「なんか、この仕事やる気起きないな〜〜。敦君達だけでちゃちゃと終わらせてよ」
 やる気のなさげな声が聞こえるのに会議室の空気は冷え込んだ。ああ〜〜と顔を抑え爆発が起きるのに備えていた。
「こんの唐変木が!! 仕事に遅れておいて何だその言い種! 大体貴様は」
 ガミガミと響く声。向けられる太宰は耳を抑えて聞いておらずじぃと目の前にある書類を睨み付けていた。
「だって本当にやる気起きないのだもの。それにこいつの異能力、相手の精神支配ってあるけどたいした威力はないんだろ。対した威力はなくしかも此方がその異能を理解していたら効かないと云う話じゃないか。わざわざ私がでなくても敦君達で充分だし、なんならこれぐらいのやつ特務科だけで処理できるだろう。
 何で私たちの所に回ってきたのさ」
「あーー、確かにね、これぐらいなら特務科の奴等でできそうだもんね。自分のとこで対処できるぶんまで此方に回してほしくはないね。探偵社も暇じゃないんだ。今からでも送り返したらどうだい?」
「そうだそうだ。のしつけて送り返しちゃえ。特務科今は別段忙しくないはずだしね。特務科で一番徹夜してる男がここ暫くは二徹三徹ですんでるそうじゃないか。暇ならこれは特務科で対処してもらうべきだよ」
 やる気なく会議室の机に突っ伏していた太宰は仲間を得たと強気な笑みを浮かべて国木田を見た。ほらほらとバタバタと書類を揺らす。その書類には特務科から捕まえてほしいと連絡があった一人の異能力者の情報が乗ってある。用心暗殺に宝石強盗などをやった男らしいが異能事態は対したことなく、その他の書かれている項目から見てもそう苦戦する相手とは思えなかった。
 正直他の仕事もたまっているのだから特務科からこの仕事を受けなくともというのはほぼ全員の胸にある。ただ二徹もしていて忙しくないはないのではないかと思ったが。
「駄目だ」
「何でさ」
 全員が太宰と同じような思いを抱いていたのに国木田は屹然と否定の言葉を口にした。その顔は険しい。何かあるのかと机の上に伸びていた太宰がわずかに顔をあげた。
「特務科からこの依頼が来たとき口頭で伝えられたことがある。この男を捕まえるため投入した兵の半数が行方不明、そしてもう半数は意識不明の重体で見つかったと。やっと回復したものに話を聞いても酷く怯えながら何も分からないと言ったそうだ」
「それは……」
「男の異能にまだ隠されていた力があったか、もしくは」
「協力者がいたか、か。
 はぁ〜〜、成る程ね。それで回ってきたわけだ。納得納得
 でもねーー、それでもやる気が起きないのだよね」
 真剣に語る国木田に対して太宰も少しの間真剣な顔になっていた。だがそれはすぐに終わりまた蛞蝓のように机の上に張った。ああと重いため息をつきながら太宰の目は報告書を見る。
「そんなこと言わずに頑張りましょうよ」
「そうですよ」
 掛けられた言葉にあ゛ぁ゛と上がる声。これ本気でやる気がないなと会議室にいる面々はどうするべきか悩んだ。別に太宰がいなくともと言いたいが、普段やる気をださない太宰が有能であるのは事実で異能力者相手となると彼ほど心強い者もいない。相手の力が何か確実でない今はどうしてもいてほしかった。
「どうしてそんなにやる気ないんだい。何時もよりも酷いじゃないか」
「ええ〜〜、そうですねーー、顔?」
「ええ?」
 与謝野が問い掛けるのによく聞いてくれたとみんなが思った。それに答えた太宰の言葉に全員分の呆れた声が聞こえた。何をいっているんだと言いたげな目が太宰を見る。
「この男の顔妙に好きになれないのだよね。写真越しでも見たくないと云うか何なんだろね、この胸がざわつく感じ。
 うーーん、嫌悪感だね
 うん。私この男の顔が生理的に大嫌いなのだよ。見たくないのでこの仕事はしたくない。私絶対しないからね」
 朗々と語り強く宣言する太宰。へぇと何とも言えない顔で見ながら全員に耳に蓋をしていた。
「こんの包帯無駄使い装置が!!」
 当然のごとく落ちる国木田の雷。それに太宰は嫌な顔をする。だって〜〜と伸ばしながらまたがっくりと机に体を横たえた。
「やなものはやなんだもん。
 私今回は珍しいぐらいやる気がでないんだよ」
「いつもお前にはやる気がないだろうが」
「そりゃあそうなんだけど……うーーん、あ、そうだ。社長! 社長から国木田君に頼んでくださいよ。私この件に関しては本気で関わりたくないのです」
