弐
「この後、共に夕飯を食べに行かぬか」
福沢が太宰にそう問いかけたのは仕事が終わってすぐのことだった。貯めた書類が見つかったため、遅くまで残っていた太宰に何故か残っていた福沢が問いかけていた。
ムウと太宰の口が尖り、そうしてですかと少し硬い声で聞いた。お前と食べたいからなのだが嫌かと福沢は問う。口を閉じた太宰は少ししてから嫌ではありませんと答えていた。
ほっとしたように福沢は口元に笑みを浮かべ、それではと太宰に手を差し出していた。
きょとんと太宰はその手を見つめる。
何ですか太宰が聞いたのに福沢は少し慌てて嫌だったか、すまぬなと口にしていた。嫌なわけではないが、どうして差し出されたのか不思議だった太宰は首を傾ける。
行こうと歩きだした背を追いかけた。
二人が出向いたのは小さな居酒屋であった。
チェーン店ではなく個人の店。友達の姿はちらほらと見えていた。店の一つについたのに福沢がお品書きを太宰の前に広げていく。店員がお冷とおしぼりを持ってきて、ごゆっくりしていてくださいねと笑うのに少し待ってくれないかといい、太宰に酒を飲むかと聞いた。
頷けば日本酒を一本注文していた。
「ここは日本酒は良いのを取り揃えている。日本酒が嫌いでなければきっと気に入ると思う」
ふぅと柔らかに微笑んだ福沢。そうなんですねと答える太宰は机に視線を落としていた。何処となく居心地が悪そうに体を動かしていた。じいと太宰を見て、福沢は左右にその目を動かした。がまたすぐに太宰を見る。
そして口を開いた。
「ここは飯もうまい。何が食べたい」
「はぁ、何でもいいんですけど」
福沢に問われるのに太宰は曖昧に答えていた。ならばこれとこれもうまいぞと福沢は注文を済ませていた。
乾杯するか。グラスを見て福沢は少し首を傾ける。問いかけてくる目はまだ色々と計りかねているようで太宰は否と首を振っていた。
「いちいちするのは面倒でしょう。そう言うのはたまにやるぐらいでいいですよ」
「そうだな」
少しだけ嬉しそうなそぶりを福沢は見せていた。同じ考えだったのだろう。間違えてしまったかと考えてしまいながら太宰はグラスの酒を飲んだ。福沢が自分の分を飲みながらじっと見てきている。
まずいと言ってやろうかとも思ったが、そんな気が起きないぐらいには口にした酒は美味しかった。美味しいんですよと福沢に云ってしまう。福沢は嬉しそうに笑う。
目元を少しだけ下に落とす程度の変化だが、雰囲気がふわふわとしていてよく伝わってきた。まずいなと太宰は思う。
どうにかして嫌いになってもらわないといけないのにこれではどんどん逆方向に行ってしまいそうだった。どうしようかと考えるのに料理が運ばれてきた。素朴な見た目の料理はどれもこれもおいしそうだった
いただきますと福沢が手を合わせ食べ始めるのに太宰も食べていく。口に入れるのをまた福沢が見ている。
素材の味をしっかりと感じることのできる素朴なおいしさの料理であった。うまいかと福沢が聞くのに素直に太宰は頷く。
そうかと福沢が微笑むのから目をそらしながらまた一口食べ、それからというものの福沢は太宰を夕食に誘うようになり、二人で食べに行くことが多くなっていた。何度か断ろうかとは思ったものの断るための旨い口実が思い浮かばなくて断ったことはなかった。
太宰が一言いえば福沢が誘うことはなくなるだろう、それを口にすることも太宰にはできなかった。
福沢に誘われれば誘われるままについていてしむ。食事の間、二人の間に会話はあまりなかった。
代りにと言うのか福沢はいつも幸せそうに太宰を見ていた。
「太宰。お前ひとりなのか」
きょとんと福沢が珍しくその目を見開いたのは、朝から出かえていた福沢が探偵社に戻って来た時だった。探偵社の中を見て福沢は瞬きをして、それから机の上に上半身を預けて荒げている太宰に聞く。見てわかる通りですと太宰は答えた。
「特に今日は予定はなかったはずだ」
「やることなさ過ぎて暇。面白い事佐賀市に行こうと乱歩さんに引っ張られて外に出ていきましたよ。私は留守番で残っております」
福沢の疑問に答える太宰。謎は解けたがすっきりするはずがなく福沢ははぁと低い声を出していた。その手は懐から携帯を取り出すものの、しばし見つめて元に戻していた。
ことりと太宰が首を傾ける。
「乱歩さん呼び戻すのではないのですか」
「そうしようかと思ったが、やることがないのは確かだからな。好きにさせておく。ブーブー文句たらされる方が面倒だろう。それより他の事務員はどうした。まさか全員連れていたわけでもないだろう」
「どうせ今日は仕事の電話も午前のうちには来ないだろうし、仕事も落ち着いているのだから葉が目に昼休憩取ったらどうだと提案しまして、今は昼休憩に入っていますよ。
十三時前には戻ると思います。だめでしたか」
福沢の目が時計を確認する。まだ十二時三十分前にもなっていなかった。だがよいと福沢首を振った。
「たまにはのんびり昼飯を食べるのもいいだろう。そう言えば誰かが最近できたばかりの店に行きたいと言っていなかったか」
「ああ。そうなんですよ今頃全員でそこに行っているのではないでしょうか。ちょっと遠いうえに待ち時間が長いそうで、普段はいけませんからね。あ、でもこのことはごないみつに。与謝野さんもいきたがっていたので、今日は内緒でいて、また今度時間を見つけて女子会を開くそうなので」
「そうか。分かった。それよりどうだ。みんないないのであれば私たちも少し早めの昼休憩を取らぬか。折角だ。ともに昼飯を食べに行こう」
しいと指を口の前に立てた太宰は、その次の福沢の言葉に首を傾けていた。褪せた色の目が少しだけ大きくなった。わざとらしく事務所の中を見ていいのですかと小首を傾ける。福沢はああと言うように一つ頷いていた。
二人の目は電話とドアを見る
「後三十分。もう電話はかかってこないだろうし、来客もないだろう」
「もしもと言う事があります」
「来客はまた来てもらえばいいし、お前は会社にかかってきた電話を携帯で取れるようにしているだろう」
「おや。ご存じでしたか」
太宰の片眉が上がった。驚いているようなそぶりで福沢を見つめるのに、福沢はその肩を少しすくめながら答える。
「悪だくみに使っているのをよく知っている」
「悪だくみだなんて私は会社のために使っているのに」
福沢の言葉に太宰はふっふと笑った。心外だとでも言いたげにその目は福沢を見るものの本当にそう思っているかは疑わしいものだった。はぁと福沢がため息をこぼすふりをする。
「私が受けないと分かっている仕事を勝手に受けたりしているだろう。どうやって事前に辞っているのかはわからぬがな。よくばれぬようできるものだ」
やれやれと頭を振るのに、太宰の口元には笑みが浮かんだまま。少しだけ舌を出す姿はまるで悪いと思っていないのが伝わってくるものだった。
「貴方にはばれてしまいましたが」
「身に覚えのない報告書があればわかる。全く勝手をして」
再びため息を吐くそぶりをして福沢は腕を組んだ。じろりと形だけ睨みつけてみるが効いた様子はなかった。小首を傾け少しかがんで下から見つめてくる太宰。可愛らしい動きで篭絡してこようとしていた。福沢がじっと見下ろすのにふふと笑っている。
「だって社長は社員に対して優しすぎるんですもの。あれぐらいなら受けてもいいのでは。まあ、リスクに対して提示される利益は低いですから渋るのは分かりますが、でも恩は売れますし、何よりそういうもの中に美味しい情報が入っていたりするんですよ。まあ、貴方が絶対に嫌がりそうなものはしないようにしてありますので、許してください。
私一人で十分なものだけにしていますし」
ねえと笑うのにまた吐きだされる息。呆れの色を濃くして福沢は太宰を見る。
