等しい呼吸ができなくても




「……やだ」

 名前の薄い手のひらが、彼女の口元を隠す。可愛らしかったので、そのまま顔を近づけて名前の細い指の付け根に唇を合わせると、小さな悲鳴が指の隙間から聞こえてくる。

「そんなにてれるな」
「てれてない」
「じゃあその手をどかしな」
「もう龍水とはキスしない」

 俺は自分のやりたいことを曲げるつもりはないが、名前が本気で嫌がることをするつもりもない。だから、キスをしないなんてことはあり得ない。名前は俺にキスされるのが好きだし、俺も名前にキスをするのが好きだ。つまり名前のこの反抗は、照れ隠しか恋煩いの発作だ。
 チラチラと俺の顔を覗き見しながらの言葉が、そのままの意味であるはずがない。一生懸命になって、俺の怒りを買うことも恐れずに、彼女がこうして俺からのキスを我慢をしているのは、俺への愛が理由だろう。そうであるならば、俺はもちろん、名前のために愛を示さなくてはいけない。というわけでキスだ。

「やだってば!」
「キスすれば全部忘れる」
「龍水は覚えてるじゃん……!」

 一方的なキスでうやむやにするの、最低だと思う。という名前の言葉は部分的に真実で、ほとんどは誤りだ。愛し合ってる男女がするキスは一方的なものではないし、俺は最高の男なので最低ではない。けれども、名前がキス一回で感情全部がうやむやになる、愛らしい女であるのは間違いない。あんまり簡単にぐずぐずになるのは少し心配にもなるが、相手がこの俺ならば仕方ないともいえる。

「フゥン、よし、俺が指南してやろう」
「……はずかしいからやだ」
「まずは俺の首に腕を回せ」
「ねーーーってば」

 同じ言葉を繰り返すと、名前は不機嫌そうな表情で、俺の肩に手をのせた。体をぐっと名前の方に寄せると、肩に触れる彼女の腕から、その動揺が物理的に伝わってくる。名前の表情を楽しみながら、時間が流れるがままに任せていると、名前の腕はちゃんと俺の指示通りに、俺の首のうしろに収まる。

「つぎは?」
「俺に任せればいい」

 名前の腰と後頭部を押さえながら、やりたいようにキスをする。自分がいつもよりがっついていることは自覚していた。求められている、縋られている、愛されている、そういういろいろが、今まででいちばんはっきりと知覚できている感覚で、俺の心臓も興奮していた。

「名前」
「りゅうすい?」
「免許皆伝だ、あとで賞状と楯をやろう」
「恥ずかしいものばっかつくんないで……」

 キスがうまくなる方法はふたつだけだ。つまりは慣れと愛情。俺よりもキスが下手なのを気にするのなら、積極的な練習あるのみだ。

「上手だった?」
「ああ、最高だったぜ」

 名前はぎゅ、と俺の首にしがみつく。その力の弱さと、軽さに、俺はすっかりまいってしまって、その場で仰向けに倒れ込んだ。

(最高の君にふさわしいじぶん)




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