自己中心的な僕のため
青ざめた顔をした女が、俺を見上げる。その視線に未だに含まれる、媚びと期待とに吐き気がした。子供っぽい理想を捨てようとしない女に、再度の問いを投げる。
「おかしい、とおもう」
「嫌か」
一歩後ずさる女が、怯えたように俺を見る。いやとかじゃない、好き嫌いじゃない、そういうのじゃない。匡貴くんは、そういうのじゃないじゃないじゃん、と泣きそうな顔をする。
生産性の無い感情論ばかりを捏ね回す女に指示を出す。優先順位をつけて、今ここで俺に答えを示せ。顔を伏せて黙り込む女の手首を掴む。抵抗を見せない女の髪を撫で、その背中に腕を回す。
「名前」
「うん」
「好きだ」
「……やだ、ねえなんで?」
何でそんなこと言うの、そう泣きながら俺の服を引っ張る女の背中を軽く叩く。どこにもいかないで、と俺に縋る女に何も変わらないことを伝えても、理解を拒むその身体は震えている。
他人からどう見られてるかなんて関係ないでしょ、誰からどう見えてたとしても、匡貴くんはわたしの恋人だったことなんてない。必死で叫ぶその言葉が、この女の何を守っているのかは、きっと彼女自身も理解していない。
「今からでも変わればいいだろう」
「何のために?」
誰のために恋人になんかならなくちゃいけないの、と顔を歪めて不満をあらわにする女が、甘えた動作で服の裾を引っ張る。変わりたくない、変わらないでいようよ、それをみんなが許してくれるように、わたしを守ってよ、と彼女が困ったような不恰好な笑みをつくる。
「じゃあ俺じゃなくあの男と付き合うか」
「……匡貴くんがそういうなら、誰とも付き合わない」
「俺ともか」
「うん」
泣き続ける女が、立ちあがろうとしないことを否定する人間が嫌いだった。街が燃えた。親が死んだ。失くした全部を忘れられない女を、記憶能力が劣っているだけの人間が否定するのはおかしい。彼女が前に進めないことを否定する全部から遠ざけてきた。それを良しとしてきた。
「お前、覚えてるか」
「なにを?」
「4日前、家に押しかけてきた乱暴な男がいただろう」
覚えてるよ、と女は答えた。男が口にした言葉、そのときの服装、匂い、恐怖、緊張。忘れていいはずのものも全部しっかり記憶している。この哀れな女の脳は、つらいことと怖いことでいっぱいで、他のものなど入る余地もないことを再確認する。
立ち上がれるはずもない。復興した街なんて視界に入るはずもない。やさしいだけのこの俺など、覚えておくに値しないのだろう。
「だから俺も、お前の世界は諦めることにする」
彼女の中では、きっと世界なんてとうの昔に終わっているのだ。お前の人生がずっと前に途切れているのなら、もう俺はお前のためにしてやれることは何もない。
不安そうな声で俺を呼ぶ名前に、ようやく決まった優先順位を伝えた。
(世界はまだ滅んじゃいないって教えてやるから)
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