大きくなったら、今とは別の人間になれるのだと、むかしは信じていた。お金は自由に使えるし、お菓子は好きなときに食べてもいいし、嫌いな人間に頭を下げることもなくなって、大事なひとに嘘をつく必要もなくなるのだろうと思っていた。けれどもうそんな夢もみなくなった。好きに生きればいいだろ、と言っていた五条くんへの妬みの気持ちも、もうあまり残っていない。君の善良さは得難い才能だよ、と言ってくれた夏油くんは、今では犯罪者だ。

 生まれた時代が世界の不公平を教えてくれた。上を見ればキリがない、下を見てもきりがない。だからわたしはちょうど真ん中で、ふらふらと漂っていることにした。上を目指す実力もないし、下に落ちる度胸もない。わたしは、平均的に善良で、平均的に低俗な人間になっている。それなりのお給料をやりくりして、肌と相談しながらお菓子を食べて、嫌いな上司にも敬語を使い、わたしを好きになってくれたひとからの好意を体よく利用している。

 乙骨憂太くんは、わたしの後輩にあたる。年齢はわたしよりいくつか下で、身長はわたしより高くて、収入もたぶんわたしより高く、術師としての階級は隔絶している。結論として、敬われなくても仕方ないというか、期待していなかったというか、先輩風を吹かせる対象としては難がある少年だといえる。後輩に偉ぶるにしても、わざわざ憂太くんは選ばない。
 けれど憂太くんは、贔屓目なしに、わたしに懐いてくれていた。わたしを先輩と呼んで、他のひととは違う扱いをする。

「憂太くんって、やさしいよね」

 なんとはなしのわたしの言葉に、憂太くんは右手を口元にやって、そうかな、とつぶやいた。少し左に傾いた顔と一緒に、瞳も左に寄っている。目の前の少年のうわついた様子に、わたしはどうしたものかなあ、と少しだけ悩む。ぼんやりと悩んで、ぼんやりと彼の好意を受け取っている。もうちょっと隠してくれないかな、なんてことまで考えてしまう自分がいる。

「先輩も、やさしいとおもいます」
「え、そうかな」
「はい」

 これ以上引き下がっても、かえってくるのは自分を褒める言葉だけだと思うと、そうした言葉をわざわざ言わせるのも恥ずかしい気持ちがする。結局わたしは、そうかなあ、となんとなくの否定のポーズをとって、こちらをじっと見つめる憂太くんの視線から目を逸らす。

「先輩」
「はいなんですか」
「僕は役に立ててますか?」
「うん」

 憂太くんは、安心したようにわらう。それをみて、わたしもちょっと安心する。別に今のままでもいいんじゃないかな、と勝手に判断する。突き放すのが優しさ、なんて、それこそ勝手な決めつけじゃないだろうか。

「お茶してく? 先輩の奢りだよ」
「はい!」

 任務先で助けてもらったこと、庇ってもらったこと、恐ろしく希少な反転術式をただの切り傷に使ってもらったこと、思い出せないくらいのたくさんのいろいろを、数百円で帳尻を合わせた気になって、わたしは未だ憂太くんの隣にいる。あーあ、ほんとに、すごい罪悪感、なんて心の中で呟きつつ、降って湧いたような自分に都合のいい時間を、手放さない理由ばかり探している。

 だって、別に、いいじゃないか。憂太くんみたいな、化物みたいに強い人間が、わたしの言動ひとつで、どうにかなるわけでもないし。ちょっとした荷物を背負わされたくらいで、死ぬようなたまでもない。仮に憂太くんが怪我をしたとして、わたしのせいで傷ついたとして、彼にとってはきっとかすり傷だ。

「今日はありがとうございました」
「うん、こちらこそ」
「明日は会えますか?」

 真剣な表情でわたしを見下ろす憂太くんに、会えますよ、と返す。憂太くんと違って、毎日任務が押し込まれるような術師でもないからね、と茶化すわたしの軽口には反応せず、憂太くんは口元に喜びだけを滲ませる。わたしは憂太くんのこうしたひたむきさが、ちょっとだけ苦手で、ちょっとだけ救われていた。許されるような気持ちがした。何を許してもらうのかまでは、思いつかなかったけれど。
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