スティーブン・A・スターフェイズと言う人物は人当たりのいい優しい仕事人間として会社の者には知られていた。その他の周りからの評価も似たよなものでユーモアを兼ね備えつつ落ち着いた人と言うのがその中に加わる。
 少しだけ腹黒な一面もあると言われつつも全体の評価は高く。多くの人から好かれていた。
 そんな自分の評価にスターフェイズは時折疑問を感じることがあった。
 薄気味悪くまるで自分とは違う他人の評価のようにも聞こえる。
 自分とはかけ離れた誰かのもののように。別段人との付き合いの中で自分を偽っているつもりはなかった。もちろん人に見せないような部分はありつつも、自分は自分のまま偽らず過ごしているつもりなのに、他人の評価や遠くから見つめた自分はスターフェイズの知らないものだった。
 自分はもっとどろどろとしていて重苦しい。優しさとは無縁の人間なのだとスターフェイズは思ってしまうのだ。
 そう考えるようになったのは幼いことからのことだった。
 ずっと幼い、物心つく頃から自分は本当は人の傍で笑っているのも不似合いなほど残酷で醜い人間なのだと感じていた。
 どうしてそう感じていたのかについてスターフェイズはその理由を把握している。それは幼き頃から見続けたある夢に起因している。
 その夢は記憶にないころからずっと見ていた。
 主人公は一人の男である。
 最初は子ども。それから青年、大人と夢の中で成長していく。
 子供のころは生意気な顔をして日々を過ごし、青年のころも同じようだったが、ある時、一人の男と出会いつまらなそうだったその人生が変わった。屈強な男が目指す馬鹿馬鹿しい理想をかなえようと邁進するようになる。
 大変そうであったが満ち足りているようだった。
 だがそこから少しずつおかしくなっていく。男の理想とするものは所詮理想でしかなく、到底かなえられるようなものではなかった。それをかなえようとして、男の理想や信念から離れた行為を取り出した。
 それは到底人に言えるようなものではなく、その両手は真っ赤に染まっていた。大人になってもそれは変わらず、共にいる仲間たちを見ながら、その横で闇の底に沈んでいた。
 そんな男の一生を夢で見る。
 最後は地獄の業火に焼かれてしまったかのような最後だった、
 恨みをかったものにやられて……。それで
 真っ赤な火だけが記憶に残っている。
 汚いなとつぶやいた一言は焼かれているくせにやけにはっきりとしていた。
 
 その夢が前世の記憶と呼ばれるものであるとそう認識したのはいつのことだったか。恐らくあまり幼い頃ではなかった。少なくともミドルスクールは上がっていた。当たり前にあった夢は不思議に思うことは確かにあったものの、疑問に思うほどのものではなかったのだ。
 でもある日、普通はそんな夢を見ないと気付いて、ではどうして自分はと疑問に思った。その時に気付いた。誰にも言ったことはない。言いたくなるような内容でもなかった。
 多分ずっと誰にも言わないまま終わるようなそんな内容だった。
 幸せな時は確かにあった。むしろそんな日々の方が多かった。だけどいつもまとわりつくように俺がここにいていいのだろうかとそんな不安を感じていた。
 そして夢から離れた世界でもその不安はずっとスターフェイズを取り巻いている。
 だからだろう。スターフェイズは自分と他人の評価に奇妙な隔たりを感じてしまうのだ。分からないけど時折考える。
 どうして自分はここにいるのかと



 うわあと間抜けな声が出た。大丈夫かとスターフェイズの手を引いてくれた男がきいてくる。大丈夫だよ。ありがとう。助かったと答えながらスターフェイズは自分から少し離れた場所で電灯にぶつかってひしゃげている車を見る。
 特に暴走している様子もなかったのに突然スリップした車がスターフェイズの方に向かってきたのが数分前。咄嗟に共に歩いていた親友が助けてくれて事なきを得た。まあ、それがなくとも何故か車は途中で奇妙な回転をつけていたので当たることはなかっただろう。車の運転手も無傷なようでスターフェイズはほっとする。損害は酷いものの人への被害はなさそうだった。
 スターフェイズよりも先に確認した男が問題はないようだ。行こうとスターフェイズの腕を掴んたまま歩き始める。
 体格に見合った力で握られているのに腕が痛む。痛いよ。放してくれないかい。そう言うのに男は慌てて手を離した。すまないと大きな体を丸めて謝る男に大丈夫気にすることはないとスターフェイズは答えた。
 それより行こうかと目的地に歩いていく。男は心配そうにスターフェイズをちらちら見ていた。
 前世からの友人は前と変わらずお人好しでスターフェイズのことをスターフェイズよりもずっと気にしてくれていた。名前をクラウス。
 入学式の時に見かけ、思わずスターフェイズから話しかけてしまったが、あいにく彼には前世の記憶がなかった。不思議そうにはされたものの不審には思われなかったことが幸いして今でも仲良くやれている。 
 始めは何かあってはいけないから遠ざけようとしたものの彼の方から近づいてきてくれたことや、記憶の中とは言え昔の知り合いに会えたことが嬉しかったことなどがあって、離れがたくなってしまったのだ。
 今は同じ会社に勤めている。
 クラウスのほかにもスターフェイズの昔の知り合いはたくさんいた。同じ会社にいる者も多い。だが、過去の記憶を持っている者はスターフェイズ以外いなかった。
 そのせいかどうしてと考えることは増えた。どうして己だけ記憶をもって生まれてしまったのか。
 記憶を振り返ってみても確実な答えは見つからないけど、ただ記憶の中に出てくる死体の山はその答えの気がして思い出すたびにおそましさを感じた。
 それでも折を見ては思い出してしまう。
 それこそつい先ほどのような事件が起きた時はいつも思い出す。
 自分の血法で内側から凍らせた人は後からその細胞や脳を調べて取りつくせるだけの情報を絞り出した。何もかもを絞り出した肉体はもはや人と言うのも憚れるほどのもの。
 だから自分の記憶は呪いなのではないかとスターフェイズは思っていた。
 誰がかけたのかもなのか分かることはないが、スターフェイズと言う男が殺した人々の呪いのように。すべての記憶を覚えているのではないかと。
 大丈夫かとクラウスが声を掛けてきてくれた。大丈夫だよとスターフェイズが答えるのにクラウスはだがと何かを言いたそうにして見詰めてくる。
 心配だとその顔に書かれている。
「何時までも気にするほどやわじゃないのさ。付き合っていかないといけない事だろう」
「それはそうなのだが……。思いつめたような顔をしているように見えて」
 クラウスの声にスターフェイズは一瞬だけ動きを止めてしまっていた。いつものように微笑みながらそんなことないさ。心配かけてしまってすまないというまで少々時間がかかる。そんな事を気にする必要はないと大げさにクラウスは首を振った。
 そんなことは気にしないでほしい。友として心配するのは当然のことだと伝えてくれるクラウス。ああ眩しいなとスターフェイズはその目を細めた。
 クラウスのやさしさを感じる度に呼吸が少し苦しくなるのだった。昔のことがよぎる。


