夜が明ける。街が音を取り戻していく。暗いベールに包まれた、魔法の世界がほどけていく。カリムの視線が、遠く空の彼方へと向けられる。わたしはカリムの名前を呼ぶ。カリムはひとつうなずいて、「またな」と言った。また。またがあるとは思えなかった。今この瞬間は、もう二度と来ることはないように思えた。

「おーい、帰るぞ」

 強い風が吹く。バルコニーの外から、大きな塊が飛び込んでくる。その美しい布は、踊るようにその場ではためき、勢いをつけてカリムの顔面にぶつかる。そこそこ痛そうな音がしたのは、布が分厚くて重たいからだろう。布というよりも、小さめの絨毯と言った方が正確かもしれない。不思議な絨毯は、そのまま床に自然落下し、端からくるくると丸まっていき、几帳面に小さくなり、そして沈黙した。

 わたしが絨毯に存在するはずの摩擦係数について考えをめぐらせている間、カリムは困った顔で絨毯に話かけつづけていた。絨毯はもちろん何も言わない。

「お前なしで、どうやって帰ればいいんだよ」
「カリム、帰れなくなったの?」
「コイツが機嫌直してくれないんだ」

 カリムが、絨毯の端を掴んで、わたしに見せてくれる。わたしは、勧められるがまま、その絨毯の表面を指で確かめる。少しの擦れと、素敵な模様。たぶん材質はウール。どうしていいか分からず、わたしはカリムの顔を見る。カリムもわたしの顔を見ていた。絨毯の機嫌というのは、正直意味が分からなかったけれど、ひとつの選択肢がわたしの元にもたらされたことは理解できた。

「カリム、これからどうするの?」
「考え中だ」
「じゃあ、しばらく、うちにいる? 絨毯の機嫌が直るまで」

 わたしは自分の唇が震えるのをかんじる。これから、きっと、後悔することになるだろう。どこの馬の骨ともわからない、他人の家に不法侵入をするような若い男を、部屋に招き入れようとしている。
 誑かされている。騙されている。明日の朝には、わたしは死体になって床に転がされているかもしれない。悪党とのラブロマンスの結末は、いつの時代も変わらない。その恋が持つ、抗い難い魅力も、変わらない。

「そうだな、世話になる!」

 スッと立ち上がり、カリムは大きく一礼する。その姿は不思議と様になっていた。堂々とわたしの顔を直視するその姿は、とてもコソ泥にはみえない。わたしはなんだか、愉快な気持ちになり始めていた。冒険の予感がした。昨日までとは違う明日の予感が。 

 カリムとの約束の言葉を、もう一度呟いてみる。「絨毯の機嫌が直るまで」秘密の呪文のような、魔法の合言葉のような、仲間としめし合うサインのような約束。きっとこれは、わたしの人生の中で、いちばん美しい約束になるだろうと思った。




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