「大丈夫か。なんて聞くのは馬鹿馬鹿しい事なのだろうな。そのまま動くな。座っていろ」
 大丈夫ですよといつものように笑おうとした太宰に振ってきたのはそんな低い声だった。じっと見下ろしてきた銀灰の眼差しは鋭く、眉間には深い皴ができていた。一見すると怒っているようにも見えたが、伸びてきた手はそれとは真逆の優しいものだった。
 太宰の頭をふわふわと撫で、それから太宰の頬に触れてきた。目元のあたりをなぞるのに太宰はあっと声を上げた。力を入れてぬぐい取った後、福沢はその手と太宰の顔を見て来た。
 福沢の口からはぁとでていくため息。その指先には福沢の肌の色とは違う色のファンデーションがついている。太宰からは確認できなかったが、太宰の目元はつけていたファンデーションが取れてくすんだ色が出ていることだろう。何もこんなことまでして隠す必要などなかっただろう。
 福沢がそう言ったのに太宰はヘラりと笑った。依頼人に会う可能性もあったので。身だしなみは大事ですからね。何て馬鹿げたことを言うのにさらに福沢から出ていくため息。こんな状況なのに仕事をさせるわけないだろう。すぐにベッドに運び込む。でも仕事がありましたから。福沢の言葉にさらに笑っていう。
「お前は……」
 福沢の目が太宰を見てくる。
「仕事などほとんど興味がないと思っていたのだが、よくそう言ったことを言えるな」
福沢から聞こえる低い声。太宰の目が丸く見開いて貴方もそんなこと言うんですねと少し驚いたように口にしていた。たまにはなと福沢は答える。少々苛ついてしまったとふぅと息を吐きだした福沢が言うのに太宰はそれはすみませんと言っていた。
 すぐに帰りますからと立ち上がろうとするのに福沢の手がその動きを止める。
大前に苛ついたのは確かだが、帰ってなかったことに苛ついていたわけではない。こうなるまで気付かなかったこと、そして、こうなるまで何も相談されなかったこと。そう言った自分自身に苛ついていただけだ」
 だからお前は気にするな。福沢がそう言うのに太宰は少しだけ丸くした目で見ていた。はぁと口から出ていく声は小さい。ぱちぱちと繰り返す瞬き。小鳥と首を傾けながら不思議そうにしているのに福沢は困ったように目元を少し下げて太宰を見ていた。
 分からぬかと太宰とに問いかけてくる声。こくりと首が頷くのに合わせて蓬髪が揺れる。そうだろうなと低い声は困りながらも言っていた。
「お前はそう言うやつなのだろう。器用な奴だと思っていたが、存外不器用だったのだな。もっと早く分かってやるべきだった。すまぬな」
 福沢の言葉にますます傾いていく太宰の首。何の話をされているのだと思ったのに福沢の手が太宰に伸びて頬を撫でていく。撫でていた手が止まって、頬の中央より少しした、一番ふっくらとしている個所を押す。太宰の口が少し動いた。強く押されるのにぐっと奇妙な声が出てぼこりと頬が動く。押しながら無理矢理開かされた口の中から白い綿が飛び出していった。ふぅとまった福沢がため息を吐く。飛び出した綿を捨てながら落ちくぼんだ頬を撫でていく。
 お前はごまかすのが好きだなと言ってくるのに太宰はあいまいに笑っていた。元気な顔の方が依頼人の受けがいいですから。そんなことを言うのに仕事の事を考える前に休むことを考えろと福沢は口にしていて。
「しんどい時は休んでいいのだ。お前はなぜそれが言えないのだ」
 しんどくないからですよ。笑って言おうとした言葉は言い切る前に遮られてしまう。
「聞いても無駄なのだろうな。それならばいい。こちらが勝手に判断したらいいだけの話だ。今のお前はまともに仕事ができる状態などではない。明日は休み。今日は今これから大人しく私の家に来てもらう。お前の家ではどうせ大人しく眠ってもくれないだろうからな。私の家でゆっくり休め。
 よくなるまでは私が傍についているから」
 穏やかな声の福沢が太宰にそんな話をした。


