愛とは


物凄く気に入らない上司と同居することになったのはもう数年前。なぜかと問われればなぜだと俺が問い返したい。すべての失敗はその気に入らない上司と寝てしまったことだろう。
 そこに愛とか恋とか甘いものはなかったと断言できる。
 いつでもどこでも顔を見れば殴りたくなる嫌な上司だ。そんなものあるはずもない。ならなぜ寝たのかと言われれば、何となく雰囲気でとしか答えられない。あの上司とそんな雰囲気になること自体あり得ない、信じたくないことだが、なってしまったのだからもはや仕方ない。何度も何度も自分を殴り殺したくなるほどの後悔を続けているが時すでに遅しだ。後悔は後からするから後悔なのだと。そんな分かりきったどうでもいいことを何十回というほど思った。しかもそんなに後悔をし続けながらも寝るのは最初の一度だけではすまなかった。
 最初の一度だけですんでいたら同居することもなかったんだろうなと、それこそもう何百回も考えた。後悔と言うにさえ生ぬるい。頭が痛くなって吐きそうになるまでどうしてと考えたこともある。だがそれでもどうしても上司と寝ることだけはやめられなかった。
 そこに愛とか恋とかはない。
 ただ何となくそんな雰囲気になって、そしてそのまま何となくそれが繰り返されているだけなのだ。訳のわからない雰囲気に流されるまま。しいてわかりやすい理由を一つあげるとしたらそれは体の相性が良かったぐらいだ。そんな理由で何となく一週間に一度の割合で寝続けているうちに気づけば同居するようにもなっしまっていた。
 三度目になるがそこにはやはり愛も恋もない。
 ただただ流れだ。お互い三十路もこえ、それなのに結婚する様子も見せなかったらいつの間にかこんなことになっていただけだった。
 そして同居しだしてから数年、俺は迷っていた。
 別に同居していることへの悩みとかではない。そんなものもう数年ずっと考え続けて悩みでもなんでもなくなってしまった。俺が悩んでいるのは最近の上司の様子が何処かおかしいからだった。
 アーサー。そんな男みたいな名前をした上司(♀)は卓越した手腕に勝ち気と言うよりもはや尊大不遜なわがままな性格の名前と同じ男のような奴だった。素手で喧嘩しても俺に勝つような性別を間違えたとしか思えない存在。そんな奴だからなのか上司は一緒に暮らす生活の中に恥じらいと言うものを見せない。風呂上りは平気で上半身は下着だけきた状況ででてくるうえ、平気で替えのシャンプーやらボディーソープやら風呂場の中まで持ってこさせる。自分のことに無頓着な奴なので放っておけば仕事着のスーツ等以外は下着でもなんでも擦りきれるまではくうえにギリギリになるまで買いにいかないのだが、それを注意すれば何故か服の整理から購入まで全部オレの仕事になった。下着もだ。その上、同居してすぐの頃からトイレにある生理用のゴミ箱のごみ捨てまでさせられている。恥じらえ女子。これだから上司のことを俺は女だとは思えないのだ。
 まあ、結婚してからは色々明け透けになっていくとは言うが、同居して数か月もしないうちにこれだからな。そもそも同居はしても結婚はしてないし付き合ってすら居ない。だから何でもない顔して「あ、今週俺生理だからごみ捨てよろしくな」とか朝食の席で言ってくるんじゃねえよ。お陰で目玉焼きが焦げそうになったわ。
 ちなみに俺と上司の同居生活での家事の分担はほぼすべて俺が担っている。上司は女の癖に料理は出来ないし洗濯も苦手だ。掃除もあまり得意とは言い難い。仕事などには有り余るような気力を傾けているのだが、こと自分に関してはとことん無頓着無気力でまあ、食べれて服着れて住めれて生きていければ良い様な感じなのでそれも仕方あるまい。と思えるようになるまではだいぶかかった。本当にこいつは女なのかとも何十回も思った。最初の頃は何で俺がこんなにしなくちゃならないんだと思ったが、一度やらせてみて大惨事になったから諦めた。それにただの一部下にすぎない俺に比べて上司は大変忙しい。朝は大体一時間は早く仕事に行くし、夜は夜で帰ってくるのは二、三時間後だ。休みの日も俺なんかより圧倒的に少ない。なのでまあ俺が家事係でも仕方ないかななんて思っている。一年かけてやっと思えるようになった。
 そんなこんなで俺がほぼ家事を担当している訳だが、そのおかげでここ最近上司の様子が変な事にも気付いてしまった。不覚だ。気付かなければあんな腐れ上司の事で悩む必要なんてできなかったのに。 何故気付いてしまったのか。家事なんてしなければ良かった。あれでも一応女なんだから上司に押し付けてしまえば良かったんだと何年かぶりかに思ったほどには最悪の気分だった。
 そんなに言うなら心配なんてしなければ良いとも思うのだが、何故かそうもいられない。いや、心配している訳ではないんだがな。