「楽しそうだし、配慮はされているようだから一応許しているつもりだ。今日まで言わなかっただろう」
「今、言われていますが」
褪せた目はは最初から答えを知っていた。わざとらしく首を傾けながらもその口元にはずっと笑みが浮かんでいる。
福沢は最後にやれやれと首をふってから再び太宰に手を差し出す。
「丁度良い機会だからな。
それよりもし電話がかかってきてもお前がいればわかるのだ。開けてもよいだろう。もし国木田たちが帰ってきて何か言われたら私が誘ったと言えばいいだけだ」
「ふむ。そうですね。私もお留守番には飽きましたし」
「では」
差し出されたのを太宰は考えるふりをしてから手に取っていた。少し声が高くなる福沢。分かりづらいが嬉しげに目元が緩むのに太宰はそっと目をそらした。
行きましょうとすぐに事務所を出ていく。しばらく歩いてからそう言えばと太宰は福沢に問いかける。歩いているうちに太宰と福沢の位置は反転して福沢の方が前を歩いていた。別に福沢はどうでもいいのだが、大体いつも気づけばこうなっている。
「いつものところに行きますか?」
「それもいいがたまには遠出をしてもいいのではないか」
ふむと顎に手をあてた福沢。その言葉に太宰は小首を傾ける。進む方向はいつもと同じであった。
「遠出と言いますと何処に」
「そうだな私の好きなお店があるのだがそこに行くのはどうだ。うまいぞ」
「分かりました」
太宰の口元は少し尖りあまり遠くには行きたくないなというのが伝わってきたが、それでも福沢は一つ提案をしてみていた。うーーんと太宰は少しの間上を見ていたものの、にこやかな顔で頷いていた。社長が好きなお店がどんな所か楽しみですと笑っているのに、ちらりと後ろを見た福沢はその口を開く。
「それより太宰」
「はい。なにかありますか」
にこりと福沢を見てくる目。後ろを向いて歩きながら福沢はじいと太宰の様子を観察していた。人が近づいてくるのには後ろにも目があるのではないかと思うほどの正確さでよけている。
「お前は仕事の時は私と普通に話してくれるのだな」
「はあ、仕事と私事は分けるタイプなので」
ちょっとだけ太宰は狐に包まれたような顔をした。へっと口を開け、どうしてそんな話をと思っているように見てくるのに福沢はなるほどなと頷く。乱歩と違い良い事だと言いながら、その目はじっと太宰を見たまま。観ながらごくりと唾を一つ飲み込む
「だが今は休憩時間。プライベートだと私は思うが、どうだ」
その口から出ていく言葉。太宰の顔が一度固まり、ゆっくりと頷く。
「……はぁ、まあ確かにそうでしょうね」
覇気のないような声が出て、太宰が戸惑うのに福沢は頷かれたことに気をよくして口元を少しだけ挙げた。
「だったらプライベートとして付き合ってくれ」
また太宰からは覇気のない声が出ていく
てくてくと二人が歩いていく。こっちの道だ。次は右に曲がるなどと福沢が道案内をしてくれているが、それ以外の会話はない。それまで少しはあったのだが、今は太宰が完全に口を閉ざしていた。
そうして歩いてどれぐらい経っただろうか。二十分は超えているだろう。福沢ももうすぐ着くと言っていた。それだけの間無言だった太宰が口を開けていた。
『貴方は変ですね』
「はい?」
そこから転がり落ちて言ったものに福沢は首を傾ける。なんだと後ろを振り返るのに、今度は太宰が福沢をじっと見ていた。
「私事となると私が突端に話さなくなるのわかっているでしょう。一緒にいるなら話せるほうがいいと思うでのすが」
ことりと首を傾ける太宰。貴方は無言の方がいいのですかとその目が問いかけているのに、一度前を向いて福沢は考えこんだ。ゆっくりと頷きながら太宰を見てくる。
「……まあ、確かにな。仕事の時であれば仕事に関係ない話もしてくれるから楽しくはあるものの結局それは私をお前が上司だとみているからだろう。私はそれでは嫌だ。お前の上司ではあるが、それでも私を私としてみてほしい。
