ワン

 ある日、家の前で一匹の犬を拾った。ポメラニアンだっただろうか、確かそう言う名前の種類のやたらふわふわとした犬。その犬は茶色の毛並みを黒く汚していた。土汚れもあっただろうが、大半は血の汚れで体中、怪我だらけだった。
 捨て置こうかとも思ったがそうはせず拾った。
 家のなかに連れ帰り手当てをする。首輪はついていなかった。捨てられたか野良か、それとも。
 考えながら手当てしてぐったりと横たえた体を撫でた。
 昔似たような犬を拾ったことがあった。人を殺した後だった。後悔はしていなかったし、今でも相手を殺したことには何の後悔もしていない。そうすべき相手だったと思っている。それでも当時心は荒れ果てて自分は何のために人を斬るのだろうと考えたりしていた。明確な理由があった筈なのにそれが分からなくなっていたのだ。
 そんな時に拾った犬。人を殺す自分でも誰かに優しくできると思いたかった。ただそれだけの理由で傷だらけの犬を拾い手当てした。今思えば迷惑な話だっただろう。
 その犬のことを思い出しながら拾ったばかりの犬を世話した。
 とても臆病な犬だった。何をするにしても体が震えて手が近づいてくるのを怯えた。だが一度触れてしまえばすぐに安心してすり寄ってきた。不思議な犬だった。近づくのを怖がるかと思えば離れるのも怖がった。他の用事をしようと犬の傍を離れようとするとくーーんと鼻をならして見上げてくる。仕事のため外に出掛けるときは玄関先まできては寂しそうな目で見上げてきた。何日かした頃には草履を隠すようになった。とは言え怪我した犬が隠せる所など対したこともなくすぐに見つけてしまった。
 寂しそうな犬の姿につれていこうかとも考えたが犬はそれはいやがった。外につれていこうとすると大暴れして逃げていく。そして部屋のなかに隠れてしまう。仕方なくすぐに帰ってくるからと言う言葉を残して家をでた。
 罪悪感を抱きつつ向かった探偵社では何時も太宰の居場所について何かしら話し合われていた。何時も自分勝手に姿を見せなくなる社員はもう数ヶ月行方不明だった。どこに行ったのかとみんなが話すのを聞きながら家にいるだろう犬のことを考えた。
 昔拾った犬は、今回拾った犬より少し小さく子犬だったのだろうと思っている。実を言うと拾った時は犬と思っておらず何か奇妙な毛玉を拾ったと思っていた。ポメラニアンと言う名前を知ったのは拾った子犬がいなくなった後でそしてその名前を知ると同時にあることも知った。
 家に帰ると犬が玄関で待っていた。小さく丸くなっていて帰ってきた福沢をみてくんくん鼻をならす。触ってと言うように近付いてくる体を抱き上げた。抱き上げる一瞬は怯えられたが、抱き上げた後は安心して手に絡み付いてくる。小さな手が自身の手を遊ぶのを眺めながら居間に行き犬を抱えて座り込んだ。
 ふわふわの体を思う存分触れていく。もふもふしてよしよししてぎゅっとする。
 犬は少しだけ驚くが好きにさせてくれた。何処か嬉しそうだった。犬の目を見る。少しだけ黒い褪赭の色をしていた。見つめ微笑めば犬は驚いたように目を丸くしてそれから胸元に飛び込んでくる。抱えながらその頭を撫でた。
 兎に角目一杯犬を甘やかして世話した。
 もう何十年も前、初めて犬を世話した時よりうまくできたと思う。あの頃よりずっと手際よくそして優しく世話してあげられた。
 だからだろうか、思っていたよりも早く真実を知る日が来た。
 膝に載せてふわふわの毛玉を撫でる。犬はうとうとしていてもう少しで寝そうだった。一瞬寝たかと思ったその時、ぽんとなんだか軽い不思議な音がして膝の上の重みが増した。ぱちぱちと褪赭色をした人の目が見上げてくる。それは十数年前と全く同じ光景であった。
 違うのは頬を赤くしていく男が動けずに固まってしまったことと、福沢の手がその男の手を逃げないようしっかりと掴まえていることだった。



 ポメガバースと言う病気がこの世には存在する。
 正確に言うと体質なのだが、まあ、私からしたら厄介な病気としか思えないので病気としておく。どんなものかと言われると精神や体に一定の付加が掛かると犬のポメラニアンに変身してしまうと言う何とも訳の分からない病気だ。昔どこかの仮定で遺伝子のなかにポメラニアンの遺伝子が入り込んで、その遺伝子が強いやつがなる〜〜とかなんとか言われているそうだ。詳しくは知らない。知りたくもない。
 私には関係ないしと切り捨ててしまいたい。
 が、そうできない理由もあって、私はそのポメガバースだったのだ。
 そう知ったのは十五、六年前、まだ小学校にすらあがれていない頃で、そしてそれが最初で最後のポメラニアン化だった。少なくともそれ以降今までポメラニアン化したことはない。
 それは変化するほどの負荷が与えられることがなかったと言う話ではない。負荷は毎日のようにずっと与え続けられていたけれど、ポメラニアン化することが何よりの私の重荷だったのだ。それだけは避けるよう意識的にも無意識的にも動いていた。
 初めてポメラニアン化した時、私が人間の体に戻れるまで一年半近く掛かっており、そして私がどうして人間に戻れたのか、ポメラニアン化してから何があったのか数ヶ月後からの記憶をほとんど持っていなかった。
 覚えているのはポメラニアン化して直ぐ、両親に蹴られ投げられ投げつけられ、塵のように動けなくなったところを黒い塵袋に入れられ山に捨てられたこと。
 皮肉な話だ。
 ポメガバースのものがポメラニアン化するのは疲れがたまったのに対して脳がこれ以上はと警告をするから。ふわふわとした愛らしい姿になることで周りの人間の母性を刺激して優しくしてもらう。その為の姿。可愛い。愛らしい。大好きと沢山優しくされ撫でられることで元に戻ると言う。
 そのポメラニアン化が私から居場所をなくしたのだ。まあ、元々が嫌われ何時殺されるのかも分からない状況だったので少し早めただけにすぎないのだけれど。それでも親に捨てられ、そしてそこから力ない犬の姿でさ迷った記憶は私の中にトラウマとして焼き付いたようだ。私はポメラニアン化を何より恐れるようになった。
 これ以上やるとポメラニアン化すると言うのがわかるようになって、そうなる前に体はセーブにはいる。ほぼ強制的に睡眠につくようになり、嫌いな食事も喉を通る。二三日健康的に過ごしてもう大丈夫となればまた不健康な暮らしに戻る。それでもダメな時などもあるのでそう言うときはポメラニアン化を抑える薬を飲むときもあった。
 だがこの薬あまり効きは強くなかった。ポメラニアン化は精神を守るための自然治癒的なもので避けるものではないと言うのがポメガバースについての考え方なのだ。
 だから強いものはなくたまに効かないなと言う時もある。そう言うときは最終手段で薬をふんだんに使う。薬で頭パッパッラパーーにして負荷も何も分からなくする。大抵眠ってもダメな時はそもそも眠ってはダメなほど忙しいときなのだが、私の頭は優秀で精神がいかれていても良い作戦をいくつもたてられた。忙しい状況は薬を打ち続けることで抑え、休める状態になった瞬間気絶するように眠ってはポメラニアン化を回避した。
 わたしはそこまでポメラニアン化を嫌っていたのだ。
 それなのになぜなのか。
 私は考える。
 だけど答えは一つも分からなかった。
 答えは一つも分からなかったけど分かっていることは一つだけある。
 見える範囲私の体は全て毛で覆われていて、普段に比べるとかなり視線が低い。両手両足ともに地面についており、足だけでたとうとしてもたてない。
 そう今は私は十五、六年ぶりにポメラニアン化をしてしまっているのだった。その体で私はなぜか我らが武装探偵社社長の家の前にいる。何故か。それは分からない。
 二ヶ月前かにポメラニアン化をしてしまった私はどうして良いのか分からず横濱の町をさ迷った。こんな姿で探偵社にいける筈もなく一人どうしたら良いのかと途方にくれていた所を犬に終われ泥塗れになり、怪我してこれだからと思っていた所を不良に見つかりおもちゃにされた。さらに、逃げ込んだ先でストレスを溜め込んだサラリーマンに遭遇しサンドバックにされて、よろよろと倒れこんだ先は小綺麗なお店の前。うちの店に塵なんてあるんじゃないと近くを流れていた川に投げ捨てられた。
 その後も色々あって死にかけた私はどういうわけか気付いたらここにいた。
 全く分からない。記憶ももはやない。ポメラニアン化をしたのは恐らく二ヶ月前かだったがそれが正しいかすら分かっていなかった。ただたださ迷っていた果てここにたどり着いてしまったのだ。
 それにしてもなんで社長の家の前なのか。
 偶然にしても酷いだろう。せめて芥川君や鏡花ちゃんの家の前が良かった。そしたらきっと。
