「安吾、聞いて欲しい話があるんだ」
太宰にそう言われた瞬間、坂口安吾はあ、これは面倒な話をされる。と確信していた。いつも太宰と一緒に来る織田が来ていない時点でもしやと疑っていた彼にとって、それはある種ほっとすることであった。これでなにもなく終わってしまえば、逆に何かあったのではと心配してしまう。
「何ですか」
だから坂口は穏やかな声で太宰に問いかけた。その事を後悔することになるとは思わずに。
「あのね、」
からりと太宰の手のなかに握られたコップが音を立てた。中にはいった氷が縁にあたりからんからんと音を鳴らす。はぁと太宰から小さな吐息。口を開いてから少しの時間が立った。
太宰はなかなか次の言葉を言い出さない。
たらりと坂口から汗が一筋流れ落ちた。あの太宰が言い淀むなんて相当なことなのではないか。何ですか何て聞くべきじゃなかったんじゃ。今さらそう思うのに太宰の口が開いて……
「告白されたんだ」
ポツリと落とされる言葉。はぁ? と坂口は首を傾けた。何を言われたのか一瞬脳が理解しなかった。難しいことを言われたわけではない。予想よりもずっと簡単なことを言われただけだ。
それだけ? と坂口は太宰をみてしまう。
もっとあれなことを言われると思っていた坂口は拍子抜けして口を開ける。あんなに言い淀んでいたのに。考えてから、いやっと坂口は気付いた。太宰の話はこれで終わりではない。これからとんでもない爆弾が投下されるのだと。
身構える坂口を横にして太宰はそれで付き合うことになったんだとまたポツリと溢している。
はぁと坂口の時間がまた止まった。今度こそ本気で驚いてのことだった。何と言われただろうかと頭のなかで先ほど聞いた言葉を繰り返す。
それで付き合うことになったたんだ
太宰は確かにそう言っていた。坂口は首を傾けた。理解できなかった。今度もまた言葉としては何ら難しいことは言われていない。でもその行為と太宰が結び付かなくて脳が理解することへの拒絶反応を起こしている。
「好きだって言われて……、それで付き合ってるんだけど、……困ったことにね、その人」
処理ができていない坂口を置いて太宰は話を先に進めていた。
「織田作のすきなひとなんだ」
音もでなかった。
「告白された時に私から織田作を奪ったくせに何を言い出すんだ。って腹がたって付き合って相手が有頂天になった時にこっぴどく振ってやるって思ってたら、段々好きになってしまって……
織田作の好きな人と付き合っているなんて知ったらやっぱり織田作、私のこと嫌いになるかな」
坂口は頭を抱えてしまった。何をやっているのか。嫌いになるもなにももはやそれ以前の問題だろう。織田作に嫌われる前にその付き合っている相手に嫌われるのではないか。色々と言いたい言葉が沸き上がっては消えていくのに、冷静になり始めた頭はあることを思い出した。
「待ってください。たしか織田作さんの好きな相手って」
「そう。うちの社長。そこで、もう一つ問題があるんだよね」
一人の男の像が形を作っていく。完成する前に太宰があっさりと答を教えてくれた。やはりそうかと思いながら、いや、でも探偵社の社長はたしか男と静かに混乱する。織田作があの人が好きなんだと言い出したときも処理するのに時間がかかったが、今回はさらに時間が掛かりそうだった。まさかあの太宰が同性と?? いや、でも彼の場合は異性と付き合うのも想像できないからそうおかしいことでは。いや、やはりおかしい。
何処をどうしてそうなった
考え込む坂口。太宰はどうでも良いのか一人話を続けていく。
「うちの社長ゲイじゃないか。それも猫の方。だけど私女の子だから抱くのとか出来ないんだよね。もしそう言うことになったらどうしたら良いのかなって……。私が女の子とばれたらやっぱり嫌われたりするのかな……」
いつのまにか太宰の声は弱々しくなっており、聞こえるかどうか分からないほどのものになっていた。悲しそうな顔をするのにあの太宰くんがこんな顔をするのかと驚いた坂口。一瞬、話の内容をスルーしそうになった
だが太宰ほどとは言わないものの優秀な坂口の脳はそれを許さなかった。
ん?と首を傾ける。
「こんなことなら女の子のふりして生きてくるんじゃなかったな。あの人に告白されるようなことはなかっただろうけど、こんなことで悩むこともなかったのに……。
でもこの世界女の子だとなめられるだろう。昔はスラム街で暮らしてたけど、女のこだってわかると無理矢理やってくる奴もいたし……」
