だから、あの人は絶対幸せにならなくっちゃいけないの。
 分かる。もうこれ決定事項だから。誰が何と言おうが決定しちゃってるの。邪魔してくる奴は神様だろうとこの俺ちゃんがぶっ飛ばしてやっから。
 俺ちゃん舐めんなってね。
 俺があの人の幸せ守ってやるの。分かる。なあ、聞いてる


「ああ、はいはい聞いています。聞いていますから、もういいでしょ。その話。何回目だと思っているんですか。いい加減全部覚えちゃいましたよ」
 肩を抱かれ延々と話しかけられるのにレオナルドは投げやりに答えていた。なんだとーーと怒鳴る声は殆ど力がこもっていなくて形だけだった。ばしばしと背中が叩かれるけど痛くもない。
 ベッドの上に半分横たわっている褐色の男を見て、レオナルドはため息をついた。
「それより大人しく寝ていてくださいね。あんた、また病院に運ばれかけたんですから。分かっているとは思いますが落ち着くまではベッドから抜け出すの禁止。
 今度抜け出したらそのスターフェイズさんって人のところに行きますから」
「ひでぇ。俺のこと知っていてそんなこと言っちゃう。陰毛には人の心ってもんがねえんじゃねえの」
「あんたが無茶ばかりするからでしょう。ベッドも気づけば抜け出してるし。少しでいいんで無茶するの控えてください。あんたいつも無茶するんだから。それに分かってますか。僕来年には大学卒業するんすからね。
 もうあんたの面倒見れなくなるんすよ。今年の留年決まっちゃったのはもう仕方ないっすけど、来年こそは卒業できるようにしてくださいよ。もし一緒の場所に就職できたら面倒見てやれますし、あんたの場合就職できないかもしれないけど、そうなったらそうなったでどうにかしてあげますから。
 あんたの師匠さんとも一応約束しているんでしょう。大学だけは卒業するって。そしたら万が一の時も師匠さんの方がどうにかしてくれるって話らしいじゃないですか。勉強とかも世話しますから、ちゃんと来年には卒業してください」
 はあと盛大なため息とともにレオナルドが長々と話したのにベッドに横たわっている男はむうと唇を尖らせていた。うるせえと言う声は小さなものだ。枕に頭を乗せながらふてくされたように天井を見ている。
 だって仕方ねえじゃんってその口からは言葉が出た。
 だって俺ちゃんが守ってやるって決めたんだから。言葉が聞こえてくるのにレオナルドはため息を再びついた。
 

 レオナルドが、男、ザップレンフロに出会ったのは大学に入学した時であった。
 それは衝撃的としか言いようのない出会いであった。
 親元から離れ初めての一人暮らし、それに大学生活。うまくやれるか不安と期待で胸を高鳴らせて歩いていた道の途中、レオナルドの前を歩いていた男が糸が切れたように突然倒れたのだ。当然慌てて掛けよる。
 肩を揺すったレオナルドの耳に届いた。あれ、陰毛頭。何でこんなところにと言う声。知らぬ声、しかもとても失礼な内容だったのにはいと顔を上げた。
レオナルドの目は大きく見開かれることとなった。
 見上げたそこにはレオナルドが揺すっていた男と瓜二つの顔をした半透明の男がぷかぷかと浮いていたのだ。
 ぎゃあーーーーと叫んだのに男はうるさと耳を抑えて、あれ、もしかしてお前、見えてる。え、俺のこと見えてんの。あ、そういやお前義眼の持ち主だったもんな。覗き見放題のあはーんいやーんな目持ってたもんな。
 お、そうだそうだ。丁度良かったわ。俺の体暫く預かっといて、またどこ行ったか分からなくなるのも嫌だし、騒ぎになるのも嫌だしさ。じゃあ、よろしくなレオ
 そんな一方的なことをまくしたててきた。何を言われたのかほとんど理解できなかった。だが最後体を託されたこと、そして何故か自分の名前を呼ばれたことには気づいてしまった。どうしていいか分からなかったが、男の体をひとまず自分の家まで運んだのだった。
 男が目覚めるまで待ったのに、男が目覚めたのはその日の夜だった。
 目覚めた男はザップレンフロと名乗る。
そして自分には前世の記憶があるのだと話した。

 ザップが前世のことを思い出したのは五歳のころだったらしい。親が家の中で死んで、一人、外を彷徨っていた時、ある人を見てその記憶を思い出したのだとか。
 ザップの言う前世は相当とんでもない世界で普通に生きていたら荒唐無稽なことばかりが出てきた。前世と言うだけでも相当あれだ。それをレオナルドが信じることができたのは、衝撃的な出会いのほかにもう一つ理由があって、彼自身が昔から普通の人なら決して体験しないような不思議な世界の中で生きていたからだった。
 レオナルドは幼い頃から所謂幽霊と言った人ではないものが見えていた。
 だからザップが幽体離脱をした時も、そこまで驚くことはなかった。全く知らない赤の他人が自分のことを知っているように話してくるのには驚いてパニックになってしまったが。
 そう言う訳でレオナルドはわりとあっさりとザップの前世の話を受け入れ、そして、ザップのある人を助けるために霊体になる必要があるんだと言う話も受け入れていた。
 ザップ曰く、前世の自分も含めた仲間たちは世界の平和のために戦っていたが、その中にひと際馬鹿な人がいたんだとか。仲間のため、平和のために、仲間が決して許してくれないと知りながらもえげつないことに手を染めた人。誰よりも冷徹で残酷でありながらも誰よりも優しい人だったのだと。
 自分なんか幸せになってはいけないと考えているような人だったらしいが、ザップからしたらその人こそ幸せになるべきだったのだ。それなのに最後は幸せとは程遠いろくでもない死に方をしてしまって、その分今の生でこそ幸せに生きるべきだとザップは熱く語った。あの人は誰より幸せになるべきなんだと。
 だけど悲しきかな。そんなザップの思いとは裏腹にその人は幸せからは遠い場所に居ると言う話だった。
 何でもその人は呪われているらしかった。
 それも色んなものから呪われていてよく分からないとザップは言っていた。でもなんかあれな気はするんだよなと唇を尖らしていたザップは不機嫌できっと良くない相手だったのだろう。
 そしてその呪いがとんでもないことにその男の命までも危険に晒しているのだ。
 いつもその男を殺そうと男を取り巻く呪いが、良くないことをその男にもたらすのだとかか。交通事故を起こそうとしたり、鉢植えだったり、包丁だったりを飛ばしたりとかなり物理的に攻撃してくるらしい。
 そんな呪いから男を助けるためにザップは霊体化するのだと言っていた。除霊とかできたらいいがそう言うのは専門外でできないから、同じかは分からないが似たようなものの霊体になることで物理的に呪いを殴りに行くとザップは言っていた。
 どういう光景なのかは見たことがない。見ない方がいいともザップが言っていた。昔と違って今は刺激が強いだろうからなというザップは不思議になるほど朗らかだった。
 俺が絶対にあの人の事守ってやるんだってザップは口癖のように言っている。
 ザップに会ったその日からレオナルドは何んとなくそんな彼の手伝いをするようになった。
 手伝いと言ってもできることは一つだけで、突然霊体化になって肉体をその辺に捨てていくザップのため、彼が霊体になったら肉体を回収することぐらいだった。


