透明な檻
 影が重なる。そして、唇が重なる。角度を変えて重ね合わせたふたりの唇は濡れて、ちゅ、とやわらかく食む音が静かな部屋に響く。何度かそうしていると、ゆっくりと唇が離れていった。


「ん、…」
「…なぁ、絢、」


 少し掠れた声で日向君はわたしの名前を呼ぶ。眼鏡のレンズで阻まれた先の瞳がどことなくぎらついているような気がした。欲を湛えていることが如実にわかるその目が、まっすぐわたしを捉えて離さない。
 そっと彼の眼鏡に手をかける。ひやりと指先の熱を奪って同化する眼鏡の蔓を感じながら、彼が目を閉じたのを見て、指に少しだけ力を入れて持ち上げる。す、と外れた眼鏡は、彼の欲望を閉じ込める檻の鍵だった。閉じられた瞼が持ち上がり、わたしの視線とかち合う。まるで肉食獣のような目をした日向君の鋭い目線に呆けていると、彼はわたしの手から眼鏡を取り上げ、ローテーブルの上へと雑に置いた。


「それ、誘ってんの?」


 日向君の唇は三日月を描いている。まるで試合で絶好調のときのような。そんな顔にさせているのがわたしなのだと思うと、どうしてか背中がぞくぞくする。優越感のようなものを感じずにはいられなかった。ああ、食べられる。間違いなくわたしはこれから、この目の前の男に食べられてしまうというのに。






 なぜわたしがこの期に及んでこんな言葉を発したのか、正直なところわからない。ただひとつ言えるとしたら、わたしはこの日向順平という男に食べられてしまいたかったのだ。ふたつであるこの体も、できることならひとつになってしまえばいいと思う。セックスだって厳密にいうと繋がっているだけで、ひとつになっているわけではない。繋がったそこからじわじわと溶けて、ひとつになってしまえばいいのにと口にこそ出さないが何度も思った。わたしは少しおかしいのかもしれない。
 だからわたしは彼とのセックスが好きだった。ふたりの距離がゼロになるということ、彼がわたしの中にあるということ、抱き締め合った肌の隙間がじっとりと汗ばんで貼り付くこと。とにかく彼との物理的な隙間を埋めるという行為が、わたしにとってはきもちよくて仕方がなかったのだ。だからといってはしたなく求めることはできずにいた。成り行きのキスから押し倒されるといういつもの手順を待つばかり。女の子としては、それくらいが可愛いのかもしれない。けれど、女の子にも欲望はあるのだ。


 とはいえ、日向君を押し倒す勇気はなかった。あからさまに情欲を誘うような行動も、わたしにはできなかった。ただ与えてくれるキスに応えて、応えて、応えて、そうして察してくれるのを待っていた。




 だからわたしは今日、彼の透明な檻の鍵を開いた。


 特別なときにしか外さない、日向君の眼鏡に触れた。その奥には、いつもわたしを抱いているときと同じ、けもののような瞳がある。決してお世辞にも良いとは言えない彼の目つきは、こういうときにたまらなく雄としての色気があると思う。
 かち合って絡んだままの視線の糸がほどけない。蛇に睨まれた蛙のようだ。いっそそのまま丸呑みして、あなたの中でじわじわと溶けて、あなたのものに、あなたの血肉に、あなたの全てになってしまえばいいのに。


「そうだよ。……誘ってるの。」


 そんなわたしを支配する感情を押し殺して、努めて冷静に――冷静ぶって、わたしはそう言った。本当は今すぐにでも押し倒してほしいのに!


「言ったな?」
「うん。」
「誘ったのはオマエだからな。あとからやめて、なんて言っても、やめてやれる自信ねぇから。」


 はぁ、と溜息に似た熱い吐息を吐き出した日向君は、もう一度わたしの唇を奪い、するりと降りて痕がつかない程度に首筋を食んで、軽く歯を立てた。服を脱がす間も惜しいのか、わたしが着ていたTシャツを捲り上げ、下着はホックだけを外してそれもずり上げた。胸の申し訳程度の谷間を、彼の舌がなぞる。そうして左胸の頂のすぐ横のやわらかい皮膚を、ぢゅう、と吸って真っ赤な痕を残した。ちりちりした痛みが少しだけ残る。満足そうに日向君の指がその痕を撫で、そのくすぐったさにわたしは「ふふ」と吐息を漏らした。こうして下着の中に隠れる場所へと痕をつける彼の行為は、優しさと少しの独占欲が混じりあっていて、たまらなく愛おしかった。ただそれだけのことで、わたしの真ん中から愛情が潤み出る。ショーツにそっと手をかけられて、中心を湿らせていることを彼の指先が悟ると、わたしの脚に当たっていた日向君のそれも、グ、と存在を主張するのがわかった。






 彼の分身を暴いて、指先で扱く。弾力のあるそれが反応を返すたびに、わたしは口の中が乾いていった。


 欲しい。


 とうに乾ききった喉に水分を押し込むようにゴクリと唾を飲むと、日向君はさらに口角を歪めてわたしを見た。言外の意味を汲み取ることなど容易くて、それこそわたしの欲望のままのことである。
 浮き出した血管に沿うように、根元から先端へと裏筋を舐め上げる。何度かそうしてから、先端を唇で挟み込むようにして咥える。さっきまであんなに乾いていた口内が自然と潤んで、だらだらとはしたなく唾液をこぼしながら彼自身を愛撫した。それを続けるうちにわたしの口内でびくびくと育っていくのがわたしの心も満たした。


「っ、絢、も…いい…」
「は、ぁ…」


 夢中で貪っていたそれを口の中から引き抜かれ、思わず縋るような目をしてしまった自覚がある。日向君もそれを感じたようで、「今、どんな顔してるか知ってるか?」なんて言うからわたしは少しだけ恥ずかしくなった。






 そのままベッドに押し倒され、潤みきっているその場所に日向君の指先が触れた瞬間、わたしはびくりと震え、またそこを濡らした。


「舐めてるだけで感じた?……やらしいな、絢。」
「そ、うかも…」


 かも、なんかではない。そうだ。舐めている間、その先への期待が膨らんで、わたしはみっともなくそこを濡らしていたのだ。これからどうされるのか、何が起こるのか、そんなものはわかりきっていて、わたしはそれをただただ感じたくて仕方なかったのだから。


「ね、日向君、もう…いれて?」


 我慢が出来ない。
 大人しく、行儀よく食べられるのを待つのはもう飽きた。
 彼の欲望の檻の鍵は、わたしがこの手で外した。




 数秒の間をおいて、日向君は何も言わずわたしに触れるだけのキスを唇に落とした。






 日向君が引き出しを開けてコンドームを取り出す間、わたしはずっと彼の指先を見ていた。袋を破いて取り出して、精液溜まりの部分をつまんで被せるところで、彼はわたしを見た。


「あんま見んな。」
「どうして?」


 本当はその薄い皮膜さえもなければいいのに、と思う。ただそういうわけにもいかないし、それだけは欲望にまかせて取り払うようなことを、今はしてはならないとわかっている。だからこうして彼がつけるところを見る。ああ、今から日向君がわたしの中に入ってきてくれるのだと実感できるから、つけるのを見るのは嫌いじゃなかった。


「…恥ずかしいだろ。」
「わたしは嫌いじゃない、よ。」


 純粋な気持ちを述べると、彼は小さな声でだあほ、と呟いて丸まったコンドームを伸ばしてつけた。






 再び日向君に組み敷かれ、目線の先にはけものの目をした日向君。くち、と微かな水音を鳴らしてわたしの中心に擦り付けられた彼の欲望の硬さに、は、と息を吐くと、日向君も同じように息を吐いた。






――ああ、なんて幸せなのだろう。






 みちみちと入り込んでくる日向君の皮膜越しの熱に、わたしはうっとりと目を閉じて彼の首へと腕を回した。




 食べられる瞬間が、ひとつになる瞬間が、言葉にならないくらい好きだ。




「あ、ひゅ、が、くん…」
「ッ、なに…」
「もう、…すきに、して…?」








(その鍵を外すことは、転げ落ちることと同じだった。)


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bkm


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