 ぱちりと目を開けた太宰はああ夢かと吐息を吐き出していた。
 懐かしい夢を見たとぼやけた天井を見上げる。橙色の光が灯る天井はぼやけているものの福沢の家のものだと分かる。昨日は泊まることになってしまったのだったかとその事を思い出した。
 懐かしい夢を見たのはそのせいだろう。初めて太宰が福沢の家に泊まった日の出来事であった、今回のように半ば無理やり連れてこられて布団の上に押し込められた。そのまま二三日福沢に世話を焼かれることになったのだ。福沢と二人で話すことはそれ以前からよくあったことだが、そんな風に世話を焼かれることはそれまでなかったことで少しばかり困惑したことを覚えていた。
 何徹かして立ち上がることさえできなくなっていた頃のことだったから仕方なかったのだろうと居間になると思う。あの日から太宰と福沢の距離は少し近くなった。
 何かあれば福沢が声をかけてきて、太宰が疲れたと思う前に福沢が強制的に休ませてくる。疲れてないから休む必要などありませんよと太宰が言った時に、福沢はお前の疲れたは、動けなくなってからのことだろう。そうなってからでは遅いのだと言って聞き入れてもくれなかった。面倒だと思い、どうにか逃げられないかと思ったことがあるものの、本気で逃げ出すつもりにはなれなくて福沢に云われるままにしていた。
 それが多分恋した一番の理由であった。
 面倒で助かる気すらなかった太宰に差し出され続けていた手。精一杯のやさしさで触れて声をかけてくれた。そんなところに太宰は恋をしてしまったのだと。あの時無理矢理にでも手を振り払っていればこうなることはなかったのだろう。
 ぱちぱちと太宰は瞬きをする。つまりはあのころから間違ってしまっていたのかと思うもののやり直すすべなどなかった。
 ごろりと布団の上に頃がる。福沢の匂いがしてくる。その匂いに太宰はどうしようもないほどの愛おしさを覚えた。










 数分したころ福沢が太宰の様子を見に部屋に来た。
 調子はどうだ。そう問われたのに大丈夫ですよと答えたが、頭はがんがんと鳴り響いていた。胃の奥から吐きあがってくるような感覚があるのに、太宰をじっと見つめた福沢は、今日は休みだなと呟き携帯を手にしていた。
 るると電子音が鳴る。国木田か。すまぬが太宰が体調を崩しているようでよくなるまでは休めるよう頼む。私も少し様子を見てから行くので遅くなる。また出る時になったら連絡する。あ、与謝野か。……否、良い。診てもらいたいが、どうも本人が嫌なようだ。仮病ではない。安心しろ。否、仮病の方がありがたいか。かなり調子が悪いようでな。弱まっているのをあまり知られたくないのだろう。他の者には太宰が体調を崩していることは言わないでやってくれるか。適当に連絡が途絶えたとか、もしくは勝手に出張任務に云ったなど伝えたら納得するだろう。そうだな。ああ。だがもう仕方ないだろう。太宰が毎日真面目に仕事し始めたら逆に恐ろしくないか。そうだろう。それは、そうだな。とは言うものの今無理やりやるものでもないだろう。時間が必要だ。お前の気持ちはわかる。私も同じ思いだ。だがだからこそと言うのもある。今しばらく待って。ああ。それでは頼んだぞ。私も午前中のうちには社にいくから。では。
 通話が終わったのだろう耳元から離した携帯を懐にしまっている。太宰はその姿を見ながらその目を何度か瞬かせていた。ちゃんと休めよと福沢が太宰に向かって声をかける。順番が違うのではないだろうかと思いつつも太宰は何も言わずに布団の上から体を起き上がらせる。なぜ今起きたと福沢が低い声で聞いた。
「病人扱いされていますが、左程体調が悪い訳でもありませんので、ご迷惑をかけてしまう前に家に帰ろうかと」
「……私相手にその嘘が通用すると思っているのか。
 お前の具合が悪い事ならばすぐに分かるぞ」
 にこにこと太宰が笑うのに福沢は鋭い眼差しで見てきていた。ぎゅっと睨みつけて低い声をだすのに太宰はヘラりと笑う。大丈夫ですよと涼しげな顔で口にするものの喉元にはすでに逆流していたものが届いており、眼球も熱くなっていた。はぁと福沢がため息を吐く。
「お前がそうやっていうときほど駄目なやつなのだ。顔色も体内をコントロールして正常の色に見せかけているようだが、いつもより赤みがあって逆に不自然になっているしな。
お前を見てきているからそれぐらいの事、分かる。騙せると思うな」
 ため息を吐いた福沢が太宰に向けて話していた。呆れを込め指摘していた声は、途中で一度止まると呆れながらも柔らかなものに変わって、福沢の目元が細まってゆっくりと太宰に向かいほほ笑んでいる。
 膝を折って横に座った福沢の手が太宰に伸びる。太宰は逃げるように後ろにその身を引いてしまった。福沢の腕が止まる。じっと見てくる瞳。少し引いただけで動きを止めた太宰もじっと福沢を見る。
 それ以外の動きがないのに福沢の手は再び動いた。太宰に真っ直ぐと向かってくるが、今度は太宰は動かなかった。そのまま固まっているのに福沢の手が太宰に触れていく。頭に撫で、頬を撫でる。やはり痩せているなと福沢がため息とともに呟いている。
「だが、具合が悪そうなのはそれだけが原因ではなさそうだな。ここ最近はお前が勝手に動き回る必要があるほど忙しくはなかったと思うが、何かあったか」
 太宰の頬を撫でながら福沢は問いかけてくる。心配している目になにもありませんよと答えたが、それだけではその目の心配を取り払うことはできなかった。そうかと息をついて頷き、ではどうして体調が悪いのだと聞いてきている。
 答えることはできないが、何もないといっても福沢は信じないだろう。考えた末に太宰はにっこりと笑う。ぼやける視界に時折目を眇めたくなるが、それをしてしまえばばれてしまう恐れがあるのでこらえていた。
はぁと福沢は再びため息を吐いた。
「聞いても答えんのは昨日聞いて分かっていたことか。伝えたくないなら今は無理に聞き出すことはせぬが、心配しているのだ。体調不良を隠すことだけは止めてくれ。しんどいならいつまでも休んでくれて構わないから無理はせず言ってほしい。言わずともわかることではあるのだがな」
 ふわふわと撫でながら告げてくる言葉は直前のため息からは予想できないぐらいに優しい声をしていた。耳にゆっくりと溶け込んでいく声で太宰にもはっきりと聞こえていた。
 だから大人しくしていろと福沢の手が太宰の背に回り、起き上がろうとしていた体を布団の上に沈めた。朝食を持ってくるまでは寝ているのだぞ。そう言って去っていくのに太宰はそっと息を吐きだす。
二重の天井を見上げてどうしてなのだろうかと考えた。昨日の会話から全く覚えはないものの福沢は太宰に何か悪い事をしてしまったと思っていることが分かった。それならば距離を置いてくれるだろうと思ったのに。距離が離れることはなく、福沢の様子は前までと同じだった。
触れられた頬を太宰の手が触れていく。福沢の手は大きく暑いぐらいだったが、太宰の手が触る感触は冷たい。こんな手よりもあの手にもっと触れらえていたかった。一瞬そう考えてしまってから首を振る。
 早く福沢の家から出ていきたいと思ったもの体が動くことはなかった。動けないほどしんどいわけではないが、今動いても捕まってしまうのが目に見えていた。場合によっては無駄に動いてしまったことで体調が悪化するかもしれない。今も尚頭の痛みは酷く耳鳴りも聞こえ始めている。これ以上悪くなっては昨日のように動けなくなる可能性もあった。そうしたら今回は逃げられたが与謝野に見てもらうことになるかもしれない。そうならないよう福沢が出かけるまでは待つことにしたのだ。
私が行くとは予想もできないところに隠れたらいいだろう。そう思って目を閉じた。

 
だが、その日の夜。太宰の目の前には福沢がいた。お前はどうして勝手に家を出ていくのだとため息をつきながら太宰を見ていた。回復するのを待っていた太宰に伸びる手。抱え上げあられるからだ。
 無言で連れていかれるのに離してください。行きたくないですと告げる、すまぬなと福沢は言っていた。
「お前が心配だからそれはできぬ。それに……」
 福沢の声が途切れる。何かを言おうとして口を閉ざした福沢は話題を変えるように太宰にそれよりと聞いていた。
せたにしても随分と感触が変わったように思うのだが、何かあったのか。ただ具合が悪いだけかと思っていたが何かの病気か」
 あくまでも心配して問いかけてきた声に太宰の顔は真っ蒼になっていく。やはり下ろしてくださいと暴れるが福沢の手が外れることはなかった。



「これで最後の一口だ。だからほらあーーん。食べられる筈だから口を開けてくれ」
 福沢が穏やかな声で優しく促してくるのに、太宰はゆっくりとその口を開けてしまっていた。口の中に入れられるスプーン。その上にはおかゆが乗っていて太宰は口に入るやいなやごくりと飲み込んでいた。
 胃の中に落ちていく感覚を嫌に思いながら太宰は目の前にいる福沢を見る。
 福沢の手が太宰の頭に伸びていい子だなと撫でてきていた。福沢の声は何処までも穏やかで優しい声だ。その声が最初のころはそんなもの出せなかったことを少し前に思い出した。思いを伝えるのが不器用な人で昔は優しい声を出そうとするほど固い声を出していた。
 ほほ笑むなんて言うことも苦手でぴくりとも動いているように見えなかったのだ。それが今のように理想の母や父のように穏やかで優しい声を出せるようになり、柔らかに笑えるようになっていく、その変化を一番感じていたのは恐らく太宰だった。
優しくしよう。包み込むように大切にしようと、太宰に接してくれようとしていた中でその変化は起きていたから。
 何も感じていなかったその変化にもう一度気付いたところで感じたのは愛おしさや嫉妬と言うようなものだった。自分のために変化してくれたのだという嬉しさ。その笑みを他の人には見せないでほしいという醜い心。
 ぐるぐると渦巻くのに貴方がそんなのだから恋したし飽きられなくなってしまったのだと。福沢相手にそう思ったりもした。
 その福沢が優しい顔をして太宰を見る。ふわりと微笑むのに数日前と同じような思いがあふれる。ぐちゃぐちゃになる心。なんで離れてくれないのだとそう思うのに、片づけてくると福沢は立ち上がっていた。最後に太宰の頭を一つ撫でていく。すぐ戻ってくるから待っていてくれ。
 そう告げて去っていく背を見つめて太宰は目を閉じる。待っていて等やるものかと思ったけれど太宰の目が閉じることはなかった。


 あれから太宰はずっと看病されて過ごしている。体調がよくなることはない。もともと薬のせいでおかしくなった身体だ。多少良くなることがあっても治るはずはなかったのだ。一週間近くたつのに福沢は嫌がる様子もなく楽しげに看病してくれている。
 仕事でいない時以外は太宰の傍に居て、太宰の様子をじっと見てくれていた。ずっと優しくしてくれる姿に太宰はああ、だからだと一つあることに気付きだしていた。


[ 102/312 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



×
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -