夕食の準備をしているとふと玄関に誰かが立つ気配がした。火を止めて急いで向かう。ドアを開ければそこには太宰がぼんやりと立ち尽くしていておいでとその手を掴み招き入れた。
 居間に案内して卓の前に座らせると私もその隣に座る。ぼんやりとした眼差しの太宰を抱き寄せて肩に凭れさせた。ほぅと息を吐き出すのに頭を撫でてやれば太宰はゆっくりと目を閉ざす。そしてほんの数分の間眠りにつく。



 あの日から太宰は私の家によく来るようになった。一週間に一度それよりももう少し多いだろうか。来る時間はばらばら。呼び鈴を鳴らすことなく玄関前に立ち尽くすので、家にいるといつも玄関前の気配を探るようになってしまった。開けるといつもぼんやりと立ち尽くしている太宰はほんの少し嬉しそうな顔をする。中に招きいれそれから肩を貸す。自分からは凭れかかってくることはないが、片手で抱き寄せればすんなりと収まる。そしていつもほぅと息を吐いて安心したように眠りにつく。
 ほんの数分程度の眠り。
 起きればそのまま寄り掛かったままでいる時もあればすぐに離れる時もある。その時の違いは今一分からないが、たまに頭を擦り寄せて来る時は嫌な夢を見たときだ。そう言う時はさらに抱き寄せて何度も頭を撫でてやる。何もかもを吐き出すように長い息を太宰は吐き出す。
 起きた後どうするかもまちまちだ。夕食や昼食を食べていくときもあればそのまま帰るときもある。夜泊まって朝に帰ることもあった。時にはぽつぽつと昔の話をすることもある。マフィア時代にどんなことをしたのか。時にはマフィアに入る前の事もぽつぽつと話して、話したことを後悔するような苦しそうな顔を何時もする。そんな時は正面から抱き締めてその細い背を撫でた。腕の中で僅かに震える肩は少しして力を抜く。その後は中々離れることがなく時には一日中くっついてるときもあった。
 ぱちりと太宰が目を覚ます。ぼんやりとした瞳が私を見上げた。見つめ返すと肩に凭れたまま太宰が私の頬に触れた。今までになかった動きである。
「今日皆とご飯を食べに行ったんですよね。面倒だったんですが敦君たちに誘われて……」
 太宰が話すのは探偵社での話であった。前は何度か話していたがここしばらくは太宰から探偵社の話を聞いたことがなく珍しく思いながら話の内容に耳を向けた。
「調査員全員で行ったんですが何故かそこでどんなときに幸せだと思うかなんて話になりましてね、谷崎君はナオミちゃんといるとき、与謝野先生は酒を飲んでる時、賢治君は農作物がちゃんと実って収穫できたとき、乱歩さんは駄菓子を食べてる時で、国木田君は理想通に物事が全て運んだとき、鏡花ちゃんは湯豆腐を食べてるとき、敦君は茶漬け……こうしてみると食べ物関連多いですね」
 みんな安上がりだななんて感心したように太宰は言う。お前はと聞きたくなるのを堪え次の太宰の言葉を待った。
「そんな話してたら敦君が今みんなと居られるだけでも充分幸せなんですけどねって話し出したんですよ。こうしてみんなと居るだけでも十分胸が暖かくて幸せを感じるって……。
 ……私は聞かれて蟹を食べてるときが幸せだと答えたんです」
 太宰が見上げてくるのに言ってほしそうな言葉を言った。嘘だなと。そうしたら太宰はこくりと頷く。はい嘘ですと僅かに眉を寄せながら、それでも安堵したような色を太宰は覗かせる。
「幸せなんてものがどんなものか分かってなかったんですよね。だから適当にみんなに合わせて言ったんですけど、敦君の言葉を聞いて少し思うことがあったんです。幸せな時って胸が暖かくなるものなのかなって。それでそれとなくみんなに聞いてみたのです。充足感があるだろとか、満ち足りた感じだとか言うのはよく分からなかったのですが、敦君や鏡花ちゃん、賢治達が言った何だか暖かくてふわふわしたような気持ちと言うのは何とか分かったと言うか、そう言えばそんな風なものを感じたことがあったなと思ったんですよね
 今もなんですけど」
 きょとりと目が瞬いてしまった。間抜けな顔をして見つめてしまうのに太宰はぼんやりとした顔をしながら肩に寄りかかり自分の手を見つめていて気付かれてしまう事はなかった。何度か手を開いたり閉じたりしながらその手が恐る恐る私に触れる。
「社長って暖かいですよね」
 温もりを確かめるようにぺったりと触れてそんなことを言う太宰は瞼を一度閉じる。それから開いてすり寄ってきた。
「だから何ですかね? 貴方と共に眠ると朝起きたとき何だかぽかぽかしてる気がするんですよね。血流が何時もより良くなってるからふわふわしたような気になるんですかね。何だか宙に浮いているような変な感覚で……嫌ではないんですけどね、寧ろ、心地よい。でも気になるんです。こうやっているだけでも感じるのですが、これは単純に貴方が暖かいからそう感じてしまうのか、それとも本当に私が幸せを感じているからなのか」
 どっちなんでしょうか?
 ぽつりと落とされた言葉。迷うようにさ迷った瞳。離れた手がぽとりと下に落ちる。胸にふんわりとしたものが点った。ふわふわぽかぽかするのに小さく笑みが浮かんで太宰を抱き締める。どっちだと思いますか。太宰が聞いてくるのに首を振った。
「太宰。それはお前が答えを見つけろ」





