お父さん。お客さんが来ましたよ。修史にそう言われたとき繁守は逃げ出してしまいたいようなそんな気持ちを抱いた。あの日からずっとこの日を待っていて、覚悟もしてきたはずだがそれでも。
 あの日みた治守の姿が甦る。
 彼の孫はとても幸せそうな顔をしていた。安心したようなそんな顔。そしてふわふわの髪を撫でていた手を思い出した。すり寄って来るのを、心配そうに眺めていた目。私に守らせてくれと囁いていた声。
 守るから。それは果たされなかった約束。果たしてやれなかった……。
「連れてきてくれるか」
「はい」 
 昔の記憶を思い出す。
『お前は強いな』
『そうかな』
 パチリパチリと碁石を置く音が部屋のなかに響く
『ああ。今度囲碁仲間と会うのだがお前も来るか? お前の腕ならば全員に勝つかもしれんぞ』
『……』
『来たくないか』
『行った方がいいの』
『お前の好きにしてくれていい。お前はどちらが』
 真っ暗ではなかったが似たような色をした目が繁守を見上げた。感情の薄い子だった。自分のことを自分で口にできないような。守美子もそうだった。娘である守美子もそうで何とか育て上げたものの繁守にはついぞあの子の考えが理解できなかった。情けない話だが親であったのに理解できない存在だった。治守もそんな存在であるはずだった。繁守では理解できない存在。また繁守たちのことを理解することのできない……。
 悔しかった。悲しかった。だが諦めた。それは必要なことだと分かったから
 もし理解できる日が来てしまったらそれは……。その日が来ることを恐れていた。
 お父さんと襖越しに聞こえた声に閉じていた目を開ける。
「久しぶりだな」
「お久しぶりです」
 襖を開けて入ってきた男が見上げる繁守に膝をついて頭を下げた。銀色の髪。細身の姿。昔も粗暴に見えたものの育ちの良さはうかがえていたんだよなとその相手の姿に思う。わしに対してもこんな姿を見せるようになったのは最近だが。これが娘を嫁にだす親の気持ちかと娘の時には思わなかった事を感じながらじろじろと相手の細部までも見てしまう。
 その視線を不思議に思ったのだろう。下げられていた頭が上がり半目になって見てくる。そんな態度でいいのか。娘さんをくださいと頼む立場だろうと相手が知りもしないことを思っては怒りを向ける。
 落ち着け。落ち着くんだ。まだ嫁にやるかは決めてないんだ。
「楽にしてくれ」
「では、お言葉に甘えて。所で今日は何のようだ」
 突端上がる頭。正座をしていたのに胡座をかく。長い付き合い。今さら敬語で話す仲でもないとはいえ、そんなのでは娘はやらんぞと思ってしまう。
 今日はそのために呼んだのではないのにどうしてもそんなことを考えてしまうのは、孫が自分と同い年ぐらいのしかも同じ性別のものと付き合っていると言うことをまだ受け入れがたいためだろう。
 だろうが、それよりも逃げているのだろう。
「……久し振りに会いたくなってな」
「はぁ」
 でた声が少し固いものになった。何時もと違うのに福沢の眉が少しよったがそれとは別に奇妙な言葉に何を言っているのだこいつはと変なものを見る目で見てきた。ぐっと喉で息がつまる。らしくないことを言ったとは自分でもわかる。
「ええい。……囲碁をしたくなったのだ。たまには何時もと違う相手と打ちたくてなお前ならば相手に不足はないだろう」
「成る程……」
 丁度目の前に囲碁盤はあった。治守のことを考えるのにそれを見ていた。治守が家にいた頃は毎日のようにこの盤で囲碁を打っていたのだ。繁守が勝ってたことは一度足りとてない。初めて囲碁を教えた日からずっと繁守は連敗を続けている。百は越えた。千は越えてない。だが九百は越えている。千を越えるのも早いか。そうなったら何か記念の品でも買ってやるかと考え始めていた頃に浚われてしまってその考えは形にならなかった。
 やろうかと二人の間に盤を置く。そう言えばこの男とも会うたびに碁をしていたかと考える。今はどうなのだろう。福沢と治守で碁を打つこともあるのだろうか。昔の繁守と治守のように。
 かつりと碁を音が部屋の中に響いた。
 かつりかつりかつり、最初は少しの間はあるものの早い間隔で置かれていく。治守と打つときもそうだった。あの頃を思い出す。懐かしいなと思う音、段々それが記憶とずれ始めた。治守と打つときは次第に繁守が碁を置くまでの間が開き始める。治守は間がどんどんなくなっていく。今はどちらも同じスピードを保ったままだ。
