ひかりばかりの愛に包まれていた




ユゴーの小説が嫌いだった。スタンダールも好きじゃない。ゾラもドストエフスキーも面白くない。不愉快だ。馬鹿にされていると感じる。嫌悪感と不快感とで、読んでいると苦しくなる。

「読書感想文は書ききることに意味があるんだよ、名前」
「好きじゃない本の感想文なんて書けないです」
「君がいま口にしたことをそのまま記せばいいだろう」
「わるぐちは書くべきじゃない」

それがどんなにひどい本でも、貶すようなことはしたくない。そんなことをしたら、わたしの魂の方がけがれてしまうだろう。
わたしの主張を聞いた言峰神父が、しずかにその目を細める。わたしはなんだか気まずくなって、自分の靴の爪先を見ながら、いくつかの正論を重ねた。宿題は大事だ。だから、ちゃんとわたしは課題図書を最後まで読み切った。それで許されるはずだ。わたしという子どもの精神の安寧の方が、宿題よりも優先されるはずだ。わたしは文学という名前の物語に触れると、本当に、ほんとうに、つらくてたまらないのだ。

「……ごめんなさい、神父さまに言うべきはなしではなかったと思います」
「いや、続けなさい」
「でも」
「君は暴力も、犠牲も、悪魔も、受け入れてきたはずだ。悲劇的な逸話を美しいと話していたはずだろう」

聖書にはたくさんの物語がある。わたしはその全てを信じている。意味があると思っている。神父さまがそうであるように、神さまの言葉を愛している。神さまを愛しているひとはみんな、神さまに愛される資格がある。

「文学は、わたしたちの信仰を踏みにじっていると思います」
「悲しいことだが、正しくない行いをする聖職者もいる」
「いません」

悪い聖職者だなんて!聖職者を悪者にして、笑い物にして、不幸にするなんて、許されない。神さまの僕を、神さまの所有する財産を貶めることは許されない。悪の道に生きる聖人が存在するはずがない。そんなひどい嘘を撒き散らす、醜い物語を、わたしはゆるせない!

「私の前で美しさを語るか、名前」
「はい、いいえ、言峰神父」
「君の目に、私はどのような姿に写っている?」
「わたしの導き手として」

そうか、と神父さまは小さくつぶやいた。その目にはわたしが写っていないように見えた。その手がわたしの首に伸ばされる。わたしは目をつむり、身をまかせた。


(御心が天に行われる通り、地にも行われますように)




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