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 どうして帆船が好きなのか、と聞いてくる人間はたくさんいた。どうしてあの女が好きなのか、と聞く人間もそれなりにいた。答えはどちらも変わらない。
 ほとんどの現代人と同じように、龍水が初めて触れた帆船はヨットだった。どの角度から見ても素朴で、姿の美しいその縦帆式帆装は、比類ないものだった。帆船は、腕のいい人間が操船すると、船がみずから操船しているように見える。ある生きものが頭の回転のよさと、気品のある正確さを見せたときと同じように、きびきびと走る船をみると、ほんとうに楽しくて、わらいがこぼれる。彼女はどうだっただろう。特別に機敏というわけではなかったが、やはり見ていて楽しい女だった。

「帆船は女と似ている」
「ぜんぶ美女?」
「その通りだ。美しく、気ままで、聞く耳をもたない」

 船や女を操るためには技術がいる。技術の研鑽に必要なのは才能ではなく時間だ。時間が熟練の技を芸に引き上げる。ただひとつの技術の習得を目指し、時間を費やすことには、まず何よりも、誠実であることが求められる。そして、真の誠実さを得るために必要なものは、愛に他ならない。

「あい〜???」
「帆船の動く仕組みは貴様も理解しているな、千空!」
「まあ、帆船の製図ができる程度にはな」
「だが航海術を持ち合わせてるとは言えない」

 龍水と千空の違いはひとつだけ。愛情の有無だけが二人を分ける。知識と経験が昇華され、芸に到達するには愛がなければ不可能なのだ。七海龍水は帆船を愛している。だから技術がある。

「千空に操舵ができないのは筋力の問題じゃないのか?」
「関係ねえよ、ぶっとばすぞ」

 氷月が、部分的な同意を示す。小手先の技術を持ち合わせている人間はたくさんいる。知識は普遍的で、教育には一定の効果がある。けれども真に芸に向き合い、研鑽を選べる人間は少ない。それを愛と呼ぶべきかどうかについては判断がつかないが、と。

「で、これはなんの話なんだよ、メンタリスト」
「ん〜、龍水ちゃんの理論武装の穴を見つける作業かな」

 カウンセリングの真似事とかホントはしたくないんだけどねえ、と困った顔をしつつも、ゲンの言葉の鋭さは鈍らない。これもまた芸のひとつだろう。研鑽の末の、ひとを操る技術。

「操れない船はないかんじ? 名人芸があればどんな海でも超えられる?」
「先回りして答えるが」

 あの女は最後まで聞く耳をもたなかった。俺の愛情に応えることはなかった。勝手にひとりで死んでしまった。だから俺の方も愛想がつきた。この俺の言うことを聞きやしない、あの女の態度に腹が立って、もはや愛せなくなった。俺の指示に従わず、彼女は病を乗り越えられなかった。
 それがいつなのかが重要だ、とあさぎりゲンは囁いた。彼女はいつ死に、龍水の愛はいつ途絶え、なぜ彼女を愛せなくなり、何を目的に愛さないことを選択したのか、その順序をはっきりさせなければならない。どうして龍水は、まだ彼女を愛しているのかを理解するために。

「順番ははっきりしているとも」
「あら、意外」

 龍水は、久方ぶりに、好きだった女のことを思い出していた。彼女のことをまだ愛している、と言いきったゲンのしたり顔には、わらいを堪える必要すらあった。
 帆船を好きになったのも、彼女のことを好きになったのも、大して違いはない。世界を愛することに、特別な理由なんて必要ない。それが美しくあること、それだけで十分な理由になる。

「嫌いになったんだ、愛情が消える前に」
「うん、それで?」
「それが全てだろう」
「愛情はまだ消えてない?」
「……ああ、そうみたいだな」

 矛盾してるよね、ジーマーで、とゲンがわらう。確かに矛盾していた。何人かは未だに頭を捻っている様子だったが、龍水が重大な失敗をしていたことは、みんなが知ることとなった。龍水は、大きな声でわらう。
 貴様との約束を、この俺が果たしてやることも出来るかもしれないな、といつかの彼女に向けてわらいかけた。死んでしまったお前に、また愛を叫べる日が、やってくるかもしれない、と。

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