかもしれない。そういう弱さが彼にもあるかもしれないことが、どういうわけか嬉しかった。心が慰められ、勇気づけられるきもちがした。

「先輩は、もう大丈夫ですか」
「大丈夫って?」
「さっき、怖がってたみたいだったので」

 鼓動が早くなっていたし、瞳がいつもより光っていたし、汗も少し滲んでた。憂太くんが淡々と指摘する事実に、わたしは急いで反論しようとした。けれど、彼の困り切った表情にぶつけられる言葉は見つからない。

「先輩があんな顔してたのに、僕は何もできないし」
「怖がってないよ、怖がるようなものなんてなかったでしょ」
「そんなの僕にはわかりません」

 先輩みたいな、小さくて弱くてやさしい女の子が、何を怖がるかなんて、僕にはわからない。独り言のように言葉を吐き出す憂太くんが、わたしの目を覗き込む。思わず目を逸らすわたしの名前を憂太くんが呼ぶ。

「別に、何でもないよ」
「何でもないって顔じゃないです」
「たぶん、ドキドキしてただけだよ」

 そう、憂太くんが自分より強いことを思い出しちゃっただけだ。自分には制御できない生き物に、肩を掴まれたことに動揺しちゃっただけ。そんな一瞬の動揺を、この男に把握されていたことに、自分の生存本能が反応しているだけ。
 わたしは自分の心臓を手のひらで押さえながら、笑顔をつくる。いつもするように、真実ではないことを口にする。騙されてくれるよね、信じてくれるよね、わたしの嘘を許してくれるよね。

「さっきの憂太くん、かっこよかったから」
「え……えっ!?」

 顔を真っ赤にする男に、思わず本心からの笑いが出た。憂太くんは本当に、やさしくて、良い子で、真っ直ぐで、わたしのことが好きなんだなあと理解できる。憂太くんのことを好きになれる理由はたくさんある。嫌いになれない。無碍にできない。放っておけない。それに、わたしにとても都合がいい。

「かわいいよね憂太くんって」
「あ、あんまりからかわないでください」

 ばたばたと両手を動かす憂太くんの狼狽っぷりに、わたしの心臓はだんだんと落ち着いていく。さっき思い出したばかりの事実を、すっかり忘却してしまう。高揚感と万能感がわたしの口を軽くする。

「ほんとだよ、ほんとに、ドキドキした」
「……僕もいま、すごくドキドキしてます」

 乙骨憂太が、こんなにもわたしに入れあげてる理由はわからない。ただ、彼の必死な眼差しは、ありもしないものをわたしに錯覚させるようだった。
02


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