 ばしゃんと頭から水を被った。大丈夫かと驚いたクラウスは慌てふためいてハンカチでスターフェイズの体を拭いてくれる。おとなしくされるがままになりながらスターフェイズはああ大丈夫だよと答えた。またかと出ていくため息。
 視界の中には壊れた金魚鉢が見える。
 当たらなかっただけいいと思えばいいのだけど、水の中、跳ねることもない金魚に罪悪感を覚えた。
「これはもう着替えた方がいいだろう。そうだ。会社に予備の服を置いているだろう。それを取りに行くのはどうだ。会社までなら近い」
 体を拭いていたクラウスが提案するのにスターフェイズは頷いていた。そもそも不測の事態を考慮したうえで会社が近い場所を選んだのだ。横に振る筈もない。
 ただ気は重かった。

 会社に行けば数人だけいた人がなれたことというようにスターフェイズを見てため息をついた。大丈夫ですかと声を掛けてくれるものもいたが、そんな人たちも驚く様子はない。それもその筈だろう。
 スターフェイズが何らかの不運に見舞われてこんな風に会社に立ち寄るのは何も今日が初めてではないのだから。
 どういう訳かスターフェイズの周りでは下手したら命の危機となりそうな不運なことがよく起こるのだ。ただそれは毎回神のいたずらかと思えるような方法で回避される。朝の変な方向に回転した車しかり、頭に落ちる直前に軌道をずらした水槽しかり。どう考えてもおかしいような回避の仕方がされる。
 おかげで悪運のスターフェイズなんて前世のことを思い出すような異名で呼ばれていた。もっとも前世で呼ばれていたのはスターフェイズではなく、別のものだったし、その人は豪運だったことを思うと少しはましだろう。
 実際スターフェイズの不運に巻き込まれて重傷を負ったものは今の所いなかった。死傷者もいない。軽症者だってほとんどいなかった。

 手早く着替えてスターフェイズは出かける。すまないなとクラウスに謝ると気にしないでくれ。君にケガがなくて本当に良かったなんて言われるからまた途方に暮れてしまうのだった。
 他の者はスターフェイズのことに気付くと殆ど巻き込まれたくないと距離を取っていた。変わらずにいてくれるのはクラウスのように昔の知り合いや、ごくわずかなものだけだった。
 昔の知り合いは本当にいい人たちばかりだったのだなと確認して、なんとなく嬉しくなったのは昔。最近は罪悪感や申し訳なさに押しつぶされそうになる。それでも離れたくないほどにはみんなの傍は居心地がよかった。
 どうすればと考えているけれども答えはでなかった。




 はあとため息が聞こえる。
 スターフェイズは書類から顔を上げていた。
 どうしたんだいと斜め向かいの席にいるツェッドに聞いた。前世では半魚人だった彼も今ではただの人だった。今の世界にはそんな面白い存在自体がないから当然と言えば当然だが、初めて履歴書で名前を聞いた時は驚いたものだ。もちろん名前が同じだけの別人という説も考えたが、世間話で彼から聞いた賤厳という養父のことや、ザップレンフロと言う兄の話で本人だと確証してしまった。
 ザップレンフロは昔から一番会いたいと思う人物であり、そして、今の生が終わったとしても二度と会えない相手でもあった。
 彼にはとても酷いことをしたのだった。
 とてもとても酷い事を。
 それでも会いたいとそう願ってしまうぐらいにはスターフェイズの人生の中に強烈に焼き付いてしまっている人物でもある。
 どうやらツェッドの悩みはその兄のことであるらしい。とはいえ彼の悩みは大抵兄がらみなのでため息をついていた時点でそうだろうとは思っていた。
 ツェッドの周りには悲壮なオーラが漂っている。
 そして暫くしてから彼は兄がと言った。
「兄がまた留年することが確定してしまいまして」
 頭を抱えて言われるのにあーーと声が出ていく。それはご愁傷さまと言ってしまう。慰めの言葉を探したがそんなもの見つからなかったのだ。
 なんとザップは大学にまで通っているそうなのだが、毎年出席日数が足りず留年しているのだとか。高校でもそれで三年留年してしまったそうだ。結局高校は卒業できずに終わり、その後通信教育に通って卒業したとのこと。そして大学にまで入学して、そこでも留年を繰り返しているそう。そんな兄の姿を見て、これ以上は養父に迷惑はかけられないとツェッドは中学を卒業してすぐに就職し、通信教育で卒業して、スターフェイズ達と同じ会社に再就職した。
 そんなかなり哀れな話を世間話の一つとして聞かせてもらっていた。
 成績でもなく出席日数が足らずに落ちるのが彼奴らしいと、聞いた時は悪いと思いつつ笑ってしまったぐらいだ。
 きっと今回も出席日数が足りなくなったのだろう。あーー、あの人は本当にどうするつもりなんだと頭を抱えたツェッドがこのままじゃ卒業できないんじゃと嘆いている。それを聞きながらスターフェイズはザップのことを思い出していた。
 銀の髪に褐色の肌。薄い色の瞳。よく動く騒がしい口。口以上に騒がしかった顔。何も口にしなくてもその感情をよく伝えてきた。
 会いたいなと思ってすぐに会いたくないと思った。


「あんた、何したいんすか」
 問われるのに何も答えなかった。笑ってごまかすのに唾を吐き捨てられる。白いシーツの上にできるシミを見つめながら何がしたいかなんて本当の所、僕だって分かっていないよと言ってしまいたかった。そんな事言えばザップの顔はますます歪んで嫌悪の目で見られるのだろう。分かっていたからスターフェイズは言わなかった。
 ただザップの頭に手を伸ばした。丸っこい頭は意外に撫で心地がいい。それを堪能するでもなく、ただ数度ぽんぽんと触るだけだったのに、その口元がぎゅうと尖った。
 口よりも雄弁なんじゃないかと思うその目がじっと見てくる。何か言いたい事がありつつも言えずに目で訴えてくる。見ないふりして、ヘッドに置いてあった煙草に手を伸ばした。煙草を手にして火をつける。ゆっくりと吸い込んで吐きだしていく。もう一つの手が動いてじっと見てくるザップの前に彼の葉巻を差し出していた。
 そんなものも止めていなかった彼は嫌そうな顔をしたものの文句を言うことはなく大人しく口にくわえる。火を分け与えてやるのにもの言いたげな瞳は鼻先が触れそうな距離でじっと見ていた。
 そんなことをしてもらう必要なんてねえの分かってんでしょうが。乾いた声でそんなことを言う。
 それにも微笑むだけでやはり何も言わなかった。
 代りに朝食の話をした。何を食べたい。何でも頼んでいいよとそんな話をするのに最初ザップは何も言わなかったけど、スターフェイズがこれ以上話さないのが分かるとじゃあなんて答えていた。分かったと答えてスターフェイズは立ち上がる。
 その辺に落ちていた服を掴みながら歩いていくのに、どうしてと声が聞こえてきたが答えることはない。


