xx


 船は沈む。彼女がどれだけ素晴らしくとも、船乗りが彼女をどれだけ愛していても。足元の船は崩れ落ち、船乗りにはどうすることもできないときが来る。
 そうであるのならば、人間は人間らしく、陸の上で確かな地面に足を下ろし、生きていくのはどうだろうか。陸で生まれたのだから、陸の上で生き続ければいいだろう、という人々もいる。停止した地面の上に自分を縛りつけ、身を休め、精神を静止させろと言う。

「地面の上に立っていると、俺は自分が哀れな生き物だとおもう」

 龍水は、広々とした錨地に停泊している帆船を見上げながら呟いた。荷はしけが横付けされ、船内の滑車がまわりながら荷を手すり越しに降ろす、帆船の悠々とした様子を、慈しむように眺める。初めて帆船をその目で見たとでも言うような態度で、龍水は目を逸らさずに、帆船の美しさを噛み締めていた。

「現代のドックは、大型帆船の存在を基本的に無視していた」
「まあそりゃ、商業的にはほぼ絶滅してっからな、帆船なんて」
「どこの港のドックマスターも、帆船にとにかく大量の鎖をかけたがったものだ」

 彼らはより多くの防舷材、係船索を帆船に求めた。より多くのスプリング、シャックル、フェターが必要だと主張した。貨物クレーンが、長い鎖の先端から残酷なかぎの手を振り回し、ドック労働者の群れが、舷門の上に土足で立ち入ることは、帆船に気遣いひとつしない、無頓着で残忍な人間たちが、底に鋲釘を打ち付けたような靴でもって甲板を踏みつけるのは、非常に腹立たしい光景だった。

「だが、帆船を完全に停止させることは、人間には不可能なんだ」

 一陣の風がドックの建物の角をまわって、ほんのわずかに忍び入っただけでも、かたい大地に繋がれている帆船は大きく身動ぎをする。風がほんのすこし、その体を撫でただけで、船は落ち着かなくなる。どんなにしっかりと係留されていても、かすかにその体を揺り動かす。
 龍水は、ドックの中で縛りつけられる船をみると、いつも哀れだと感じていた。自分がそうであるように。静止を強制されることが、帆船という美しい生き物のもつ、気高い精神への冒涜だと知っていた。船は決して、停止しない。ただ腐っていくだけだ。陸の上にいると船は腐り、船乗りは堕落する。当然、七海龍水という男は、ひとりの船乗りはそれを理解していた。

「船の沈没は、人間には避けられない運命のひとつだ」
「そうだな、はっきりいって信じられない物好きの道楽だぜ、帆船の船長なんて」

 千空の嫌味に、龍水は嬉しそうにわらった。まさにその言葉を待っていたと言わんばかりに、帆船という、手に負えない生き物の悪辣さを並べ立てる。

「……けれど美しいだろう、海の上で死にゆく姿は」
「乗組員にとっちゃたまったもんじゃねえがな」
「貴様は船乗りの才能に著しく欠けているようだな、千空!」

 認めよう、美しかった貴様の終わりを。俺の目の前で、俺の愛に逆らい、俺の腕の中で沈んでいった、貴様の最期を認めよう。その美しさを損なうことなく、海上での破滅を選んだ、その責任をこの俺が分かち合おう。誰にもその身を、その選択を縛ることはできないのだと、船長である俺が宣言しよう。自分の意志で死に向かって進んでいった、貴様の自由を祝福しよう。
 俺の手を離れて、風に吹かれて消えていったお前は、それまでと変わらず美しかったこと。その事実から目を逸らすことは、もうやめよう。

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -