「太宰」
「……」
「太宰」
「……」
「太宰」
「……」
「外に遊びに生きなさい。太宰」
「……」
「太宰」
「…………福沢先生嫌い。僕ここにいるもん」
「太宰」
「……」
 頬を膨らませぷいっとそっぽを向いた園児の姿に福沢は吐き出しそうになったため息を何とか堪えた。外からは子供たちの明るい笑い声が響いてくるのに一人室内に残った園児は両膝を抱えた小さく丸まった姿で部屋の隅に座り込んでいた。誰が呼びかけてもこの姿勢から動かない。他の先生や仲のいい子たちから声をかけられても一歩も動かない。それがもう四日は続いている。お昼寝の時間さえここで眠る頑固さだ。福沢が無言で圧をかけてみても身じろぎをするだけで動こうとはしない。むしろ警戒するように睨み付けてくる。
 無言の攻防がしばらく続いた。
 園児の目がちらりと上を見る。
 福沢もそれにつられて見上げる。園児の手が届くことない高い場所に棚が一つ。その上には一冊の本が置かれていた。その本こそこの騒動の原因だった。

 そもそも今福沢の前で駄々を捏ねている園児、名前は太宰治と云うのだが太宰はある意味で問題のある児童であれども大人しく先生の言う事は素直に聞く手のかからない子供であった。それがこんなことになっているのは手の届かない所に置かれてしまった本が他のどこかに持っていかれないかを見張るためである。本は元々太宰の持ち物でそれを取り上げられてしまったのだ。とは云っても福沢や他の先生も何も意味なく取り上げたのではない。これには深い事情がある。
 何を隠そうその本のタイトルは完全自殺読本。園児の教育上大変宜しくないものであった。
 太宰が園児には大きすぎるその本を大事そうに抱きしめて登園してきた時は先生全員が固まって動き出すのに数分時間を要したほどの衝撃が走った。まさか……。ただのタイトルだよね。中身は普通とは云い難いかもしれないが只の小説だよね。とそれぞれが思いながら読みふける太宰の上から覗き込めば図鑑のように写真や図解が乗っていて……書かれている内容は自殺に関するものだった。タイトル通りの本だった。
 それとなくそれは読まない方がいい本じゃないかなもっと別の本を読んでみないと声をかけてみたが何で? この本善い本だよ。自殺って素晴らしいね、おくが深いやなんて言われる始末。唯一の救いは他の子供たちには漢字が読めなかったことだが、太宰がいつも大事そうに抱えているから興味を持つのか多くの子がそれ何の本と聞く。太宰も律儀に答えていた。興味あるなら一緒に読むなんて付け加えて。
 早急にどうにかしなければと対策会議を行い決まったのが、園に必要のない私物の持ち込みは禁止するという案だった。即日実行。決まった日に園児とその親に伝え、その翌日からは他の子供たちは円が持ってくるよう指定したもの以外何も持ってこなくなったのだが、肝心の太宰はその日も本を抱えて登園してきたのだった。持ってきてはいけないものだよと何人もの先生で説得してもこれは私にとって必要なものなのないと駄目なのと云っては持ち込み続けた。最終手段として取り上げるまでに至ったのだが取り上げてからが酷かった。普段は大人しく暴れた事など一度もない太宰が取り上げた瞬間から泣きわめきそれでも返されないと分かると先生に手を上げ暴れ始めたのだ。何とか宥め本は目につくところに置くことで話を付けたのだが、その後は隅に陣取ってそこから一歩たりとも動かなくなってしまったのだ。毎日帰りの時刻になると返し、明日は持ってきたら駄目だよと告げるのに、必ず太宰はそれを抱いて登園してくる。
 母親に協力を頼んでもはぁ、そっちで何とかしてください。そっちの問題でしょうと云った具合で何の役にも立たない。これには全ての先生が呆れ殺意を抱いた。元々太宰の親は自分の子供である太宰に対して興味が薄く話しても無駄だとは分かっていたが、それでもその迷惑そうな態度は何だ。そもそもあんな本を買い与えた親の責任だろうがと全員が云いたかった。幾ら太宰が賢かろうと園児があんな本を買えるはずもないのだから。何を考えているのかと問い詰めたくなる衝動を毎日抑え込んでいる。