 むすっと頬を膨らませる太宰。眉間に幾つもの皺を作りながら怒鳴る国木田。どうなることやと静観していた周りは太宰がぱぁと顔を輝かせて社長、福沢の元に身を乗り出したのに驚愕の顔を見せた。やりやがったと全員が思った。国木田の口があわあわと動いて叫びだかなんだか分からない声を出す。
 名前を呼ばれた福沢はむっと太宰を見た。
 ねぇとわざと体勢を低くして下から見上げてくる目。その眉間には軽く皺を作り、泣き方なぞ知らぬ癖に瞳を潤ませている。やなのですよと弱々しく口にしてくる声は作られたもので完全に福沢を落とす気のようだった。
 じいと福沢は太宰を見つめる。
 普段であればここで落ちている。この顔に弱い自覚がある福沢は太宰の我が儘を許容することにする。だがそれは福沢と太宰、二人の間での話であり公私混同はしない。幾ら弱くとも仕事とあらばこの顔をされても許すことはしない。
 だが、太宰とてそれは知っていて……。
 やりたくない仕事をやらなければならなくなった時、福沢に助けを求めてくるようなことは今までなかった。それに太宰が云う通りここまで気が重そうなのも初めてで……。いつぞやのマフィアとの会談の場を設けるときよりもずっとやる気がなさそうだ。
 何かあったのかと福沢は太宰を見ながら考える。公私混同はしない。そう決めているが、だが……眉が寄る。
 福沢の口が開きそんなに嫌なのかと聞こうとした。その声が途中で別の声に遮られた。
「悪いけど太宰、お前には何がなんでも今回の仕事受けてもらうよ」
「へ? 乱歩さん」
「ちょ、乱歩さん何を」
「ねえ、これさっき言ってた特務科の奴等が重体で見つかったときの報告書だよね」
「そうですが」
 福沢の声を遮ったのは乱歩だった。彼は勝手に国木田の手元にあった幾つかの資料を見ていた。答えられる声にでるふーんと云う声は何時ものものよりも数段低い。
「太宰お前は絶対でろ」
「何でですか。そんなにヤバイ異能力者がいるんですか」
 それならそれの相手だけするので、この男とは顔をあわさないですむよう計画をたてます。だから協力してくださいね。男の異能がヤバイと云うのであればみんなで頑張ってください。そう太宰は言おうとしていた。どうしても男と対決することになるのは気が乗らず、そう。だがそれもまた言葉になりきらなかった。その前に福沢と同じように遮られその褪赭の目が大きく見開かれる。
 それは彼にしては珍しく本当に理解できず驚愕しているものだった。
「分からない」
 資料を見ながらぼそりと告げた乱歩の声。たったそれだけの小さな声はそれだけでも太宰の声を奪うには充分で周りを白くさせるにも充分だった。
「分からないって何を」
「分からないんだよ。この資料を見ても何が起きたのか全く分からない。その時の現場の写真とかもついてるけどそこから読み取れるものが何一つない。虫太郎君の時ともまた違う。証拠が消えている訳じゃないはずなんだ。それなのに読めない。推理できない」
 乱歩の声はどんどん荒くなり早口になっていた。苛立たしげに爪を噛んでは資料を見ていた。そんな乱歩を信じられない思いで探偵社の面々は見る。乱歩が解けない謎などあるはずもないと思っていた彼らには分からないと答える乱歩が未知のもののように見えていた。太宰に意識が向いていた福沢も今は乱歩を見ている。そしてその頭にぺたりと手を当てていた。
 熱はないなと低い声が云うのに当たり前でしょと乱歩が今ばかりは嫌そうに福沢の手をはたいた。そして太宰をきっと睨み付ける。
「だからお前も今回の仕事に参加しろ。お前は僕の次に賢いからな」
「はぁ、乱歩さんが読めないことを読めるとは思いませんが……そう言うことであれば。
 でもやはり……嫌だな」
 仕方ないかと息をついた太宰はだが次の瞬間にはその端麗な顔を歪め今回はなしでと叫ぼうとしていた。ダメに決まっているだろうと鋭い声を乱歩が出す。むすりと太宰の頬が膨らむ。分かったとそんな声が聞こえた。
 視線が全員太宰から福沢に写る。分かったと言ったのは福沢だった。ちょ、社長甘やかさないでよと乱歩が云うのに分かっていると答えた福沢が口にしたのは予想にしてないことだった。きらきらと目を輝かせる太宰も、不安そうに見守る他の探偵社員も。
「太宰。今回の仕事、私がお前と組んでやろう」
 厳かに口を開き低い声でゆっくりと言われた言葉。
「へ?」
 太宰から間抜けな声がでた。首を傾けて福沢を見上げる。周りも同じような顔をしてからあんぐりとその口をあげる。ええ!? ちょ、それはずるいよ! しゃ、社長!
 それぞれためらいの言葉が出ていくのにぱちぱちと太宰は瞬きをしてそれからふわりとその顔に笑みを浮かべた。
「良いのですか!」
「ああ」
「本当の本当ですか」
「本当だ。今回、調査を進めるにあたり私がお前と一緒にいく。嫌か」
「まさか! そんなわけないじゃないですか。仕事の時まで貴方と一緒何てこれ程嬉しいことはありません! 仕方ないので……お仕事しますかね」
 急にテンションの上がった太宰の視線が一度だけ書類に注がれた。嫌そうな顔をしながらそれでもにこりと笑みを浮かべる。



「まさか貴方と一緒に仕事ができるだなんて、やる気は欠片も起きませんがこれは頑張らないといけないかもですね」
 夕方、家でにこにこにと笑う太宰を抱きよせながら福沢はずっと疑問に思っていたことを問い掛けていた。
「今回の仕事の何がそんなに嫌なのだ。男の顔と言っていたがどこにでもいるようなものだし、お前がそうまで嫌う相手には見えなかったのだが」
「えーー、本当に顔ですよ。顔がいや……と言うか、何ですかね。なんと言えばいいか分からないのですが凄く不快な感じがしたのですよ。あの男の写真を見た瞬間に凄く嫌で近づきたくないな〜〜って。なので私はあの男にはあいたくありません」
 口にするとき太宰の眉が僅かに寄った。嫌悪を表すその変化をただし太宰は気づいていなかっただろう。顔全体には笑顔を張り付けながらちょっと唇を尖らしてみたりと幼い仕草でわざとらしく抗議していた太宰はだけどその眉の動きだけは意識していなかった。その証拠に福沢がそこを触れれば不思議そうに見上げた。そんな太宰に今度は福沢の眉が寄る。
 おちゃらけて口にしているものの太宰が心底嫌がっているのは確かだ。そして太宰が本気で嫌なことを嫌と言うのも珍しい。どうでもいいことならすぐに口にするが本心であれば本心であるほど口にしない面倒くさい男なのだ。福沢もまたできる限り男と太宰を近付けさせたくないとそう思った。何か嫌な予感がする。
 とは言え、それを言えるほど現実も甘くなく、福沢は探偵社社長として太宰に声をかけた。
「成る程。だが仕事である以上はそうは言っておれん。明日からはその男を探すのを手伝ってもらうぞ」
 むうと太宰の頬が膨らむ。拗ねながらも太宰は甘えるように福沢の肩に額を寄せた。
「はいはい。乱歩さんが今までの事件現場の検証で、私達、他のものは男の足取りを探すんですよね。写真を見せて聞き込みする役割は社長に任せますね」
「まあ良いが……お前の方が得意だろう」
「写真に触りたくありません」
 太宰が嫌ならと受け入れかけた福沢だがでもやはりと途中で止まってしまった。聴き込み調査は福沢も何度かしたことがあるがとても得意な部類とは言えずむしろ苦手と言ってしまえる分野だった。太宰が嫌がるのであれが自分がやろうとは思うものの積極的にはやりたくはなくせめてどうしてと聞くと一瞬で帰ってきた声には嫌悪が混じっている。怯えるようなその強い嫌悪にこれは仕方ないり思うと同時小さな不安が襲う。
 やはり今回の件には何かあるのではないかと。太宰を見るものの何か隠し事があるようには思えない。それならば太宰がまだ気づいていないだけで何か写真の男と繋がりがあったのではないか。何処かで知っていてそれで……。
 考え込んでも分からぬ事に福沢はため息をついた。考えるのも無駄かと腕の中で甘えている太宰を見る。
「太宰」
 低い声が柔らかに外に出た
「どうしました?」
 腕のなかの太宰が不思議そうに見上げてくる。いつも通りの顔はでも何時もよりも僅かに強ばっている気がして福沢の手が太宰の頬を撫でる。
「私が絶対にお前のことを守る」
 嫌な予感がするのに福沢は思うことを口にする。絶対に腕の中の温もりを何処かにやったりはしないと。
「? どうしたのです。急に」
「いや、少しな」
 褪赭の目が瞬く。言われて嬉しいけれど何故急にと疑問を移す。福沢は胸のなかに溢れる不安がばれぬように表情筋を引き締めた。


 調査を開始して一週間。その間色んな方向から攻めてみたものの調査は殆んど進まなかった。目撃情報や男を知っているものを探してみたものの見付からず、乱歩の方もまた難航をしていた。男がおかした犯行現場を見て回ったが分かったことは殆んどなかった。唯一複数犯だろうことが分かった程度。
 これからどうするべきかと会議室に集まり顔を付き合わせる。全員の顔色が寝不足などで悪くなっていた。
「取り敢えず一回調査は休みにするべきだね」
 提案するのは与謝野だ。ですがと国木田が声をあげるのを睨みあげる。
「このまま調査を続けたってみんな倒れるだけだろ。一回休業して体を休めないとどうしようもない」
「賛成だね。ここまで何も見付からないせいでみんな焦ってまともに休みを取ることすら忘れている。一回強制的に休みの日を作るべきだよ」
「でも何も掴めていない上、敵はどんどん事件を起こしていくんですよ」
「のんびりしてる暇はないんじゃ」
 与謝野の弁に賛成をあげたのは太宰だが、他のものはみな不安そうな目を向けていた。男の調査をしている間も幾つか男が起こしたと思われる事件が起きている。早々に止めなければと考えてしまうのにはぁと太宰はため息をつく。
「まあ、急がなければならないのは確かだが、みんな今の状況でベストを発揮できると思っているの? はっきり言うけど私は今のままだとつまらない判断ミスをおかす可能性があるよ。急がば回れ。休養も大切な事なのだよ」
 うっ。太宰の言葉に周りの動きが固まる。彼らもベストを発揮できるとは言い難くむしろ太宰がミスを犯すと言うぐらいなのだ。他のものの方がおかしそうだと良く分かっていた。
「与謝野や太宰の言う通り休息が必要だな。明日はみな、一日休むようにしよう。対策はまた明後日から考えることにして」
 社長である福沢の言葉に否を唱えるものなどおらず、今日の会議はここで終わるかと思われた。だが、そうはならなかった。皆がそれぞれ帰ろうと立ち上がった時、事務室の方から騒がしい声が聞こえてきたのだ。何が起きたのかと立ち上がるのに会議室のドアが大きな音を立てて開く。開いた瞬間。ゲッとカエルがひっくり返るよりも奇妙で嫌そうな声が太宰から上がっていた。
「邪魔するぜ、探偵社」
 開いたドアから入ってきたのは黒い服に身を包んだ二人。探偵社もよく知るポートマフィアの人間だった。何故ポートマフィアがとそれぞれが臨戦態勢に入るのに太宰から出ていくのはため息だ。
「蛞蝓が何しに来たのさ」
 問いかける声はされど本気で聞いているようには思えなかった。
「てめぇらに用事があってな」
「私にはないから帰ってくれない」
「俺だって帰りてぇが今日ばかりはそうはいかねえんだよ」
 突然侵入してきた男、中原の言葉にまあ、しょうがないかと小さく太宰は呟いた。マフィアに意識を向けている殆んどのものが気付かなかった言葉。その言葉に福沢が眉を寄せる。太宰の目は中原から離れ、もう一人、敦と一色触発のにらみ合いを行う芥川に向いた。
「何しにきたのだい」
 芥川に向けて問いかけるのに睨み合いの途中だった芥川は突風のような早さで敦のもとから太宰のもとまでやってきていた。これをと一つの封筒を太宰に渡す。
 封筒の封を切った太宰は中を覗き込んだ瞬間、隣にいた国木田に叩きつけていた。殴られるような勢いで叩き付けられた国木田は太宰を怒鳴りながら中身を確認する。その動きが止まった。
「この男は」
 封筒のなかに入っていたのは一枚の写真。そこに写るのは今探偵社が追い掛けている男の写真だった。
「僕たちは今この男を探しているのです」
「探しているってマフィアが何で」
「貴様には言ってないわ!」
 太宰に向け説明したのに敦が疑問の声をあげて芥川の牙が敦に向いた。あーあーと太宰が息を吐いて顔を覆うのに中原が敦の疑問にたいして答える。肝心の敦は芥川と睨みあって聞いていないが。