 霊体となった時、ザップの体は魂をなくして最低限の生態維持活動だけはしているものののそれ以外は何もしなくなるらしい。
 勿論遠隔で動かすなんてこともできないから抜け出したら最後、その辺に置き捨てられることになるのだ。が、ザップには危機感と言うものがないのか、スターフェイズの危機を感じ取ると何処だろうと体を脱ぎ捨てその辺に放り捨てていく。歩いている途中でも放り捨てるので、途中で倒れるザップに最初のころはレオナルドも驚いていた。今となっては懐かしい話。
 数年ともに過ごした今はなれたもので驚くこともなくなっていた。倒れればザップの体を引きずって幾つか確認している大学の空き部屋に放り込んだり、外の場合はザップの家に連れていったりしていた。
 空き部屋の場合は大学が終わった後にザップの家に連れ帰った。
 どうして最初からザップの家ではないのかと言えば、いちいち連れ帰っていたらレオナルドが大学の授業に出られなくなるからだ。ザップの世話をしていてレオナルドは一度留年している。
 最初の時は眠っているのか、死んでいるのか判断が難しいぐらいの体に不安になって傍にすっといたのも悪かった。
 一度留年をしてからはとりあえず大丈夫だろう。そう思い安全な場所にだけ運んでレオナルドは自分の授業に出ていた。ザップは五、六分で体に戻ってくることもあれば二三日体に戻らないこともあった。一度出てから次に出ていくまでの時間もまちまちで戻ってきたと思えば数分後に出ていく時もある。
 急ぎの時とかに倒れられたり、遠くで倒れているところを見つけたりすると学園内にいるもう一人のザップの協力者、エイブラムス教授に助けを求めることもあった。ちなみにレオナルドはエイブラムスのことをザップと出会って二年目ぐらいに始めって知った。
 倒れていたザップを運ぼうとしていた時、偶然鉢合わせてそこで話を聞いたのだった。
 なんで教えてくれなかったのだとレオナルドが怒ればザップはえ、知らなかったの。あれ俺言ってなかった。まあ、今知ったからいいじゃんと悪びれもせず言っていた。
 知っていたら出席日数でこんなに悩まなくてもよかったのに、教授が味方に付いてるとか超強いしとレオナルドはひとしきり怒った。それからはエイブラムスと二人で倒れたザップの体を拾う世話をしている。
 ちなみにエイブラムスはザップがよく倒れる(寝る)と知っているだけで霊体になっていることなどは知らないようだった。ザップの養父の知り合いでザップが大学に入った時面倒を見てくれと頼まれたそうだ。
 その時に病気ではないが、その辺で寝て倒れてしまう。と言う風に教えられているだけだそうだ。
 言ってもいいんだろうけどあんまスターフェイズさんのこと勝手に話すのもどうかと思ってさ。まあ、お前は俺のこと見えてたし、それに俺ちゃんとお前の中だしな。もう全部話してもいいかなって。
 これからもよろしくな相棒。
 そりゃあもう屑に似合わない無邪気な笑みで言われて、レオナルドは何とも言い難い奇妙な気持ちになった。
 嫌なわけではなかったのだが、複雑な気持ちになったのだ。
「言っときますけど一生面倒見ませんからね。大学の間だけですから」
 その時はそんなことを言った。


 ザップとの生活は大変だった。
 どこでも体を脱ぎ捨てていく男、その体を運ぶだけでも体格が恵まれなかったレオナルドにはきつい事だったのに、その上、トラブルメーカーでもあった。よくもこんなにと思えるようなトラブルをわずかな間でもちこんでくる。そのほとんどは女関係でまた、女性との性的な問題も多くてレオナルドには刺激が強いものも多かった。金遣いも荒くよくレオナルドの家に転がり込んでは好き勝手していく
 どうやったらこんな屑が育つのかと思うぐらいには屑だった。
 それでもレオナルドがザップを見捨てなかったのは何だかんだやりつつもザップが後輩思いの男であったのと、あの人を幸せにしてやりたいのだと笑ったその笑みが目に焼き付いて離れなくなってしまったからだろう。
 その時のザップの笑みは屑なことを忘れてしまうぐらい綺麗だった。




「おじゃましまーーす、って、あんた何やってんすか」
 もう何度となく訪れているザップの家に入るとレオナルドはすぐにその顔をしかめていた。はあと出ていくため息。そこには服を着ている途中のザップの姿があった。げ、陰毛頭とその顔が歪み、罰が悪そうに口を尖らせる。
「いや、だって暇だしよ」
「暇だしよじゃないんですよ。僕言いましたよね。おとなしくとけって。まだ体に戻ったばかりで動くのだってしんどいでしょう。ほら、ベッドに戻ってください」
 ほらほらとザップの背を押してレオナルドはベッドまで運んでいく。ザップはトラブルメーカーだけあって腕っぷしは強く体格もよく抵抗されれば勝ち目はないが、大人しくついてきてくれたので簡単に布団の中に押し込むことができる。
 ベッドの中に入ったのを確認してレオナルドは鞄の中にいれてきた物を取り出していた。ゲームしましょうと携帯用ゲーム機を手にして笑うのに、ザップは口を尖らせながら手を出していた。しゃあねえなと口では言っているもののその顔に不満はあまり見えない。何処からどう見ても形だけのもの。レオナルドはほっとしてゲーム機の電源を入れた。
 最近二人がはまっているゲームをしながら、でもよーとベッドに横になったザップが声を出す。なんすかと答えながらもレオナルドの目は小さい画面にくぎ付けになっているのにザップも同じものだった。
「お前大人しくしておけって言うけど俺大学に行かなくちゃいけねえじゃねえの。留年の件もあるし」
「あんたが大人しく大学にだけ行って大人しく帰ってきてくれるなら僕ももんくいわねえすよ。でもあんた大学行く気なかったでしょ。そもそもこの時間から言っても間に合うような講座受けてねえの知っているんすからね」
「あーー、そうだけ」
 レオナルドの言葉にザップは首を傾けた。あんたって奴はとレオナルドが声を出している。自分が受けている講義ぐらい覚えていてください! そう叫ぶのにザップはやる気がないのか頬をかいていた。ゲーム画面は進んでいる
「来年は全部僕と同じ講義受けてもらいますからね。エイブラムス教授に生徒の顔ほとんど見ていない教授の名前全部教えてもらいましたから最悪は僕が代筆してあんたの出席日数稼ぎますから」
「おーー、やるね」
 ポチポチと怒りのままに連打していく指。その怒りが伝わらないからザップからは呑気な声がでていた。
「あんたそうしないと来年もまた留年しますからね。つうか来年落としたら退学すっからね。分かってるんですか」
「あーー、一応」
「一応じゃこまるんすけど。まあ、僕が来年はみっちり張り付いて講義受けさせますからそのつもりでいてくださいよ。もちろん今日だってこの後きっちり授業出てもらいますから
 見張りに来ているんです」
「よくやんなーー」
「終わったらすぐに帰ってもらいますからね。遊びには行かせませんよ」
「えーー」
「あんた自分が病人だってこともう少し自覚してくれませんかね」
「んなんいわれてもずっとのことだしな」
 はあとザップから深いため息が落ちていく。分かりますけどと言いながらもレオナルドの目は心配そうにザップを見ていた。
 霊体になるというのは相当体力を使うことなのか、それとも霊体になって行っていることが体力を奪うのか。
 どちらか分からないが体に戻ってきた後のザップはたいてい疲弊していた。暫くは指一本動かせないぐらい苦しそうであるが、ざっぷはばかなのでちょっと回復するだけでベッドから抜け出しては何かしらやらかして動けなくなって帰ってくる。ザップの留年が多いのは六割は霊体になるせいだが、残りはすべてその馬鹿な行いのせいだった。



