「治」
 呼びかけられて顔を上げた。福沢さんはそれだけの動きに何故か笑みを浮かべる。ふっと口角を上げて目元を少し落とす。そんな小さな微笑み。これをと差し出されたものを受け取った。小さな箱に入ったものの中味が何かは分からないけれど、贈り物であることは分かった。
 今日は別に特別な日でも何でもない。何処かに出張に行っていたと言う事もない。私はそれをじっと見つめた。一体何のつもりなのだろうと考える。前から福沢さんは私に贈り物を良くしてくる。まだ記念日や出張のお土産であれば分からなくもないが、何もないのに渡される贈り物は理解できない。
 前までは特に考えることなく受け取っては封も空けることなく放置することが多かったが、どうにも今回は気になって開けてよいかと福沢さんがまだいる傍で聞いていた。福沢さんは良いぞと答える
 箱の中を開けた。出てきたのは武骨な形をしたペンだ。色は落ち着いた青でまだ可愛らしいが、重心に重きを置いたような形のペンは軸が太くかなりごつごつとしている。ペンなど誰が使っても同じであるが、それでも女に贈るようなものだろうかと思いながら見つめる。そう言えば丁度ペンのインクが切れかけているところだった。
 仕事もしていない、家にいるだけだが、暇でよく書き物をしていた。思いついたことを書きなぐっては捨てるだけの生産性もかけらもない行為で時折馬鹿に思うが、暇となるとよくしてしまう。多分ペンを与えられたのが始まりだったと思う。私は家から自分のものなど何一つ持ってきていないから、ペンさえなかった。それを与えられて暇だからと使ってみてから書き物をするようになった。紙は最初はチラシの裏側に描いていたが、いつのころからか新しいものが気付けば机の上に置かれるようになってそれを使わせてもらっている。
 しげしげとペンを見てはくるりと手の中で回す。しっくりと手になじむなかなか良いペンだった。書き味もよさそうでわたしは福沢さんを見る。じっと見ていた福沢さんは私が見上げると少し慌てて、台所に向かおうとしていた。これから夕飯をつくるのだろう。ありがとうと伝えたのに福沢さんは振り向いてその目を見開いていた。いやといって台所に向かっていく。
 その動きが少し変で私はなんだったのだろうかと首を傾けた。でもすぐにまあいいかと思って、ペンを見下ろした。手に入れたペン。折角だからと机に置いてあった紙と下敷き用の板を取った。
 膝に固定して書き物を始める。黒のインク。くっきりとしていて書いていてわかりやすい。ペン先も滑りやすくさらさらと文字が掛ける。走り書きをするタイプの私には好ましいものだった。
 最初はただの試し書き。思いついた言葉を適当に書いていた。そのうち思いついた事柄を書き始めていた。途中からは夢中になって文字を書いていく。分かりやすく図も書いたりしながら紙をインクで一杯にしていく。
 そんなことをしていたらいつの間にか時間が経っていて、満足してペンを置くと福沢さんの姿が見えた。えっと目を見開いてしまいながら福沢さんを見る。
 台所に夕食を作りに行っていた筈の福沢さんは襖の前に立って、こちらをじっと見下ろしていた。私が見つめるとはっとして顔をそらしている。きょとんと首を傾けてしまいながらどうしましたかと問いかけた。
「あ、否、夕飯ができたので呼びに来たのだ」
「分かりました」
 それならすぐに声を掛ければよかったのでは。思いながらも問いかけようと思うほどの興味はわかなかった。変だなと思うもののまあ、いいかと思ってしまう。板をその辺において立ち上がった。

 夕食は私の好きなカニが入った料理があった。と言うか毎日のように何かしら一品カニ料理があった。美味しいし、食べる気も出てくるのでいいのだけど、これも奇妙だと思う。私は自分の好みを伝えたことなど一度もなかった。なのに気づけばいつの間にか増えていた好みの料理。どうして気付いたのか、そもそもなぜそれを毎日出すのか。
 訳が分からなかった。
 黙々と食べながら福沢さんを時折見た。料理を食べる福沢さんはいつもと同じだ。大体同じ速度同じ感じで食べている。
 特段どれかが遅くも早くもなかった。好きなものも嫌いなものもなさそうなのに変なのと首を傾ける。人の好みのものを毎日作るなら、自分の好みのものも作ればいいのにと思ってしまう。
 まあ、どうでもいいのでそんなことすぐに興味をなくしてしまうが。ぱくりと食べて福沢さんをみた。皿を見ていた筈の銀灰の目と目があってしまう。
 ぱちぱちと瞬きをしてから目をそらした。
「うまいか」
 声が聞こえて見上げる。福沢さんがまだ私を見ていた。どうしていいのか分からなくて私ははいと頷いていた。よかったと福沢さんが笑うような感覚。

 
やはりあの人はどこかおかしかった。 
 どこがおかしいとかさっぱり分からないけど変わっている。何を考えているのか分かりたいと私は今日も探偵社の中を覗き見ていた。
 福沢さんは机に座って仕事をしている。ここから見えるのは福沢さんの横顔なのだけど、今日も険しい顔をしている。でも何か難しい内容があるわけでもないだろうことに最近気づいてきた。
 福沢さんのあの顔は外に出ている時のたいていのデフォだ。家にいる時はもう少し穏やかな顔をしているが、外だと大体あんな顔だった。眉間にぎゅっと皴が寄っているのを見ると肩がこらないのかななんて少しだけ思ってしまう。
 そんなことを思いながら福沢さんを見た。
 ここしばらくは仕事自体が薄いようで福沢さんの傍にある書類も少なかった。監視カメラで確認すると事務員や調査員たちもそこそこのんびりとしている。せっせと働いているのは金髪の男ぐらいでその男は大体いつみてもせっせと働いているのでまあそういう男なのだろう。多分仲良くなれないタイプだと思う。怒鳴らせてはそのうち血管を破いてしまいそうなので同僚になるようなことがなくてよかったねと思ってしまう。
 ぼんやりと福沢さんを見つめる。書類をしている福沢さんに動きは一切なく少しばかり暇になってきていた。今日はもう帰ろうかなとも考える。机の上にあった最後の書類が終わっていた。
 んーーと背伸びをしてから福沢さんは前の方をぼんやりと見る。首を動かした後、どうするかと考えるように上を見上げた。
 どうやら仕事が落ち着きすぎてもうやることがないらしかった。事務所の方を見ても穏やかだ。こんなことは滅多になかったのでこれからどうするのだろうかと少し興味を持って見つめる。
 じっと椅子に座っていた福沢さんは暇そうにしていたと思うと景色を見ようとしたのか首を動かしていた。あっと私から出ていく声。福沢さんと目が合ったようなそんな感覚がした。ありえないのだけど急いで双眼鏡を手放す。壁に隠れた。
 目が合ったというのはあり得ないのだけど、気づかれたとは思った。私の姿は見えなくとも双眼鏡には気づいただろう。はあと息を吐く。気づかれた以上はもうこの部屋は引き払った方がいいだろう。折角いい場所だったのに。まあ時間が空いたら別の場所に監視カメラを仕掛ければいいだろうと引き払う準備を始めた。


 その日の夜のことだった。
 夕飯を食べる私に社長が聞いてきたのは
「探偵社に興味があったりするか」
 ことりと首を傾けて伺うように聞かれた私はつばを飲み込んだ。距離からして私だとは気づかれていないはずだ。だけどそう問いかけられると言う事はばくばくと心臓が音を鳴らす。私はそうですね、まあ少しはなんて曖昧な言葉を口にしていた。疑われるようなことがあればどうしようと考えるのにそうかと福沢さんは少しだけ嬉しそうな声を出していた。
 へっと見上げれば穏やかな笑みを浮かべている福沢さんの姿。それならば明日探偵社に来ないかなんて言われるのにぽかんと口を開けてしまった。
 なんでと思うけれど私は首を縦に振る




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