 何とか立ち去ろうと思うけど体はもう動かなかった。良くこんな体でここまでこれたなと思う。記憶にあるかぎりの最後の記憶は探偵社からそれなりに近い道で車に跳ねられたものだ。人間であればそう遠くはないと思うが、この体でこれたのは凄いと思う。と言うか良く死ななかったと思う。この体でも悪運が強くて嫌になる。
 出来ることなら後もう一欠片だけ体力を残していて欲しかった。せめて社長の家の前から立ち去る体力。こんなところを見つかりたくはなかった。見つかったところで私とは気付かれることはないのだが、でもあまり迷惑をかけるべきではないだろう。死にかけの犬が家の前にいるとか不快でしかないじゃないか。
 だから出来れば去りたかったんだけど、それは間に合わなかった。
 足音が聞こえたのだ。私の直ぐ傍に誰かがたつ。ぼやけていたけどその人がはいているのが草履であることはすぐわかった。顔を潜めるのに誰かと言うか恐らく社長はじっとその場を動かなかった。何をしているのかは見えることが出来なかった。首をあげる元気すらなかった。ただ横になっている、社長がしゃがむ気配がした。
 しゃがんだ社長は私の体に触れる。やはり犬かと社長が呟いた。今の私は犬だとすぐには分からないほど汚れていた。社長の手が私に触れている。色々確かめているようで動くことも出来ずそのままにさせていた。初めてポメラニアン化をしたことを思い出した。聞こえたのは母の悲鳴。化け物と叫ぶ父親の声。
 その頃ポメガバースはあまり一般的に知られた体質ではなかった。数十年前までは化け物の呪いだとかでポメガバースのものは隔離され隠されていたと言う歴史があり、その存在が世にでたのも最近。研究されどんなものなのか分かってきたのも最近。今ではたまに教育系のテレビで話されることもあり一般人でも知っている人がいるが、その頃は知らない人の方が多かった。
 だからまあ当然と言えば当然の反応だった。
 化け物が化け物がと父は私が動かなくなるまで蹴った。肩で息をしながら動かなくなった私を見下ろし、気色悪いと蹴飛ばした。運悪く母のもとに近付いたのにいや! 近付かないでと母はその場にあったものを手当たり次第投げてきた。その中には包丁もあった。
 ああ、そうだ。でもその場は台所ではなかった。私を殺すために持ってこられたものだった。何でそんなことを今思い出したのかは分からないけど思い出してしまった。その後塵袋に詰められ捨てられた。山のなか谷底に捨てられたが袋がいろんな所に引っ掛かって衝撃が抑えられ生き残ってしまったのだ。幸い食べ物がある場所で私は数日そこでいきられた。だけど野良犬だろう犬がきて私はその場を追われた。ぼろぼろの体で獣たちに追われながら山の中をさ迷い町にでたけど町は町で私に優しくなかった。
 ポメラニアンと言う種の犬はその頃、あまり多く知られてなくて見た人見た人私を化け物。妖怪だと恐れた。私が汚れていたのもあったのだろうけどそうやって言われてものを投げられたり追いかけられたりした。最悪なのは子供で子供は私を見たこともない生き物と楽しそうにみては、無邪気に笑って様々ないたずらをしてきた。毛を強く引っ張られごっそりとぬけたのはまだ可愛い方で、これ尻尾か。切ったら分かるだろうと鋏で切ろうとされたこともある。
 子供は恐ろしい生き物だった。
 スラム街で生きている子供たちも恐ろしかった。彼らは生きることに貪欲で私のようなものですら食べ物として狙ってきたのだ。捕まって肉をえぐられたことがある。一欠片ぶん焼いて食べて、一日してお腹を下さなければみんなで食べようとしてきたのだ。あの時なんとか逃げられて良かったと思う。さすがの私も人に食べられ死ぬのは嫌だった。
 それからも恐ろしいことは幾つもあった。それらを思い出してパニックになっていたが、体は動けないままだった。
 なんでこんなことを思い出してしまうのかと目を閉じてやり過ごそうとする中、社長の手が私を抱えあげてきた。社長の目と目が合う。銀灰の色をしている。抱き締められそして私は社長の家につれていかれた。
 私は社長の家で手当てを受けた。
 どうして手当てを受けているのか少しだけ意味が分からなかった。社長は優しい人だけどちゃんと分かっている人だとも思っていたから。だからどうしてと思っていると手当てを終えた社長は私の体を撫でた。その瞬間また昔のことを思い出した。体が少し震えた気がした。