 あ、わりいとザップが言ったのは講義の最中だった。はっとレオナルドが反応した瞬間にはザップの体から力が抜けてあと少しで椅子から倒れるところであった。その体を何とか抑えてたましいがぬけている体をとりあえず机の上に置く。採点悪くなるんだろうなと思いつつもひとまず授業にでているんだからいいかとレオナルドは教授の話に耳を傾けた。ザップの霊体はもう既にその場にはいない。


どうやってそのスターフェイズさんっていう人が危ないって分かるんですかと問いかけたことがあった。遠くにいるのだから普通は気付きようがないのでは。とレオナルドが問いかけたのにザップはああ、これよこれと薬指をたてて左手を見せつけてきた。
「血法とはまた違うんだけどよ、スターフェイズさんの手に血をつないでいるんだよ。あの人に何か起きたら燃えるようになってんの。だからこれが燃えたらあの人の危機。俺ちゃんの出番」
 へえーーと言いながらレオナルドはザップの小指に巻き付く赤い糸のようなものを見つめた。よくよく見るとそれは遠くまで続いている。その糸を追いかけ、見えないところまで行きつくとザップを見た。得意げにしている。
 そんなザップにレオナルドはなんで薬指なんだと首を傾ける。
 じっと見てしまうのにザップは愛おしそうに薬指の糸を見ていた。
「こんなの勝手につけてるなんて知られたら怒られちまうからよ。もしお前がスターフェイズさんに会うことがあっても内緒な」
 にいと口元を上げて笑われるのにはっと目を見開いたレオナルドははあとため息をついていた。
「そんなん言われなくとも分かっていますよ。つうかあんた俺に言うなって最初からくぎを刺してんだろ」
「そりゃあそうだ」
 ゲラゲラとザップが笑う。レオナルドはついその指を見てしまった。


 じりじりと燃えている糸は見えないから当然なのかもしれないが、ザップの指を燃やすことはない。その火がすっと消えるのを見てレオナルドはああもうすぐだなとザップを見つめる。ひくりとその瞼が動いた。ンと聞こえてくる声。
「起きたんすか」
「あ、おおーー。ザップさんのお戻りた」
 レオナルドが聞くと目は開けないままにザップが答えていた。暫くは動けないだろうに授業の終わり時間は近付いてきている。はあとため息をついた。レオナルドは言っときますけどとこれで今日あんたを運ぶの三回目何でとザップに言っていた。ザップの目が見開き、それからふにゃりと笑う。
「マジでお前、俺のことだい好きだよな」
 誰のせいだと言おうとしてレオナルドは結局それを言わなかった。




「スターフェイズさんはさ、めんどくさいようなことまで全部ひとりで背負い込んで一人で抱え込むような人だからさ、奥さんとかもらった方がいいんだよ。そりゃああの人奥さんにも全部は話さないだろうけど、そう言う人でもねえし、それでも可愛い奥さんいたら少しはいやされるだろう。できれば強い人がいいな。あの人家に帰っても仕事してたりするから、そう言うの取り上げて無理矢理にでも休ませてくれる強い人。本音とか話さなくても受け止めてくれるような人がいい。あ、あと絶対あの人を置いていかない人な。これ必須。
 そんでさ子供とかも作ってさ幸せな家庭作ればいいとおもんだよ。あの人絶対子煩悩になると思うんだよな。でれでれ鼻の下伸ばして子供の事可愛がるの。ある程度子供が大きくなると放任主義になりそうなんだよな。ああ、いいじゃないかって笑って話すから奥さんとかに叱られるんだぜ。
 そんなフツーの幸せってやつ。送ればいいんだよ。
 難しい顔して日々過ごしてないで馬鹿みたいに笑って奥さん大切にして子供をかわいがってそうやって生きていけばいいんだよ。
 俺ちゃんそんなあの人の家庭一生守ってやるからさ。
 まあ、」
 楽しそうに願うように紡いでいた口が途中で途切れてしまった。忘れていた葉巻を口にくわえ直して煙を吐きだす。ザップにレオナルドはどうしたんですと声をかける。ザップは答えなかった。代わりにあの人は幸せになればいいんだとそう言っていた。
「たくさんたくさん幸せになりゃあいんだよ。なんなら犬を飼ってもいいんじゃねえの。犬。だってあの人躾けるのうまいしさ。奥さんいて子供もいて犬を飼って大きい一軒家に住んでいたらホームドラマの幸せ家族の出来上がりだろう。
 べたでいいんだよ。べだで。そんなべたな幸せ手に入れてほしいの」
 途中レオナルドがええと引き気味に言った言葉にざっぷは大笑いしていた。にこにこと笑うザップにそんなもんかねとレオナルドは首を傾ける。幸せにとザップの声だけが聞こえていた。


 そんな昔の話を思い出しながらどうしたいんだよこの人はとレオナルドはザップを見ていた。つい数時間前まで青白い顔でどうしようとザップの傍でうろうろしていたことなどなかったようだ。
 レオナルドが見ている前ではザップが酒瓶一つ抱えてあーーどかうーーだとか呻いていた。時折顔を上げては叫びレオナルドをみて飛びついて泣き出す。
 周囲には吐いた後があって散々たる状況だった。
 どうしてこんなことになったのか理解するには数日前にさかのぼらないといけない。
 数日前、二人で歩いていると突然ザップが倒れた。あっと言う声が聞こえはしたものの声とほぼ同じに倒れたので前ぶりになるようなものではなかった。
 その後体をザップの家にまで運んでベッドに横たえたまではいつも通り。いつも通りでなかったのはそこからだ。
 それから一週間、ザップが体に戻ってこなかったのだ。
 に三日もどってこないことは今までもあったので最初はさほど気にならなかった。だが三日を超えて、五日目になると次第に不安になりだし、そしてザップの薬指の糸が燃えていないことに気付いた後は大騒ぎになっていた。
 ザップが薬指の火が消えた後も戻ってこないのは初めてのことだったのだ
 まずエイブラムスに連絡した。霊体のことを知らない彼にどういえばいいか悩んだが、とにかく大変なのだ、まったく目覚めないのだ。何かあります。もしかしたらと泣いて縋ったら彼は来てくれた。彼はザップの姿をじっと見た後、慌ててザップの体を病院に連れていた。
 病院では体に何処にも異常はないのに、ほぼ植物状態。正常な人がこんなことになるなんてありえないと言われた。とにかく栄養を補う以外はやれることがないと入院することになり、その準備を整えている途中、エイブラムスからザップの養父に連絡がついた。とんできた養父がザップを見るものの結局理由は分からず、せめて病院は事情が分かるものが良いだろうと養父の昔からの知り合いがいるという病院に移されることになる。
 そこにはザップが幼いころから通っていて、ザップの体質についてもよく知っているという美人の先生がいた。
 ちなみに病院についてはエイブラムスも知らなかったから、義理でも親と子供って似るんだなとレオナルドは場違いにも思わざる得なかった。
 それから数日後、ザップは唐突に目覚める。
 ザップの瞼が動くのに傍にいたレオナルドは慌てて立ち上がった。
 大丈夫ですかとザップに声をかけた。ザップはぱちくりと瞬きをしたかと思うと、ぽけと乾いた笑みで笑って、レオナルドと情けない声をだしてきたのだ。
 そんなザップにレオナルドは戸惑った。体に戻ってきたザップのこんな反応は初めてのことだ。
 どうしたのだと聞くのにザップは番頭がと言った。
 番頭と呼ぶ相手がスターフェイズさんという、ザップが必死で守ろうとしている相手であることを知っていたレオナルドはすぐにある一つの可能性に思い当たる。見知らぬ男が血で体を染めて倒れている姿。
 そんなと呆然として見下ろすのにザップは瞳に一杯の涙をたたえてレオナルドを見上げた。
 番頭が婚約しちまった。
 はいと固まったのは仕方のない事だっただろう。今なんてと首を傾けるのにスターフェイズさんの隣に女の人がいて、そのひとが婚約者でと言い、婚約しちまった。そうレオナルドにザップは泣きながら語ったのだった。
 それから数十分後、無理矢理ベッドから起き上がったザップは止めるレオナルドを引きずって病院を脱走した。そして酒を大量に買い込んで家にまで帰ってきたのだ。
 飲まなきゃやってらんないんだよと叫んだザップはそれからずっと飲み続ける。連れてこられたレオナルドもその相手をさせられた。相手と言っても酒を飲んではいない。飲んだら最後だと思っていた。延々とザップの話を聞くだけだ。
 ザップの話はスターフェイズの隣に女の子がいたという話から始まった。滅茶苦茶美人で可愛くてそれでいて強そうないい女でその子を守るためにぎゅっと抱き留めるスターフェイズさんが格好良くて、なんかお似合いでと言う話を支離滅裂になりながら何十分も聞かされた。やっと話が進んだと思ったら二人は婚約していて結婚も決まっているらしいという話になった。
 もう二回もデートしているって話をその後ずっと聞かされ続けた。
 やっと落ち着いてきて吐くだけになったのが今。 
 げえとその辺に吐きだしているザップから遠ざかりながらレオナルドはあんたどうしたんですかと問いかけていた。
「ずっとスターフェイズさんは結婚した方がいい。お嫁さんもらって子供を育てて犬を飼ってそうして幸せに暮らしていたらいいってい言っていたじゃないすか。それなのにどうしてそんなに落ち込んでいるんすか。婚約者とか喜ぶもんでしょ」
 うえと吐いていたザップの動きが止まった。ぎりぎりと壊れたロボのようにレオナルドの方を向く。
 その顔からさあーーと血の気が引いていくかと思えば、次の瞬間にはまたぶわっと涙がその両目からあふれていた。目まぐるしく変わる顔にこの人顔だけで煩いんだよなと思いながらレオナルドはどうしたんですかと再度聞いた。わなわなと動いたザップの口。
「そんな俺が知りてえよ」
「え」
 叫んだザップにレオナルドは口をあんぐりと開けた

