xx


 誰にも触れて欲しくないことはある。誰にも会いたくないときはある。誰からの助けも、慰めも、激励も、弁明も、感謝の言葉も必要としていないときはある。誰ひとりとして、受け入れることができなくなることは、ある。

「わたしは?」
「もうすぐ死ぬだろう」

 顔が歪み、腕が軋み、喉が強張る。自分自身の言葉に、自分自身が傷ついていることがわかる。目の前の女が死のうとしているのと同じように、自分という男、今まで生きてきた己もまた死に向かっているのだということが知覚できる。傷つきやすく、事実を受け入れられず、常に後悔を抱えた、自己と世界を肯定できない男に変わろうとしている。
 俺は、今この瞬間を許せない。誰にも許せない。自分にも許せない。許容できるかもしれなかった女は、この世から去ろうとしている。

「龍水、約束して」
「ああ」
「あなたが変わらずわたしを愛してくれますように」

 俺は全ての人間を愛している。誰であっても愛してきた。だが、そんな自分はもう死んでしまった。愛していた女の死体と一緒に埋めてしまった。俺は貴様のことは愛せない。
 七海龍水という男を殺した女、俺を愛してくれた女、俺を置き去りにした女。俺にはお前の望みは叶えられない。約束は果たせない。代わりに、お前のことを愛していた俺を、永遠にここに置いて行こう。お前との約束は、過去の俺に任せよう。

「俺が一緒に死んでやる」
「いいけど、あとでちゃんと生き返ってね」
「生きるときはお前と一緒だ」
「心配だなあ」

 わたしはあなたが、本当に心配だよ。女はそう言い残して死んだ。
 周囲の人間が七海龍水に期待していたことは何ひとつ起こることはなかった。一般的に行われる、別れのあいさつすら放棄して、男はいつも通りの非難をあびた。

「出航するぞ!」

 七海龍水は、一度だけ陸地をみつめる。陸を見るのはこれが最後だというわけではないとしても、ある女の存在がまだ微かに認められる、最後の陸地をその目で確かめる。数秒間の沈黙を経て、七海龍水は自分の職務に立ち返った。
 出航の後、船乗りには、船尾の海岸に用はなくなる。陸で生活しているひとりよがりな人びとが勝手に想像するものとは違い、出航に感傷は必要ない。必要なのは水平線だけだ。船首の前方に広々とした海が開けているかぎり、出航は成功する。いつでも、どんな天候でも、申し分なくうまくいく。
 船が前に進み、周囲が真っ直ぐな水平線で囲まれる。

「フランソワ」
「はい」
「俺は変わったと思うか?」
「海と同じほどには」
「そうか!」

 世界は変わらず、絶えることなく美しかった。

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -