貴方のいないほうが前




 司くんが好きだった。わたしのことを好きでいてくれる司くんのことが、わたしも好きだった。お互いにお互いを好きでいられる、そういう奇跡を大事にしようって思うことの何が悪いのだろうか。

「俺も貴様を好きだぜ。奇跡的だとは思ってくれないのか?」
「七海さんのは、そういうのじゃない」
「そうだな、奇跡ではなく運命だろうさ」

 七海龍水の細められた瞳がわたしの表情を観察する視線の鋭さに、嘘なんかついていないのに、後ろめたさで喉が渇いた。今のわたしは、きっとひどい顔をしているだろう。なのにこのひとは許してくれない。だから、このひとは司くんとは違うのだ。

「あの、わたし、司くんと付き合ってる」
「じゃあ俺とも付き合えばいい」

 あれと付き合えるなら、俺が嫌いってことはないだろう、と男はあっけらかんと口にした。わたしはぐらぐらする頭を気力でなんとか支えながら、型破りな男に反論する。

「そういうことは、しちゃダメなんです」
「貴様はもっと自分の考えを言語化する訓練をするべきだな、名前」
「好きなひとが嫌がることはしません」

 軽く上がっていた、男の口角が落ちる。わたしは咄嗟に、謝罪をしようと息を吸い込んだが、言葉が音になることはなかった。わたしの下顎を軽く掴んだ、七海龍水の指先がわたしの目のすぐ下まで伸びていた。

「名前、大きくなったら何になりたい」
「……わたしもう、子どもじゃないです」
「他人に文句を言われたからって諦めるつもりか?」
「司くんは他人じゃない」

 わたしが睨むと、男は愉快そうにわらう。
 司くんに、はやく戻ってきてほしかった。いつものように、わたしのことを助けて、守ってほしかった。この男は間違ってるよ、といつもと同じ声で教えて欲しかった。
 でも、わたしの目の前にいるのは七海龍水で、彼はわたしのことを許してなんかくれないのだ。わたしが、わたしの夢を諦めることを許してくれようとしない。

「俺が連れてってやる、貴様の行きたい場所まで」

 わたしの夢は司くんのお嫁さんになることで、それはもう叶っている。わたしにも手が届く夢を、自分のものになった夢を、司くんが認めてくれる夢を大事にしたい。

「わたし、今、幸せなの」
「もっと幸せになれる」
「失敗したら?」

 わたしたちの幸せを、どうしてわざわざ滅茶苦茶にしようとするんだろう。今以上を望んで、破滅するのをわかって前に進むなんて、バカのすることだ。
 司くんはわたしのことが好きで、大事にしてくれて、やさしくしてくれて、困った顔をしてたら、司くんが悪くなくても謝ってくれる。だから、わたしも司くんに同じことをする。わたしと司くんは、そうやってずっと一緒にいたんだから。

「貴様が失敗しようがどうでもいい」
「いや、だから」
「この俺が隣にいるんだ、何を不安に思う?」

 やりたいように全力で、好き勝手にやればいい。七海龍水が、ニッと笑顔を見せる。

「損失は補填してやる。助言もくれてやる。がむしゃらにやれ」
「……投資先、間違えてると思いますけど」
「投資じゃない。好きな女への贔屓だ」

 奇跡なんて、どれだけ大事にしててもそのうち自壊する。だから、運命に従って、俺のことを選べばいい。暴君の様に振る舞って、自由に生きて、俺を愛して貴様は死ね。
 七海龍水の演説に、心臓が揺らいだのは、わたしが平凡な人間である証拠だ。司くんはわたしを許してくれるだろう。わたしの間違いを許して、きっと連れ戻しにきてくれることはわかっていた。だから、終わりが変わらないのなら、司くんが助けにきてくれるまでの間だけ、破滅的な夢を追いかけさせてほしい。

「名前」
「うん」
「何がしたい?」
「……外に出たい」
「ああ、連れてってやる」

(俺の隣で死ぬ権利を君にあげよう)




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