銀灰の髪。見ようによっては後にも緑にも見える不思議な銀色の瞳。その瞳が静かに見下ろしてくるのに私は息を飲んだ。
 どうしてと溢れていく声。ゆき、慣れ親しんだ名前を言おうとして太宰は口を閉ざした。瞳が険しくなって私を見た。
「どうした」
 耳に残る低い声が問いかけてくる。首を振りながら太宰は相手をじっと見つめる。左手の小指が甘く痛むようなそんな幻覚を感じた。
「貴殿が種田長官が言っていた太宰治で良いか。入社したいとの話だったが、」
 低い声、鋭い眼差し、探るような様子に太宰はばくばくと心音を打ち鳴らしながらはいと答えていた。何時ものように筋肉を動かそうとするのにひきつりうまく行っていなかった。
「種田長官からこちらのお話しはよく聞いております。是非とも私をこの探偵社の一員として働かせてください」
 何とか口の筋肉を動かして告げるのに目の前にいる男はじっと太宰を睨むように見つめていた。



「どうしたんだい」
 難しい顔をして後ろから掛けられた声。はっとして振り向いた福沢の横から与謝野が覗き込んできていた。背凭れに体を預けながら福沢が手にしている書類を見てくる。隠す必要があるものではないが福沢はそれを隠したくなった。じぃと見つめられるのに書類を隠そうとしてしまう。だが与謝野の瞳は既に書類を見ていなくて福沢を見ていた。
「この書類、こないだ入ってきた太宰治とか言う奴のだろう。なんだい。問題でもあったのかい」
「問題はないが」
「じゃあなんでそんなじっと書類を見ていたんだい」
 与謝野が不思議そうに問いかけてくるのに答える福沢の声は少しだけ震えていた。与謝野の目がそんな福沢を見て聞いてくる。それは単純に疑問に思ったからだろう。深い意味などはありはしない。そう分かるけれど福沢は少しだけその瞳が怖くなる。
 なにもかも見透かされている。そんな気がして。そんなことはないのにやましいことがあるからそう思ってしまうのだと思い、福沢はそう思ってしまったことにもため息をつきたくなる。堪えながら何でもないとくちにした。
 何でもないのだと言うのに与謝野はまた福沢をみて、そしてその手の中にある書類を見ていた。
「それなら良いんだけど乱歩さんがあんまり信用できる奴ではないねって言っていたから少し不安になるんだよね」
 与謝野の言葉に福沢の目は見開いていた。乱歩がそんなことをとその口は聞く。その福沢をみて与謝野はああと言っていた。聞いていないのかいとその口が不思議そうに聞くのに福沢は緩く首を振り、その口を噛み締めていた。乱歩が言いに来なかったのか自分のよくない思いを読み取られたようで、それを恐ろしく思った。
 福沢の目は書類のなかに書かれている文章に目を落とした。
 太宰治。
 その目をみた時、冗談抜きで雷に撃たれたと思った。
 蓬髪の頭も美しい顔もなにもかもが今までみてきたものと違ってくっきりと浮き上がって見えた。どっくりと大きく鼓動が跳ね上がった。
 何かに驚くように見開かれた色褪せた瞳を好ましいと思い、その姿をずっとみていたいと思った。前情報から既に警戒する必要がある相手だと分かっていたはずなのに、そんなことを忘れるほどに見惚れた。思い出して咄嗟に険しい顔を作りもしたが、それでも見入ってしまった。
 まるで恋に落ちてしまったかのように相手に夢中になってしまった。福沢はそんな筈はないと言い聞かせている所だった。
 そんな筈はない。合って言いはずがない。相手はまだ気を許して良いか分かってもいない良くない相手で馬鹿らしいとすら思う。だけどその姿を思い出す度にその胸が高鳴るのであった。ふふと福沢は息を吐く。
「試験国木田に任せたんだけ? 大丈夫そうなのかい」
 そんな福沢に与謝野が問いかけてくる。固く唇を引き結んだ後、福沢は大丈夫だろうと言っていた。
「国木田には充分にみる目がある何より……私にはどうもあの男が悪くは見えない」
 最後の言葉を言うか悩んだが、それでも福沢は口にしてしまっていた。言った後に少しだけ後悔するが、それでもそれはたしかな福沢の意見だった。


「……」
「……」
 静かな時間が流れていくのに福沢はどうしたら良いのだろうかとチラチラと目の前にいる相手を見た。蓬髪が見える。福沢の前にいるのはつい先日無事に探偵社へ入社した太宰であった。
 太宰は福沢から視線をそらしながらグラスにはいった酒を飲んでいる。口を小さく尖らせて何も言ってこないのにどうするべきかと福沢は自分も手にしていた酒を飲んでいた。共に飲みに行かないかと誘ったのは福沢であった。
 正直あまり近付きたくはなかった。酷いことを思っている自覚はあるもののどうにも太宰は近付くと自分が自分でなくなるような不安があって近付くのが嫌であった。
 探偵社に入社してくれたことを嬉しいとは思ったのだけど、同時に福沢には恐ろしくもあったのだった。ならどうして声をかけたのかと言うとそれが慣例であったからだ。
 探偵社に入社した社員と一度夕食を食べに行くのは何時の頃からついた慣例で、共に食べていくことでより分かることもあった。
 勿論本人が嫌と言えば無理強いはしないので誘われた太宰の瞳が大きくなるのをみて、福沢は断ってくれないかとそんなかとを願ってしまった。
 驚きはぁと嫌そうな声までだした太宰はそれでも頷いていた。嫌なのなら良いのだぞと再び同じ台詞を言いそうになったのをそれではと飲み込んだ福沢は仕方なく太宰と飲みにきていた。
 定員に注文してからと言うもの会話はなく太宰は長いこと酒を飲んでいた。
 実に気まずい雰囲気である。何故太宰も頷いたのかとそんなことを思ってしまうぐらいには気まずく何かと話すことはと考えるもののでていく言葉もなかった。そんな時間がどれだけ過ぎていただろうか。酒と食べ物だけが消費されていく。食べ物に関しては統べてなくなったのに太宰の目がちらりと福沢を見た。ちらりと見てからそらされ、かと思うともう一度みる。形の良い唇からため息が溢れて、そして太宰はその口から音を出した。
「もしかして、……ではないですね。社長って私に好意のようなものを感じていませんか」
 太宰の目は何処も見ていなかった。その顔は福沢のいる所に向いているのだが、目だけが光を無くして何も写していない。そして静かに紡がれていく言葉。ぴくりと福沢の肩が跳ねた。太宰を見つめるのに太宰はその口許に緩い笑みを浮かべているだけだ。
 乾いていく喉。
 口の中、砂漠のようになるのに何故と細い声がでていた。太宰の口許がふっと笑って得意なんですよねと口にしている。
「人の気持ちを読むの得意で。そのなかでも特に貴方は読みやすかったから……、戸惑ってどうして良いか分からない事をちゃんと分かっていますよ。
 だから教えてあげますね」
 あのね。
 太宰の口が動く。褪せた瞳が福沢をまっすぐに見ていた。
「それは呪いです。
 貴方のその気持ちはただの呪いにしかすぎません。好きだなんて勘違いです。貴方は呪われてしまっているだけなのですよ」
 太宰の口はとても静かに音を紡いでいた。はぁと福沢が見開く姿もその目には写らなかった。しばしの間無音になる。そっぽを向いた。太宰は酒を飲んでいる。福沢はその口を何とか動かしていた。
「何を言っているのだ」
 やっとでた声は低く掠れていた。震えているのに太宰の目がちらりとだけ福沢を見た。
「ですから呪いといったのですよ」
 視線を感じたのだろう太宰は吐き捨てるように告げる。悪い呪いです。なので悩む必要はない。今まで通り生活し私の事など忘れて生活していればいづれに消えてなくなります。その口は音を紡ぐ。安心してくださいと太宰が言うのにふざけているのかと福沢が低い声で聞いていた。
「貴殿はふざけているのか」
 太宰が酒を一口飲む。
「いいえ、ふざけてはいませんよ。私は本当の事を教えてあげているのです。貴方は呪われていると。その呪いは私ではどうにもできませんが。きっと時間が解決してくれます」
 口許に笑みを浮かべ太宰はコントロールした美しい顔で言っていた。
「ふざけるな」
 福沢の声が店内に響いた。ぴくりと跳ねた肩。太宰の目が見開いて福沢を見つめる。えっと開いた口。周りの客が二人を見ていた。はっとした福沢が頭を下げて席につく、福沢の目は太宰を睨んでいた。
「確かに呪いのようだと思うこともある」
 福沢から言葉がでていく。その声は低く震えている。怒りを抑えるように時折福沢は自分の唇を強く噛んでいた。
 銀灰の瞳は鋭く逸らすことも許さない。硬直した太宰は福沢はただ見ていた。
「こんな気持ち何かの間違いだ。そんな気持ちはあり得ないと何度も否定し続けてきた。今だって否定したい。それでも間違いだと言いきれぬし、否定できない。
 認めるしかないのが現状だった。見て見ぬふりをしたいがそれもできぬ。貴殿を好きな気持ちは私の中にある。
 その気持ちを呪いだと言われたくはない。」
「でも呪いです。貴方のそれは呪いでしかない」
「違う。私の思いは思いだ。呪いなどと言われるものではない」
 太宰の口が小さく開いた。泣き出しそうに歪む顔を福沢の目が驚いて見つめる。険しい目元。さっと太宰が視線を逸らした。
「認めないのは勝手ですが苦しむのは貴方ですよ」
 俯き小さな声が太宰からでていく。
 小さな針が刺さり続けているような居心地の悪い時間が二人の間に流れた。福沢の目が太宰からそれた。どうしてよいのか悩んだ末、福沢は目の前にあるグラスを手にする。酒を一口飲んでそれから動かした。
 一回二回。音もなく動いてそれからもう一回口が開く。
「お前は嫌か」
「はい? 何がですか」
「私に好かれているのは嫌だろうか。
 私の心までもを否定されるのは許せないが、でもお前が嫌なのであれば思い続けるべきではないだろう。すぐには無理でもお前のことを好きでなくなるよう努力はする。極力お前にも近付かないようにする。書類なども適当に乱歩の机の上、置いておいてくれたら私が取りに行く。あれの机は誰も触らんし、乱歩もほとんど触らないから大丈夫だろう
 だから」
 福沢の声が紡いでいく。太宰の俯いた福沢がそれに合わせるようにさらに俯いてた。蓬髪で隠れ太宰の顔は福沢には見えない
「……別に嫌ではありませんよ」
 随分と長い間を開けて太宰は答えていた。小さな声で捻り出すのに福沢はほぅとしたように息を吐く。よかったと知らずその口から声が溢れていた。小さな声で捻り出すのに福沢ははっとしたように息を吐く。良かったと知らずその口から声が溢れていた。俯いた太宰から誰にも聞こえないような小さい声で囁く。その手が薬指の付け根を撫でていた。


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