「こいつはポートマフィアの拠点を幾つか襲ってんだ。物資なんかを奪われたうえ、兵も何人もやられちまった。だがら探してるんだが、何処を探しても手がかりひとつ見つからねえ。
 だからここに来たんだよ。てめらも探してるんだろう」
「探してはいるけど君達に教えると思う」
「首領からの書状がある。これを見せたらお前らも頷くだ炉うって」
 帰ってと手をひらひらと太宰が振ったのに青筋を浮かべながらも中原は冷静にいようとした。だが差し出したもうひとつの封筒は少し歪んでしまている。
「森さんからの……」
 太宰が嫌嫌そうに歪んだ封筒を受けとる。ぐしゃりと握りしめてさらに歪ませたそれを読めないぐらいにしてやろうかと腕に力がこもる。だがそれをすることはできなかった。ぐしゃりと握りしめてしまう前に福沢が太宰を呼んだのだった。
「太宰」
 名を呼ぶ声はそれを渡せと言うだけでなくほんの少し咎める色がある。握りしめるのは諦め太宰は封筒を福沢に渡した。封を開けてなかに入っていた便箋に目を通していく。
「……」
 暫しの間。会議室は無言になった。睨みあっていた二人も福沢を見る。福沢は全部見終えたであろう後も便箋を手にしたまま動かなくなる。
「社長……」
 不安げに誰かが福沢を呼んだ。福沢の顔が便箋から離れて中原と芥川を見た。その顔がしかめられる。ついでに太宰の顔もしかめられた。何かあるのかと探偵社が緊張するのに深いため息が福沢から出る。
「これからはポートマフィアのこの二人もいれて調査をすることにする」
 そしてそのため息と共に言われた言葉。空気がざわついた。
「そんな!」
 どうしてですか。こんなやつら否定する声が探偵社員からでるがこれは決まった事だと福沢に言われてしまえば口を閉ざし受け入れるしかない。中原と芥川に視線が集まる。
「そういうこったよろしくな」
「太宰さん。よろしくお願いします」
 太宰にだけ向けぺこりと下げられる黒い頭。大丈夫なのだろうかと一抹の不安が社員たちの中を過る。心配そうに見つめるのにまあ、大丈夫だよと太宰が言って二人に話しかける。
「そっちが分かってる情報を教えてくれる」
「ああ。つっても殆どそっちと同じでなにも分かっちゃいねえよ。生き残っていた兵も全員重症でいまだ目覚めやしねえ。一人、仲間がいくまで倒れてねえのがいたが奇妙なことをいってそれきりだ」
「奇妙なこと」
 それはなんだと注目が集まる。今のところ何一つ情報はないようなもの。どんな些細なことでも何か知りたい状況だ。
「大量の化け物が襲ってきたって。あんなん人間じゃ敵わねえってさ。
 たく。何いってんだか」
「化け物?」
 呆れたように中原は吐き捨てる。きょとんと探偵社の首が傾いた。それはどういう意味だと。
「どう云うことでしょうか」
「さあな」
「……大量のと言うのも気になるな。彼奴の協力者と言うのはそんなにいるのか」
「大勢を相手にするのはきついですよね」
「人間じゃ敵わないってところも気になるよね」
 わちゃわちゃと最後に呟いたと言う言葉から推測していく探偵社。そのなかに太宰の声はなかった。んと福沢が太宰を見る。
「太宰。どうかしたのか」
「あ、何でもないですよ」
 問いかけた声。何でもないと言う顔はだが何処から見ても何でもないとは思えないほど青くなっていた。


 こそりと靴を手に取った太宰は家の中の気配を探る。いまだ福沢の気配が厨にあることを確認して移動していく。気付かれないように慎重に居間の前まできた太宰は庭に靴を置いた。準備はできた。後は時間が来るのを待つだけと振り返った太宰は腰を抜かすことになる。
 振り返ったそこには厨にいるはずの福沢がいたのだった。
「福沢さん」
 驚いた声が出る。ヤバイと一歩後ずさってしまうのに福沢の腕が太宰を囲んだ。背に手が周りだきよせられてしまう。