 思い出してもスターフェイズは酷い男だった。
 好き勝手振り回して問いかけには何も答えずにいる。ザップの問いにスターフェイズが答えたことなんて一つもなかった。どうして。あんたは何を考えているんですか。本当に聞きたいことは言えないまま何度も問いかけを続けてきていたと言うのに。
 その癖してずるずると関係だけは続けて、縛り続けていた。
 どうしようもない屑だ何だと散々言っていたが、本当にどうしようもない屑で最低野郎だったのはスターフェイズに違いなかった。
 最後にはあんなものまで押し付けて……。
 最後の最後にかなえてしまった夢はきっと飼いならして繋いでおいた意味のない鎖を簡単に腐らせて千切らせてしまったのだろう。
 だからもう会えないと分かっているのだ。会いたくないし会えない。きっと彼はスターフェイズのことを嫌ったはずだから。
 記憶がないからともう一度飼い慣らしてしまうようなそんなことはできなかったのだ。





 あんた。男が好きなんすか。
 いつだったかザップに聞かれたスターフェイズはその問いには答えなかった。手頃で丁度良かったと言ってあげられれば少しはその心を軽くしてやれたのかもしれないが、それすらしなかったのにザップは俯いてシーツの中に顔を隠した。
 どーでもいいすけどと聞こえてきた小さな声。
「でも俺みたいな屑に手を出すよりもちゃんとしたお嫁さんもらって、ふつーの家庭を築いた方がいいと思いますよ。ほら、姉さんとかすげぇ幸せそうじゃん。幸せとかよく分かんねえけどあんたもああ言うフツーの幸せってやつ求めてみてもいいんじゃねえかなって
 そしたら少しはさ」
 聞こえてくる小さな声に答えることもなくスターフェイズは服を着替えていく。また答え何て返ってくることがないのだろう。そう思って寝ようとしている男に着替え終えたところでスターフェイズは問いかけていた。
 お前はと、お前はどうなんだと。
 そうするとザップは口を一度閉ざして、俺ちゃんには似合わないでしょう。そんなことを言った。それに俺ちゃんは今で十分満足していますからね。
 聞こえてくる言葉にそんなはずはないだろうと思って、でもそれを言うことはなかった。
 そうかとだけ言って部屋を出ていく。その背に可愛い奥さんもらって、そんで可愛い子供を作って、そんな幸せがあってもいいと思うんですよね。そんな声が聞こえてきた。
 なんでそんなことを言うのか。どうして、そんな事を考えて聞かなかったふりをした。



 そんなことを思い出すのは、何故なのだろうとスターフェイズは目の前の男を見つめながら頭の片隅で考えていた。
 聞こえてくる内容を脳は一度処理しているものの殆どはいってこなかった。どうでもいいものとやり過ごしてしまいたいのに、だからともう一度目の前の男が頼み込んできた。
 かなり大手の取引相手。
 こんなふうになりふり構わず頭を下げて頼みこんでくるほどのことなら受けておいた方がきっといいことだった。悪い噂もなくこれからもどんどん発展していくだろう優良物件だ。そんにはならない。
 むしろ得しかなかった。
 それでもあまり乗り気にはなれないのは内容のせいだろう。男が頼んできたのは娘と結婚してくれと言う事だった。何でも町でスターフェイズのことを見かけたお嬢さんが一目ぼれしたのだとか。
 ぜひともお付き合いしたい。結婚したいとの話だ。
 資料で一度見たことはあるが中々の器量の持ち主だった。成績も優秀ではあるが、大切にされ過ぎて箱入り娘なところがある。おてんばと言う話もあるが、それでも御しやすいタイプではあった。ただスターフェイズの好みかと言われたらそれは違っていた。そもそも好みのタイプと言えるものは今のスターフェイズにはなかったのだけど……。
 どうしようかとスターフェイズは考える。どう考えても気乗りはしない。そこまでする必要もない。うまく断った方がいいかと思っている。
 だけど先ほど思い出した光景をもう一度思い出した。
『可愛い奥さんもらって、そんで可愛い子供を作って、そんな幸せがあってもいいと思うんですよね』
 記憶の中の声がスターフェイズに向けて言う。その言葉がやたら頭に浮かんで消えてくれなかった。
 似たようなことを他の者にも何度も言われたことがあって、その度それとなく交わして忘れてきたのにその声だけがどうしても忘れられないでいる。
 どうすればいいのだろうかと思った。
 何故彼はそんなことを言ってきたのか。分からないけど、もしそうなれば彼は少しは喜んでくれたのだろうか。馬鹿馬鹿しい考えだけど、それでも。
 気づけばスターフェイズは分かりましたと答えていた、
 あっと思ったがもう遅い。もういいかと思って微笑む。
 どうせもう会うことはないのだから。



 スターフェイズが見合いをするという話は瞬く間に社内に広がっていた。優男であるが浮いた話の一つもなくワーカホリックとまで言われていたスターフェイズの見合い話に周りは興味が湧くのは必然。翌日からずっと質問攻めにあっていた。
 どうして見合いをと聞かれるのにいつもスターフェイズは家庭と言うものを築いてみたくなったからと答えた。似合わねえと笑い、それからまあ、でもそんな年だもんなとしみじみとされた。うまくやれよと言われるのに笑顔を返しながらスターフェイズはいつもため息を飲み込んでいた。
 自分で決めたことではあるものの家庭と言われるものにスターフェイズは欠片も興味がなかった。温かいご飯も明かりがついた家も家政婦を雇っているスターフェイズにはあったし、家で一人の時間と言うのにも特に寂しさを感じることはない。むしろ仕事が終わった後の家でぐらいは一人でのんびり過ごしたかった。休日も基本は体を休めるためにある。誰かと会いたいとはあまり思わない。
 逆に家庭を持つとその時間が無くなるのを嫌に思ってしまうほどだ。妻と過ごさなくてはならなくなるし、子供ができたらその子供の面倒も見なくてはいけなくなる。考えるだけで憂鬱になる。
 それでも見合いは進めるしかなく、日取りも決まっていた。
 根本的に結婚には向いていないのだと思いつつ結婚に向けて話しは進んでいく。


