寄る方なしのぼくらの




 血縁に拘る人間というのは、存外に多い。娘のため、息子のため、母のため、父のためと、命をかけることができるのは特別な才能ではなく、どちらかといえばありふれた感性だ。家族なんて社会形態を持たない流星街の人間も、中身は大して変わるものではない。自分の帰属する集団へのある種の陶酔か献身か。何にせよ、その根本にあるのは幻想だ。
 俺には妹がいる。俺はあの女が自分の妹だなんて信じちゃいないが、俺以外の人間はそうであると信じているので、そういうことになっている。世界人口における、黒髪の人間の割合をあいつらは考えたことがあるのだろうか。最初に俺と彼女を兄妹として扱った馬鹿な人間の記憶はもはや無いが、この馬鹿げたままごとを、俺は未だ続けている。彼女が望む通りに。

「おにいちゃん」
「おいで」

 指先に付着した血液を、遠心力でもって軽く飛ばす。彼女の満足のために死んだ、何十人目かの男の面前で、彼女の額に唇を落とす。俺を見上げる女の表情には少しの不安と、あどけなさを感じるほどのひたむきさがみてとれる。俺は何度も繰り返した言葉を、彼女に与えてやる。お前に結婚の許しをやるつもりはないよ、と彼女の髪を撫でてやる。彼女はいつもどおりに、俺の言葉に素直に肯きを返した。
 事実の検証の意義について認めていないわけではないが、彼女がする『愛情』の確認行動は、些か強迫的だ。率直に言って、下らないと思う。蜘蛛と大した利害関係も持たない男を俺が殺すか殺さないかではなく、より意味のある関係性を持った数値でもって事実を推察すべきだ。そうたとえば、こうした正論を今まで一度だって、俺が彼女に伝えていないことだとかを。

「あのね」
「うん」
「あのひと、わたしのこと好きっていってくれたから」
「それだけ?」
「キスもした」
「俺ともしてるだろ」

 お兄ちゃんとするキスとは違うよ、と女は照れたようにわらった。違わないよ、と俺は言う。くすくすと忍び笑いをする女に、俺は重ねて言う。何にも違わないよ。首元に唇を寄せると、女は少し困った表情で、くすぐったい、と俺への拒絶を仄かした。


 彼女の頭の出来が良くないことは、ずっと昔から分かっていた。戦闘における才能やセンスがないことも分かっていた。彼女が何もできない、ありふれた女であることは、周知の事実だった。彼女自身もそれを知っていた。そんなことも気づかないくらいに馬鹿な女でいればよかったのに、彼女は平均的な思いつきでもって、俺の愛情に疑問を投げかけた。

「変だよ」
「恋だよ」
「言葉遊びやめて」

 クロロくんみたいな男は恋なんてしない、と女は言い切った。俺は何通りかの口説き文句を披露し、やさしい顔で贈り物をして、訝しい視線を浴びつつ、女の浅慮な反論にひとつひとつ答えてやって、それなりの手数の愛を示した。どうでもいい贈り物もたくさんあった。金品はもともと他人のものだったし、愛の詩も他人からの借用だ。けれど、女にかけた俺の時間は、俺のものだった。彼女を欲しいと思った俺の欲求は、俺のものだった。
 俺が与えた多くの愛の中から、彼女は『血の繋がり』に意味を見出した。俺からの全ては、家族としての愛情だと勝手な納得をえた。つまらない発想だ。相手を見て考えられないのか、それとも俺を見た上で、それしか無いと、閃きに近い直感を信じ込んでしまったのか。理由は何であれ、彼女は家族の絆こそ、真実であると信奉するようになった。正当な理由なしに、ひとを愛する唯一の根拠だとあっけらかんと口にした。

 もし真実の愛があると仮定するのなら、ひとを愛することに正当性は不必要なはずだ。つまり、この二つの要素を並列に含む仮説は最初から破綻している。けれどそうしたことを俺は口にしなかった。お前の言う通りだと言うことこそしなかったが、お前は間違っているとも言わなかった。
 女は俺に甘えるようになった。俺からの愛情を受け入れるようになり、俺を兄と呼ぶようになった。俺は女の望むように振る舞った。古典的な愛情深い父親の役割を進んで買った。

「後悔してる?」
「まさか」

 俺の返事に、パクノダはやれやれと首を振る。そんなだからあの子から信用されないのよ、と嫌味をこぼす。彼女からの愛情は十分すぎるほどに得ている。信頼を得られていないことに不都合はない。あの女は自分の唯一の家族のために、自分にできる何でもするだろう。そして俺が彼女のために何でもするだろうことも、今では理解してくれている。

「あの子の感じている不安はどうでもいいの?」

 俺がもし本当に、あの女を妹として愛していたのなら、娘として愛しているのなら、彼女が何の不安も感じずに、穏やかに毎日を生きることを望むのだろう。自分のことなんて忘れてしまうくらいの幸せな人生を祝福してやれるのかもしれない。そう考えると、家族の愛情っていうのは大したものじゃない。真実の愛のはずもない。

「パクは俺の恋より、あいつの安心の方が大事なのか?」
「私を巻き込まないで頂戴」
「じゃあ呑気に首を突っ込まないでくれ」

 感情を分解して分類することは、他にやることもない暇な人間がするお遊びだ。彼女が俺に向けているのが、家族愛でも恋愛感情でもどちらでも構わない。必死で俺に手を伸ばして、俺を欲してくれているのなら、その二つには何の違いも境界もない。権威のある学者たち、幸福なひとびと、人間が守るべき法が定めた愛情に何の意味があるだろう。俺たちはお互いを愛しているっていうのに。

「あの子はまた恋人探しに行ったわよ」
「知ってる」
「迎えに行きなさい」

 怖い顔をしたパクノダに言われたのと、シンプルな事実として俺が彼女に会いたかったので、街の中に足を進める。平均より少し大きめの鞄を持った女は、雑多な人混みに綺麗に溶け込んでいた。通り過ぎる人間の顔を一人ずつ目で追う彼女の視線に、ひとりの男が反応する。同じタイミングで、俺も彼女に声をかけた。気まずそうな顔をしたのは二人。俺はそのうちの一人に笑いかける。

「見ろ、お前の王子様はそそくさと逃げていったぞ」
「初対面のひとだよ」
「初めましての女を好きだとぬかす男は全員、性交渉か金銭が目的だ、覚えておけ」
「お兄ちゃんの目的は?」

 俺はしばらく女と見つめ合う。泣きそうに揺れる瞳が、俺の答えを待っていた。俺は彼女のこの顔を見るのが好きだった。彼女の不安は、俺の心を穏やかにしてくれる。

「俺たちには、母親も父親もいない」
「どこかにいるよ」
「生まれ育った家も、小さい頃に着た服も、はじめて字を書いたノートもない」

 真面目な声で自分が羅列している品々が、女の感情をひどく掻き毟るものであるのは知っていた。共感はしてやれないが、方向性をつけて調整をしてやることはできる。人間として生まれたのだから、欲しいものはたくさんあるだろう。他人から見ればつまらないものも多くあるだろう。俺がそうであるように。

「でも、お前には俺がいるだろ?」
「なんで?」
「家族だから」

 世界でただひとつだけ残った、神さまから与えられた自分の財産。自分のものを大事にするのは当たり前だろう。家族だからだよ。他に変わりがないからだよ。お前のことが好きだからだよ。
 女のゆれる瞳が、彼女の困惑を伝えてくる。まったくもって失礼な態度だ。俺がこいつを愛しているという事実を、端から疑ってかかっている。理由なしにひとを愛することを求めながら、ひとりを選んだ正当な理由を求めてくる。その態度を健気だとか可哀想だとか言い出すやつらの意見に同意はしないが、彼女が俺からの愛情を無視できなくなっている結果としての錯乱だと思えば、可愛いとは思える。

 好きな女が狂ってしまうことは大した問題じゃない。ちょっとくらい頭がおかしくなってしまってても別にいい。俺のことを手放せなくなってることを、認めたくないならそれも別にいい。俺のことをいちばんにする理由が何であっても構わない。根元が幻想だろうと、錯乱故の幻覚だろうと、死ぬまで貫いてくれるのなら、それは立派な信念だ。愛情の物質化に必要なのは知性ではなく、むしろ損得勘定抜きの愚かさなのだから。

「俺のことは好きか?」
「……うん」
「なら俺を失望させるな」
「お兄ちゃんが許してくれないことって?」
「逃げるな」

 私と貴方は根本から違う人間だ、なんて言い訳は許さない。俺という人間をお前が理解できないことを理由に、俺のことを愛さないことは許されない。お互いを理解できないことは、家族から目を背ける理由には成り得ない。それがお前の決めた、世界のルールだろう。