「何をしていたのだ。太宰」
 優しい響きを伴った声。だがそれを口にする目には優しさはなくどちらかと言うと怒っているようだった。
「ちょっと庭の風景を見ていたのです」
 ヤバイなと思いながらも太宰は嘘をつく。本当のことが言えるような性格はしていない。隠してしまうのにはぁと福沢からまたため息。
「嘘をつくな。庭に靴を置いたのは見ている。大方夕食の後にでもあの男を探しに出掛けるつもりだったのだろう。一日休みにすることを賛同していたくせに一人で動こうとするなど」
 バカなのかとは飲み込んだ。言いたいが言ってしまえば傷ついてしまうのだろう。そう思えば言えない。太宰は俯いて下を見ていた。ばれてしまった。どう言い訳をしようり頭の中で言葉がぐるぐると回る。
「今日と明日は家でおとなしくしていなさい」
「買いたいものがあってそれを買いに」
「それならば堂々と行けばよいだろう。全くあれほど嫌がっていたくせにいざ調査し出すと夢中になりおって……。一体どうしたと言うのだ。何がそんなに不安だ」
 えっと聞こえてきた言葉に太宰の口が薄く開いた。何を言われたのだと目を丸くして福沢を見る。
「不安はなんだ」
 問い掛けてくる声にそこで太宰は初めて己が何かに不安になっていることに気づいた。固まり福沢を見る褪赭の目。その瞳の奥では不安が何であるのかを考えられていた。
 きゅっと唇が引き結ばれる。
「何でもありません」
「太宰」
「大丈夫ですから心配しないでください」
 青白い顔をして何でもないと口にする太宰に福沢から出るのは咎める色と心配する色が混ざりあった声。じっと睨み付けるのにそれでも太宰は首を緩く振り何も言わなかった。口はわらぬかと福沢から深いため息が出る。仕方ないと抱き締めていた腕に力がこもる。
「取り敢えず居間にこい。今日明日はもう家から一歩も出さぬと思えよ」
「私を監禁するつもりですか」
「ああ、そのつもりだ。手錠でも持っておくべきだったな」
「…………心配症もいきすぎると嫌われてしまいますよ」
「……これを心配症ですませてもらえるなら嫌われる心配はないだろうな」
 居間に連れていく途中軽口に軽口で返せば言われる言葉。まさかそう来るとは思わなかったと驚きながら返せば太宰もまた驚いた目で福沢を見た。
 むうと口を尖らせる太宰。二人の間に言葉がなくなる。
 今は話してもあれかと福沢は太宰にお茶をいれてから夕食の準備に戻る。扉は開けたままにしたが居間の太宰が座った位置は微妙に見えないところだった。移動させるか少し悩みながら気配で気付けるかとそのままにしておくことにした。ほっとその事に太宰は息をつく。
 福沢の姿が見えないことを確認してから手を動かした。右手を人差し指と薬指をくっつけて他の指は握りしめる結界術の基本の形を作った。
「結」
 青く透明な箱が太宰の目の前に現れる。四角い結界は空中で固定されて触れても動くことはない。解。言葉と共に結界は消える。太宰の手が容れてもらった湯飲みに伸びた。湯飲みを顔の前にもちあげ結と呟く。湯飲みを青い箱が囲んだ。手は離しているが落ちることはない。
 ぼんやりとその姿を眺める。
 記憶を思い出してから僅かであるが使えるようになった結界術。妖を倒すための術。じぃとそれを見つめる太宰は昼間の事を思い出した。昼間中原が云った奇妙な言葉と言う奴。大量の化け物が……。ずっとその言葉が気にかかっている。福沢に何が不安なのだと聞かれ真っ先に浮かんだのがその言葉だった。
「化け物か……。まさかね」
 妖の姿を思い出す。人形の妖もいるが基本的に妖は人から遠く離れた異形の姿をしている。化け物とそう言われても間違いはない。だとしたら……考えて太宰は慌てて首を振った。
「いや、あり得ない。妖怪は基本群れをなさない単独の生き物のはず。それに強さだけを求める彼らにポートマフィアの拠点や宝石店などを襲う理由はないはずだ。物資が奪われたと言っていたけど銃など妖は使わないし……。だから」