「どうしてとか俺が知りてえんだよ。お前が俺に教えろよ、なんでこんなになってんだよ。泣きそうでわけわかんねえ」
 いや、もう泣いていますよとは言えなかった。ええとザップを見つめるのにザップは目茶苦茶に口を開いた
「俺ちゃんスターフェイズさんに幸せになってほしかったのに、つうかなって欲しいのに女がいるの見るとなんかわけわかんなくなったんだよ。なんかショック受けたの。くそ」
 悪態をついたザップの手が再び酒の缶を手にしていた。ひいと悲鳴がレオナルドから上がる。
「ちょ、それ以上は止めた方がいいすよ」
「止めるな、レオ!」
「いや、これ以上飲んだらあんたマジでやばいですから。ただでさえ病み上がりみたいなものなのにこれ以上飲んだら病院域になりますよ」
「わけわかんなすぎて飲まねえとやってらんねえんだよ!
 あの人が家庭持つつもりになったのすげえ嬉しいのになんでか分かんないのに悲しんだよ。幸せになってほしい。あの人は幸せになるべきなのに何で」
 レオナルドの必死の抵抗もむなしくザップは缶一つ全部飲み干してしまった。酒でドロドロに蕩けている目からわらわらと涙を流している。きっと幸せにしてくれる人なのに殺してやりたくなってとグダグダになりながら言っている。幸せになってほしいのになのに何でと聞こえてくる声。酒が切れては新しい缶を開けて酒を飲む。
 一旦落ちついたはずなのにまた騒ぎ始めていて、このままでは救急車のおせわになりそうだった。そんな事をしたら最後、美人な女医にそりゃあもう凍えそうなほど冷たい眼で見られるだろう。ザップだけでなく止められなかったレオナルドも。なんなら養父からの仕置きもともに待っている。
 その地獄のような光景を思い浮かべてレオナルドは青ざめた。なんとか止めなければと思うものの泣きわめいているザップを止められそうな手を持っていなかった。酔っていても強いと言うか、酔っているからこそザップは手強かった。何せ普段と違って加減と言うものを知らないのだ。
 無理やり取り上げたら猛獣のような力で取り返そうとしてくる。そうなればレオナルドの命はない。 
 刺激しないように周り酒缶を隠した方がいいけど、それもまた難しそうだった。ザップが散々暴れたので転がる缶のどれが空で、どれが入っているのか分かりもしないのだ。唯一何かできることがあるとしたらごみを捨てるふりをして入っている缶を捨てるしかないが、訝しまれたら終わりだ。どうすると真剣に考えるのにレオとザップが叫んできた。何ですかとあきれた様子で返すのに今にも泣きそうな目が見上げてくる。
「どうしてだと思う。どうしてこんな」
 小さくとがった口元。情けなく垂れた頭。涙をためた目が見つめてくるのにぐっとレオナルドの喉がなった。まるで捨てられる犬のようだったのにレオナルドのお兄ちゃん心が反応してしまったのだ。図体のでかい犬。
 どうしようもない屑の癖にこういう所があるから本当ずるい。見捨てたくとも見捨てられなくなる。深いため息を吐きだしてレオナルドはぐずぐずと泣いているザップに付き合う事にした。
「あの人が幸せになれればと思ったら嬉しいんだ。あの人はさ、幸せにならないといけないんだから、幸せになってほしんだ。だけどさどうして」
 同じような話を続けているのにあーーそうですね。うんなんて気の抜けた生返事をし続ける。ちゃんとかんがえろやという声も弱弱しい。今にも泣いてわめきそうなのにレオナルドはまあ、あれなんじゃないですかねと言っていた。
 いっていいのかなと不安になりながらも口を開く。
「そのスターフェイズさんて人のことを好きなんじゃ」
 ぐずぐずごt泣いていたザップの動きがまたと会った。
 一二三と動きを止めて、固い口でえっと声を出した。は、へと開いただけの目。二三瞬きしてからえっと声を落としていく。えっと二度目の声が聞こえた。
 えーーと三度目の声。
「お前何言ってんだ。いくら童貞だからってその発想はひくわーー」
「なんでだよ! どう考えてもあんたの行動はそうとしか思えないからな」
 心底憐れんだ目で見られたのに今日一大きな声を出したのはレオナルドだった。、
「番頭と俺は男同士だぜ。同じもんついてんだぜ、好きとはないわ」
「あんた過去に抱かれたことあるだろうが」
 めちゃくちゃテクニシャンなの。女の気持ちよさとか忘れちまいそうなほどうまくて俺じゃなかったら絶対男に落ちてたね。俺はほら、女の子好きだし、女の気持ちよさをたくさん知っていたから落ちなかったけど、童貞のてめえなんかが抱かれた日にはきっと骨抜きのドロドロにされて女何ん手抱けなくなったから。と聞きたくもないような話をずっと聞かされてきた記憶はまだ新しかった。というか他の話と同じで遠くなる度更新されるので全然色あせてくれない。
 そんなな話を聞かせておいて、違う違うと男は手を振っていた
「そりゃあ、抱かれはしたけど好きとかはねえわ。ただのセフレだし。恋とかは女の子とするもんだろう」
 セックスしてらたどっちも同じじゃないのか。違うのか。レオナルドは分かんねえと首を傾けた。