 当然だと思いながらも奇妙なものを感じていた。治守と打っている訳でもないのに酷く記憶を刺激される。考え続けていたそれだけではないような。
 かつりと碁を置く音がする。
 何時もこの部屋で対局していた。治守は長い時間、何時間でも碁を打ち続けた。一局終わった後はすぐに次の局の準備をして。繁守がもうやめようと言うまで終わることがなかった。
 毎日何十回と繰り返した。
 かつりと碁が置かれる。単純な手を打つと思ってからああそうかと気づいてしまった。ひゅっと息を飲む音がする。記憶の中で碁を打っていた二人の姿が別の姿に変わった。
「どうかしたか?」
 気配に敏感な福沢は繁守の様子が変わったことに気づいて声をかけてくる。この男と碁を打ったのももう随分と前の話だったかと思いだす。
「福沢、お前、打ち方変わったな」
「そうか?」
 繁守の言葉に不思議そうに首が傾く。そうは思えないがと言いたげな顔。そうだろうと思う。自分がどう打つかなどプロでなければあまり気にしない。それに変わったと言っても微かなもので……。繁守が気付いたのはそれが治守の打つ手だったからだ。
「ああ……」
 感じていた奇妙な感覚はこのせいだったのだろう。いつから一緒にいるのか知らないが変わってしまう程度には傍にいたのか。とても泣きたいようなそんな気持ちになった。
「何か」
「いや……」
 治守と福沢が過ごした間の時間を繁守は知らない。繁守が知らない時期を目の前の相手は知っている。悔しく思うその事実にだけどと繁守は思った。
 だけど、わしだってお前の知らぬ治守の姿を知っておるのだ。例えもう治守には関係のない時間だとしても


 囲碁の勝負は引き分けに終わってしまった。大体繁守が勝っていたのだが、強くなったのかそれとも繁守の気が乗らなかったからか。まあどうでもいいことだ。囲碁は突然思い付いただけでやりたかった事ではない。本当にしたかったのは……。
 囲碁が終わったあと繁守は福沢は連れて山のなかまできていた。修行用に使っている山で近くにはお寺がある。連れていきたい場所があるとだけ言われてここまで連れてこられた福沢はなぜこんなところに来たのかと訝しむように周りを見ていた。
「ここは、」
「修行に使う山だ」
 一体どこなんだ。どうしてここに俺をつれてきた。そんな質問が出きる前に答えた。修行と眉が少し動いた。一体何のと言いたげな顔。木の影に隠していたものを手に取った。
 福沢とその名を呼ぶ。それと同時に放り投げたものを福沢はなんなく手にする。手にして目を見開いた。繁守が放り投げたのは木刀だったのだ。
「これは」
 だんと強く地面を蹴る。今でもこの山で走り回る者がいるから山の地面は固く踏み均されていた。
「何を!」
 木刀と木刀がぶつかる。脳天に直撃させるつもりで振り下ろしたものが受け止められて舌打ちが出た。不意打ちを狙えばと思っていたがやはりそこまで甘い相手ではなかった。
 一度距離を取り、そしてすぐにまたかける。振り下ろす刀の動きは滅茶苦茶なものだった。
「福沢! わしと戦え!」
「っ! 何を言って、貴方は刀の使いかたなど知らぬだろう」
「良いから! 戦え」
 一目で素人と分かるような無茶苦茶な剣を受けとめながら福沢は止めろと声をかけてくる。それでやめられるのなら最初からこんなことをしようとは思わなかっただろう。勝てるなどこれぽっちも思っていないのだから。
 受けられるのすぐに次の動作に入る。今度こそと力を込めたものも受けとめられそして弾き飛ばされる。衝撃で繁守の体は地面に倒れてしまった。
 見下ろす銀灰の目は鋭い色を宿す。
 昔はその目が酷く危ないものに見えたものだがいつの間にかその危うさは消えていた。会社を築いたと連絡が来た後だっただろうか。
「……やはり強いな」
 数十人もの男たちの前で一人静かに立っていた姿を思い出す。記憶のなかの顔より幾分か柔らかさを覚えた顔が呆れたように繁守をみた。
「刀を使ったこともないのに戦う等無茶だ。一体どうしたと」
 福沢の強さは知っている。その強さで守ってもらったことがある。剣で叶うことはないどころか、多分繁守が全力をだしたところで。