 ぶつぶつと言葉が出ていく。独り言など言う性格ではないがどうしてか今回は言葉にしなければ気が収まらなかった。言葉にして否定して自分に言い聞かせる。そんなはずはないと。でもぼこぼこと不安は溢れだして止まらない。
「それに今おっているのは異能力者だ。妖怪と関係があるはずがない」
 強い口調でないんだと言う。あるはずがないと。それを言えばそうだとあるはずがないのだとやっと少し心に余裕ができた。それでも落ち着けないのに首を大きくふりため息をついた。
「駄目だな。感傷的になっているのかな」
 こんなのではダメだと元に戻らないと。太宰が呟く。不安で鼓動が早くなるのを落ち着かせようと深呼吸をした。ゆっくりと息が出ていくのにがたりと物音が耳にはいる。
「太宰」
 ひょっこりと覗く福沢の首。慌てて結界を解除した太宰は湯飲みを掴もうと手を伸ばすが慌てた結果掴みきれずに湯飲みが太宰の指を掠り机の上におちる。ばっしゃりと熱いお湯が太宰にかかった。太宰! 慌てた声が耳に届く。
 えっと思い事態を理解する前に太宰の傍にはすでに福沢がいた。
「太宰。大丈夫か!」
「あ、はい」
 掛けてくる声に返事ができたのは二拍ほど遅れてからだった。ぼんやりと声を出すのに太宰の体が地面から離れる。ふぇと奇妙な声が太宰からは出た。
「ちょ、社長!?」
 何をと抗議の声がするのに福沢は気にせず抱き上げた太宰を浴室まで運んでいた。服の上から水を当てる。
「つめたっ。止めてくださいよ。湯飲みのお茶なんて浴びたところで火傷にはなりませんよ」
「まだ殆んど冷めていなかっただろう」
「だからって大袈裟ですよ」
 もうと口を膨らませた後、ふわふわと太宰は笑う。大丈夫ですよと柔らかな声が言うのに福沢は安心することなくその眉間に深い皺を作る。険しい目で太宰を見つめる。落ちた後も湯気を立ってていたお茶。太宰に触れた時、ひりりと痛みのようなものを感じた。浴びた太宰は痛みを感じただろうにそんな様子が微塵もなくて。
「いいから」
「はい」
 低い声が出る。ぴくりと体を震わせた太宰は深い息を吐き出し返事をする。その目はゆらりと揺れた。よし、こんなものだなと水を止めた福沢が服を脱がし肌を確認していく。赤くはなっているものの腫れや熱などは感じることがなかった。また太宰を抱えて立ち上がる。濡れた体をタオルで拭くのにそこまでしていただかなくて大丈夫ですよと声が聞こえたがそれは無視した。水を綺麗に拭き取って部屋まで運ぶ着替えさせるのに今度は太宰は何も言わなかった。過保護ですねとだけ呟いて腕の中で丸くなる。また抱えて居間に戻ると太宰の顔がしかめられた。
 そのままにして出てきたので溢れた水が畳に染み込み染みができてしまっていたのだった。申し訳ございませんと太宰から言葉が出ていく。
「気にすることはない。それより痛くはないな」
「ええ。最初から痛くはありませんが」 
 そうかと口にされたのはだいぶ時間がたってからだった。そんなはずはないだろうと言いたかったのを飲み込んで太宰を膝の上にのせる形で座りにつく。ぎゅうと抱き寄せると太宰は不思議そうに福沢を見下ろした。
「どうかしましたか?」
「いや、何もないがお前の方のこそどうしたのだ」
 首を傾け問い掛けられるのに福沢は本当のことは言わず問いをかける。心配だと言いたい言葉は今は言わぬ方がいいかと。
「何もないのですが少しぼうとしていました」
「そうか。疲れているのだな。やはり今日明日はゆっくりと休もう」
「……はい」
 それだけではないのは分かっているが福沢はそれだけに留めて太宰の頭を撫でる。焦る心を感じながら暫くはゆっくりしようと目を閉じるのだった。



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