 そう云った経緯の元の今。福沢は本を見つめ、それからまた太宰に目を向けた。太宰の視線は本に注がれている。
「太宰」
 声をかけても視線一つ寄越さない。
「こうは云いたくないがあの本は子供が読むものではない」かといって大人が読むものでもない。「お前の宝物だと云うなら否定はしないが他の子たちには悪影響になりうる。園には持ってこないで家で保管していなさい」
 本当は否定したい所だが事情も分からないのにそこまでは踏み込めない。太宰の心に傷をつけることにもなりかねないのだ。兎に角今言えることだけを口にした。残念ながらはいと返ってくることはない。嫌だとちらりと寄越される目は告げている。
 福沢は諦めて踵をかえす。
「外で他の子たちと遊んでいるから、太宰も遊びたくなったらいつでもおいで」
 声をかけても言葉は返ってこない。太宰の視線は本に向けられたまま。後ろ髪引かれながらも教室を出ると、ふっと小さな声が聞こえた。
「だって…てるとすて…………あさんが……めてく…………のに」

 途切れ途切れの言葉に福沢が振り向いても膝に顔を埋めた太宰がどんな顔をしていたのかは分からなかった。だけどその声は今にも泣き出してしまいそうなものだった。




「……よ! 私が何したって!!」
 甲高い声と共にガチャンと何かが壊れる音が響いた。その音に太宰は本を抱きかかえて身を丸くする。ぎゅっと握りしめた手は真っ白になっていた。

 太宰とて自分の本が普通じゃないよく思われないものであることぐらい承知している。でも仕方ないじゃないかと思う。太宰のものはこれしかないのだから。太宰が園から帰ればまず行われるのは服を脱がされることだ。顔も知らない父が自らの体裁を保つためだけに入れられた園の服を母はよく思っておらずそれを着る太宰を見ると機嫌が悪くなる。その姿を見るのが嫌で何時も帰れば強引に脱がされ八つ当たりの対象とされる。園指定の鞄だってそうだ。剥ぎ取られないのは太宰が持つ本だけ。自分が買い与えたものだけは太宰が持つことを許してくれる。太宰の持つ本は何もくれない母が太宰にくれたたった一つのものだ。
いつだったか怒って帰ってきた母が太宰に叩き付けた。直撃したにも関わらず泣きもしない太宰を母は気味悪そうな眼で見つめ、それからあの男に送りつけてやるつもりだったけどいいわ。あんたにあげる。あんたも私にしたら早くあの世に行ってもらいたい奴だしねと吐き捨てた。
 決していい意味で贈られたものではない。分かっているけど初めてもらった本。何一つ太宰の物がない家で太宰の物だと言える物。太宰にとってそれはどうしたって宝物になった。だけど唯一許してもらえるものでも家に置いていて母の目に邪魔に写りでもしたら捨てられるかもしれない。すぐ手元に置いていないと誰かに取られてしまう事になるかも……。不安でその本から目を離せなかった。



 
 翌日も本を太宰は持ってきた。取り上げられないように抱きしめて隠れるがあっさりと見つかり握りしめていた本を取られてしまう。また棚の上に置かれるのに太宰はその部屋に閉じ籠る。先生たちがこう云う事をするのは周りの事だけじゃなく太宰の事も心配してくれているからだというのは太宰自身幼いながら分かっているがそれでもこういう行動を取るのを止められなかった。
 じっと本を見つめる。
 ガラッと戸の空く音がするのに太宰の肩が跳ねた。誰が入ってきたのかと横目で確認する太宰の姿は警戒心の高い猫のようだった。その姿に福沢は苦笑を漏らし、教室の中に入る。太宰と呼びかけても返事は帰ってこない。視線をそらす太宰に福沢は距離を縮める。手が届く距離になって顔をそむけていた太宰が身じろぐ。ただでさえ隙間なく詰めていた壁により詰め寄って張り付いた。
「太宰」
 目線の位置を合わせて呼びかける声。近いそれに太宰は限界まで顔をそむける。
「これを見てはくれないか」
 いつもとは違う言葉に太宰の顔がわずかに振り向きかけた。途中で止まった太宰は何を云われたのか思案してそれからゆっくりと目線だけを動かした。顔は中途半端に止まったまま。福沢が持つものを見て太宰の目が瞬く。興味を抱いたのかじっと見つめてくるのに福沢は空いている手を口元に添えた。
「皆には秘密だぞ」
 潜めた声が告げる。その声につられて太宰は福沢を見る。
「私からの贈り物だ」
「……贈り物?」
「ああ」
「……私に?」
「そうだ」
「…………くれる、の?」
「太宰にあげるんだ」
 不思議そうに小さく問いを重ねるのに帰ってくるのは潜められた力強い声。いつの間にか体ごと福沢の方を向いていた太宰に福沢が手を出してくれるかと聞く。おずおずと差し出される小さな手。その手の上に持っていたものを置く。それは太宰の小さな手にも乗るミニサイズの本だった。初めて見るそのサイズの本を太宰はまじまじと見つめる。
「本当に私に」
「そうだ」
「……じゃあこれは私の?」
「ああ。もう太宰の物だ」
 握りしめた本は片手には大きいが両手ならすっぽり隠せてしまう。ぎゅううと太宰は握りしめる。
「これならば鞄やズボンのポケットに隠して持ち運べる。持て来ても大丈夫だ」
「いいの?」
「その代り他のものには内緒だぞ。私と太宰の秘密だ」
「…………うん」
 頷く太宰の頭を福沢の手が撫でる。嬉しそうにその口元が綻んだ。








 園児達の明るい声が聞こえてくるのに小さくだが頬を緩ませた福沢は園児達が遊ぶ中庭から少しだけ視線をはずした。中庭から少し外れた奥まった所には野花が咲く自然にできた小さな花畑がある。そこでは一人の園児が小さな手で懸命に花束を作っているところだった。工作で使った折り紙を何枚も用意してそれに包むつもりなのだろう。作業している様子をみる限り中々凝ったものを作りたいみたいだ。が、小さな手では上手くできないようで先程から何度も失敗しては作り直すを繰り返している。
 むーと小さな唇が尖ってそれからぱあと作りかけだった花束を放り出した。ぼすんと地面の上に転がる。ぱたぱたと両手を振り回すのにそろそろ行くかと足をそちらに向けた。その時、
「なさけねぇ。こんなんもできねえのかよ」
 ふふんと鼻を鳴らしてもう一人の園児が花畑にやって来た。むくと転がっていた園児、太宰治は体を起き上がらせた。その顔は幼いながらも嫌悪を浮かべている。
「君には関係ないでしょ。あっち行ってよ」
 言うや否やぷいとそっぽを向いて花を積み始める。また花束を作ろうとしているようで四苦八苦を始める。すぐにやって来た園児、中原中也の事など忘れ没頭し始めた。それが面白くないのだろう中原は少し乱暴な動作で地面に座り込む。ぼすりと音がなるのに太宰の目が少しだけそちらに向く。でもむっと言う顔をしてすぐ他所を向いてしまった。太宰をみて中原も花に手を伸ばした。
 手伝いに行こうと思っていた福沢は二人の様子に見守ることに決め、他の園児たちも見ながら二人もみていた。太宰が花に熱中している姿に嬉しい気持ちが溢れた。
 暫くして上手くできなかったのだろう。太宰はまたごろんと地面の上に横になった。むうと頬を含ませてぱたぱたと手を振る。ほらとそんな太宰の前に綺麗に飾り付けられた花束が差し出された。
 差し出したのは中原だ。
「ほら、やるよ。欲しいんだろ」
 大きな目がさらに大きくなって花束を見つめる。それから中原に向けられた。何度も往復してからぷいと他所を向く。
「いらない。僕自分で作るもん」
「な!」
 がーんと音が聞こえた気がしたが中原はそれではおれなかった。さらにずいと差し出しながらやると大きな声を出す。
「お前全然できねえからな。このままやっても華がなくなるだだろ」
「そんなこと」
 ないもんと抗議しようとした口が勢いをなくす。目が下をさ迷う。ばらばらに散った摘ままれた花たちをみた。まだ咲いている花も沢山あるとはいえかなりの量取ってしまっている。ぷくぅと頬が膨らんで上を見上げる。悩むようにしながら太宰の手は恐る恐る伸ばされた。その手に花束が渡される
「ありがと」
 不満そうでありながらも太宰からお礼の言葉が聞けて中原は満足そうに目を輝かせた。
「ういの」
「可愛らしいですね」
「ああ」
 いつの間にか近くに来て二人を見守っていた同僚達の言葉に頷いた福沢。その顔がんと少し傾いた。花束を手に携えた太宰がちょこちょことした動きで福沢の元に来ようとしていたのだ。ちょっとだけ下がった頭に何かあったのだろうかと見つめていると太宰のふっくらとした手が福沢の裾を掴んだ。
「ふくざわせんせ、」
 僅かに幼くなった声が福沢の名を呼び大きな目が俯きながら上目遣いで福沢を見てくる。小さな体がもじもじと揺れた。
そして……。
「おとなになったらわたしとけっこんしてください」
 真っ赤になった顔に嬉しさが混じった恥ずかしがるような声。はいと差し出されたのは太宰の握ていた
「はぁ!!」