 で、肝心の上司の様子おかしいと言う問題だが、それに気づいたのはまずはごみのせいだった。おかしいと思い始めたのは普通の燃えるゴミからだった。気付いたらどうにもゴミの量が普段の量よりかなり多くなっていたのだ。最初は気のせいかとも思う量だったが、少しずつだが日ごとに増してくるゴミの量に気のせいとも言えなくなった。初めの頃は特に気にしなかったが、続くと気になってしまうのが人の性。
 例え後で後悔することになるだろうと分かりながらも好奇心には勝ってなかった。そうしてちょっと覗いてみたごみ袋の中捨てられていたのは小さめのごみ袋に纏められた食べ物だった。なんと言うかぐちゃぐちゃながらもメニュー的に見覚えのあるような感じの……。ふざけんなよと疲れて寝ているであろう上司を殴り起こしたくなった俺は悪くないと思う。上司のぶんのご飯はもう二度と作らねぇと思う横でさらに漁って見つかったのは今度はレモンやオレンジなどの柑橘系の袋や皮、それに栄養ゼリー等が入った袋だった。血管が切れそうになったのは言うまでもない。しかもご丁寧にそのどれもがごみ袋の奥の奥漁らないと見付けられないような形で捨てられていたから余計に腹が立った。明日絶対殴ると心に誓ってその日のごみ袋漁りは終了した。
 そしてその翌日、上司を殴ったかと言うと殴れなかった。ついこいつ何で食べてないんだよとか思って早朝朝飯を食べる姿を観察してしまったのが間違いだった。よくよく見ると上司は起きたときから何処か気だるげな上、よく口元を抑えては何かを耐えるようにして食べていた。気付かれないようにしているが顔色も悪く苦しげだった。さすがに体調を崩している女性を殴るようなことは例え上司といえども出来なかった。普段女子だとは一欠片も思っていなかろうと出来なかった。観察するんじゃなかったと後悔したのは当たり前のことだ。
 この最悪の上司と一緒に居るとどうしても毎日のように後悔してしまう。そもそも一緒に居ること自体後悔してもしきれないことなのだから仕方ないことなのだろう。もう諦めた。
 それから数日ぐらいしたときまた新たに一つ上司がおかしいことに気付いた。それもまたゴミだった。ただ今度のは普通の普段から出すごみではなく、一ヶ月に一度、女子だけがだすごみの方だった。ある朝、何時ものように上司からひと言「あ、俺今生理だからごみは頼んだ」。鮭の切り身を口にいれようとしている姿で言われた。毎度のことながら少しは恥じらいを持ってと思いながらも俺は頷くだけですませた。何を言っても無駄なのがこの上司だ。
 何時ものように上司が行った後に部屋をさっと片付けてゴミを纏める。トイレのゴミも纏めようとして朝言われたことを思い出す。そしてそこでふっと気付いた。生理が始まるまでまだ一週間は早いと。本人は自分のことに無頓着なので気付いていないのだろうが、上司の生理周期はまるで機械のように正確に回っている。それゆえ毎月ごみ捨てをする俺の方もその生理周期を覚えてしまっていたのだ。大変不本意ながらではあるが。
 だが一週間早いぐらいではまだ別になんとも思わなかった。体調の変化や精神的な不調などでも生理周期は乱れたりすると言うことは知っていたからな。最近の上司は隠してこそ居るがずっと本調子ではなかったのでちょっと崩れたのだろうと思う程度だった。が、ごみを捨てようとゴミ箱を見たときその認識は変わる。ゴミ箱の中はやけに綺麗だったのだ。ゴミはちゃんと入っている。だがそれはどこか小綺麗な作ったような入り方をしていた。こうナプキンというやつは一応のマナーと言うやつなのか普段から綺麗にティッシュなどに包まれて捨てられてはいるが、それがどうも意図的な感じだった。何というか普段はどれだけ綺麗に包まれていようが、何処か使った感じを感じさせるし、汚れている部分が見えていたりもするのだが、その時はそれがなかった。その上妙に軽かった。こういう話はあまりしたくはないのだが、その女のごみというやつはやはり大量の血を吸っているのもあってそれなりに重さが変わったりするのだ。だが、捨てられたゴミはどれもこれも軽く新品のようだった。ちなみになぜ比較できるのかというとそれも全部バカ上司のせいであり、俺が変態だからではない事は明記しておく。
 何のつもりでこんな小細工を施すのか、ついでに最近の変な様子についても聞こうと思ったがすべて徒労に終わった。
 朝、いつも通りの時間に起きてきて、いつも通りに席に着いて、いつも通りの様子で朝食を食べ出した上司。その姿を見てから昨日のごみ捨てたんだけどよ、と話しかければいつも通りは霧散した。急に箸を置いた上司はああ、あれか。ありがとう。そう言えば、今日は急ぎの用事があったことを思い出した。何てあからさまな嘘を早口で捲し立てた。はっ? と固まった俺を他所にさっさと食器を洗いに運ぶとじゃあ、行ってくるなんて玄関に向かっている。
 ハッだハッ?
