ねがいごとは燃え尽きる




 高専の廊下に、久しぶりに見る顔がある。おーい、と乙骨くんに手をふれば、小走りでこちらに来てくれた乙骨くんが、うれしそうにわたしの名前をよぶ。わたしのこと覚えてくれてたんだ?とすこし冗談めかして質問したわたしに、乙骨くんは生真面目な返事をくれた。
 乙骨くんからすれば、吹けば飛ぶようなわたしみたいな末端術師に、丁寧に対応してくれるのは、わたしが彼の先輩ということもあるだろうけれど、彼の生来の性格が大きいのではないかと推測できる。乙骨憂太という少年、今だと青年といったほうがいいかもしれないが、乙骨青年の性格は、魑魅魍魎溢れる呪術師の世界の中で、極めて善良で真っ直ぐだと評価できるものだ。

「あの名前さん」
「うん?」
「キスしてもいいですか?」
「え、だめ……です?」

 そうですか。と乙骨くんはなんでもないことのように相槌を打った。そのまま談笑して、お別れを言って、にこやかに去っていく乙骨くんを見送る。
 乙骨くんはかなりいい子だ。間違いない。わたしはその事実を思い出し、よくわからない記憶を、そのまま記憶の奥にしまっておくことにした。

「名前さん」
「はい」
「最近、僕によそよそしくないですか?」
「いや……」

 わたしは自分の心臓の動きをなるべく意識しないように、窓の外の木の葉の動きを観察する。乙骨くんの次の言葉を待ちながら、わたしの脳は次々と自分では処理できないほどの情報を伝えてくる。自分と乙骨くんの位置情報、気温と湿度、遠くにあるひとの気配、乙骨憂太の呪力量、自分の呪力量、今日のスケジュール、右足の靴ずれ、乙骨憂太の感情の起伏。
 乙骨くんが、何かを言おうとする前に、わたしの喉からは言葉になってない音が漏れる。乙骨くんは目を静かに細めて、わたしの挙動をじっとみつめる。

「何がだめなんですか?」
「え、いや、わかんないけど」
「キスはしてもいいですか?」
「だ、だめ」

 この質問は、もう何度目になるか、理解をすることをわたしの心臓は拒む。手のひらが汗でじっとりと湿っている。
 最初の質問は一回だけだった。質問の数は、日毎に増えていく。毎日、わたしはその全部に否定を返して、乙骨くんは、それを表情を変えずに聞き入れてくれている。穏やかな微笑みを浮かべたままで、わたしの拒絶をひとつひとつ、数えるように、繰り返しの質問をする。執拗に。

「もしかして、僕のこと、意識してくれてます?」
「そういうのじゃないです」
「敬語の名前さんも可愛いですよね」

 乙骨くんの白い肌に、わずかに滲む血色の存在が、ひどくわたしの心をざわつかせた。まるで人間みたいじゃないか?なんて、矛盾した言葉が脳裏にうかぶ。

「じゃあ手は繋いでくれますか?」
「い、やです」
「そうですか」

 わたしは、おもわず縋るように、乙骨くんに自分の手が伸びそうになったのがわかった。そして、乙骨くんがそれに気づいたことも、理解できた。

「肯くのはこわいですか?」
「……」
「じゃあ、次の質問は、断ってもいいやつにしますね」

 足が一歩、後ろに下がった。わたしの動揺を顧みることなく、乙骨くんはわたしに質問をする。肯定をすべきか、否定をすべきか、判断がつかなかった。黙り込むわたしの名前を乙骨くんが呼ぶ。

「やさしい僕は好きですか?」


(いつだってやさしかったきみ)




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