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体育祭が始まった。
入場前に集まっていた控室で緑谷には宣戦布告をしておいた。
実力差は明確だが、芽は早々に摘んでおくのがいいと判断した。

最初の競技である障害物競走も結局最後の最後で緑谷に抜かされてしまった。
何をして来るのか分からない所も、俺が目をつけた所だった。
次の騎馬戦は難なく1位をとることができ、最終競技に出場が決まった。
それから昼休みには俺の家庭事情を緑谷に釘を刺すように話した。

「っち、」

朝から静かに怒りが燻っているのが分かる。
穏やかだった昨日までのことがまるで嘘のようだ。
そこまで考えて、苗字の顔を朝から見ていない事に気がついた。
朝早くに学校へ行くと言うことは聞いていたが、ここまで会えないのかと思う。
苗字の事を考え出したら、会いたくなってしまった。
いつものように、肩を叩いてこの燻っている怒りをなんとかして欲しいと思った。

「…出ないか、」

電話をかけてみるが、相変わらず苗字は出ない。
仕事が忙しいのかも知れないが、今すぐにでも顔が見たい。
俺は残り少ない昼休みでパッと昼食を済まし、苗字を探しに走り回っていた。
居そうな所をしらみつぶしに探していくが、中々見つからない。
残り15分を切り、焦り始めたがついに苗字を見つけた。

「苗字!」

「轟君?どうしたの昼休みもう直ぐ終わるよ?」

名前を呼ぶと、苗字はいつものように答えてくれた。

「探してたんだ…電話、入れたんだが…。」

「え゛…ごめん、仕事忙しくて全然気がつかなかった…。」

「いや、時間内に見つけられたからいい。」

「本当にごめん…それで、何かあったの?」

申し訳なさそうに謝る苗字だが、こっちが勝手に探していたのだからなんとも言えなくなる。

「あ…いや大した事じゃねぇ…。」

後先考えずにいつものようにこの怒りをなんとかして欲しいと言う理由だけで探してしまっていた。
苗字にとっては迷惑でしかないだろう。
少し冷静になった俺は今更どうしようと頭を巡らせていた。

「大した事じゃなさそうに見えるけど、私以外じゃ無理そうな事?」

「え、あ、いや…そう、だな…苗字以外じゃ無理だ。」

思わぬ苗字の台詞に動揺が隠せない。
変な意味に捉えてしまっただろうか…?
けどここで引いたら変に思われてしまう。
大丈夫だ、苗字はそう言う奴じゃない事はここ1年で分かってきた。

「…肩を、叩いてくれねぇか?」

「肩…?ああ、」

震えそうな声を抑えて、探してた理由を告げる。
苗字は一瞬首を傾げたが、思い出したかのように俺に近づいていつものように肩を叩いてくれた。

「これで大丈夫?」

落ち着きはしたが今日は何故か足りないと感じてしまった。
初めての感情に、焦りと何故、と言う思いでいっぱいになる。
そうしていつの間にか震えながら言葉を発していた。

「…苗字、もう一ついいか?」

ああ、きっと変な奴だと思われたに違いない。
俺自身でも何をしているのかよく分からなかった。

「…轟君、私はもう君のこと友達だと思ってるよ?」

…思えば、いつも苗字は欲しい言葉を俺にくれていた。

「だから、そんなに慎重にならなくても私は君を拒絶しないし、茶化したりしない。」

ずっと、拒絶される事が怖かったんだと思う。
俺は苗字と仲良くしたいと言ったが、彼女はどう思っているかずっと分からなかった。
だからこの言葉がどれだけ嬉しかったか、苗字は知らないだろう。
ずっと友達や馴れ合いはいらないと、欲しくもないと思っていた俺が手を伸ばしてしまった。
苗字の思考回路はたまに分からない時もあるが、俺は苗字の纏う空気や俺自身をちゃんと見てくれる所が好きだし、無駄にお喋りじゃない所も、意外と人を見ている所も、他にも沢山いい所を知っている。

だから…俺はもう、この安心を手放せそうにないと思ってしまった。

「手を、…」

「うん、」

「手を、握ってもらってもいいか…?」

途切れ途切れにそう伝えるが、聞こえただろうか。
なんで手だったのか俺にもよく分からない。
ただただ溢れないように握って欲しかったのかも知れない。

「そんなことで良ければ、いくらでも。」

なんて事ないように苗字は俺の手を握ってくれた。
個性の性質上冷たい左と、使わないと決めている右。

「苗字、ありがとう。」

苗字の暖かい手が、俺の中で燻っていた怒りを少しだけ抑えてくれた。
もう何度、苗字にありがとうと伝えただろう。

「うん、いってらっしゃい。」

「ああ、行ってくる。」

俺も今まで苗字がしてきてくれた事を返したい。
その為に、俺は優勝しなきゃならない。