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カリムがまた、バカなことをやろうとしているなあ、とわたしは呆れながらそれを見ていた。今まさに、オアシスが枯れるように、命が枯れ果てようとしているわたしに、自分の命を捧げようとしてくれている。この必死な姿をみていると、なるほどカリムは本当に、心から、わたしに友情を感じてくれているのだろう。でも、わたしの方が、もうカリムのことはともだちだとは思えない。
ジャミルに取り押さえられたカリムが、周囲の人間に自死を求め始めたときに、わたしが動けたのは、なんというか、神さまのカリムへの依怙贔屓みたいなものを感じざるをえなかったけれど、ありがたいので使えるものはつかっておく。
「わたしが死ぬのはカリムのせいなわけだけど」
「やだっ、いやだ!」
「カリムがわたしを特別扱いしてくれるなら、わたし、たぶん生きられると思う」
自分の責任で死んだ生き物は、生涯ただひとり、自分のともだちだけだったって、恥知らずにも信じてくれるのなら。厚顔無恥に、自分のせいで死んだ人間なんて、ただの一人もいなかったって、本心から認めてくれるのなら、わたしもカリムを、わたしのともだちだと認めてあげてもいい。
ただし、わたしが大量に水を飲んで現実逃避をしていたような裏技は、カリムは使えない。わたしはそんなに水を出せないし、そもそもカリムは物理法則にがんじがらめになっている人間なわけだし。
わたしが一生懸命してやっている説明を聞いているのか聞いていないのか、首をブンブンと縦に振るカリムは、本気で今のことを実行してしまったらしい。自分の肉体が自分の制御下に戻ってくるのを感じながら、わたしは正直ドン引きしていた。
「恥ずかしいって思った方がいいよ」
「恥ずかしくない。お前を特別扱いすることが、恥ずかしいわけないだろ」
わたしの頭の中に溜まっていた水はすっかり空っぽだ。今なら、いちばん最初にカリムと会ったときのことが、ハッキリと思い出せる。
友情を求められて、わたしは代わりに水を要求した。キチンと交わした約束じゃなかったけれど、対価が完璧以上に支払われた結果として、わたしはこの男と契約することになった。よくもまあ、あんなに適当に繕われた約束が、何年間も残っていたものだ。
しっかり全部が思い出せる。自分の周りで死んでいった人間の声の煩わしさも、それがいやで小さなオアシスに移動して、どんどん弱っていって、静寂の中で死のうとしていたことも。そんなひとの気持ちもしらず、バカ丸出しの迷子が、わたしが何の妖精か知った上で、それでもなお、好意を示してきたことも。
それからずっと、何年間も、この男の声を聴きながら、楽しく生きていたことも。騒がしい毎日の、年月の全てが思い出された。
「わたしさあ、やっぱりオアシスに帰るよ」
「オレの隣にいればいいだろ」
楽しかっただろう、満足していただろう。自分が富と繁栄をもたらす、美しい生き物であると信じて、みんなに愛されて、大きなベッドの上で、ともだちと一緒に眠る毎日は、ひとりぼっちじゃない人生は、お前にやさしい人生は、しあわせだっただろう。誰もお前を、苦しめたりしなかっただろう。
「なのに、なんで行っちゃうんだよ」
「わたしのともだちの人生が、より良いものであると願ってるからに決まってるでしょ」
「じゃあともだちやめる……」
「あん?」
「じゃあともだちやめないから、水飲んでくれ」
お前はやさしいから、バカにならなきゃだめだ。バカになっても、大丈夫。お前の価値は減ったりしない。お前の美しさとやさしさは、そんなことで消えたりしない。
水で体が満たされていく。砂漠にオアシスなんてものではない。カリムが纏う死の数で強化されたわたしの身体が、大量の水を消し去るように、吸い込んでいく。自分の身体の中心に、穴でもあいてしまっているかのような、そんな心地。
「あーあ」
「お腹いっぱいになったか?」
「おかげさまでね」
悲しみも、喜びも、人間への嫌悪感も、カリムにかんじていた、よくわからないむずむずとした、不可解な心の感触も、全てが水の底に沈んでしまった。
「カリムはこれでいいの?」
「お前の幸せがいちばん大事だろ」
オレはお前とともだちでいられたら、それで満足だよ。そういって、カリムはニッコリと笑顔をみせる。
「何も考える必要なんてないだろ、オレも、お前も」
「遊び暮らして毎日パーティーして?」
「? それで何か問題あるか?」
困ったことに、起こった問題は、カリムとわたし以外の誰かが解決してくれるのだ。たぶんわたしたちの知らないところで。
金と富によって作り出された、この美しい地上の楽園は、まだまだ枯れそうにない。