あなたの夢が朽ちたなら




 暗い森でひとりきり。それはつまり、死神とふたりきりと同じこと。完璧にひとりぼっちでいるよりも、危険な何かと二人きりでいる方が始末が悪い。湿った土が足を引っ張り、硬い木枝が髪を千切る。獣に生きたまま捕食されるのと、泥水をすすりながら餓死をするのは、いったいどちらがマシなのだろうと考えるわたしの目の前には、王子様が微笑みながら立っていた。

「道に迷った?」
「……まあ、たぶん」
「迷子の自覚がないとは、君は迷子の才能があるんだね!」

 道に迷うというのは、それは正しい道を失うということだと思う。つまり、歩いて戻れば、回復できる一時的な称号だ。けれど、わたしにとっての正しい道は、歩いて自力でたどり着けそうには思えない。

「逃げてきたのかい、こんな森まで」
「まさか」
「じゃあこの森を抜けて、違うどこかに落ち延びるご予定でも?」
「どちらかと言えば、帰りたいな〜と思ってますけど」
「そうか、それは素晴らしい」

 夢みたいな状況だなあとわたしは考える。眠るためにベッドに入ったら、知らないうちに森にきて、王子様に会っておしゃべりしている。こんなに夢らしい夢なんて、今までの人生で見てきたことはなかったのに。なぜか、どうしても、この瞬間が夢だと思い込めない。

「君はとてもいい迷子だね」
「どうも」
「帰る家があっても帰還に足りうる能力はなく、疲れ切って震えていて、生存を続けることにも助けを必要としていて、いちばん最初に僕の前に来た」

 王子様は笑顔でわたしに語りかける。迷子はいつでも大歓迎! 召使いとして歓迎しよう。かわいい衣装と美味しい果物と楽しいお祭りの仲間にいれてあげるよ。夜を何度も繰り返せば、そのうち誰の目にも見えなくなって、家に帰りたいとも思わなくなる。

「おまえは数日中に死ぬよという婉曲な表現でしょうか」
「つまんない発言するたび罰ゲームあるから気をつけてね」

 どんどんと夢らしい風景に変わっていく中で、わたしの脳味噌はまだ現実にあった。それが少しだけ申し訳ない。たいへんな歓迎を受けている中で、わたしは気まずく笑っている。

「愛想笑いなんて覚えたんだね、お前も」
「オベロンさまも、昔より勧誘がお上手になりましたね」

 返ってきたのは舌打ちで、わたしはそれに腹を立てることもできない。彼の見せる表面的な不機嫌よりも、彼がわたしのためにしてくれていることばかりが目に入る。

「わたしは迷子じゃないんですよ、オベロンさま」
「帰れないくせに」
「わたし、死にかけてるんです、わかるでしょう」
「死ぬ直前に一瞬幻覚みる程度の脳もないのかよ、そのぐらい気力でやれ」

 子どもはみんな、親の財産。だからちゃんと、家の中にしまっておかなきゃ。迷子の子どもは、誰かに横からとられてしまう。一度森に迷い込んだのなら、全員みんな、そろって妖精王のものにされても文句はいえない。
 森の迷子は貴方のもの。ずっと昔からの決まりごと。親に捨てられた子どもたちをこき使う、傲慢で優しいぼくらの王様。でもわたしは、その手のひらから落っこちてしまった。誰も知らない森の奥で、誰にも知られず、夢の中で生きていく権利があるのは、夢を信じられる子どもだけ。自分の死体が目に入らないくらい、夢に魅せられた人間だけ。

「お前、ボロボロだし汚いよ」
「そうだね」
「僕の森から立ち去ってから何してたの?」
「知らないのに呼んだの?」
「悪いけど人間の人生には興味が持てなくてね」
「わたしが死ぬ前に、会いにきてくれてありがとうね」

 簡単だろ、と男は吐き捨てる。現実から目を逸らすだけでいい。目をつむるだけで夢は見れる。苦しみから逃避して、降って湧いた幸福を本物だと喜ぶだけでいい。歩くことをやめるだけで、死ぬこともやめられるのに!

「大丈夫だよ、オベロンさま」

 夢は覚めたら忘れるもの。でもわたしは、今夜の奇跡を夢だとは思ってはいないから。自分の王様の名前を覚えたままでいられる。つい昨日まで忘れていた貴方のことを。

「大丈夫じゃないよ」
「そうかな」
「そうだよ」

(こんな女々しい言動が、君の記憶の一部になるなんて!)




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