 その日から太宰は前よりも頻繁に家に来るようになった。答えを知りたいからと来る太宰はでも自分から傍に寄ってくることはなかった。私から抱き寄せない限りは後数歩の距離を保つ。
 今日も太宰は家にやって来た。休みであった今日は何時もより早く昼過ぎにはやって来て縁側で涼んでいた私の膝の上に頭を乗せて眠る。最近太宰は少しずつ眠る時間が増えている。夜は確実に前より眠れているはずなのだが、それでも足りないと言うように私の傍でさらに眠る。数分だったのが十分数十分。今では大体四十分ぐらい眠るようになった。
 原因は恐らくその頭脳。乱歩がまだ家にいた頃、良く昼寝をしている彼を見た。通常よりもずっと良く回る頭脳を持つ彼らはその分疲れが貯まるのだろう。今でも乱歩は事務所で時たま眠っている。太宰もソファに横になったりして休んではいるようだが、実際に眠ることはできず、今まで相当な疲れを溜め込んでいたのはではないだろうか。その疲れが取れるのなら私の肩でも膝でも幾らでも貸してやるつもりだった。
 穏やかに眠る蓬髪を撫でる。いつも私の前だと何処か疲れたような能面じみた顔をしている太宰だが、眠っているときは穏やかな顔をする。その顔を見るのが最近の楽しみだった。起こさぬよう慎重になってその頬に触れる。少しひんやりとしたほほを片手で包み込んで温もりが移るようにと思った。
 静かな時間。それを唐突に破ったのは一匹の猫だった。にゃーんと聞こえた声。私の足元、太宰のすぐ傍にとんと立つ。突然のことに固まり、それから慌てて猫に手を伸ばした。太宰を起こさないように追い払おうとするのだが、猫は伸ばした手をすり抜けてより太宰の近くに移動してしまう。たしたしと足を叩いてくる動きはまるでここは自分の場所だと主張しているようだった。良く家に来るので撫でさせて貰っている猫。確かに膝に乗せたことも何度かあった。だが今はと思ったところでぴくりと膝の上の太宰が身動ぎをした。固まってしまうのに太宰がうっすらと目を開き自分の顔の前にいる猫を見つめる。
 にゃぁ。
 たしたしと猫が叩く。太宰の手がそんな猫の背を撫でた。寝起きでぼんやりとした顔で口許が歪む
「君もここで寝たいのかい? 暖かいもんね。でも、だーーめ。今はまだ私の番だから」
 ふふと柔らかに空気が震えた。口許は小刻みに震えて奇妙に歪む。泣いてるようにも見えるそれはそれでも笑みだった。
 衝撃が走った。見開いた目で太宰を見つめ続けてしまう。猫が背を向けて去っていく。ことりと手が落ちてすぅすぅと穏やかな寝息がする。きっと起きたとき太宰はさっきのことなど覚えていないだろう。それでも………。ああ、それでも……。
「お前はそんな風に笑うのだな。……ぃい」
 柔らかな蓬髪を撫でる。太宰が見せたの初めてみる笑みだった。いつもの貼り付けられたものとは違う。笑うのが下手な子供のような、太宰の心から溢れた笑み。とても下手くそで私だってもっとうまく笑えると思うほどのものだったがそれでもまたみたいと思う。
 また笑ってくれるといい。そしていつか貼り付けなくとも笑えるようになればいい。
 いつもの作られた笑みよりもさっきの笑みの方がずっと素敵だったから。


