「貴方はまだ特別を知らないだけなのよ」

 ジェシカもトレイシーもザップにとっては全員特別だった。可愛かったり美人だったり胸が大きかったり優しかったり理由は様々だが、好きになったから付き合って一夜を共にする関係になった。そこに愛の大きさなんてなくて全員がザップは特別だった、
 全員が全員好きなだけなのだ。
 それの何がいけないのだろうか。みんな大好きなだけなのに何故浮気と言われるのだろうかと何度目かの修羅場を体験したザップはぽつりと溢した。
 何度痛い目を見ても懲りることはない。だって全員好きだから。会いたいと連絡が入れば会いに行くし、会いたいと思った人に会いに行く。それがザップの愛し方なのだ。不誠実なつもりはない、一人一人ちゃんと愛している。それなのに周りはそれを悪いとなじるのだ。一体どうしてと口元をへの字に曲げるのにくすくすとベッドの上で聞いていた女は笑みをこぼした。
 長い黒髪が綺麗な女だ。大人の妖艶さを持った女はザップの女遊びを非難したことは一度もなかった。それはとても居心地の良いことであった。それでもその女一人の元に通い詰めることはない。
 咎めて泣き叫ぶ女の元にも、分かっているのにその度怒り刃物を持ち出してくる女の元にもザップは通う。だって好きだから。ちゃんと特別だから。
 その他大勢に向ける感情とは違うものを向けている。その筈だった。
 それなのに女は言うのだ。
 それは特別ではないのよと。ザップは鼻で笑った。ちゃんと特別だと言った。特別に好きなんだと。女の子たちの好きなところを訥々と語った。どんな所が可愛らしくて、どんな所が美しくて、どんな所が好きなのか。誠実に時にいやらしさも混ぜて話すのにそれでも女は笑って、それは特別ではないのよと言った。
「貴方はまだ特別がどんなものか知らないの」



 ぱちりと目を覚ましたザップは獣のような動きで目覚めていた。布団を落としながら立ち上がり、部屋の中を見渡す。部屋にはザップ以外誰もいなかった。女も一人もいない。あーーと起き上がった時とは反対の緩慢な動作で頭を掻きむしりながら、ザップは夢の内容を思い出した。
 今から二年ほど前の出来事だろうか。
 物覚えのあまり良くないザップはとっくの昔に忘れてしまっていた。言われた当初はどういうことかとザップにしては長く二三日は考え続けたと言うのに。ライブラに入って一年もたってなかったが珍しくザップが思い悩んでいると仲間内にも散々心配された。
 多くいたからかってくるものを撃退するうちに忘れてしまい、思い出すこともなくなっていたのだ。
 そんな在りし日の過去を思い出してザップはゆっくりと首を傾ける。
 なんでまたこんな夢を見たんだ。ザップの口から出ていく言葉。それを聞く者はいない。返事のない静かな時間が過ぎていくだけだ。考え込むのにザップの腹がなった。
 考えるのを止めてその辺に落ちている服を手にする。着こみながら鳴り響く腹を見下ろした。女の家ややり部屋であれば摘まめる程度には何かがあるはずだが、残念ながらザップがいるのはやり部屋ではないザップの自宅のようなものだった。どうしても女が捕まらなかった時に寝るだけの部屋だから気の利いたものは何もない。仮にも自宅だと言うのに服すらなかった。かろうじてあるのは布団だけ、
 長い事使われず埃が溜まっていただろう布団を見下ろす。久しぶりに使った布団は固くて寝心地が悪かった。適当に買った安物の布団だ。やっぱこの部屋で寝るもんじゃないなと思いながら足を動かして部屋を出ていく。部屋の鍵なんてものはなくしてしまっているのでお得意の血法で一応閉める。盗まれるものの等なにひとつありはしないが知らぬ間に他人に入られるのはさすがのザップも遠慮しておきたかった。
 大きなあくびをこぼしながらランブレッタに乗り込んでまずは腹ごなしをしに向かった。


 むっくりと起き上がったザップはあーーーと盛大な声を吐きだしていた。ぐるぐると腹が嫌な音を立てている。埃の嫌なにおいが鼻についた。
何でこんなことにとうなだれながらその辺に落ちていた服を拾った。


「そう言えばザップさん」
レオナルドに名前を呼ばれたのにザップは適当に返事をした。その目はレオナルドではなく手元の小さな画面を見ている。それはレオナルドも同じで、その他周りにいるツェッドやギルベルトも同じだった。ライブラの建物の中に集まりながら四人はゲームに精を出しているのだ。その奥ではスティーブンが書類仕事をしており、さらに奥でクラウスが四人がしているのとは違うゲームに興じている。
 唯一仕事をまじめにしているスティーブンがいつきれても許されるような環境だが、今までもよくあった光景過ぎて誰ももう気にしていなかった。一応区切りがついた度、レオナルドやツェッドは何かできることがないか気にし、ギルベルトは飲み物のお代わりを入れたりとしているが、ザップはソファに座って次のゲームをしようと騒ぐだけ。それでも今日は一度も怒られていないからやりすぎても良い日だろうとみんなゲームに夢中になっていた。
 そんな最中に何かを思い出したようにザップに向けて声をかけたレオナルド。ザップは興味なさそうに受け答えしたが、すぐにそうも言ってられなくなっていた。
「最近夜遊びの話聞きませんけど、大丈夫なんですか。あんた毎週の如く女の家を追い出されてたじゃないですか、ちゃんと眠れって、って、ああああああ! ちょあんた急に死なないでくださいよ。あんたが運ぶっていうから任せてたのに今のでアイテム落ちっちゃったじゃないすか。もう一回やり直しですよ! 折角後少しだったのに」
「うせっ! お前が余計なこと言ってくるからじゃねえか、この陰毛」
「せめて頭つけろや」
 レオナルドの言葉は最後まで続かなかった。それより小さい画面の中で起きた出来事に釘付けになる。致命的なミスをしてくれたザップに怒鳴るがどうにかしようとその目はゲームに向いたまま。同じくゲームを向いたままザップも怒鳴り返していた。その言葉に再び怒鳴り返した後、ああああ!と二人から上がる声。微妙にツェッドのものも混じっていた。肩を落とす三人。四人の画面にはgameoverの文字がそれぞれ写し出されている。もう一回と良いながらレオナルドはあれと首を傾けていた。
「っていうか、なんすか。その反応まじでなんかあったんすか。また刺されたりしてないでしょうね」
「……ちげえよ」
 ふいと顔を背けるザップ。レオナルドだけでなくツェッドやギルベルドの視線までザップに向いていた。視線から逃れるようにさらに顔を背けると不意に鳶色の瞳と目があった。
 ばっと別方向に顔をそらす。
「最近、大人しいと思っていましたがまたなにやらかしていたんですか」
「なにもやってねえよ!」
 はぁとため息をついたツェッドが呆れた目でザップを見つめてくる。ギャアギャアと騒ぐのにじゃあなんなんすかとレオナルドが聞いている。ぐっと喉の奥でつまるなにか。目線をそらして何でもねえよと言うものの何でもないようには見えなかった。じっと二人の視線が集まる。
 ゲームへの集中が途切れているのに何時のまにやらギルベルトは飲み物をいれに席を立っていた。
「まさかとは思いますけど本命に絞ったとかですか」
「レオ君そうであってくれたならどれ程嬉しいか言葉では言い尽くせませんが、残念ながらこの兄弟子に限ってそんなことはありえませんよ」
「そうですよね、ザップさんに限ってそんな、……ってあんたなんつう顔してんすか」
 答えないザップに痺れを切らして胡乱な眼差しのレオナルドが呟く。答えたのはツェッドだった。言いながら嘆かわしいと頭を振る。それもそうかとレオナルドも頷いていた。そのすぐあとザップを見たレオナルドから驚きにも呆れにも聞こえる声がでていた。ぽかんと口を開けてしまう。レオナルドの言葉にザップをみたツェッドもそうであった。
 二人の目に映るのは褐色の肌でありながらすぐ分かるぐらいに赤らめているザップの姿である。何でもねえよとすぐに叫んでいるが何でもないもののかおをしていない。
 おやおやと飲み物を運んできたギルベルトが穏やかに笑った
「あんた、まさか、まじなんすか。まじで本命出来たんすか」
「ば、ば、バカ言ってんじゃねえぞ。この陰毛頭。この俺に限って本命とかそんなんありえるわけねえだろ。つうか俺ちゃんにとっては全員本命だつーの。みんな好きなんだよ」
「どんだけどもってんすか。絶対いるじゃん」
「まさか兄弟子に……明日は槍でも、否、槍なんかでは足りませんね。核爆段でも降ってくるんでしょうか。レオ君は今日は帰らない方がいいですよ」
 そうすねとひきつったレオナルドの声がツェッドの言葉に返していた。信じられないと二人ともザップを見つめてる。赤くなったザップは違うと言って暴れているが はなかった。
 引いたように暫く見つめていたがそのうち二人のなかに好奇心が芽生えだしていた。多少なりとも興味を抱いていたレオナルドだけでなく、今にも倒れそうだったツェッドもザップの本命がきになり出している。
「それで誰なんすか。その本命って」
 聞いたのはレオナルドだ。部屋のなかがシーンと静まり返ったようなそんな感覚に陥りながらレオナルドもツェッドもザップを見守る。同じような感覚のなかにいながらもザップの方はあああと声がでる限り叫びだしたい衝動が溢れたが、そうなったら最後部屋にいる全員の気を引くことになる。ぐっと喉の奥で衝動を押さえ込む。
 もう無意味なのだけど。
 この騒動に気付いてないのなんて一人ぐらいだ。
「知らねえよ。つうかホンメイなんて」
「いやいや、もう無理すっよ。そんな顔しといていねぇとか絶対ないっすから」
「どんな顔だよ」
「そりゃあ」
 ザップの怒鳴りに腹が立つことにレオナルドとツェッドが顔を見合わせた。どうぞと机の上に紅茶を差し出してくるギルベルトはにっこりと笑っている
「目茶苦茶真っ赤で恋してるんだって顔ですけど」
 代表してレオナルドが言った。ザップの口があんぐりと開く。もうそう言う色なんじゃないかと思うほどその頬は赤い。
「ば、バカいってんじゃねえよ! 恋なんてしてねえし!勝手にシャーロットの奴が言ってるだけで」
「? って誰すか。あんたの本命ですか」
「ちげえよ。そうじゃなくて、ああもう!!」
 ザップの手が乱暴に己の頭皮を掻きむしった。じっと見つめてくる視線たちから逃れるように俯せでソファの上にたおれこんでは顔を上げてまたかきむしる。
 そんな動きを何度か繰り返した後にザップの体は力をなくし、ソファの上動かなくなった。観念したのかその口がいつになく小さな声で言葉を紡いでいく
「シャーロットの奴が俺に特別が出来たとか訳わかんねえこと言ってくんだよ。その人が特別に好きとかでも俺にはそー言う奴はいねえの。俺ちゃんはみんな好きだからな。
 それなのに他のチェルシーやステラとかも俺が他の人好きになったんだとか、だから私のこと抱けなくなったのとか、他の人のことみながら相手してるでしょとか言ってきてよ。他の人が好きならもう来ないでって全員俺のこと追い出してきたんだよ。
酷くねぇ。俺にはそんな相手いねぇって言うのにさ。何なんだよどいつもこいつも!」
 途中まで小さかった声は話していくうちにどんどん苛立ちだし大きくなっていた。ばんと手をついて起き上がる体。同調を求めるようにザップの目はレオナルドやツェッドを見た。だが二人の目には呆れた色はあってもザップが求めるものはない
「それ、あんたが気付いてないだけでまじでいるんじゃないすか。そうでもないとそんな全員に言われるなんてないでしょう」
「もしくは全員に愛想をつかされたかですね」
 二人の言葉にザップは再びソファの上に沈む。ツェッドの言葉よりレオナルドの言葉の方がダメージが大きいのが、余計に辛かった。後輩に弟弟子たちはまだ追い討ちを掛けてくる。それにギルベルトまで混じっていた。
「誰かいないんすか。気になっている人とか」
「恋をするとその人のことをつい目で追ってしまうと言いますな」
「見たり話したりしたら無意識に血液の流れが早くなったりする人いないんですか。普段の血液の流れぐらい貴方なら把握してるでしょう」
 三人の言葉がそれぞれザップの胸を刺す。ソファに横たわっている体が震えた。
 その数秒後