 福沢が反応する前に中原が反応した。がーーーンとショックを受けている様子で太宰と福沢を眺めている。それをみてやっと福沢の金縛りが解けた。
「いや、これは「お、俺が作ったんだぞ! 他の奴に渡すんじゃねえよ!」  
 受け取れぬと告げる前に中原が叫ぶ。その目には涙がたまっておりふるふると震えて今にも落ちそうだった。園児ながらにプライドの高い彼は泣く姿を見られたくないのかちくしょーと捨て台詞を吐いて走り去っていた。その後を慌てて尾崎が追いかけていく。尾崎に任せたら大丈夫かと思い一番の問題の太宰を福沢はみた。太宰はキョトンとした顔をして固まっていた。
「太宰。気持ちは嬉しいがこれは受け取れん。中原がお前のために作ってくれたものだろう。大切にしてやらねば」
 目を合わせて柔らかな声で語りかけるのに太宰の肩が次第に震えていた。言葉の途中から涙が目に溜まり始め福沢がおどおどとしだす。ついには泣き出してしまい福沢はそれ以上言えなくなった。
「僕は最初からふくざわセンセに渡すつもりでつくってたんだもん! それをかってにちゅうやが作っちゃうから」
 うわーんと泣くのに一部始終見ていただけに強くは言えない。泣き止ませようと抱き上げるのが精一杯だった。
「だざいさん。どうしたんですか」
「だざいさん、なにかありましたか」
「だいじょうぶ」
 わんわんと泣く太宰に他で遊んでいた子が集まってくる。癖はあるものの園の中で人気者の彼が泣くのに他の子達も観戦されてみんな泣きそうになっていた。一部目をぎらつかせている者もいてだざいさんをなかせたやつはやっつけてやると何処かに行こうとするのは広津が抑えていた。
 どうにか泣き止ませようと立ちあがり太宰の肩を叩く。暫くすると大声をあげていたのが止まりしゃっくりが上がり出す
「僕はふくざわセンセにわたすつもりだったんだから。ぷろぽーずのぷれぜんとだったの」
「ああ、分かった。すまなかったな。だが、中原が作ってくれたものは受け取れん。……そうだ」
 ひっくひっくと喉をならしながら必死に訴えてくるのにうんうん頷いていた福沢はそれでもと言う。それにさらに泣き出しそうになった太宰に慌て何か泣き止ませるものをと探った福沢の目に入ってきたのは先程まで太宰がいた花畑だ。そうだと泣いている太宰に泣きかけている子供達合わせて声をかける。
「ならば今度は私と作ろう。中原が送ったものを受け取ることはできぬがそれならばありがたく受け取ろう。私からも太宰に贈るからそれで許してはくれぬか。皆も共に花束を作ろう」
 笑いかけるのに悲しそうだった子供達が少しだけわくわくした顔になった。そして太宰を見つめる。太宰は福沢に抱っこされながらぷくりと頬を膨らませてそっぽを向いていた。
「ぷろぽーずうけいれてくれるってやくそくしてくれなきゃやだもん」
 ぐずぐずと鼻を鳴らし不機嫌な声で呟くがその目から涙が引っ込んでいるのは見えた。福沢の視線から隠れるように肩に顔を押し付けてくる。
 どうしたらいいのかと無の顔になる。ここでただ否定したらまた泣くのではないか、かといって受け入れる訳にもいかない。苦肉の作が浮かんだ。
「今日一日抱っこしていてやるからそれで許してくれ」
 ばっと太宰の顔が勢い良く上がる。大きく見開き固まった目が福沢を見て数秒、花開くように明るい笑みを浮かべた。そしてぎゅうと首に腕を回してくる。こくこくと首は何度も縦に振られた。






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