 憂鬱なる日々。
 毎日のようにあの日の夢を見る。何でザップがあの日そんなことを言ったのか。分からないけど、あの日の言葉は本心から望んでいるようだった。
 だから叶えてやりたくなったのだ





 あんたなんでお見合い何て受けたのよ。そんなたまでもないのに。
 自分のことを嫌いと何らはばかることなく言い続けるKKにそう言われてスターフェイズは困ったように笑うことしかできなかった。
 家庭を持ちたくなったんだよと他の人と同じような答えを返すと彼女は盛大に顔を歪めて舌打ちを打つ。
「ふざけんじゃないわよ。スカーフェイス」
 鬼のような形相で睨みつけてくる。
「あんたそんな奴じゃないでしょ。何企んでいるのよ。あんたの自虐に他人まで巻き込んでるんじゃないわよ。今すぐにでも解消しなさいよ」
 kkの言葉にスターフェイズの目は瞬いた。自虐と言われたのが何のことか一瞬分からず戸惑ったが、ああでもそうかと思っていた。言われて見ればそうだった。あんたは昔からそうなのよ。何があったかは分からないけどとkkがぼやいているのを聞きながらスターフェイズはと違うよと言った。そうだと納得したにもかかわらずだ。
 笑みを張り付けて違うよと言った 
「本当に家庭を築きたくなったんだよ。君は幸せそうだし、それに昔言われたんだよ。あんたも普通の家庭ってやつをもってみたらどうかって。普通の幸せってやつ手に入れてみたらいいんじゃないかって」
 見開いた眼がスカーフェイスを見ていた。それからちっと舌打ちを打つ。突端に歪む顔。
「普通の家庭で幸せになれるようなやつだと思っているの。しかもそれがお見合いなんて。言っとくけどあんたには形から愛していくなんてできやしないからね。幸せを手に入れるって点には賛成するけどそれにしても」
 まあ、それはそうなんだけどねとスターフェイズは笑う。それでも頑張ってみるよと言うのに頑張ってどうにかならなかった時が悲惨なんでしょうがとkkからの叱責が飛ぶ。
「いい、あんたが不幸になろうが私にはどうでもいいのよ。だけどそのせいで不幸になる子を作るなって言っているの。あんたに付き合わされる見合い相手がかわいそうなの」
「でもその子は僕のことが好きなんだって」
「あんたのことを知らないからそんなことが言えるのよ。何も知らない子を不幸にしているんじゃないわよ」
 それは確かにそうだよな。僕と一緒にいて幸せになんかなれるわけじゃない。おもいながらもスターフェイズは幸せにするよと言っていた。
「きっと幸せにするよ」
 何時までも優しい夢を見させているよ。心の中だけで呟く。
 スターフェイズの暗いところなど一つたりとも見せず、その子が好きだと言ってくれた部分だけを見せて、彼女が望む僕を彼女の前では演じ続け、愛しているふりをしてその子だけは幸せにするよ。
「幸せにしないとクラウスに嫌われてしまいそうだし、そこまで薄情でもないからね」
 すべては話さずに笑うのにkkはあっそと吐き捨ててそっぽを向く。家庭を作るんじゃなくて好きな子を作るとかそういう所から始めなさいよと彼女は言っていた。
 これ以上の話が嫌になったのだろうkkはもう先を歩いている。そんな彼女にスターフェイズは好きな子ならいるよと伝えていた。もう終わってしまったけど。そう続けるのに舌打ちをしてヒールをならせて去っていく。



好きだと言づいたのはだいぶ後だった。死を覚悟した時だ。
 ああ、きっとこの件で自分は命を落とすな。それしかない。でも仕方ない事か。どうせこれは一人で片づけないといけないことだ。
 そう受け入れた時、様々な感情と光景がスターフェイズの中に流れ込んできた。走馬灯とまた違うだろうが似たようなもの。
 僕にもまだこんな感情が残っていたのか、なんて薄く笑った。その中でとびぬけてスターフェイズの心に焼き付いては何かを訴えてきたのは口ほどにもものを言ってくるザップの目だったのだ。
 その目が記憶の中から見つめてくるのにスターフェイズはうろたえた。
 なんで、どうしてと驚いて飲み込むつもりだった何かを飲み込み切れなかった。もし死ぬ最後に思い出すものだあるとしたらそれはクラウスの顔だろうとスターフェイズはずっと思っていた。
 彼の強さに惹かれ焦がれ、そして彼の思想を見染めてここまでついてきた。彼のために己のすべてを投げ出して歩んできた。
 彼はスターフェイズの大部分を形成する男だ。
 だからこそ最後の時、強く思い浮かべるのは彼なのだろうと思っていたのだ。彼の顔が見えない限りまだ大丈夫。まだ死にはしない。その時ではないと勝手に判断していたのだ。
 それなのに本当に死を覚悟した時浮かんできたのはクラウスの顔ではなかった。その事に狼狽したものの暫くするとスターフェイズは受け入れることができていた。
 ああ、なんだと思っていた。
 ああ、なんだ。俺彼奴の事大切だったのか。好きだったのか。そう思っていた。
 それは問われても見つからなかった問いの答えだ。それがやっと見つかったけれど今更言えるはずもなかった。そうなる前に見つけていたとしてもきっと言わなかっただろう。
 遅いとかそんな問題は関係なくスターフェイズにはそんなことできなかった。
 