「だからいねえって言ってんだろうが!」
 今日一番の大声を上げで音速猿も驚愕のはやさで起き上がったザップが部屋の外に逃げ出していた。顔に傷のついた男が咎めるように目を眇めているのが目に入った。



「……何かあったのだろうか」
 ようやっと事態に気付いたリーダーが大きく開け放たれた扉を見てレオナルドたちに聞いたが、全員首を振るだけだった。





だああああああああああああああああああああああ

 喉が焼け切れるんじゃないかと言うぐらい叫んで漸くザップは大人しくなっていた。部屋から少し離れたぐらいの廊下で頭を抱えて踞る。その周辺は壁や物が傷だらけになって散乱していた。
 ぐるぐると回るザップの頭のなかに僅かに怒られるというその言葉があった。
 にっこりとそんな音が聞こえてきそうなほど優雅に細められた鳶色の瞳が思い浮かんでザップの背に冷たいものが走る。ぶるぶると首を振りながらため息を吐き出しては、頭をかく。端から見たら変な人だった。
 あーーとでていく声。
 手で顔を押さえる。その隙間から見えるのは赤色であった。
 鳶色がまたザップの脳裏に浮かんでいた。今度は笑っていない。静かな目で穏やかに見つめてきている。ザップの体が踞ったままぐにゃんぐにゃんと揺れた。まるで軟体動物のようだ。
 そんなザップはレオナルドの言葉や女たちの言葉が浮かんでいる。
 一体誰のこと考えてるのよ。よく見る人が誰か考えてみたら。私じゃない人のこと考えているでしょう。誰とセックスしているつもりなの。誰の声を聞きたいの。誰といるつもり。
 ふうーーん。この色を持つ人が好きなのね。どんな奴なのよ
 があああとまったザップから大きな声がでた。身悶えして叫ぶ。リリーが手にしていたマニキュアの小瓶には赤い色が入っていた。
 それは部屋にでる前最後に目についた色で……

「ぜっていちげえええええええ!」



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