 何言ってんだ、コイツ。バカなのか? と思ってしまったのは仕方ないと思いたい。急ぎの用事ってなんだ。そんなものが本当にあるならもうすでにトリスタン辺りが迎えに来ている筈だろうが。しかも焦ったせいなのか何なのかしらないが普段洗い場に持っていきもしないくせに何故今日は持っていく。ついでに言うと出ていこうとしているがまだ顔洗ってないぞ。いつも食べてからやってるだろうが。
 本当なんなんだ。
 嘘だって分かりやすすぎるだろう。
 いきなりのことで呆気にとられるわ、呆れるわで反応が遅れてしまった。おい、待ってよといった時には奴はもう外だ。車も来てないのだろうし追い掛ければ捕まえることは出来た。が、そこまでするのは面倒で結局その時は追求を諦めた。一緒に住んでるのだ。嫌でも顔を合わせるときはくるだろうと思っての判断だった。
 のだが、それが間違いだったとそれからしばらくして知ることになる。
 その日から二週間今日までクソ上司とは一度も会えていないのだ。家には一応帰ってきてるらしいものの俺が夜勤の時とかそう言うときにだけ帰ってきているようで会うことはない。仕事でも一切顔を会わせない。仕事の報告は全部他のやつらに押し付けて俺と会うことを拒んでいる。お陰で他のやつらからまた喧嘩したのかよ、いい加減にしとけよな。早く謝れよ等と口うるさく言われて仕方ない。しかも一部の上司廚には視線で人が殺せるんじゃないかと思うほどの目で見られる。そろそろ我慢の限界だ。
 最初の一週間こそ会えないなら会えないでそれで良いと思っていた。クソ上司野郎にこれ以上振り回されるのなんざゴメンだ。俺は俺で一人の日々を好きに過ごさせてもらうぜ。何て思って実際それなりに好きにしていた。帰ってこないのを良いことに俺も夜遅くまで遊びに出掛けて、可愛い女の子をナンパしては朝帰り。ご飯は殆ど外食で、家にいるのは一日数時間、ほぼ寝るだけ。そんな上司と暮らすようになる前のときみたいな生活をしてはそれなりに楽しもうとした。
 だが、何をするにもアイツの顔が浮かんでは邪魔をした。あの何もかも見透かすような気に入らない金の目がじっと俺を見る。そんな姿が浮かんできては俺のヤル気を殺いでいく。そのうえここ数日のアイツの様子や、たまにくるアイツの姿だとかが次々、思い浮かんでは俺を乱した。
 耐えられなくなるのにそう時間はかからなかった。
 上司と会わなくなってから二週間ほどたった今日。今から俺は上司に会いに行く。
 正攻法で行ったところで会って貰えないのは自明之理。だからプライドも打ち捨て、財布に高い犠牲も払ったすえにパーシヴァルを買収成功。昨日から一日出張だった俺はパーシヴァルに向こうの予定で一日遅れると嘘の報告を伝えてもらう。そして実際には予定通りに帰った俺は気付かれない用、家から少し離れた場所で家の電気がつくのを待った。もう四日は家に帰ってきてない筈の上司がこの機会を見逃すとは思えない。予想通りほどなくして家の明かりはつく。そのまま再び家の明かりが消えるまでまったのち、気配を殺して侵入する。まるで泥棒にでもなったかのような気分だ
 何故俺がと考えて、浮かんでくる上司の顔にため息をついた。薄い金色に輝く目がじっと俺を見てくる。
 上司の部屋の扉を開ける。上司の部屋と言っても俺も共同で使っている寝室だけど。二人で使っているダブルベッドに一人ぶんのこじんまりとした膨らみ。両方仕事が忙しい身。睡眠は最高のものをと品質に考慮して買った高級布団の隙間からこじんまりとした頭が覗く。わずかな携帯の明かりに照らされてきらきらと光る金色のそれは間違いなく上司のもので知らず息がつまる。
 後ろに逃げ出してしまいそうな足を叱咤して、一歩寝室に足を踏み入れる。無音の空間。何処か機械じみたところのある上司は寝ている時はいっそうそれが酷く寝息さえも殆ど聞こえない。体の体温がわかるような距離で初めてうっすらと聞こえてくるのだ。
 そんな距離まで近づいて息を吐く。よほどたまっていたのか、想像していたよりもずっと深く長く息はでていた。視線の先眠る上司の顔はそれなりに安らかだ。
 そんな上司の手を捕まえる。起こす前に逃げられないよう、腹の上に馬乗りになろうとしてやめた。
 安らかに眠る上司の唇から健やかな寝息が聞こえる。ほんの少しだけのそれ。その姿を見下ろし、起こすのを僅かに逡巡する。疲れを見せるその顔を見て、もう少し寝させてやろうなんて優しい気持ちは欠片ほども沸き上がらないが、起こしたら終わりだと言う気持ちは沸き上がる。
 また深い息を吐いた。
 そう。終わりだ。起こしたら最後。もう逃げ出すことはできない。
 それでも……、それでも抑えられなくてキスをした。

「パーシヴァルか」
 何でもお見通しとでも言うようにさらりと共犯者の名前がその口からでる。まあなと俺は笑いながら答える。
 俺の苦手な金の目が確かめるようにじっと見つめてくる。
「なんできた」
「何でって話にだけど」
「お前と話すようなことは何もないが」
「俺にはある」
「最近お前ずっと変だっただろうが。その理由聞かないと目覚め悪いからな」
「良いのか」
 静かな声だった。夜の闇に似合うとても静かな声。その癖確かな力を持った声で、どれだけ逃げようとしてもその声を聞けば立ち止まってしまいそうな声だった。俺はもう逃げるのをやめている。迷いこそまだたくさんある、ちょっとした所でまだ逃げられるか確認してしまう。でも、それでももう逃げてはない。
 逃げるのをやめてここまで来た。
「良いのか」
 もう一度力を強めた静かな目が告げる。瞳の中に優しさはない。何もかもを見透かそうとする鏡のような瞳だ。その瞳から思わず目をそらしてしまう。普通の人なら気付かれないぐらい僅かに少ししたに。だが上司はそれに気付いたのかまるで見せ付けるように白く細いながらも逞しい腕で自らのお腹の辺りを優しく撫でる。
 ああと、口に出して答えたと思う。
 が、ちゃんと音になっていたか自分では分からなかった。心臓がバカみたいに鳴り響いている。
「俺はお前が何をしていようが別にどうでも良かったし、何も言わなかったけど、それじゃいられなくなるぞ。それでも良いのか」
「ああ」
 今度はちゃんと音になった。
「そうか」
 頷いた上司は今だじっと俺を見る。俺もそらしていた視線をあげて真っ正面からその目をみる。きらきらと輝く宝石のような目は美しく見る人の心すべてを虜にするように思えた。
 嫌って嫌って嫌って嫌悪して、それでも俺もまたその瞳に囚われた。囚われたからこそ嫌ったといってもいいのかもしれない。この上司の中で一番嫌いで一番好きな所。
 ああ、この目だけは絶対に受け継いで欲しいと思った。
 自分と上司。二人の子どもには絶対にこの目だけは。それ以外は別に何も望まないから。
 視線をもう一度下げる。今度は目をそらすためではなくちゃんとそこをみるために。
 白い手が少しだけ膨らんだように思うそのお腹を撫でていた。
 そこにいるのだ。
 自分と上司。二人の子どもが。
 最初から気付いていた。上司に声をかけたあの朝。様子がおかしいことに気付いたごみの時。その時から気付いていた。それより前からもしかしたらと思っていた。
 ゴミが増えたことに気付いた一二ヶ月ほど前から、生理のゴミはでていなかったし、ゴミの内容を見たときにはもしやが確証に変わっていた。
 その時に確かめなかったのは、試されていると気付いたからだ。
 俺は試されていた。
 上司が本当に俺に気づかれたくないのであればごみも体長の不調ももっとうまく、それこそ一ミリも気付かれないぐらいに隠せた筈だ。それをわざと気付かれるか気付かれないか程度で隠していたのは、俺が気付くか気付かないか試していたから。何処まで自分に自分との生活に関心を持っているのか。そして気付いたとしてそれを自分に問うってくるのか。
 あの時、俺には二つの選択肢があった。問うか、問わないか。
 問わなくてもたぶんしばらくの間は日々は今までと何も変わらず過ぎた筈だ。そして恐らく半年たった頃に気付いたら上司の存在が生活の中から消えている。それ以外は何も変わらず日々は当たり前のように流れていっただろう。もしかしたら上司の存在が消えたことに気付くのももっと後になったのかもしれない。
 そうやって俺は上司の中から存在を消されるのだ。二人の繋がりは仕事以外何一つなくなる。もう繋がることすらないだろう。
 問うた後もまた選択肢はあった。
 今度の選択肢は踏み込むか踏み込まないか。