 本当に君はこれで良いのか。
 スターフェイズがクラウスにそう聞かれたのはお見合いの前の日だった。この後良いかと仕事終わりに誘われてきた店の中だった。
 クラウスが選んだ店だけあって静かで上品な店。美味しい料理に舌鼓を打ちながら、この友人は何を言うのだろうかとスターフェイズはそれまで不思議と静かな気持ちで待っていた。
 お見合いが決まってからと言うものクラウスが何かを言いたそうにしているのに気づきながら、のらりくらりとかわしていたが、前日まで来てしまうともう逃げる気持ちもなくなっていた。
 ここまできて反故にできる約束などないだろう。
 言いたそうにチラチラ見てくるともを前にスターフェイズは穏やかな気持ちだった。
 メインも食べ終わったころようやっとクラウスはスターフェイズに話しかけてきのだ。
「君は一人では無茶をしてしまう所がある男だ。だから所帯を持つというのは喜ばしい事だと私は思う。だがそれはもっと別の方法がよかったんじゃないかと思えてならないんだ。
 君の決断を責めるわけではないのだが、でも」
 クラウスの目はじっとスターフェイズだけを見ていた。獣のような男の眼差しはただそれだけで恐ろしいものだが、そこに浮かぶのは心配だけだ。顔に似合わず出ていく声は弱弱しくて、無遠慮にもスターフェイズのことに踏み込んでいくことに罪悪感を抱いたものだ。抱きながらもそうしなければならないと強い意志を感じる。
「私は君に自分の幸せについてもう少し考えてみてほしいのだ。そうした方がいいと思う。君は自分のことを投げやりにし過ぎている。だから」
 大丈夫だよとスターフェイズはクラウスの言葉を遮っていた。大丈夫だよと微笑む。
「僕はいつだって僕のことを大切にしているさ。当然だろう。この結婚だって少し今までのことを見直していいかもしれないなと思たから飲んだんだ。
 家庭を築きたくなったんだ。仕事から帰れば暖かく迎え入れてくれる妻がいて、僕の帰りを楽しみに待っていてくれる子供がいる。そんな普通の家庭と言う奴を味わってみたいんだよ」
 クラウスの目を見てそんなことを言う。そうすればクラウスはまだ少し不満そうにしながらもそれならばと頷いてくれている。
 幸せになってくれとそんな事をクラウスが言った。




 見合いはスターフェイズが予想していたよりもあっさりとしたものだった。
 見合い相手の娘はスターフェイズが持っていた情報通り、少しおてんばなところのある娘で、スターフェイズにいろいろなことを聞いてきたが、かといってスターフェイズのことに深く踏み込んでくるようなことはなかった。普段の仕事、プライベートは何をしているのか。好きなもの、嫌いなものについて、趣味はあるかと言ったことは聞いてきたものの、それ以上は何もなく、お願いしますと頭をさげてくるだけだった。
 自分のこともある程度話したものの押し付けてくるようなことはなくて、煩わしいことを予想していたスターフェイズは拍子抜けしてしまった。
 そしてスターフェイズが驚いたのはその娘の中に己を好いているような色を見つけられなかったことだ。今はそんなことする必要もないからしていないが、前世では己の体を使い、女性から情報をもらっていたこともあった。そんなスターフェイズにとって他人が自分をどうおもっているか掴むのは必要な能力であり、その力は強いと自負していた。
 今でも己を好いているかどうかぐらいは分かる。だけど女の中には好意はなくて代わりに好かれようとしているのが伺えた。
 もしや結婚したいのはこの娘の親の方で、そうすることで何かを得ようとしているのかと思ったが、正直スターフェイズと娘が結婚したところで男が得られるようなものは何もなかった。得があるのはむしろスターフェイズの方だ。
 それなのに何でと疑問に思い、奇妙にも思ったが、お見合い自体はつつがなく終わらせていた。


 後数回お見合いをして、デートをしてそしたら結婚するというようなそんな流れが決まっていた。
 そんな流れが決まる前にスターフェイズは一つ聞いたことがあった。それは子どもを産んでもらえるかどうかだった。
「僕は家庭と言うもに憧れていて、家庭を築きたいと思っている。奥さんがいて、可愛い子供がいる。そんな生活をしてみたいと思っているが、きみはそれでいいだろうか」
 娘はひどく驚いた顔をして、それから覚悟を決めた顔で頷いていた。分かったわ。それがあなたの望みなと口にした娘に何故だろうか胸がひどく傷みだした。
 好きでいてくれた方がましだったと思った。





 意外とうまくいっているのね。
 忌々しげに言われたのは三回目の見合いの後だった。そうだねと答えるとkkは苦しそうにその顔を歪めて去っていた。
 娘とスターフェイズの関係はうまくいっていた。
 娘は優秀とは違うが、スターフェイズにとっては都合のいい婚約者であった。
 どこに行きたいとか、何かをしてほしいとかそんな我が儘は口にしない。スターフェイズには何も求めなくて、その癖スターフェイズに尽くそうとしてくれた。二回目と三回目のお見合いの時、プレゼントをもらった。どちらもスターフェイズの好みで必要にしており、後に残るようなものでもなかった。
 スターフェイズが気まずいと感じていれば話題を提供して、あまり話したくないと思っていれば口を閉ざす。
 スターフェイズのことをじっと観察して、スターフェイズに良く思われようとしていた。そうでありながら好かれたいと言ったような押し付けてくる気持ちは感じられなかった。
 娘のことを理解できず奇妙なものとは思ったが、引き離そうと思うほどでもなかった。一度そう思ったこともあったが、すぐにそれを感じ取った娘がわずかに行動を控えたのでまあ、いいかと思うようになった。
 予想とは違ったもののこれで良かったとも最近は思いだしている。


 しまったと思ったのはそれから数週間後。
 娘とのデートの最中だった。
 歩いているところに突然吹き飛んできた車。それはスターフェイズにも彼女にもあたることなくぎりぎりをよけていた。派手にぶつかって派手に窓ガラスを割っている。
 咄嗟に娘をかばった時、スターフェイズは娘に何も言ってなかったことを思い出したのだ。
 忘れていたわけじゃない。歩けば不運にあたるとまで言われるぐらいには頻繁にこのような目にあっているのだ。忘れられる者でもない。
 だけど娘には伝えていなかった。
 そして伝えぬうちにこんなことになってしまい。直接の事故の原因でなくとも気まずく思えた。きっと怯えているだろう娘の顔を見ることができなかったのに、ゆっくりと息を整えて彼女に目を向けた。
 大丈夫と口にしていたのに娘を見てからその口がわずかに間抜けに開いた。
 娘は車が突っ込んできた方向をじっと見つめていた。
 まるで何かを魅入る様に身を乗り出し見つめる。その瞳はきらきらと輝いていた。
 だがそこには特に何もなく、車が少しの渋滞を起こしながら進んでいくだけだった。えっとスターフェイズが固まるのにはっとしたように娘が顔を上げて大丈夫ですと言った。
 そうしながらその目はちらちらと事故現場を見る。何かを追いかけるようにその目が動きながら大丈夫ですからともう一度いってきた。
 戸惑うスターフェイズの手を娘の手が握りしめる。行きましょうと後ろ髪をひかれながら娘はスターフェイズを促してきた。
 分からないながらその場にはいたくなくてスターフェイズは従っていた。
 