首を傾けたところに続けられる話。何を言っているんだろう。彼はと太宰をみる。普通のことを話すように、まるで坂口が知っているかのように話すが、坂口は太宰が女性であるなど全くもって知らなかった。え? 女性なの? 女だったのと心底驚いている。驚きながら坂口は思うを
さては、太宰くん。
相当まいってるな。
自分が女性だとばらしている相手が誰か正常に判断できないぐらいにまいってるなと。
坂口はぬるくなった酒を飲んだ。
女の子だったんですか。何て聞くのは止めておこう。今すぐ聞いて確かめたいぐらいには脳が事実を認めていないが、でもこの状況で言うのだからきっとそうなのだ。もしかしたらからかわれているだけと言う可能性もあるが、織田作さんの好きな人を持ち出してそのようなことはしないだろう。そう考え聞きたい気持ちをグッと堪えた。
横で太宰が坂口に言う
「ねえ、安吾。私どうしたら言いと思う」
僕に聞かれてもわかるわけがない。
思いながらも考える。考えてそういえばと思った。
「探偵社の社長さんってゲイなんですか。それも猫って抱かれる方と言うことですよね」
そんなイメージはないがと何度かあったことのある男を思い浮かべる。かなりの強者で厳格な男。なにやら社員たちに振り回されているところはあるようだが、あのくせ者揃いの探偵社をまとめあげている。本当にゲイなのだろうかと考える。妙に男に人気があるのは知っているが、彼本人が男が好きと言う印象はなかった。
「そうだよ。安吾だって知っているだろう。種田長官や森さんがさんざん話していたじゃないか。最近では探偵社にまで押し掛けてきて社長を口説いている」
「あーー、うちの長官がすみません」
謝りながらいや、待ってと坂口は太宰に言いたかった。確かに坂口の上司やポートマフィアの首領は探偵社の社長に懸想し二人でなにやら卑猥な妄想を話したりしている。いるがだ、あれはすべて妄想だ。真実ではなくあの二人のどちらも探偵社の社長を抱いたことはないはずだ。
その二人の話を持ち出してゲイと言うのは違うだろう。もしや。もしや太宰君本当にゲイかどうか知らないのでは??
恐ろしい疑問がめぐるのに坂口は口を閉ざした。いや、でも男に告白しているからゲイなのは変わりないんだ。猫かどうかは怪しいが、ゲイなのはあたりなはずだ。自分に言い聞かせ酒をのむ。水を一杯頼んだ。
「太宰」
真っ赤になった太宰を大丈夫だろうかと思いながらも別れようとした丁度その時、低い声が聞こえてきた。聞いた覚えのある声にそちらをみれば、先程まで話していた太宰の恋人、探偵社の社長である福沢諭吉がいる。
「あ、社長」
「酒でも、飲んでいたのか。顔が赤いぞ」
福沢に気付いた太宰がへらりと笑うのに眉を潜めてその人は太宰をみた。気のせいか声が幾分低くなっているように思える。眉間の皺も増えているような。
気にしないのか太宰はそうなんですよと真っ赤な顔で笑う。前後不覚になるほど酔ってもおらず、ただ顔が赤いだけだがそこまで酒を飲む彼は久しぶりのことだった。それだけでどれだけまいっていたのか分かる。今も近付きながらもほどよい距離を作っている。女だと気付かれないようスキンシップが絶妙に出来ない位置にたっていて。こんなことを続けていたらそりゃあまいるだろうと思えた。
「あまり遅くまで出歩くな。まして酒などと」
言いながら福沢の目線が坂口に向いた。眉間の皺がさらに深くなる。嫉妬されたのだろうか。冷や汗を流しながら考える前で家まで送っていこうと福沢が太宰に手を差し出していた。大丈夫ですよと太宰がさらりと交わす。
「でも」
「私男なんですから一人で帰れますよ。心配いりません」
男を強調する太宰。かえって不自然ではないか。そう思ったところで、坂口は福沢の眉がよるのをみた。それでもと福沢が口にする。心配性ですねと太宰が笑う。
今の所、福沢が猫のようには思えなかった。抱かれるより抱く方が似合っているだろう。それに、太宰に対する態度がなんだか……
「そうはいっても夜道は危ない。だから」
「平気ですから。ね」
差し出した手をかわされ、念おしのように繰り返されるのにでていくため息。回りの視線を素早く見渡していた
「それならば良いが、寄り道はせずまっすぐ帰れ。何かあってからでは遅いのだ」
「分かってますよ。さらわれるようなミスはしませんから心配しないでください。」
そうではないのだがと言いながらまた福沢がため息をつく。視線が安吾に戻り見定めるようにみてくる
その視線にやはりと安吾は思う。
太宰の扱いがまるっきり女子扱いだと。女子って気付いているのではないか。そんな疑問が芽生えた
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