 だけど社長の手が触れていくと今度は別の何かを思い出した気がした。気がしただけで思い出せるようなものは何一つなかったけれど。社長の手は熱くて優しかった。変な話だが何だか安心できて私は眠ってしまった。


 それから数日たった。
 どうやら私は社長の飼い犬になったようだった。社長からはそのようなことは言われてないし、ペットとして届けでもされてないだろうがきっとそうだろう。
 家の中のものがそう言っている。
 私用のペットフードにお皿だけならまだペットでないかもしれないが、トイレ用のシートや爪研ぎ用の板。遊ぶためのボールに居間と社長の部屋にそれぞれ二つずつ専用のクッションと毛布。社長の部屋には夜寝るためのスペースも別に作られている。完全にペットだ。私をずっと飼う準備が整えられていた。何だかなと思いつつ抗議をする気は起きず好きにさせていた。
 社長は良く私に触れてきた。怪我の確認をする意図もあっただろうが、それだけではなく慈しむようにも撫でてくれた。社長は猫ではなく犬が好きだったのかとちょっと悩んだ。もしやペルシャ猫とかそんな感じの毛が長い猫と勘違いしているのかとも思ったが、与えられるエサは犬用だった。勘違いはしてなかった。
 ならなんでと思ったが、いくら考えても答えは分からなかったので放置することにした。
 私に分かったのは社長の手は大きく心地が良いと言うことだった。何故だが社長に撫でられるのはとても安心した。何かを思い出すようなそんな気持ちになる日もあったが結局何も思い出すことはなかった。ただずっとこの手に撫でてもらえたらいいなと思った。社長の飼い犬でいられるなら人間に戻らなくても良いと本気で思っていた。


 が、そんな訳にもいかないようで、私は人間に戻ってしまった。
 ぱちぱちと瞬きをして社長をみてしまう。社長は少し驚いたように目を見開いたものの、それだけで、後はじっとみてくる。ばれていたとすぐにそう分かってしまって私は恥ずかしさで血が昇ってくるのを初めて体感した。動けないのにあれ? と一瞬だけ既視感を感じた。
 ふわりと社長の手が私を撫でた。私は思わず社長の名を呼んだ。社長は何故か謝ってきた
「すまないな」
 簡潔な言葉。
 何のことか全く分からず私はまた瞬きをしてしまう。この体制のことか。掴んだ手の事か。考える。社長の手は私の頭を撫で続ける。
「私はお前に無茶をさせてしまっていたのだな。疲れていることにも気付いてやることが出来ずすまなかった。しばらく存分に休むと良い。こちらで勝手に処理するわけにもいかず手続きが出来ていなかったのだが、長期休暇がとれるよつ準備はしている。ゆっくりと休め」
「はぁ」
 聞こえてきた言葉に私はまた首を傾ける。ポメガバースのものは疲れているからポメラニアン化する。と考えると社長の言葉は間違いではないのだが、でもなんでと思う。やはりばれている。その理由が分からなかった。じぃと社長をみるのに社長もじぃとみてきた。
「……そうか。まずはこちらの話をするべきだったか」
 私をみながら社長が何か一人ごちる。
「すまない。お前が元に戻ったら何を言うかとずっと考えてはいたのだが、私が思っていたよりもいきなりのことで順番を間違えてしまった。十何年か前も戻るのはいきなりのことだったが、あの時はもう少しだけ戻るまで時間が掛かった気がしたから」
「十何年か前……」
「そうだ。十何年か前、私は犬を一匹拾ったことがある。その犬は酷い怪我をしていてな。手当てをして世話をしていたのだが、半年ぐらいたったある時、突然人間の体に変化してそれで私をみて怯えるように逃げていたのだ。あまりのことで驚いて私はその子を追いかけることが出来なかったが、容姿だけはしっかりと覚えていた。それでお前とであった時ああ、あの時の子供だと確信したのだが覚えていないか」
 社長の言葉にぱっくりと私は口を開けた。目が大きくなって何度も瞬きを繰り返しているのが分かる。何かを言わなくてはと思うけど、何も言えない。社長はそうかと頷いていた。
「やはり覚えていなかったか。そうだとは思っていた。
 まあ、そう言う理由で私はお前がポメガバースだと知っていたのだ。とは言え拾ったぽめらにあんがお前かどうかは半信半疑ではあったんだけどな
 ……すまなかったな」
 ふるふると私は首を振った。それしか私には出来なかった。

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