 目的地に着いた時、スターフェイズは娘に言わなくてはいけないことがあったんだと告げていた。きっと言ったら嫌われるのだろう。そう思いながら伝えたのに娘は食い気味に何かを言おうとした。あっとその口元が抑えられる。
 スターフェイズの聞き間違いでなければその口からは知ってと言うような声が聞こえた。続く言葉で思い浮かぶのは知っていますと言うものだった。だけどそんなはずはない。
 だったら何故とスターフェイズは自分の耳を疑う。聞き間違えたか。でもと悩むのに娘はそんなこと気にしませんと言っていた。
「だってこれから先も貴方は大丈夫だもの。
 だから私も……」
 娘は言葉を飲み込んだ。えっと声をこぼしてどういうことだとスターフェイズは娘を見る。何を言おうとしたのか。娘は大丈夫ですと言った。大丈夫だからとスターフェイズに向けてほほ笑んだ。


 結局娘との婚約が解消されることはなかった。二人の付き合いはそのままでいる。
 娘といる時に不運に会うこともあったが、その度に娘は気にすることはないわといつも笑っていた。そしてその目はいつも何かを見ていた。



「私は君にどうやら謝罪をしないといけないようだ」
 クラウスがそう言ってきたのは娘との付き合いが三か月たったことだった。何時結婚しようかなんてそんな話まで出始めている。
 普通の付き合いならまだ早いかもしれないが、もともと結婚を前提とした付き合いだ。向こうの親族は痺れを切らし始めていて、スターフェイズもそこそこ積極的に話を進めていた。
 何のことだいとスターフェイズが問いかけるのにクラウスは君と彼女のことだと言った。
「私は君と彼女がうまくいかないだろうと思い勝手に心配していた。きっと悪いことになると思っていた。
 だがなかなかうまくいっているようだ。今の君は前よりずっと楽そうだ」
 クラウスの言葉に目を見開いてしまいながらスターフェイズはその口を閉ざした。少しの間考えて唾を飲み込み、そうだろうという。
 実際娘とはうまく言っていた。
 スターフェイズの方は。娘は相変わらず都合の良い婚約者で、スターフェイズのことを一番に考えてはスターフェイズが楽でいられるように気を遣ってくれていた。 
 ここまで気を遣われたらスターフェイズまで気を遣い重く感じてしまいそうなものだが、娘はスターフェイズが喜ぶたびに、そっとその目元を緩めて幸せそうに見てくるので、左程気にしないですんでいた。
 相変わらずスターフェイズを好いている様子はない。娘はスターフェイズに興味がなくてスターフェイズを見てはいるが見ていない。スターフェイズが何をしていようとどうでもよくて、スターフェイズが人から期待されているような動きから違うことをしても落胆することもなかった。
 逆にうれしそうにした。
 好いてもなく興味もないのに幸せそうにするから意味は分からないけど、まあ、でもいいかと気にしないことにした。そうすると娘の傍はスターフェイズにとっては居心地の良いものであった。
 娘は理由は分からないが幸せと言った顔で見てくるからこれでいいのだろう。
  そんな娘と結婚するのは良いかもしれない。結婚しても娘はスターフェイズに何も望まないだろう。変わらなくていい。何なら一人の時間だって作れる。
 スターフェイズにとっては最高の相手。
 屑だなと思いながらスターフェイズはまあねといった。
 いい女だよと笑って答える。付き合うには丁度良い。そうかとクラウスは嬉しそうに笑った。これがkkだったら舌打ちの一つでもしてくれただろうにそのことが何故か悲しくなった。
 クラウスが嫌いなわけではないのだけど。
「君が幸せになってくれると私は嬉しい」
 にこにこと微笑んでクラウスが言ってくれる。分かったよとスターフェイズは口にした。そんなつもりはなかったけれど、それなりに幸せと言えるような日々だった。
 たまにそれが恐ろしい



 ぴしりと頬に痛みが走った。

 特に気にするような痛みではないのにスターフェイズはそれよりと今落ちてきた電灯を見つめる。周りの方がうるさくクラウスがハンカチを手にして大丈夫かとうろうろしていた。流れ落ちるほほの血をぬぐいながらスターフェイズは大丈夫だよと少しぼんやりとしながら答えている。
 歩いていたら電灯が落ちてきた。何てことのないそれだけの話だ。いつもと変わらない事だがクラウスは毎回のように大げさにスターフェイズを心配する。最近はいつにもましてひどくクラウスはスターフェイズが大丈夫といった後もじっと見てはスターフェイズの様子をうかがっていた。クラウスだけでなく周りもみんないつもよりもずっと心配している。
 理由は分かっている。ここ最近前にもまして事故にあうことが多くなっているからだ。一日に数回電灯が落ちてくるような割と大きい事故に遭遇してしまっていた。そろそろ会社の備品代が心配になってくる。
 何故かなんて言うことは分かる筈もなく少々困っていたりもした。このままだと不運に巻き込まれてしまいそうだった。まだ大怪我をしていないものの小さな怪我なら既に何度かしていた。
 これも珍しいことだ。
 今まで大きな事故に巻き込まれても怪我をすることすらなかった。
 だからこそみんな心配してくるのだが、
 クラウスが差し出してきたハンカチを受け取り血をぬぐう。赤い血が目に映るのにクラウスが口を開いた。
「差し出がましいと思うが、スティーブン。君は一度お払いに行った方がいいのではないか。私がよい所を紹介しよう」
 ぎゅっと口元を噛みしめて心配だとその目で見つめてくるクラウス。そんな彼にスターフェイズはその必要はないよと言っていた
「大体不運なのは確かだが、お払いでどうこうなるものでもないだろう。僕は大丈夫だから」
 だがとまだまだ言いつのりそうなクラウスにスターフェイズは笑顔を向ける。僕は無宗教なんだ。悪魔だとかも信じていないよ。とその笑みと共に言ってしまえばクラウスは困ったように口元を歪ませる。それでも心配なのだろう。それはそうだろうがと言い募ってきていた。
 ここまで不運に巻き込まれるのであれば、お払いに行くという手も考えるべきなのだろうが、スターフェイズは今まで一度も行ったことがなかった。今のようにクラウスに勧められたことも何度かある。それでも行かなかった。
 その必要を感じなかったからだ。
 周りのことを思うとそうした方が良いのだろうか、どうにもやる気にはならない。大丈夫だよと笑って辞退した。今回もまた