「わたしは、わたしのことを愛してくれるひとを好きになりたい」
「俺はこんなにお前のことを愛してるっていうのにか」
「でも嘘つきじゃん」
「お前に嘘はついてない」
「わたし以外にはついてる」
「お前が特別だからだよ」

 俺の言葉に、彼女は気まずげに視線をそらした。自分が特別扱いされている自覚は流石にあるらしい。他人とは違う扱いをされるとき、ルールの外に置かれるとき、そのときにだけ、人間は他人の愛の輪郭に触れられる。区別し、手に取り、ラベルを貼り、額縁の中心に置くことによってのみ、人間はそれを愛していることを証明できる。彼女が俺を『家族』という枠に入れたこと、それも愛の現れ。だから俺は、彼女から「お兄ちゃん」とふざけた呼び方をされることは嫌ではない。この女の不器用さを憎んではいない。

「お兄ちゃん、やめて」

 腕の中で、女は弱々しく俺の肩を押す。傷ついたような表情で、俺を見上げる。ずっとこの瞬間が続けばいいなと、柄にもなくおもう。

「兄妹はこういうキスはしないの」
「俺たちはする」
「ねえ、ずっとお兄ちゃんでいて」

 身も世もなく俺を求める彼女の苦しみが、今にも彼女を殺そうとしている様相に、俺は強い喜びを覚えていた。俺のために死んでしまえばいいのにな、と心の底からおもう。この気持ちが恋心でないのなら、きっと誰のどんな愛情も偽物だ。

「知らないのか? 兄妹でもセックスはできる」
「教えてあげるけどね、普通はできたとしてもしないの」
「社会の決まりを守るかどうかについては、適時考えるように俺はしてるんだ」
「守るべき決まりもあるとおもう」
「ああ、愛が理由なら何をしてもいいと、俺もそう思うよ」

 何かを言いかけた彼女の唇のかたちを、自分の指先で確かめる。じぶんの家族、というものの絶対的価値の大きさについて、他人と議論するつもりはない。俺にとっては無価値で、俺の好きな女にとっては価値がある。それ以外の評論は各々で好きにやっていればいい。
 お前は俺からの愛の存在を無視している。俺はお前がそのことに苦しんでいる事実を無視している。俺たちはふたりとも、ひとを好きになるのがそんなに上手な方ではないのだろう。でもそれでもいいんじゃないか?
 お前は家族からの愛の存在なら信じられる。俺はお前がその幻想を死ぬまで捨てられないという事実なら信じられる。矛盾は勝手に捨て置けば良い。お互いにやりたいようにやって、失くしたくないものはずっと握りしめていて、欲しいものには手を伸ばせばいい。俺がお前にそうしてるように。

「お兄ちゃんは、勘違いしてるよ」
「そう?」
「恋人になったら、家族はできなくなる」
「じゃあ兄妹やめて夫婦でもするか」
「お兄ちゃんと結婚とか死んでもいや」

 入れる籍もないし、とつぶやく女の頭を撫でてやる。俺たちには父親も母親もいない。好きな人間と結婚もできない。お前が何を犠牲にしても欲しいと思ってるものは、一生ずっと俺以外には現れない。だから、せいぜい俺に縋るといいよ。

「……お兄ちゃん」
「うん」
「お兄ちゃんのこと、好きになっちゃいそう」
「受け入れるよ」

 俺たちは家族なんだから。俺の返答に、裏切られたような表情をする女の、細い首筋に指で触れる。一緒に恋をしよう。理由のないもの、矛盾してるもの、衝突するものは、ぜんぶ恋のせいだってことにしよう。

「お兄ちゃんのは恋じゃないよ」
「そっか」
「お兄ちゃんはたぶん、ちょっとおかしいんだと思う」
「受け入れてくれるだろ」
「うん」

 家族だからね、と女は俺の背中に腕をまわす。しょうがない、と女は小さく笑う。しょうがない、確かにその通りだ。ないものねだりは世の常だ。神さまが用意してくれた家族は最初っからいなかったんだから、自分で用意するしかない。家族も、恋心も、好きなひとのいちばんもさ。

 (オールジャンル夢アンソロ『恋愛スピリッツ』寄稿より)




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