 スターフェイズさんと出会ったのは俺がヘルサレムズロットに行ったときなんだ。そのころまでの俺はそりゃあもう無茶苦茶に腐っててよ。え、今もそんなに変わらねえって。喧嘩売ってんのかおお。陰毛のくせによ。
 で、どこまで話したって、ああ、そんな所か。全然話してねえじゃねえか。お前のせいだぞ。
 ああ、まあ、腐ってたんだよ。あのくそ爺にも追い出されたばかりでさ、そりゃあ地獄の修行から逃げ出せたのは嬉しかったけど、長いこと秘境でしか生活していなかったから街に出た時は人の言葉とか分かんねえし、金とかも分かんねえしでどう暮らしていきゃあいいのか分かんなくてよ。山のなかとか人がいない場所で暮らすこともできたけど、せっかく解放されたって言うのに今までと同じ生活も嫌だろう。たまに爺に連れられて見た町の生活も気になったし、
 だから町で暮らすようになったんだ。
 人の言葉分かんねえつっても少しはつかえたしよ。何とか生きようとしたんだけどさ、腕っぷしが強いだけのただの馬鹿なんてさ利用される以外にない訳よ。まあ、俺の場合はきにいらないやから全員のしてきたから利用つうほどされてはねえんだけど。それでもまあ、人に言われるままに喧嘩して暮らすしか金の稼ぎ方わからなくてさ、後から女に変われる方法も知ったんだけどあの町に行くまでは少なくともそれ一本だったんだよ。
 あの町に言ったの強い奴と戦いたくなったからだった。色んな奴と戦ったけどそのうちその生活に飽き飽きしてもっと強いやつと戦いたいって話題の町に行ったんだよ。
 まあ、俺その頃にはすっかり天狗になってたんだ。何て言っても全員くそ弱かったからな。師匠以上に強い奴なんていないじゃん。でその師匠もいないから俺一番じゃん一番強いじゃんって。
 それを叩き折ったのがクラウスの旦那。ライブラに入らないかって勧誘されて、金もらって喧嘩はしたけど誰かの下には着くつもりなかったから断ったら、しつこくてさ。仕方ないから俺より強かったら入ってやるよってふかっけたんだ。これがもうぼろ負け。しかも旦那加減が下手くそだったから俺死にかけて、それでライブラに入ることになったんだよ。いやーーほんとう旦那つええよ。すげ。まさか師匠以外にあんな化け物いるなんて。
 あ?
 いつになったらスターフェイズさんが出てくるのかって。うるせええなあと少しだよ。お前にゃ前座を楽しむっていう情緒がねえのかよ。ああ、んだとこら。これ以上話してやらねえぞ。
 んだよ。レオのくせに。陰毛。
 へへやっぱ続き気になるんじゃねえか。まあお前のためにも仕方ないからスターフェイズさんの話から始めるか。
 スターフェイズさんと出会ったのは実は旦那と会う前だ。旦那より先にスターフェイズさんから誘ってくれたんだ。でもその時は全く興味なかったんだよ。正直覚えてなかった。でも俺が入って数日後、一緒に戦った時、かけえーーって思ったんだよな。
 蹴り一つで周りが凍り付くんだぜ。滅茶苦茶格好良かったんだ。すげーーって思ってよ。相性の問題もあるけどぜって叶わないって思ったね。
 でもよ一番ぞくぞくしたのはさ、あの人が俺と一緒に戦ったのは俺に分からせるためなんだってわかったからなんだ。俺は強い、もし裏切ったらお前もこうしてやるって言うの。うっさんくせえと思ってたけど滅茶苦茶こえーーつえーーこえーーすげーーって興奮したね。旦那の強さに惹かれたけどさ、ちょっと不安だったんだ。それが急に怖くなくなったね。
 この人がいたら大丈夫って。
 旦那とこの人がいたらここは大丈夫。安心して前を進めるってさ。泥船に乗るつもりはなかったから嬉しかったな。この二人についていこうって思ったんだ。
 まあ、つっても俺、組織とかってよくわかってなかったから好き勝手にやってよく怒られたんだけどな。そのへん、躾てくれたのがスターフェイズさんな。もうスターフェイズさんおっかねえのなんの。俺が分かるまで机に縛り付けて離さないんだよ。そのくせさ俺が理解したってわかると滅茶苦茶頭を撫でてはほめてくれるの。ご飯もおごってくれたりしてさ。それが嬉しくて、怖くて逃げだすこともあったけど本気では逃げたことはなかったんだよな。
 報連相とか連携の取り方とか組織に必要なこと以外にも言葉や文字の書き方とか数の数え方とかもスターフェイズさんに教わったんだぜ。面倒だとか何だとか言いながらすげえ面倒見てくれて、なんだかんだであの時間楽しかったんだよな。
 スターフェイズさんにもたくさん構ってもらえたし。でも一通り教わり終えるとあんまり構ってもらえなくなったんだよな。まああの人忙しいから仕方ねえんだけど。ってか今思うとあの人よくあんなに教えてくれたよな。滅茶苦茶忙しいのに。やっぱあの人優しいんだよな。
んーー、あの人の暗いとこ知ったの。
 あーー何時だけ。
 多分入って一年と経ってなかったんだよな。その頃にはもう既にスターフェイズさんに構ってもらえなくなってたんだけど、まあ仕方ねえよなって適当にライブラの仕事しながらその日暮らしをしてたんだ。でもある時、たまたま見ちゃったんだよな。あの人のそーいう姿。あーー、今思い出しても笑えるぐらいあの人呆けた顔してたな。ライブラの人間であの辺通る奴とかいねえから本当驚いたんだろうな、つうか普通の奴らはいかねえだろうし。
 おれ? あーー、俺は女に言われたんだよ。あの辺にあった店にあるもの買って来てくれたらやってやるって。まあ、そんな店なかったけど
 ああ、別にいだろうが。
 あの人な一瞬にして俺殺そうとしたんだけど、
 ああん?
 殺すだろう。だってみられたんだぜ。周りにばらされたらあれじゃん。とくに番頭なんて直接命令下す立場だした。信頼失うような話がばれたら殺そうとするだろう。
 殺されてねえよ。俺ちゃんも殺されるって思ったんだけどさ、すんでの所であの人が止めてくれてさ、んで、聞くんだよ。なんで抵抗しないのかって。
 ああ。するわけねえだろ。だってしても意味ないだろう。意味ねえってのは違うけど、俺とスターフェイズさんどっちが生きるべきかって言ったらあの人じゃん。俺、あの人みたいなことできねえし、あの人いねえとライブラ回んねえし。旦那がいないとライブラはライブラでありえないけど、ライブラが組織であるためにはスターフェイズさんが必要だったんだよ。だからしかたねえなって。
 あーー。まあ、それでも良かったんだろうけど、でもなスターフェイズさんから逃げるのってほぼむりげーじゃん。無理げーなんだよ。それでさ無事逃げおおせてもどっかで戦いになる。そうしたらあの人本気じゃん。こっちも本気にならなきゃだし、手かげんなんてできなくなってもしかしたら殺しちまうかもだろ。
 そうしたら終わりだろ。だから抵抗しなかったの。それをさあの人にも言ったらあの人驚いてお前はそれでいいのかって聞いてきたんだ。
 いいわけねえじゃん。普通に生きてえよ。でも俺とスターフェイズさんの命どっちが大事かって言われたらスターフェイズさんだし、俺がこの場所逃げたって死ぬまで追いかけてくるじゃん。そんであの人の時間を無駄に使わせるわけにもいかねえしさ、仕方ねえじゃんっていたの。
 いや、仕方ねえだろう。だってあの人ただでさえ二三日寝ないとかざらにあったんだぞ。俺のせいで寝不足にはできねえよ。
 ん、だよその顔。あーーそういやあの人もそんな顔してたな。
 そんでもういいって言ったんだよな。もういい。今日見たことはわすれて帰れ、分かっていると思うが誰にも言うなよってさ、びっくりしたけど許してもらえるならそれがいいじゃん。やっぱ生きてたいし、なんかわかんねえけどラッキーって思ったね。
 あーーまあ、なんとなくわかってはいたんだよ。あの人がなんか良くないことしてるなってのは。でもさまあ仕方ねえことだとも思ってて、だって旦那の望むものはどうしようもねえ夢物語みたいなものだって分かってたからな。スターフェイズさんが支えているんだってちゃんと分かっていたんだ。
 んじゃ、今まで通りではなかったな。あの時は許してくれたんだけどさ、やっぱその後、色々心配したみたいで俺に監視つけてきたし、めちゃくちゃ警戒もされてさ、すげえ寂しかったんだよな。
 ん、今だから言えるけど寂しかった。
 ほら俺ちゃんさ、誰かと長いこと一緒にいるのとか師匠以外は初めてだったし、心配してもらえるような相手とかもいなかったから、今まで構ってくれていた相手がよそよそしくなって敵意向けてくるような経験初めてだったんだよ。
 だからさ、どうしていいのかって考えたんだよな。どうしたら大丈夫だって分かってくれんのかなって。俺は馬鹿だからいい方法なんて全然思いつかなかったんだけど、でもさできること一つだけ思いついてそれをやったんだよ
 殺しまわったの。
 いや、実際には殺してなかったりするんだけど。もしかしたら生きたまま必要かもだし。あの人が狙っていた奴らを全員先回りして掴まえていたのよ。
 そりゃあまあ、敵じゃねえって示すため。あんたの手伝いぐらいできますよ。何でもしますからって、言葉で行っても信じてもらえないかもしれないから行動でわかってもらおうとしたの。やってるうちになんか楽しくなったりもしたんだよな。これしたらあの人は楽になるのかな喜んでくれるかなって思うと結構乗り気になってきてさ、でも途中であの人に止められたんだよな。
 もういいから。すまなかったな、ザップ。もういいよ。って。
 ……そっからは前まで通り。スターフェイズさんの裏の仕事に関わることもなかったな。何もありません。何も知りませんって感じに日々を過ごしたんだよ。
 あ、てめえ聞くきなくなってきたんだろ。お前がどんなだったって聞いてきたくせによ。ちゃんと聞けよ。
 ああん? まあ、それもそうか。俺がどうやってあの人に抱かれるようになったのかとかお前にはもう話したもんな。んだよ。童貞のお前にお勉強してやったんだろう。もしかしたらけつでやる日もあるかもだしさ。
 あーー、実はよ、よくわかんないんだよな。
 んだよそんな顔すんなよ。仕方ねえだろう。正直あの人が死んだのかどうかすら分かってねえんだもん。誰も死体見てねえんだから。
 まあ、死んだんだろうけどな。じゃないとあの人が急にいなくなるわけないじゃん。
 あーー、電話かかってきたんだよ。急にさ。あの人から電話。んで、頼むって言われたの。
 あの人の机の棚の鍵のありかと一緒にさ。それ以外には何もなくてわけわかんなかった。確認してみたらびっくり。あの人がやっていた裏の仕事の情報がどっさり詰め込まれた端末が置いてあってさ、そこにあの人の施設部隊への連絡方法とかあの人のパソコンのパスワードとかも乗ってんの。
 まあ、何託されたのとか一目瞭然だよな。それで理解した。あの人死んだんだなって。俺に託して死にやがったんだなって。じゃないとそんなもの見せるはずないもん。
 でも死体探しても出てこなくてな、施設部隊の奴らに聞いても死んだってだけ教えてくれて他の情報は一つも教えてくれなかった。もうすべて終わりましたから。あの人の願いですってよ。だから生きてんじゃねえかって思ったけどやっぱり普通に死んだんだろうな
 あ、スターフェイズさんを殴りたくならなかったのかって、んだ、そりゃあ。ああ、まあ勝手に死にやがったのは腹が立ったけどでもそれも仕方ないかって思ったんだよな。明日も生きられるなんて保証されているような場所でもなかったしな。それにこれで疲れた顔しているあの人を見なくていいのかと思うと少しだけ……。
 幸せになってもらいたかったけどな。まあいいけど。
 俺? 幸せだったんじゃねえの好き勝手して生きたしな。
 ああ、あーーー、まあ確かにな。あの人の後継いだけどさ、あの人の施設部隊の奴らとかにサポートしてもらったし、そんな大変じゃなかったぜ。誰にもいってねえのに姉さんやお前とかには滅茶苦茶心配してもらって構ってもらえたしな。
 恨む? ねえわ。つうかあったらあの人の幸せ願うなんてやってないだろ。
 なんでって、あーー嬉しかったんだ。
 あの人最後は全部抱えて死にそうだと思ってたんだけどさ、それが、俺なんかにライブラのこの先全部託してくれたんだよ。そんだけ信頼されてたんだと思うとすげえ嬉しくてこれは頑張って期待に応えないとなって思ったんだ。