 嫌な夢を見ている。
 夢だとすぐに分かった。
 死んだ人が目の前にいたから。過去の敵。仲間だった男。友人と思っていた人々。ばらばらの彼らの共通点は一つ、全員スターフェイズが殺した者たちだ。ライブラや世界のためとか理由をつけてただ殺すだけでなくその脳や細胞か情報も何もかも搾り取って廃人のようにして殺した。
 そんな者たちがスターフェイを見てくる。ただ静かにみてくる。
 真っ直ぐにその濁った眼を向けてみてくる。言葉は聞こえない。見てくるだけのその者たちは酷くおぞましかった。せめて何か言えと思うけど言えるわけもなくただただ見つめてくるのだ。
 耐えきれずその目から視線をそらしても視線はずっと追いかけてくる。離れることがない。徐々に死体は増えていて取り囲まれる。どれも何も言わずじっと見つめ続けてくる。おかしくなりそうでその場から逃げ出したいのに体が凍り付いたように動かなかった。
 足元が冷たい。 
 逃げることを許さないとスターフェイズの足をとらえている。そして死体が見つめてくるけれどその目はスターフェイズを映しもしないのだ。それなのにじっと見てくる。
我も忘れてすべて凍り付かせたくなった時、唐突にスターフェイズは暖かいものに包まれた。
 暖かいと感じたのは一瞬。次の瞬間には暑いと感じていた。皮膚が解けて焼けてしまいそうだと。
 目の前が赤く染まる。それを綺麗だと思った。どうせならこんな火で死にたいとまで思う。だが、スターフェイズが燃えることはなく熱い火は一瞬のうちにスターフェイズの周りにいた大量の死体を焼き払って消えてしまっていた。焼けていくその姿すらも見えなかった。
 あたりには何一つなくなっている。
 足元の冷たい気配も消えていた。
 暖かい何かがスターフェイズの目元を覆った。



 はっと起きた時、スターフェイズは一瞬、そこがどこだか分からなかった。そしてすぐに思い出す。ここはホテルの一室で娘と来ていたのだった。
 何もやましいことはない。以前のスターフェイズはホテルなんて殆どとそう言う目的でしか使わなかったが、今回は使った。
 デートの途中であったもののそのようなことはしていない。ただ横になっていただけだ。しかも娘はベッドから離れた場所にあるテーブルの所で腰かけている。
 奇妙な状況だがこれは娘から言い出したことであった。
 デートの待ち合わせについた時、彼女はスターフェイズの顔をしばらく見て。顔をしかめ寝不足なら寝た方がいいわよと言っていたのだ。事実ではあるものの顔に出ているとは思わなかったスターフェイズは驚き、大丈夫だというのが遅れた。その前に娘はホテルに行きましょう。そこで寝た方がいいとホテルに向かい歩き出していたのだ。
 大丈夫せっかくのデート何だと遅れて声をかけたものの良いの寝て頂戴と言われホテルに。
 そして娘はスターフェイズにベッドに入るように言いつけ自分はテーブルの所に腰かけたのだ。一人でないと眠れない性質のスターフェイズは僕一人だと君に申し訳ないから、せめて一緒にと娘を誘っていた。どうせ眠れないなら娘を寝させてその後眠ったことにしようと思ったのだが、娘は私はここにいるから大丈夫と断った。ここにいるから。ここから動かないから寝て頂戴と言ってスターフェイズから目を背けたのだった。
 寝ないと納得しなさそうだと分かったスターフェイズは眠ったふりをしようと目を閉ざした。人の気配を感じ眠れるわけもないと思っていたのになぜか体がじんわりと暖かくなっていき、気付けば寝てしまっていたのだ。

 眠れたのも不思議なら見た夢も不思議なものだった。
 良く覚えてはいないがいつものような夢だった。夢なんて目覚めればすぐ忘れてしまうものだが、何度も見続けてしまってうっすらと覚えてしまった夢。だけど最後がいつもと違ったように思えた。夢見たわりには目覚めも良い。
 はぁとため息をついて起きなかった。
 娘の姿をみたら娘の言った通りそこから動いていなかった。その場にいてスターフェイズのことを見ている。ただスターフェイズをみているかどうかはあやしかった。その目に写りこんでいるものの娘はスターフェイズのことをどうでも良いようにある一点だけをじっと見ていた。
 その表情は恍惚としており、そして幸せそうに微笑んでいる。
 娘は時折こんな顔をした。
 こんな顔をしてスターフェイズを、スターフェイズでないどこかをみてくる。何を見ているのかなんて聞いたことはない。好きなようにだけさせていた。
 暫くして娘の目がスターフェイズを見た。一瞬驚いて起きたのねとすぐに取り繕う。
 今日はここでゆっくりしていきましょうと娘は行っておなかがすいたわとルームサービスを広げた。時計を見るとずいぶん良い時間になっていた。
 何を食べたい。どれも美味しそう。といいながら彼女が近づいてくることはなくスターフェイズが自分から来るのを待っている。スターフェイズが立ち上がるのにそっとルームサービスのメニューを机のはしにおく。
 気の利く女であった。
 決して求めずほどよい距離をとろうとする。スターフェイズはメニューにてを伸ばしながらどうしてと聞いた。どうしてそんなに優しくしてくれるんだい。君は何を求めているのと。娘はその目を見開いた後、ふっと笑った。
 なにかを嘲るような笑みでありながらその目は幸せそうだった。
 好きなのよと言ったその目はスターフェイズを見ない。
「好きだから。とても好きだから。幸せになってもらいたいの。それしか望めないから……だから幸せになって欲しいの」
 蕩けるような顔で彼女は微笑む。どこか寂しそうだった。
 その笑みは美しく見えて貴方って酷い人よねとそんな声が聞こえなかった。




 俺ちゃんこんなんでもあんたに幸せになってもらいたいんですよ

 そんなことを言ってきたのはいつだっただろうか。遠い昔、記憶のなかであることだけは確かである。でもセックスをするような関係になるより前だったか、彼に後輩ができた後だったかそんなところが曖昧だった。でも確かに言われた。
 あんたは幸せになってもいいとおもうんすよね。
 酔っていた。
 ザップもスターフェイズもそれで二人だけだった。ライブラで定期的に行われるパーティーの最中だったか。そのときはみんな別のところで話していて近くにいたのはザップとスターフェイズだけ。誰も近寄ってきそうもない二人だけの空間。なかなかお目にかかれないほど褐色の肌を真っ赤にさせた男を見ながらそろそろ飲ませない方が良いだろうか。何て考えていた。考えるだけで止めるきはなかったように思う。
 手にしていた酒を飲んでぼんやりと男を見ていた。ザップはおとなしく机の上に上半身を預けながら飲んでいる。ぽやぽやとした目でスターフェイズを見てきて、笑う。その笑みはまるであどけない子供のようであった。
 そうして言ったのだ。
 あんたに幸せになって欲しいと
 心底驚いたと思う。そんなことを思われていたなどと思ってもいなかったから。驚きながらザップを見るとザップはもう眠っていた。
 置き去りにされたスターフェイズは何なんだと悪態をついて、酒を煽り、恐る恐る触れたその頬はとても暑かった。
 