 上司が本気を出して俺と接触するのを避けようとすれば、それこそ俺は手も足もだせない。パーシヴァルを買収なんて不可能だ。例え買収に成功したとして、それでも会えることはなかっただろう。
 そうせずにこいつは俺を待っていた。俺が来るか来ないか、待っていた。
 俺が拒絶をされながらも、それでも一歩踏み込んでくるかどうかを試していた。
 踏み込まなければそこで終わり。もう二度と私的に会うことはなかっただろう。問わなかった時と同じ。仕事でだけの繋がりになる。
 俺はそれをも踏み越えた。そして最後の選択肢。
 これからさき上司と共に一生を歩む覚悟があるのかどうかを問われた。
 俺は今まで上司とと共に暮らしながらも他の女のもとにも通っていた。暇があれば町中でナンパをすることもしょっちゅう。一人に縛られるのなどごめんだと思っていた。
 だが、これから共に生きるのならもうそんなことはできなくなるぞ。一生を俺に縛られる覚悟があるのかと上司は問うって来たのだ。
 俺はそれに答えた。
 これから先の一生を上司共に歩んでいくと。
 自由が好きだった。誰か一人に心を決めるなんてそんな時一生来ないとさえ思っていた。それがこの上司相手に崩壊させられるとは思わなかった。だけど、もし一生を誓う時が来るとしたらこいつだろうとも分かっていた。それ以外の誰かなど思い浮かばなかったから。
 金色の目が俺を見てる。初めてこの目をみたその日からこいつだけだと決まっていた。
 明かりのない寝室で沈黙が続く。
 話すことはもう何もない。必要な会話はすべて終わってしまった。たった一分にも満たないような会話。それでこれからのすべてが決まり、もう俺がすべきことなんて何もない。明日からきっと流れるように日々が過ぎて、そのうち夫婦になって子供が生まれる。手配も何も全部こいつやその回りがやるだろう。俺は言われるがまま流れるがまま過ごせばいい。
 それでいい。そうやって今までもやってきた。
 もう話すことも終わり。夜遅いのだし、このまま布団にはいって寝てしまうのもいい。この家にはもう一式布団を用意してあるし、今日はそっちで寝てもいい。とにもかくにももうこれ以上無言で顔を付き合わせている意味もない。兎に角なんでもいいから動かなくてはと思うのに、どうしてか体が動かなかった。
 上司から目がそらせない。
 黄金の瞳がじっと俺を見つめてくるのに喉をならしそうになる。この目は今俺に何も求めてはいない。意味深そうにずっと俺のことを見詰めたままだが、ただ俺が動くのを待ってるだけだ。ここでそのまま一緒に眠る気なのか、それともどこかに行くのかを見ているだけだ。そこには何も考えられていない。
 だってもうすべては決まったのだから。
 それでいい。先程思ったことを頭の中で繰り返す。それでいいのだからもう動くべきだと。だけど本当にそれでいいのだろうかとふっと考えてしまう。
 いつだってそうだった。
 ただ流されるように二人の関係は続いてきた。
 始まりは何となくその場の雰囲気で押し倒し、押し倒されて体の関係を持った。その後も何となくそう言う雰囲気になり何度も関係を持った。初めのころはホテルでやっていたのが、急な雨の日に近くにあった俺の家へ上司をあげてからは俺の家でやるようになった。俺の家でやりだした最初の頃は上司は朝には帰っていたのが、だんだん面倒臭くなりそう言う日には泊まりの準備をしてくるようになった。そしてそれも面倒になってからは、上司の服や私物が俺の家に置いていかれるように。だんだん俺の家に上司の私物が増えていて……、化粧用品やら歯磨きなども置かれるようになって気づけば半分上司の家。家に来る頻度も増えて、むしろ俺の家に来ない日の方が少なくなって、やがてずっと俺の家にいるようになった。金はあるくせに何故か上司は賃貸で暮らしていて契約期間が切れそうになった時、もう一度し直すのも面倒だからもういいかと言ってその家を手放した。その時にはもうすでに一年近く家には帰っていなくて俺も契約する意味なんかないだろと思っていた。そして、そのまま俺の家に住み着いた。
 言葉なんてものは一欠片すらも俺達の間にはなかった。笑ってしまうぐらいになにも言わないままここまできた。
 ただながされるままに
 これから先も……。

 本当に?? 本当にそれで良いのだろうか??

