きみを標本にしようか
「名前ちゃん」
「フェリシアーノくん......?」
「ねぇ、オレのこと、すきっていって」
「ええ?なに?」
「おねがい」
ここはどこだろう。やわらかなベッドに横たわるわたしの枕元で、フェリシアーノくんが、泣きそうな顔で、わたしの右手を両手で強く握っている。
わたしは眠っていたのだろうか。記憶が曖昧で、自分が思い出そうとしているものが何であるかも、よくわからない。
「うーんと、夢かなあ、これ」
「ねえ、オレのこと、すき?ねえ、名前ちゃん、」
「うん、すきだよ」
「そっか。.......そっかあ」
安心したような声を出したフェリシアーノくんの表情が、ふんにゃりと柔らかくなる。それにしても、ここはどこだろうか。窓には重たいカーテンがかかっていて、外の様子はわからない。今は何時だろうか。部屋の中を見渡しても、時計はみつからない。
「ねえ、わたし、記憶喪失になっちゃったかも、っていったら、笑う?」
「うんとねえ、たぶん、それ、オレのせいだ」
「ええ?フェリシアーノくんにそんな特殊能力あったなんて聞いてないよ」
「あのね、この部屋はね、魔法の部屋なんだよ。オレと名前ちゃんだけの、二人のための部屋」
返事になってないけれど、フェリシアーノくんの話がとっちらかっているのはいつものことなので、話を合わせる。魔法の部屋ときたか〜。まあたしかに、年代物っぽいというか、雰囲気はあるよね。
「どこらへんが魔法なの?」
「時間がすすまないんだ。ここにいれば、名前ちゃんがオレのことをすきな時間が、何年も、何十年も、何万年も、ずーっと、永遠につづくんだよ」
「何万年は無理じゃないかな......」
「無理じゃないよ。ここは、オレの宝箱なんだ。大事なものをしまう部屋。オレが存在する限り、この部屋は壊れないし、失くならないし、汚されないんだよ、ね、すごいだろ?」
「ふーんそういう設定なのね。じゃあ、そこらへんのもの、蹴っ飛ばしたりしないように気をつけるよ」
キラキラと光るガラス細工とかが、床とかに適当に置いてあって、間違えて壊してしまいそうだ。フェリシアーノくんの大事なものなら、丁寧に扱わないとな。
その日から、奇妙な共同生活が始まった。部屋を出入りするのはフェリシアーノくんだけで、何度か外に出ようかと思ったときはあったけれど、なんとなく、部屋の扉には触れられないままで、時間だけが過ぎていく。
眠って、起きて、フェリシアーノくんとおしゃべりをして、たまにチェスなんかをして、お菓子をつまんで、また眠る。
何度目の目覚めか、もう自分では数えきれなくなったころに、ようやく、これは夢じゃないのかもしれないなあと思った。
「おはよう、名前ちゃん、オレのこと、すき?」
「うん、すき......なんでだろう、すきなんだよね、わたし、フェリシアーノくんのこと、何もしらないのに」
「全部知ってるでしょ?顔も、名前も、名前ちゃんのことがすきだってことも」
「......ねえ、わたしの記憶、フェリシアーノくんはしらない?」
「この部屋に入るときに、落としちゃったんだよ。部屋の外にあるよ」
「取りに行ってもいい?」
「だーめ。あんなの、名前ちゃんには必要ないよ」
でも、なにかが足りないのだ、なにかを失って、それが何かはわからないけれど、大切なものをもっていた気がするのだ。
「わたしの記憶が戻ったら、この部屋にはいられないの?」
「ううん、ちがうんだ、名前ちゃんが、オレを置いていっちゃうの。オレ以外のヤツのところにいっちゃうんだ」
「フェリシアーノくん以外?」
そうか、わたしとフェリシアーノくん以外にも、人がいるのか。そんな当たり前のことに、驚いている自分がいた。
「名前ちゃんに、オレをすきなままでいてほしいって、そんなにだめなことかなぁ......」
「だめじゃないと、おもうけど、でも、」
「なんで?オレだけの名前ちゃんにしたのに、なんでいらないことばっかり言うの?」
「ごめ、な、泣かないで、なんとなく、気になっちゃってるだけだから」
「ねえ、オレのこと、すきっていってよ」
「......すきだよ、フェリシアーノくん」
「オレも、すきなんだ、名前ちゃんのことが、オレをすきっていってくれる、きみが、すきで、ごめん、ごめんね、」
さめざめと涙を流すフェリシアーノくんは、優しいものしか存在しないこの部屋の中で、ひどく浮いて見えた。フェリシアーノくんが泣き止むまで、わたしは彼の髪を撫で続けた。
(幾星霜の年月が、きみのしがらみを洗い流してくれる)
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