「さあ、兄さんにはあまりあいませんからね。あの人約束しても破ることが多いんですよ。連絡もこちらが送らないと寄越さないし、送っても無視されることもありますから。
 今は元気かどうかも分からないんですよ。でも昔から頑丈な人なので大丈夫だとは思いますけどね。心配することと言ったら来年こそ卒業してくれるか。寝過ぎてないかぐらいですよ。
 はい? ああ、あの人昔からどこでも寝てしまう癖があるんです。一度寝るとなかなか起きなくて。病気かなんかじゃないのかって心配したこともあったんですが、本人が違うと言うので違うのでしょう
 そう言えばどうしてこんなことを」
 君の兄はどうしているだろうかと聞いたスターフェイズツェッドが話した内容は後半は驚くことだったが前半はあいつらしいと思えるようなことであった。首を傾けているツェッドに留年すると言う話だから落ち込んでないか心配になってね。友人の息子が病気で留年することが決まって落ち込んでる話を昨日聞いたからとそんな風に答え、スターフェイズはため息をついた。
 何を聞いてしまったのだろうと後からやって来る後悔。
 褐色の姿を奥に押し込んでいつも通りの日々を装うとした。




 スターフェイズの少し目の前で男が一人泣き叫んでいるのを何だこれはとスターフェイズは呆然と見ていた
 ザップさんザップさんと何もない場所を見つめながら死ぬなとわめいている。

 その日は何となく遠出をしたい気分なんだ。と言ったスターフェイズの言葉により普段は行かないような場所にまで昼飯を食べに来ていた。
 昼食を食べた後、何となく帰りたくなくてぐだぐだとしていた所に車の事故が起こったのだ。
 ちょっと車が突っ込んでくるようなそんな事故なら良かった。良くはないがいつものことだ。
 だが今日はいつもと違って、最初は一台車が飛んできただけだ。周りに怪我人がいないことを確認してすぐにその場をさろうとした所、もう一台追いかけるように飛び込んできたのだ。割れた窓ガラスの音が上からも聞こえて。
 それらは当たるように思えた。クラウスが咄嗟にてをのばしているのが横目で見えたがスターフェイズ自らが動くことはできなかった。氷に足をからめとられたように動けなくなる。
 前と上から来るものをみてこれはまずいと思っていたのに、ふっと次の瞬間、スターフェイズの体は何かに突き飛ばされていた。
 何かにぶつかるような破裂音にガラスが地面に叩きつけられた音。
 突き飛ばされた体はクラウスによって支えられていた。スターフェイズが顔を上げるのに壁に激突した車と地面に突き刺さる砕かれたガラスの破片が見える。誰かに突き飛ばされたとスターフェイズは感じたのにそこには誰もいなかった。
 ほっとしたのもつかの間。誰かが弾丸のように先程までスターフェイズが居た場所にむかいかけてきた。その誰かはザップさんと思い続けた名前を叫んでいる。
 ザップさんと上げる声は切羽詰まった悲壮なものだった。ボロボロと誰か、男の頬に涙が流れている。膝をついて見えないなにかを懸命に揺さぶっていた。突然はじまったパントマイムを不審な目で周りが見ていた。壊れた車から降りてきた男も呆然とその姿を見ていた。
 怪我はしてないようだった。そんなことを視線のわきで確認しながらスターフェイズは泣き叫んでいる人を見ていた。クラウスやスターフェイズよりも小柄なその人を見たことがあった。前世の話だ
 前世でザップと一番仲が良かった男。
 その男が必死な顔でザップの名前を叫んでいた。
「あんた、何してんですか! こんなことで死ぬなんてそんなこと許されると思っているんですか!」
 少年が叫んでいるのにスターフェイズの肝はぞっと冷えた。褐色の男の姿が脳裏をよぎる。その男がまるでその場にいるかのように少年は叫んでいる。
「こんなとこでこんな形でしぬなんてふざけんなよ!あんたマジで何してんですか!止まれよ!止まれよ、血! 何で流れんだよ、怪我すんだよ! さっさと回復しろよ! あんた霊だろ! つうか怪我何てすんなよ!」
 必死になりながら少年は見えない何かを塞ごうとしていた。息を止めて少年の手を見るが、そこにはなにも見えなかった。
 そう言えば少年は神々の義眼と呼ばれる不思議な目を持っていた。この世のありとあらゆるものを見つめる目。その目をもっていた少年だ。何か見えないものを見えていて、
 その目は何かを視ているようだった。
 ザップと少年が叫んだ。
「死んでみろ! あんたのことぜんぶスターフェイズさんって人に話すからな! 全部全部話してやる!」
 突然叫ばれた己の名前にスターフェイズの心臓は止まりかけた。なにをと思って少年を見つめるとクラウスがスターフェイズの肩を掴んでくる。知り合いかと見つめてこられるのに返事はできない。
「んなことしりませんよ。勝手にしんじまうようなあんたが悪いんでしょうが。それが嫌なら生きろよ! あんた俺の言うことなんて全然聞いてくんないから言わなかっただけで俺に言わせたらあんたも大概なんだよ!なにが幸せになんなくちゃだめだよ。なにがあの人だけは幸せにするだよ。それであんたが死ぬなんて僕からしたら最悪ですからね。スターフェイズさんがどんな素敵な人かなんて僕は知りゃあしないんですよ。僕にとったらあんたの方が幸せになって欲しい大切な人なんですよ
 そりゃあ屑だし、女癖悪いし人の言うこと聞かねえは、さんざん振り回してきても悪びれもしねえどうしようもない屑だけど、何だかんだで好きで死んで欲しくないんですよ。幸せになって欲しいんです
 だからバカなこと言わないでくださいよ。生きてくださいよ。
 だから知らないつってんでしょ。ほんとバカなこと言うなよ! 俺からしたらスターフェイズさんの方が屑ですから。ザップさんにさんざんやなもの押し付けるだけ押し付けていっちまいやがったただの屑だから」
 少年の言葉がスターフェイズの胸にはずっくりおもく刺さった。それは自覚があることだった。こんなところまで来てしまったことを含めるてかなりのバカで屑だと思う。それでも
「少年。そこにザップがいるのかい
 堪らなくなって声をかけていた。
 えっと泣きじゃくっていた少年がスターフェイズを見上げる。その目が見開いてもしかしてスターフェイズさんとと問いかけてはその顔をグシャグシャに歪ませる。何でどうしてといいながらあんた俺のこと分かるんですか。だったらお願いですと叫ぶ。


「ザップさんの体持ってきてください。じゃないとザっプサンが」

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