 
 いつぞやのザップの言葉を思い出しながらレオナルドはぐずぐずに蕩けてもうすぐ落ちそうなザップにやっぱりぼくはあんたはスターフェイズさんのこと好きだと思いますけどねと言っていた。


 それも滅茶苦茶、そりゃあもう海の底より深く愛しているんだと思いますね
 あんたの今までが愛じゃないなら何て言うんだよ



 ベッドの上、口を閉ざして固まっているザップをレオナルドはしげしげと見ていた。
 あの後もザップは熱心にスターフェイズを助けに出掛けている。悲しいけどしあわせになってほしいんだと言ったザップは、自分の気持ちには気づいていた。
 あの日の大騒ぎの後、目覚めたザップは二日酔いで吐いた後にああ、スターフェイズさんのこと好きだったんだなとぼとりと呟いたのだ
 今か、今それを言うのかとレオナルドは思ったが言わなかった。かわりにどうするんですかと聞いた。あって伝えるんですかと。怒られた。そりゃあもう盛大に怒られた。
 そんなことできるわけねえだろう。馬鹿なこと言ってんじゃねえと言われた。ザップはこのまま秘密を抱え続けるだろう。でもそれでいいのかなとレオナルドは悩んだ。今もそれは悩んでいる。
 知られたくないことは知っているけど、でも少しぐらい知っておくべきではないのかと。
 じっとザップを見つめるのに、ザップはゆっくりと口を開いた。
「なあ、俺とんでもないことに気付いちまったんだけど」
「なんすか」
「スターフェイズさんの婚約者、前世で俺の愛人だった女だわ」
 何も飲んでなかったのに思わず吹きかけた。はっと見つめるのにザップが呆然としながらもレオナルドを見てくる。どうしたらと言われるのにレオナルドが答えられるのは一つだけ。知りませんよ。だけだった。