だから仕事以外では私事のお前でいてほしい」
開いた口。それからゆっくりと話していく内容。太宰の目が見開いてから左右を見渡した。居心地が悪そうに肩を下げ、口元を歪めた。
「貴方と何を話せばいいのか分からないんですよね。
貴方に話す内容など私は持っていません。私は……」
「お前がそうやって考えてくれているだけで私は嬉しいがな。嫌いなわけではないだろう」
小さくなって太宰が言うのに福沢は穏やかに答えた。問うのに太宰は答えなかった。
前を向いて歩いていく。小さく聞こえたのは呪いなんですよと言う声。足を止めそうになりながら歩く福沢が何かを言うことはなかった。
ただ黙々と歩いていくのに後ろの太宰の足が止まった。やはり帰ると言われるのだろうか。不安になって振り向くことができない。
どうすればと思ったのにあっと太宰から声が零れ落ちた。足を止めていた福沢はその声に思わず後ろを振り返っている。立ち止まっている太宰の目は少し上の方を見上げていた。福沢の目も太宰の視線を辿りそちらを見つめる。
木が立っているのが見えた。葉が生え茂る立派な木。その木に変なものが引っ掛かっていた。原色の色をした
丸いものがふわふわと浮いている。なにか、風船だろうものを見つめてから福沢は舌を見た。幼い子供がぴょんぴょんと飛び跳ねている。
時折止まっては福沢が上を見上げて、また飛び跳ねる。
いきましょうかと太宰が歩き出した。太宰が声をかけてくるのに福沢は少し待ってと言ってあたりを見渡していた。気と福沢の間には人の姿はなく、後ろを確認して一歩に歩と下がっていく。
社長と太宰が不思議そうに福沢を呼んだ。それには答えず福沢は走り出してた。
木の少し手前で勢い走り、その勢いを余すことなくすべて足に伝えて飛び跳ねる。途中勢いが落ちたのに幹に足を置きもう一度飛ぶ。手を伸ばし丈夫な枝を掴んで、勢いを生かして上へとねじ登った。
その絵が空手を伸ばして風船を手にした。
飛び降りるかと下を見た時、飛び跳ねていた子供と目が合う。ぽかんと口を開けた子供の目にはうっすらと涙が浮かんでいて、ぱちぱちと瞬きを繰り返していた。
早く渡してあげようとおりやすい場所を探す。そう言えば太宰はどうしているのかと木の上からいたところを見る。太宰の姿が目に入った。見上げてくる太宰は黒のスーツを着ている。
あれと思ったが見える太宰はいつものコートきて福沢を見上げていた。薄く開いた口。目を開けて動かないのに不思議に思いつつも福沢は気の上から降りていく。
子供から少し離れたところに下り立つのにぴっくりと震える子供の肩。まじまじと福沢を見つめてくるのに、福沢は子供に近づいていく。ぱあと輝いたかと思った子供の顔は福沢の顔を見て強張った。一瞬泣き出しそうになったものの、福沢の手が封園を差し出すのに嬉しそうに笑い、ありがとうと言って受け取っていた。
ではな子供に手を振って、太宰の下に戻る。
太宰派内があったのかぼんやりとしていた。ほうと木の上を見つめているのに別の何かがあるのかと木の上を見るが、そこには何もなかった。 どうしたと声をかける。はっとした太宰は何もありませんよと笑っていた。
「でも、普通に木登りしたらよかったのに」
そんな太宰が福沢に云う。言われた福沢は少しばかり恥ずかしそうにしながら頬を掻いた。あの方が早いと思ったからと小さな声で答えている。
そうですかと口にする太宰の様子はやはりどこかおかしい。
何かあったが聞くが何でもないと答えられるだけであった。いきましょうと太宰が先に歩き出す。様子をうかがないながら福沢はその後を追い歩き出す。わりと早い段階で二人の位置は交代していた。
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