黒い空。白い月。わたしを見下ろす赤い瞳。突然に違う世界に迷い込んでしまったようだった。夢か幻か。わたしが自分の視界を疑うよりも先に、非現実的な幻想は、その場で崩れ落ちていった。物理的に。

「うわ〜っ!?」
「えっちょ、嘘でしょ!?」

 目が合った瞬間に落下していった、その影に手を延ばすが届かない。バルコニーから身を乗り出して、悲惨な死体が見つからないことを祈りつつ、男の影を探す。ライティングされた中庭には、見覚えのない布が一枚あるだけ。先ほど見たと思った、あの男はなんだったのか? 飛んできた布を、人間と見間違えた?

「あ〜ビックリした……」

 真後ろから聞こえた声に、反射的に振り向く。両手を床につけて、足を広げてくつろぐ男と、再び目が合った。

「……地面に落ちて、死んじゃったかと思った」
「ギリギリで柵に掴まったんだ!」

 必死でよじ登って疲れた、と息をつく男の頭に巻かれた布の結び目はゆるんでいるし、上着は肩からずり落ちている。「必死でよじ登った」という説明は嘘ではないようにみえる。わたしは冷蔵庫からアイスティーの缶を取り出して、あぐらをかいて座る男の前に置いてやる。

「あげる」
「ん、ありがとう!」

 この家はセキリュティ会社のサービスに登録しているし、防犯カメラもたくさんついているし、携帯はポケットに入っているし、必要であれば警察も弁護士も呼べる。でも何故か、そういうことをしようという気にはならなかった。
 わたしは男に名前を聞く。好きな色は? 好きな季節は? どんな天気が好き?

「お前は? お前はどうなんだ?」
「わたしのことはいいじゃん」
「オレは聞きたい」

 心臓が、うるさくその存在を主張する。次の言葉が出てこない。じっとわたしの顔を見つめる男が、楽しそうに、邪悪な笑顔をみせた。
 わたしは現在進行形の思春期だ。人並みにやさぐれていて、人並みに非行に走っている。でも、こんなに悪いことはしたことはなかった。泥棒に恋をするなんて!




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