 数十分後目覚めた太宰が福沢を見上げて不思議そうに首をかしげた。
「何か良いことあったんですが? 嬉しそう」




   ○



 目が大きく見開いてしまったのではないかと思う。ぱちりと瞬きをした目の前で社長がくつくつと笑っていた。
「どうだ。面白いだろ」
 滅多にみないような悪戯めいた笑みで問い掛けられるのにこくりと頷く。社長が嬉しそうに笑うのに何だか不思議な気持ちになる。目の前にあるものにもう一度手を伸ばした。もちりとした弾力、顎の裏にねっとりと絡み付くような感覚、そしてすっと口の中で溶けていく。
 たまにはおやつでもどうだ。そう云われて差し出されたぷにぷにとした透明な和菓子。栄養をとる以外の食事は出来ればしたくないのだが、是非と差し出されるのに押しきられてしまった。そして一口だけのつもりで食べたそれは今まで食べたことのない食感をしていて。なんと言うのだろうか。もう一個ぐらい食べてもいいような気がした。
「気に入ったか」
 問い掛けられるのに今度は首をかしげた。他のものよりはまだ食べてもいいと思えるようなあれだったけれど、これを気に入ったと云うのだろうか。
「お前はこう云ったものの方が好きかと思ったがまだ分からないか」
 社長が云うのにそうなのだろうかと首を傾けながら、何となく残っていたもう一個に手を伸ばした。社長が柔らかく目元を細めて私をみていた。




 最近はほぼ毎日のように社長の家にお邪魔していた。社長の家で眠り社長の家で起きる。朝も夜も社長の家で食べて、昼もたまに社長が作ってくれる。睡眠不足にも栄養不足にも暫く悩まされていなかった。
 だからだろうか?
「何か最近太宰さん健康的と言うか生き生きしてますよね」
 敦君が突然そんなことを云ってきたのは。自分では理解できなくて首をかしげたのだが、周りにいたみんなが何故か賛同する声をあげた。
「あ、それ、僕も思いました。何だか楽しそうですよね」
「きっと良いことあったんですね」
「確かにね調子良さそうだよね。あんた」
「事務員の間でも最近話題ですよ。もしかして恋人でもできたんじゃないかって」
 体が軽くなったような気がするのは確かなのだけれど、みんなが言っているのはそれだけではないように思えて不思議な思いになる。
「別にそう変わらないと思うけど、と云うか恋人ってどうしてそんな風に思うんだい」
「え? だって何だか幸せそうじゃないですか。仕事終わりの時とか最近嬉しそうにして帰りますし」
 えっと声に出しそうなってしまった。作った表情も全部消して固まってしまいそうに。何とかそれを堪えそうかなと云えばそうですよと返ってくる声。ひくひくと頬が震えた。話題を変えようと事務所のなかを探す。時計が目についた。時計は丁度三時の時刻を指していて……。
「あ、みんな休憩時間だよ。今日は何かおやつがあるんじゃなかったかい」
 声をかければみんなぱぁーと目を輝かせた。今日は社長が休憩時にでも食べろとおやつを渡していたはずだ。未成年も多いのでよくあるその時間をみんな楽しみにしているのだ。
「そういや社長が持ってきたものだから今日は期待できるよ。早速取ってこようか」
「ナオミお茶淹れてきますわね。あ、日本茶がいいですかね」
「あーー、社長だからね。そっちがいいかもね」
 休憩するのに移動するみんな。興味の対象が私から変わってホッと息を吐いた。それと同時に考え込みそうになるのは太宰さんも早くと云う声によって掻き消された。良かったと思った。
「うわぁーー、美味しそうーー」
「凄いですわーー」
「美味しそうです!」
 キラキラとした声が聞こえる。私は驚きそうになったのを抑えにこにこ笑って美味しそうだねと云った。社長が今日持ってきていたお菓子はこないだのお菓子であった。ぷるぷると震えたそれを見つめてみんながそれぞれ歓声をあげる。明るい笑顔で食べましょうといい手を伸ばすのを見た。ついていた竹串でぷにぷにと刺す。ふるふると震えるそれに楽しそうにしている。
「んーーー、凄いです。これ!! 美味しいーー。甘いですね」
 いつも通り美味しそうに敦君が食べた。賢治君も谷崎君、ナオミちゃんも美味しそうに食べている。与謝野先生は酒のつまみにならないね等云っているがそれでも実に美味しそうに食べていた。食べないんですかと問い掛けられるのに私も一つ口にいれる。もちりとした弾力。噛んだ瞬間上顎に絡み付きそしてすっと溶けていく。噛まないですむのは良いななんて思っていれば美味しいですよねと聞かれた。
「ん、そうだね。甘くていいね」
 口にしながら私はふと固まった。ほぼ何も考えずに口にしていて口にした後に驚いた。口許を抑えそうになった。自分が何を云ったのか理解するのに少し時間がかかる。
「どうしたんだい。太宰」
「何でもないですよ、美味しいですね」