 どっちに嫉妬していいのかわかんねえとザップは本気で落ち込んでいたが、すぐに落ち込んでいられるような状況ではなくなってしまっていた。 
 と言うのもスターフェイズを呪う呪いがザップが体に戻る暇もないほどに立て続けに発動するようになったのだ。ザップが体から出ている時間は多くなった。一週間のうち二日も体にいられたらいいぐらいで、戻ってきたと思ったらいつも以上に体力が消耗していることが多くて、起き上がることもできなかった。
 一か月ぐらいベッドから起き上がれなかったのに大学が春休みで良かったとレオナルドは神に感謝した。と同時に悩んだ。春休みまでには呪いが収まってくれますようにと願った。
 どうして急にと思ったのにザップは心当たりがあったみたいで、あーーとうなっていた。多分幸せになっちまったからじゃないのかと、そんな事を言っていた。やっぱあの人と言う声は小さすぎてレオナルドには聞こえなかった。
 
 そんな日々、レオナルドはある日突然聞こえてきた轟音に驚いて飛び上がった。
 自分とザップの課題を片付けようと大学の図書室に向かっている時のことだ。なんだと確認しに走ったレオナルドはそこで見たものに自分の目を疑った。
 部屋で寝ている筈のザップがそこにいたのだ。何でと迫りかけてすぐにそれが霊体であると気付いた。赤い剣を振り回して襲ってくる恐ろしい化け物を切り裂いていく。おぞましい光景に思わず目をそらして、その数分後、スターフェイズさんというザップの叫び声が聞こえてきた。
 何だと目を開けた時、飛び込んできたのは車に突き飛ばされてカエルのように引かれていくザップの体だ。その上に何処からか落ちてきた鉢植えが盛大な音を立て落ちる。
 真っ赤に飛び散る赤を見たレオナルドは暫くの間動けなかった。目が今見た光景を処理して、引かれたと言う事を理解してようやく動けるようになる。
 状況も忘れて叫び転がるようにザップの元にかけていく。



[newpage]


 まるで悪夢のような話だった。
 悪夢であってくれと願ってしまうぐらいに酷い話だった。クラウスと二人でレオナルドの話を聞いたスターフェイズは今、一人でザップの病室にいる。クラウスが気を利かせてくれたおかげだった。レオナルドはザップの傍にいたそうだったが、最後はスターフェイズに譲ってくれていた。
 横たわっているザップの頬にスターフェイズの手は何度か触れた。
 暖かいのにほっとする。
 最初ザップの家で抱き上げたその体はもう死んでいるのではないかと思うほどに冷たかった。前世でスターフェイズが触れた死体の温度とほとんど変わりはなかった。それでも道路の傍、意地でも動かずザップに声をかけ続けていたレオナルドの元に持っていき、その体を恐らくは霊体の彼の体に近づけるとほんの少し温もりが戻った。
 生きていることが分かって安心したけど、鼓動はとても微弱なものだった。このままでは死んでしまうと運び込んだ病院。集中治療室から普通の一般病棟に移されたとき、柄にもなくスターフェイズは神に感謝した。
 そして触れたザップの頬が暖かったのに言いようのない思いを抱いたのだった。
 それからはずっとザップの傍にいた。仕事場には休暇届をクラウスが届けてくれていて、本当に持つべきものは友達と言ったところだろう。前世の話と言うのにも彼は戸惑いながらもすぐに信じてくれていた。覚えていないのが残念だとそんな風に言ってくれていた。
 生憎スターフェイズにはそれを有難いと感じられるような心の余裕は一かけらもなかったけど。ずっと何を言っていいのか浮かんでも来ない中、ザップが目覚めるのだけを待っていた。

