ガラスのブローチ

 わたしの寝室、ベッドの枕元にある飾り棚には、両手で持てる大きさの、美しい細工箱がある。お父さんにむかしもらった、大事なものを入れる箱。中に実際に入っているものは、大したものじゃない。日常的に使っている、お気に入りのピアスとか、マーブル模様のノートとか、海に行ったときに拾った貝殻だとか。わたしには目利きはできないけれど、そういう色々な宝物を全部合わせたよりも、それらを入れている箱の方が高価だとは理解できるくらいの、そういうありふれた大事なものたち。
 兄から受け取ったものをその箱に入れていない理由を、お母さんに尋ねられたとき、わたしはひどく戸惑った。ガラスのおもちゃなんかじゃなくて、大きな宝石を入れればいいのに、と不思議そうな表情を浮かべる、母の言葉に、わたしの心臓は少しだけ小さくなる。けれど、お母さんと議論をしたくはなかった。わたしは曖昧にわらう。

「大事にしたいの」
「そう?」

 お母さんの興味はすぐに別の話題にうつる。わたしは空気をのみこむ。
 結局、わたしは、宝箱をベッドの下に仕舞ってしまうことにした。今よりずっとあと、わたしが大きくなって、おもちゃのことなんかどうでもよくなってしまうまで、見ないふりをすることに決めた。わたしの今までの人生が寄り集まってできた、過去の宝物を隠してしまおうと思った。

「でも、それは全部、オレがお前にあげたものだろ」
「ちがうよ」
「お前はまだ小さかったから、忘れちゃってるんだろ」
「……ちがうもん」

 そんなはずがなかった。兄は、ちょっと前まで、わたしの名前も覚えてはいなかったのだから。わたしの人生に、こんなふうに、兄が我もの顔で居座り始めたのは、ごく最近のはなしだ。わたしの過去に、兄は長らく存在しなかった。いや、存在はしていたけれども、身近な存在であることはなかった。わたしたちは確かに家族だ。同じ母親から生まれた子ども。
 けれど、一緒に過ごした時間の積み重ねがない。わたしたちの間にある、目に見えない運命は、ひどく微かで、希薄が過ぎる。

「怒ってるのか?」

 兄に言われて気がつく。わたしは怒っていた。兄から受けた侮辱に、腹を立てていた。よくも! よくもそんな言葉をわたしに向かって!

「本当のことしか、オレは言わないぜ」

 お前は生まれたそのときから、オレの妹なんだから。お前の人生に、オレが存在していなかった瞬間はありはしないんだ。
 わたしは兄の胸を強く押す。兄は、少しだけ驚いているようだった。今まで、わたしがこんなことをしたことはなかったから。兄の反応に、わたしの心は慰められる。わたしたちの人生が、最初から混じり合っていたことなんてなかったのだ、と。わたしの過去は、わたしのもので、兄のものではない。

「お前は怒ると、いつも泣き出すな」
「いつもってなに? いつもなんてない」
「なあ、お前はオレの妹だよ」

 兄の言葉が、重くのしかかってくる。わたしはそれを否定できない。兄からの愛情を、拒否することができない。

「お前が先に、オレを選んだんだろ」
「じゃあさ!」

 じゃあ、わたしが選んだとき、わたしがおにいちゃんのことを好きなんだって決めたとき、おにいちゃんは、わたしのことなんか好きじゃなかったってことでしょう?
 言いたいことは、音にならない。意味もなく涙は目から溢れるのに、嗚咽は喉から溢れるのに、兄を責める言葉はかたちにならない。

「どっちでもいいぜ。言葉にしても、言葉にしなくてもいい」

 兄の服が、水分を含んで色を変える。わたしはただ、その模様をみつめる。心を空っぽにして、兄の言葉を、自分の涙を努めて無視する。

「言葉にしなくたっていいさ。ふたりの秘密っていうのも悪くないしな」
「わたしがその秘密をしゃべったら?」

 悪戯っ子のような、意地の悪い笑顔を浮かべて、兄がわたしの頬を両手ではさむ。兄の視線が、影が、わたしの顔にかかる。

「お前の本当の気持ちを、お前も知ることになるだろうな」
                         

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