世を儚む

 神の言葉と人間の正義に、均衡が保たれていること。水と恵みとを愛すること。変化を好むこと。友情を大切にすること。誇り高く寛大であること。唯一の財産として家族を大事にすること。
 その全てには意味がある。その理由を考える必要もないくらいに、あたりまえで、予定調和の完全なルール。だから、たぶんそれに価値は無い。

「婚約者?」

 妹の幸せについて考える。妹の明日の予定について思考を巡らせる。可愛いあの子、オレの妹。彼女が迎えることになる、一つ一つの幸運を数えながら、秤の上に載せていく。
 妹はこれからどんどんと美しくなるだろう。その肉体は空に向かって伸びていき、その精神は大地に紐付くようになる。そして、いつかは新しい家族を得るだろう。誰よりも長く生きて、その存在の一片だって欠けることなく、大勢の人々に神さまに惜しまれながら、この世を去る。
 その全ては妹に約束されている。誰にだって、その幸福は許されている。それを「贈り物」だと言い張るには、あまりにも、ありふれている。

「この男で決定なのか?」
「家の格も釣り合っている。妥当だと思うが」
「じゃあダメだ」

 オレは妹が好きだ。あの子のしあわせを願っている。いちばんの妹なんだ、特別なものをプレゼントしたい。「相応しい」人生なんて問題外だ。華やかで豪華なのは当たり前。それ以上のもの、必要以上のものをあげたい。彼女の人生に本来起こるはずじゃなかった何か、奇跡的な何かを。

「もっとすごい王子様とかにしようぜ。マレウス・ドラコニアとか」
「無理に決まってるだろ……」

 そもそも、とジャミルが低い声を出す。あの妹に婚約だなんだと、そんな話が急いで進められるようになったのはお前が原因だ、と言う。オレは驚く。だってオレはそんなことは望んでないっていうのに。

「今じゃ政治的価値が段違いだ」
「綺麗になったからか?」
「次期当主からの覚えがめでたいからだよ」

 オレが妹を大事にすればするほど、妹と結婚したい男は増える。ジャミルの説明に、オレは素晴らしい結論にたどり着く。妹に、世界でいちばん大事なあの子に、相応しくないほどの男が現れる手助けをしてやろう。オレが妹を愛し続けるということによって!

「……それを言うときに、俺の名前は出すなよ」
「うん? わかった!」

 妹が迎えるだろう明日について考える。精巧な人形のように、少女の姿のままで、オレのことを愛するが故に多くの苦しみを経験し、アジーム家から出ることもなく、星の終わりまで生き続け、その魂の円の端から端までを、オレのそれと重ねることを、自分の意志で選択する。
 そんな奇跡は起こるだろうか? きっと起こるだろう。明日か明後日、もしかしたら、数秒後にでも。偶然は一度成った。突然に、落雷が落ちるように。あるがままのオレたちの関係は、既に破壊されてしまった。それを受け入れよう。その変化を、その不可逆な傷跡を、その災いを明日の糧としよう。天災が明らかにするのは神の意思じゃない。人間の真実なのだから。

「おにいちゃんが、断ったの?」
「ああ、お前には釣り合わない」

 妹の瞳が、不思議な燦めきを放つ。爬虫類のような、何処か現実感のない、自分とは違う仕組みで動いていることを想像させるような、幻想的な輝き。
 オレは妹の顔に手を伸ばす。妹は目を閉じることなく、オレの手のひらを迎える。妹の睫毛に触れる。一本一本の睫毛の間に閉じ込められた、空気の在り方について考える。その性質、その意味、その価値について。

「わたしはまだ、アジーム家の子ども?」
「お前はまだ死んではいないだろ?」
「生きているうちに死んだのなら、子どもはずっと子どもなんだよ」

 妹の瞳から、静かに涙が流れ落ちる。その表情からは悲しみは読み取れず、肩は震えることなく、足はしっかりと地面を踏み締めている。それでも、なぜか妹は死に急いでいるようにみえた。

「おにいちゃん、ひどい顔」

 オレは妹を抱きしめる。沈黙することない妹の声を聞く。心臓の声を。


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