 そんな言葉が浮かんだ。答えは最初から知っていた。良いはずがない。何も言わないまま始まって、今更言葉を言うことも出来ず続けてきた関係。他の女を抱いたことも数知れず。それで今までやってこれたのだとしてもこれからは違う。
 だって俺たちは夫婦になって子供も生まれるのだ。何も言わないただ流されるだけでいたらきっといつか崩壊してしまう。俺は兎も角上司の子なのだ。どれだけ上手く取り繕っても何も言わないままだったら、二人の間に流れる微妙な空気に気付いてしまうに違いない。子供に寂しい思いはさせたくなかった。
 何より俺が嫌だった。俺がもう認めたくないけど寂しくて仕方なかった。
 流されるままにここまで来た俺たちは最初に言った通り愛の欠片もなかった。一緒に暮らしてやることはやるのに愛の言葉を囁くこともなくピロトークもしたことがない。家で話すのは朝の挨拶か仕事の話。後はちょっとした報告。性を発散するとき以外まともに触れあうこともない。どうして一緒にいるのかも分からないような関係。
 それでもそんな関係を続けたのは、上司を、アイツのことを俺が、
 愛していたからだった。

 嫌いだったのに嫌いなはずだったのにどうしてか好きだった。愛していた。だから流されていく関係を拒めなかった。受け入れてしまった。
 今さら、その関係を失えない。手離せない。
 いくら認めたくないと思っていてもその気持ちは本物だから。だからずっと虚しかった。
 言葉ひとつない関係が。いくら抱き合ってもお互い触れ合いもしないような関係が。虚しくて何度もやめようと思って、だけど棄てきれないままここまで来た。
 チャンスだったのだ。
 上司が俺を試しだした今がチャンスだった。
 口のなかがからからに乾いた。まるで砂漠のよう。咽が音をだす機能を忘れたように仕事を放棄する。
 緊張しているのとはまた違う感覚。
 恐らく恐れているのだこれから変わってしまうそれでも俺は……
「好きだ」
 そのたった一言を口にする。いままでずっとどれだけ言いたくても言わなかったたった一言を。えっと上司が固まった。いつも余裕な態度を崩さない上司がこんな風に固まるの何て初めてだ。それだけ言った言葉が衝撃的なのは理解している。
 言うと決めたのは俺なのに俺の方にも衝撃が来てる。腹のそこから衝動が溢れて好きだとか愛してるだとか誰にも渡したくないとかずっとそばにいてくれとか。押し込めていた言葉が堰を切ったように溢れてきてそれを押さえるために上司にてを伸ばした。
 顎を抑え、引き寄せる。溢れる言葉を載せてキスをした。
 見開かれる瞳をみながらそう言えば起こすときもキスをしたことを思い出した。あれは、終わりのキスだった。今までの関係が終わることを告げるキスだった。
 だったら今のこれは始まりのキスだと思う。
 見開かれたままの見たこともない間抜けな顔を見ながら、もう一度離れたばかりの唇に向かう。
「好きだ。アーサー。愛してる」
 その際に体中に貯めるだけ貯めた言葉を吐き出しながら。


[ 10/32 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -