曲がり角まで振り向かないで




「誕生日、おめでとうございます」

男性にしては細い首が、ことり、と横に倒されるのにつられるように、サングラスの奥の暗い瞳孔がぐらりと揺れる。彼の瞳孔は、いつも不安定な動きをする。以前それを指摘すると、自分ではあまり意識していないのですが、と気を悪くした様子もなく話してくれた。彼の目にはわたしは写っていない。彼の視線に圧力を感じるのは、わたしの勝手で妄想がちの難癖だ。そうでなければいけない。

「さて、名前さんは何歳になったのでしたか」
「まだ子どもです」
「その言葉が出てくるのであれば、もはや子どもではないでしょうね」

モールさんは、杖を持っているのとは逆の手のひらを、その場で持ち上げる。よろめいているようにも見えた。たよりなさげにもみえた。けれど何故か、わたしの目には、地中深くに根をはった、決して倒れない大木のように見えるのだった。わたしは失礼な自分の考えを、首をふって忘れるように努める。そして、誰もが当たり前にするように、目の不自由な友人を支えるために、彼の手を握った。

モールさんがわたしを招待してくれたのは、街のはずれにある彼の家だった。モールさんがひとりで暮らしている家。手すりも何もない、当たり前に普通の家は、彼にとって不便なように思えた。けれど、モールさんは迷うことなくわたしを室内に案内し、椅子を引くことまでしてくれた。

「お酒を飲んだことは?」
「そういうの、わたしはいいです」
「怖いのですか?」
「……はい」
「酒気というものは、体験すべきです、大人であるのなら」

目の前に置かれたグラスに、音もなく、透明な液体が注がれていく。つよい匂いがした。酒の味を知らないわたしにも理解できるような、そのゆたかな香りは、ひどく恐ろしく思えた。この世のものではないように思えた。

「名前さん」
「の、みたくないです」
「これは、貴方のためのグラスです」

わたしはグラスを自分の口に当て、唇を濡らし、すぐに離す。横目でモールさんの表情を確認し、彼の微笑みをみて、もう一度だけグラスを口に近づける。

「お味はどうですか」
「よく……わかんないです」
「存外に、どうということもなかったでしょう?」
「……まあ」

グラスの中身がなくなる。それをモールさんに伝えるより先に、新しくお酒が注がれる。
何度かそれを繰り返し、わたしはたぶん、自分はお酒に強いのだなということが理解出来始めていた。自分が何をおそれていて、自分が何を嫌悪していて、自分が何故子どもでいることに頑なになっていたのか、すでに忘れ始めていた。

「眠そうですね」
「そうでもないです」
「ええ、まだ夜は浅い」

モールさんの瞳が、じっとわたしを見つめる。わたしの揺れる視界に合わせて、ぴったりと彼の瞳が寄り添ってくれていた。

「名前さん、お酒は何のためにあるかわかりますか」
「大人のため?」
「はい、悪い大人の道具です」

視界が暗くなる。部屋の電気が消える。真っ暗な部屋の中、月明かりがモールさんの目元を輝かせる。まぶしいなあ、とおもった次の瞬間、カーテンが引かれる音とともに、わたしの体も地面に転がったのだった。


(空を飛べ、記憶を消して)




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