 んとザップの瞼が動くのにスターフェイズは椅子をけ飛ばす勢いで立ち上がった。ゆっくりと上がる瞼。現れる色素の薄い瞳。ぱちぱちと瞬きをして上を見つめてくる。その中にスターフェイズの姿が写っていた。あーーとかすれたザップの声が聞こえる。記憶の中でずっと聞いていた声なのに初めて聴いた声のようだった。
 繰り返し思いだし擦り切れていたのが今の音に鮮明に焼き直されていく。
 泣きそうになったのをこらえてじっとザップを見つめる。ザップはこりゃあ夢か、それとももう死んだかなと言っていた。
  スターフェイズさんの顔こんな間近で眺められるなんて嬉しいな。ふわふわとした幸せそうな声でザップが口にしてくる。
 また泣きそうになりながらスターフェイズは違うよと言った。違うよと言うのにザップはもう一度瞬きをしてスターフェイズを見上げてくる。スターフェイズさんとその口が紡ぐのにああ僕だよとスターフェイズは答えた。
「スティーブン・A・スターフェイズだよ。ザップ。お前は一体何をしているんだ」
 こらえていた涙が一粒落ちる。ザップの頬に触れるのにザップは涙が落ちた頬を見ようとしてその目を動かし、だがすぐにスターフェイズの顔を見ていた。
 その口がぽかんと開いて何でと震えた。信じられないと見つめてくる瞳を見つめて全部聞いたよとスターフェイズは話した。ザップの目が丸くなる。
「少年が教えてくれたんだ」
「げ、レ! ……レオがなんで。彼奴言わないって俺と約束して」
 慌てて起き上がろうとしたザップは起き上がれずにベッドに間抜けな音を立てて沈んだ。次第に落ち着いてスターフェイズを見てくる。
「お前が僕を助けてくれた場所に少年が来たんだ」
「なんで、あ、あーーそっか、あそこは大学の近くだから」
「失敗したよ。もしかしたらお前に会えるんじゃないかって、会いたくなかった筈なのにそんな期待していて……、それで本当にお前に会うんだもんな。しかもお前は馬鹿なことしてるしさ」
 はっとザップの目が見開いてスターフェイズを見ていた。じっと見つめてくるのをスターフェイズも見下ろしている。動けないからと言うのもあるのだろうが、それにしてもザップの目はそらされなかった。
「あんた、俺に会いたくなかったんすか」
「そりゃあ恨まれていると思っていたからね。酷い事しかしてこなかったし、最後なんて恨まれても仕方ないような置き土産を渡してしまったか。
 嫌われているんじゃないかって、もう二度と会いたくないってそう思われているって思ったんだよ。
 それなのにお前は本当何やってるの
 僕なんかのためにさ、お前が頑張る必要なんてなかったのに。幸せになっていたらよかったのに、
 おまえはほんとうになにをやっているんだ
 僕にそんなに優しくしてどうするんだよ。許すなよな。
もっとひどい事しちゃうだろう」
 言葉を紡ぐスターフェイズの声は震えていた。あと一歩のところで堪えている涙を揺らしながらその目は歪に細められる。優しく笑おうとして失敗した顔をしているのにザップは驚いたようにその口を開いた。
「え。俺あんたに結構ひどい事されてきたんですけど」
「もっとだよ。もっとひどい事しちまう」
「えーー、まじすか」
 薄い色の瞳はスターフェイズをずっと見ていた。零れそうな涙を見ながらその目が未だ見たことのなかった男の顔を映している。スターフェイズの手が伸びてザップの頬に触れていく。眠っていた時と違う体温を確かめるためだけのものではなく、そのすべてを残すものになっていた。
「まじだよ。だからもうお前、僕のことなんて嫌いになれ。そんで馬鹿なこともやめろ。もう僕のことなんて気にしなくていいから普通の生活送って大学卒業しろ。ツェッドの奴がまた留年したって職場で落ち込んでいたぞ。彼奴、僕と同じ職場だからそう言う話聞くんだよ。
 本当お前のこと、心配していたからな。そんでお前の方が幸せになれ。
 大学卒業できるようなら仕事先とか僕が探してやれるし、後はお嫁さんでも手に入れて幸せになれ。
 僕のことなんて忘れて」
「無理っす」
 ゆっくりと触れていた手が離れようとしていたのにザップは問答無用とばかりにスターフェイズの言葉を切り捨てていた。いつの間にか強い光がその目に宿っている。戦闘時に宿していたものにそれはよく似ていた。
「無理ってお前、ばか。もう少し考えろ。お前には僕に尽くす義理なんてないんだぞ」
「なくても俺があんたに幸せになってもらいたいって決めたんです。俺が勝手に決めたんです」
 スターフェイズの言葉に考えることなどザップはしなかった。すぐに答えるのに傷のついた顔がさらに歪んだ。苦しそうに皴ができた眉間。
「俺が決めたことをあんたが辞めるだなんて勝手に決めないでください。
 俺は絶対あんたに幸せになってもらいますから」
 ザップは真っ直ぐに見据えていった。それ以外許さないと見つめるのにスターフェイズからは泣き声のような吐息が落ちていく。
「……お前は僕が何をやったか忘れていないだろうな」
「覚えていますよ。覚えているからあんたに幸せになってほしいんです」
「なんでだよ。憎めばいいだろ」
 離れた手がザップのいるシーツを掴んだ。強いしわができるのはザップには見えなかったが、大きく動くのはなんとなくわかっていた。
「憎みませんよ」
 真っ直ぐなままザップは答える。何時だったかレオナルドに答えた時よりずっとその言葉は強かった。
 スターフェイズの手が頭を掻きむしり、ベッドを叩いた。一瞬ザップの体が跳ねて驚いたように見つめた後、ザップの目はどこかを彷徨った。
「どうして。お前はそんなに
 お前こそ幸せになれよ。こんなことして何になるんだよ。こんなことしてたら今度こそ」
「スターフェイズさん、俺が寝ている間襲われましたか」
 天井と壁の境を見ながらザップはそう聞いていた。はっと見下ろしていたスターフェイズの目が丸くなる。驚きで力が抜けて掴んでいたシーツを手放していた。
「……いや、だが今はそんな事」
「もしかしてさ、あんた、ずっと俺の傍にいましたか」
「そうだけど」
 訝し気にスターフェイズはザップを見た。どうしてこんな話を。そもそもどうしてそんなことがわかったのかとザップを見つめるのにザップは何故か笑っていた。前世でよく見たような下品な馬鹿笑いでも無邪気な笑みでもなかった。
 悲しそうな、それでいて嬉しそうなどう判断していいか分からないような笑みだった。
 どうしたとスターフェイズが見つめるのにザップはそっかと言っていた。そうなんだと言ってはまた笑う。 
「やっぱあんた滅茶苦茶優しいですよね」
 そしてスターフェイズには理解もできないような言葉を言ってくるのだった。目を見開くのにザップの手がほんの少し動いた。起きたばかりでまだ体もろくに動かないだろうに動こうとしていた。
「なにいって」
「俺、あんたを呪っている奴の正体知っているんですよ」
 手を動かしながらザップが言った。息をのむスターフェイズをザップは下から見上げている。薄い瞳が見てくるのにそれはと乾いた声がスターフェイズから出ていた。ザップの目から視線を逸らすのにザップの手がスターフェイズの頬に振れた。
 傷ついた頬を触りながらザップはスターフェイズを一身に見てくる。
「あんたすよ」
 ザップの口が音を紡いだ。
 咄嗟にスターフェイズは目をつぶっていた。手は動かなかった。
「あんたが一番あんたが幸せであることを許していないんすよ。前世のあんたも今のあんたも許せなくて呪い続けているのはあんたなんですよ」
 ザップの手は頬を撫でてそれから頭に回っていた。優しく撫でていきながら馬鹿ですよねなんて言う声はとても柔らかかった。母親が子供にでも向けるような声だった。
 そっとスターフェイズが目を開けた時、見えたのは微笑むザップの姿だった。涙腺が刺激されてその瞼一杯に涙が溜まっていく。それでも零れることはなかった。じっと見下ろす目は泣きそうではなかった。暗い色をしている。
 スターフェイズはザップの言葉をすぐに理解してしまっていた。ザップが分かっていると言った時から答えが浮かんでしまっていた。そんな酷い自分にいっそと思うのに止めてくださいとザップの声が聞こえた。
「やめてくださいよ。いっそ死んでしまおうなんて考えるの。今のあんたは何も背負っていないからすぐにでもできるんだろうけど、俺はあんたに死んでほしくないすから」
 ザップの手がスターフェイズの髪を掴んだ。皮膚が引っ張られて痛いけれど気にすることもできない。気にしたのはこれでは逃げられないと言う事だった。
 ザップのもう片手も持ち上がってからみとられた。
「あんたはあんたが思っているほど悪人ではないんですよ。俺はあんたが思っている以上にあんたのことが好きだし、みんなそうでしたよ。何してたってみんなそれは変わらなかったよ。だからあんたは幸せになってよかったんです。
 きっとあんたのことだから死ぬとき自分にふさわしい死にざまだなって思ったんでしょうけど、そうじゃなくてみんなに囲まれて死んでいく方がよっぽどふさわしい死にからでしたよ。
 だから今度ぐらい幸せになってもいいでしょ。
 つうか、絶対に幸せにするんで。諦めてください」
 いくら逃げようとしても真っ直ぐに見つめてくる目から逃げることはできなかった。何処を見てもじっと覗き込んでくるその視線の強さに負けてみてしまう。それで満足そうに笑うからスターフェイズはそこから離れられなくなる。
 ザップの声は強かった。滅多になかったけど、自分相手にもひかない時があったな何てそんなことをスターフェイズは思い出した。
「じゃないと俺幸せになれませんから」
 短い言葉がスターフェイズの胸に刺さる。眉が寄ってしまうのにザップは口元を上げていた。
「あんたがあんたを呪い続けてるとおれずっと戦い続けることになるし、いつか死んじゃうかもですよ。
 ずっと戦ってたからあんまり楽しい事とかできてないですし。このまま何もできずに死んじゃうんですかね。それでも俺は良いんですけど」
 でも俺ちゃん可哀想なんてザップは肩をすくめた。海とか山とか一度も言ったことないんですよね。レジャー施設とかにも行けなくてとそんな話を言っている。はっとスターフェイズから笑い損ねた声が出た。
「……お前本当馬鹿だな」
 泣かない男をザップは見つめる。
「幸せになってもらいたいんですよ。あんたも俺に幸せになって欲しいんでしょう。それとも俺と一緒に最低な心中しますか」
 俺はそれでもいいですよ何て少しだけ本気なことを思いながらザップは問いかけた。見下ろしてくる目は苦し気でありながら何処となく付き物の落ちたようなそんな顔をしていた。
「……分かったよ、頑張ればいいんだろう」
 スターフェイズの言葉にザップは心から笑った。起き上がれない代わりにスターフェイズを自分の元に引き寄せる。
「一緒に幸せになりましょう。あんたが幸せになったら俺のとっておきの秘密教えますね。きっとあんた困らせますけど、その時はちゃんと無理だって言ってください。そんで幸せになってください」
「なんだよそれ」
「秘密っす」
 ふっふとザップが笑うのにつられるようにしてスターフェイズも笑った。ザップの肩口がじんわりと湿る。











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