家に帰る気にはなれなかった。でも、他に行く場所もない。わたしは家のすぐ近くの遊歩道のベンチで、ひとりで座り込んでいた。住宅街はひっそりと静まり返っていて、人気がない。それが悪い方向に働いた。

「お姉さん、ここら辺のひと?」
「ひとを待ってるので……」

 馴れ馴れしく話しかけてきた男は、知り合いではない。この辺りに馴染むような種類の人間でもなかった。つまり、普段なら絶対に関わり合いにならないような人種。

「あっ」
「わっ!?」

 困り果てたわたしを助けてくれたのは、カリムではなかった。男の後頭部に直撃したのは、美しい魔法の絨毯。しばらく男の周囲をバタバタと騒がしく舞ったあと、わたしを誘うように、絨毯が大きく翻った。

「どこいくの?」

 小走りで、前方を飛ぶ絨毯を追いかける。運動をさぼっていたツケがここに来て現れていた。わたしは情けない声で、絨毯にこれ以上走れないことを伝える。絨毯はピタリとその場で停止し、ゆっくりとわたしの足下に寝そべった。

「えっ? なに? 死んじゃった? 電池切れ?」

 それ以上動かなくなってしまった絨毯に、いろいろと声をかけてみるも、布の四方を時折はためかせるだけで、わたしには絨毯の言いたいことは読み取れない。

「上に乗ればいい。勇気を出してさ」

 後ろから聞こえた声に振り向くと、カリムがわたしに笑いかけていた。いつかの夜のような、余裕にあふれた表情も変わらない。でも、ここまで走ってきてくれたことは、今日のわたしには理解できた。

「……落ちたら怪我しちゃうよ」
「コイツは優秀だからな、主人を落としたりしない」

 とん、と軽い足取りで、カリムの足が絨毯の上に乗せられる。絨毯と一緒に、カリムの体が浮き上がる。わたしを空の上から、輝く瞳が見下ろしている。

「ここにいてよ、カリム」
「オレは、オレの国が大好きなんだ」
「わたしのことは好きじゃない?」
「好きだよ、ひとめ見たときから」

 腕が強く引っ張られる。体が浮き上がり、視界が真っ白に染まる。風が頬にぶつかり、街の明かりを置き去りにして、わたしの体は雲の中を走る。

「置いてかないっていったろ」

 カリムが、最初に見たときのような人相の悪い笑顔で、わたしの口元に人差し指を当てた。静かにしろ、とわたしを押さえ込む腕は、わたしの力よりも数段強い。

「お前が好きな星なら、オレの国にはいくらでもある」
「カリム、わたしは」
「天国ってほどじゃないかもしれないけど、きっと楽しいぞ」

 足元には、見慣れた街の光が広がっている。星よりも明るい光の絨毯をみて、わたしが感じたのは既視感だった。飛行機の窓とか、テレビの中継画像とか、そういう俗っぽいものが思い起こされた。わたしは、自分でも知らないうちに、その光に手を伸ばす。

「カリムにもらったターバン、置いてきちゃった」
「誘拐されてるってのに、呑気なやつだなお前は」




×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -