一方そのころ奈落では
こちらに駆け寄ってくる憂太くんの伸ばした腕が、はたと止まる。視線がわたしの顔からずれ、また戻ってくる。首を傾げる憂太くんは、無言のままで何らかの答えを見つけた様子だった。右手を刀の柄から離し、通りすがりの幽霊みたいな顔でぼうっとこちらを見つめている憂太くんは、動かないことに決めたらしい。
「え、まってまって」
「どうかした?」
「ここまで来たなら助けて!?」
目の前の敵性呪霊は、わたしの混乱は完全に放置し、緊張感を持って憂太くんを警戒している。この場の力関係を理解していないのはきっと憂太くんだけだ。
憂太くんの視線はゆらゆらと動きながら、煮え切らない言葉をこぼす。わたしが再度、自分でも意外なくらいの声量で憂太くんの名前を呼ぶと、ぱちりと視線がぶつかった。
「こういうのって、なんかいいよね」
「まってなに?」
憂太くんが一歩近づき、少しだけ離れた場所で膝を曲げ、地面に転がるわたしに両手の掌を見せる。
「おいでー……なんちゃって」
「ねえなに?!」
「頑張れば届くよ、がんばれ」
「まって」
憂太くんがおかしくなってしまった。頭でも打ったの? 憂太くんの頭より固い物質って何?
もうそんな冗談も言える状況ですらない。わたしは自分でこの呪いを打破する手札がなく、あと数十分も放置されれば死ぬだけだ。憂太くんもしかして、あんまりそこらへんを理解してないのかな。死んじゃいます助けてくださいを、なるべく分かりやすい言葉で、じっとわたしを見下ろす男に説明を試みる。
「でも、今すぐに死んじゃうってことじゃないよね」
「ねえー、ゆうたくん、ねー、もー、ねえ」
「ほら名前ちゃん。手のばして、頑張って」
「いみわかんない、最悪、助けて先生」
憂太くんの首が、ことりと倒れる。五条先生はわざわざこんな場所までこないと思うよ、と正論を言う。君を助けに走ってくるのは、いつだって僕だったじゃないか。
「じゃあ今日も助けて、ねえ」
「僕がさ、結構その、名前ちゃんに優しくしてたの気づいてくれてた?」
「うんだから助けて」
「名前ちゃんは、助けてくれるなら誰でもいいのかもしれないけど」
君が僕を好きになってくれないのなら、僕が君に優しくする意味ってなんだろうとおもって。
表情を変えないままで憂太くんは呟く。独り言のようなその声色から、感情は読み取れない。自分の脳が目の前の男の理解を拒絶する中で、生存本能だけがわたしの肉体に命令する。
「ゆうたくん、たすけて」
腕を伸ばす、いつも彼がやってくれているのと同じように。届く距離は天地ほども違う。けれど、憂太くんはそれで満足だったらしい。男の胸元にしがみつき、無様に地を這うわたしを見つめ、憂太くんは幸せそうに笑った。
(『あなたのことを愛しています』)
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