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 ユリシーズのように冒険に富んだ航海をしたことのあるものは果報者だ。金髪のセイレーンたちが、白い泡の湧き立つ黒い岩間で歌を歌い、闇の中の動く波の上で、謎めかしい声が船乗りに語りかける。シルト湾の風のない穏やかな夜は、奇妙な囁き声が船長に名指しで呼びかける。オリンポスの神々の怒りで波立ち、異様な女たちの悪だくみを孕んだ海。数々の英雄、賢人、武人、海賊、聖人の交通路。
 このような広大で驚きに満ち溢れた海は、挑戦という精神の歴史のふるさととして、船乗りならば崇拝せずにはいられない。その精神こそが、語り継がれ、絶えることなく生き続ける伝説こそが、船乗りの精神なのだ。

『どうして帆船を愛しているのか?』

 その答えは、はるか昔から世界に存在していた。龍水が口を開く必要もなく、受け継がれてきた恋心だった。その愛情は若人の恋愛によくあるように盲目的であるが、すべての真の愛情に決まって見られるように、ひとを無我夢中にさせる、欲得ぬきの感情でもある。
 七海龍水は海に惹かれ、船を求め、海を知り、船乗りになり、船の誠実な心を知った。船には愛を求めた。海には冒険を求めた。けれども冒険は、それを望むときにはやってこない。不意に訪れ、多くの場合、気づかずに過ぎていく。

「陸から陸へ、また陸へ、そしてまた陸を目指すぞ、俺は船乗りだからな」

 何年も経って、何千年も経って、人生が忙しなく過ぎていき、その道の途中、ある曲がり角から過去の数々の出来事を振り返ってみると、ある種の記憶が、親しみのある群衆のように、常闇の岸部へと急ぐ自分の後ろ姿を、悲しげに見つめているように思えるときがくる。そのときになって、その灰色の群衆のあちこちに、かすかな光彩を放って、薄暗くなってしまった空の光をすべて吸収してしまったかのように、光り輝いているある人物に気づくことがある。その輝きによって、その幸福な男は、真の冒険の姿を認めるのかもしれない。


 出航と陸地初認は全く別の作業だが、瞬時の出来事でもある。何度も何度もそのふたつを繰り返すと、やがてふたつの行為の輪郭は、溶け合って区別がつかなくなる。陸地初認は、うまくいく場合もあれば、そうでない場合もある。首尾よく成功させるためには、幸運が必要となることもありえる。
 帆船の針路は、白い海図の上に曲がりくねった航跡をいくつも残していく。だが、船は常にある一点を目指している。その一点は大洋に浮かぶ小島や、大陸の延々とつづく海岸にポツンとある岬や、絶壁に立つ灯台かもしれないし、海に浮かぶ蟻塚のように頂上が鋭くとがった形をした山にすぎないこともある。しかし、そうしたものが、予想した方角、船乗りがあるべし、と定めた方角に認められれば、その陸地初認は成功だ。
 その出来・不出来に関わらず『おーい、陸だぞ!』という叫び声が最初に上がった時点で、陸地初認は完了しているのだ。

 七海龍水の、ひとつの航海もまた、成功したのだと、彼の愛した帆船は認めているだろう。

「愛しているぞ、お前のことを! 死んでしまったお前を愛している、お前を死ぬがままにさせた世界を愛している、海を愛している、帆船と風と空とを愛している!」

 七海龍水は、また陸地を目指すだろう。彼が船乗りで、船長である限りは。


R.I.P 美しいきみ

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