 また口許が震えた。




 訝しげな目が見つめてくるのを感じながらもう一口含んだ。何度も咀嚼してやっと飲み込んだ。何だか疲れてしまった気がして箸を置く。さらに訝しげな目が強くなった。
「どうしたんだ」
 社長が問いかけてくるのに何と云っていいのか分からず首をかしげた。見つめれば真っ直ぐに見つめ返してくる。今日は何だか気分が優れなくて何時もより遅く来た。社長は既に食べ終え風呂にまで入った後だった。それでも嫌な顔一つせず私を迎え入れ、腕の中に抱き込まれる。最近は肩や膝などが多くて全身を包まれるように抱き締められるのは久し振りのこと。ほんの少し目を閉じた後社長は何か食べるかと聞いてくる。用意してくれていたのだろう夕食が少しだけ並べられた。
 それを食べていたのだけど、何時もよりも何だか食べれる気がしなかった。
「今日みんなとおやつを食べたんです。社長が持ってきてくれたの。あれこないだ食べた奴ですよ」
 ああ。と社長は頷く。嫌だったかと云われるのには首を振る。
「嫌ではなかったんです。ただ食べてたら何だか前になかった感触がした気がして……、なんと言うか甘かった……気がしたんですよね。
 他のもそんな風に感じるのだろうかと思ったのですがやはり何もなくて……」
 ぎょっとした目が私を見ていた。何だか少し輝いた気がした目に慌てて言葉を付け足す。勘違いだったようですと最後に云えば、何故か社長はふわりと笑った。
「それは、まだ分からん」
「え?」
「そんな急に味が分かるようになる訳じゃない。だから勘違いなどと思わずその甘いと思った感覚を忘れないようにすることが大切なんだ。明日また食べてみるか。買ってこよう」
「いいん、ですか」
 社長はとても嬉しそうに笑う。良いに決まっているだろうと。普段表情の変化が乏しいだけにその笑みは胸にくるものがあった。私が人間になったことを私以上に喜んでいるようで何だかとても……。
 社長の手が机を越えて私の方に伸びた。ゆっくりと頭を撫でていく手。暖かな感触がするのにむずむずとした感覚が走る。何だかぼぅと熱くなるような感じ。ふわふわとして来るのに口許が変に歪んだ。社長の目が優しく私をみる。
 ああ、と息が漏れた。

 今日一日考え続けたみんなの言葉が私の中に回る。やはりそうだ。やはりみんなが正しかったのだ。

 私は今、幸せを感じてる。
 とても、とても幸せである。

 社長

 音を転がせば何だと柔らかな声が聞こえてくる。
「答えだせました。でも、どうしましょう。何だかとても…………」
 なんと云って良いのか分からず言葉を探す。自分にとっては幸せなんかよりもずっと馴染みのある感情ではあるのだが、それがどうしてくるのかが分からない。
「苦しいか」
 迷うのに社長が云い当てた。それから私の頭を撫でる手を強くする。
「それはな太宰きっと寂しいからだ」
 きょとりと目を瞬かせるのに柔らかな銀灰が見つめてきて、反対の手もまた私の頭に触れた。両手で撫でながら社長が今まで一番嬉しそうに微笑んだ。
「これからもお前の好きな時においで。私はずっとお前を待ってる」
 いいんですか。震える声で問い掛けたのに当然だと強くて優しい声が答えてくれた。

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