 それをわかっていたとして。
「それでもわしはお前に勝つ」
 素早く身を起こした。福沢から距離を取り、指を二本構える。まだやるつもりかと福沢は構えるがそこから動く様子は見せない。繁守の動きを見定めるつもりなのだろう。好都合だと唇が上がる。
「包囲、定礎、結」
 青い四方形が福沢の袖を囲う。何の動きだと身構えたものの福沢には四方形は見えておらず囲まれた事に気づいていない。青い色をした糸が繁守の指から伸びて木刀を拾い上げる。福沢が驚くそこを目掛けて振り下ろした。
 福沢が何とかその攻撃を受けとめる。受け止めようと腕をあげたとき片手の裾が動かずに無理な体勢になってしまった。突然の理解の範囲外の物事に焦りが覗く。無理な体勢になったところをもう一度繁守の攻撃が襲い、身を捩ることでかわした攻撃は勢いが強すぎて止まることなく福沢の着物の裾を破いた。ちっと舌打ちが落ちる。
 すぐさま両者距離を開けた。
「……異能」
 目に見えなかった奇妙な攻撃のようなものを福沢は自分の知る世界のもので判断した。
「異能者だったのか。一体なんのつもりだ」
 問い掛けるのに繁守は答えない。答えないで構え、相手を見据える。攻撃を仕掛けるための位置を見定めて……。
「結! 結! 結!!」
 袖、襟、草履、三ヶ所を結界で囲い固定させる。繁守の動きに何かをやられたと確かめるべく福沢が体を動かす。動かない三ヶ所に気付いた時にはすでに繁守は動き出していた。木刀を横に振りかぶり突進してくる。固定された三ヶ所により身を捩ることも受けとめることもできない。近付いてくるのに舌打ちを一つ。草履は脱ぎ捨てて地面を強く蹴る。びりりと布の破れる音が響いた。ごろごろと勢いのあまり地面に転がる。受け身をとり起き上がった福沢の襟と袖は見事にとれていた。服もかなりはだけ下衣が覗くのを気にする間もなく次の攻撃が来る。けっと言う音が聞こえた瞬間に横に飛ぶ。どのような異能かは分からないが結という音ともに固定されていることには気づいていた。だからその前に。
「滅!」
 繁守の言葉と共に土が抉れる。残してきた袖や襟、草履も一ヶ所が形をなくし地面に転がっていた。
「これは……」
 固定するだけじゃなく固定した対象を消すこともできるのか。もし捕まれば…恐らく人間も……。考え込むのに繁守が次の動作に入っていた。口が動く前に横に飛ぶ。
「結! 結、結!」
 一つ目、二つ目は避けたが着物の裾が捕まってしまう。急ぎ切り取り後ろに下がる。
「結、結、結、結、結!」
 幾つもの数の青い箱が出来上がっていく。繁守にしか見えぬそれは福沢を捕まえることはできておらず。福沢を追いかけ時に先回りをするように張られるなにか。逃げながら福沢は結と言う瞬間、繁守の目が固定する場所に向けられていることに気づいた。相手の目を見つめ、張られる場所を予測し逃げていく。
「チッ! 猿みたいに逃げおって」
 忌々しいと繁守が福沢を睨む。福沢の逃げ方に張る場所を先読みされていることに気付く。恐らく自身の目線から読まれているのだろう。妖相手であれば気配で結界を張る場所を決めることもできるが人間相手に戦うことのない繁守は人間の気配は読めない。目で張る場所を決めるしかなかった。
「結、結、結」
 数打っちゃあたる。なんて考えなしの行動をする良守をいつも叱るが今は繁守もそんな行動を取っていた。いくつも作っていくのにだが相手はすべてを避けていく。
「結結結結結結結結」
 幾つも幾つも。気づけば視界の殆どが青い箱で覆われていた。それはつまり……。
 福沢の背が張ったままの結界に触れる。逃げようとしたのにその先に進むことができない。にやりと繁守の口許に笑みが浮かぶ。終わりだと力を込める。
「けーーつ!」
 咄嗟に福沢は上に飛んでいた。背に触れた何かの上に飛び乗る。冷たくぞわりとするような奇妙な感覚が足裏に伝わる。何だと思うのに別の感覚がぞわりと背筋を震わせた。不安定な場所。なにかもわからないものを力強く踏みしめて上に飛んだ。
 とんと何かの上に降り立つ。地上から五メートルは離れた空中。恐らくは繁守の異能によるもの。形まで自由自在に変えられるのかと眉が寄る。まだ異能の全貌は掴めないがとても強いものであることが予測できた。
 解と声が聞こえた瞬間、乗っていた何かが消える。
 受け身を取ろうとしたが相手が次の場所を見定めていることに気付く。体が地面につくより前に刀を地面に突き刺す。
「結」
 地面に着地する瞬間を狙い結界を張った繁守。だが福沢は突き刺した刀の柄を足場にして横に飛んでいた。着地し睨み会う。
「何故、私を襲う」
「わしのためだ!」
 叫んだ繁守の脳裏に幼かった治守の姿が浮かぶ。普通とは何処か違った子供。それでも大切な孫だった。愛していた。守ると絶対に守ってみせると思っていた。だけど……。
 思うだけではダメなのだ。
 守ると言葉でいくら言おうと守れないときは幾らでも存在する。その時に自分の無力さを嘆いてももう遅い。
 繁守はそれを誰よりも知っている。
「結」
 結界を張る。福沢は容易く結界を避ける。今までずっと後ろに下がっていたのが前に。その動きに繁守も後ろに下がる。結界術は遠方戦には強いものの接近戦には向いていない。間合いに入られたら終わってしまう。
「結結結結」
 捕まえようとしていたものが徐徐に進路を邪魔にするものに変わっていく。後ろに逃げるものの詰め寄ってくる福沢のスピードが早くどんどん詰め寄られていく。
「結結」
 結界がはられる。だが福沢はその張った結界を足場にして近付いてくる。地面に突き刺していた刀を手にし、さらに前に。間合いに入られるのにくっと噛み締めた歯から音が鳴った。
「ぐっ、けーーつ!」
 攻撃をやめ自分を守るために結界を張る。
 青い膜が覆う。
 それでも福沢は止まることなく繁守の元に木刀が高く振られた。
「いい加減にしろ!」
 ばっしりと結界に木刀が触れる。ほっとしたのも束の間ぴしり、音を立て結界に皹が入った。次の結界をはろうとする前にぱりんと壊れる。あっと思ったときには福沢は繁守の前
 気づけば繁守の背は地面につき、首筋の横に木刀が突き刺さる。見上げれば福沢の姿。
「これで終わりだ」
 静かにかけられる声。不機嫌そうではあるものの怒っている様子はなかった。じっと見つめてくる。
「…………やはりお前は強いな」
 勝てないだろうと思っていたが、まさか本当に負けてしまうとは。奥の手を使っていないとはいえそれでも……福沢は繁守の力を見ることもできなかったのに。視線もそうだが、野生の勘と言うやつもまたあったのだろうか。
「昔お前に助けてもらったことよく覚えてる。一瞬で十数人居た奴等を気絶させていたな」
 中には銃をもつ奴等もいたと言うのに涼しい顔で立っていたか。
「……何故、私を。殺意は無かったが本気で倒すつもりだっただろう」
「……色色あってな……」
 居なくなった治守。探していた。だが時間がたつにつれ探すのを止めていたのは諦めたからではなく、生きていてほしくないと思い出したから。これ以上はもう……。
「わしもお前ほど強ければ良かったのに」
 そしたら守ってやることもできたかもしれない。恐ろしい思いになどあわせてやらなくてすんだやも。
「充分強いだろ。むしろ年齢を考えると……」
「ふっ、わしはなにもできなかった。今も何も」
 福沢は慰めでもなんでもなく思ったままの事を口にする。それが余計に繁守に痛みを与える。足りなかったのだ。繁守の強さだけではダメだった。福沢を見上げる。助けられそして挑んで相手の強さはいやと言うほど知った。
 この男なら大丈夫だろうかと考える。この男であれば治守を守ることができるだろうかと。もうあの頃のような莫大な力は持っていない。だが烏森の守人の一族から産まれた魂蔵である事が妖たちにばれたらまた狙われることもあるだろう。ないとは思うがもしそうなったときに。そしてそれ以外のときだってこの男であれば守り抜くことができるだろうか。
「墨村?」
「いや、何もない……」
 福沢の目が覗き込んできた。我に返った繁守は首を横に振ってしまう
「何かあったのか。私でよければ相談に乗るぞ」
「……そうだな。また、何時か乗ってもらおう」
 本当は今日話すつもりだった。だが……。
 褪赭の目が浮かんだ。本当にいとおしいのだと言いたげな目で目の前の男を見つめていた。
 妖や術のことは一般人には誰にも話すことがないように。結界術を教える前、物心ついた頃から教え込むその言葉は一般人を巻き込まないためにと言うのは建前で、本音は術者になるまだ幼い子供たちを守るためのものだった。異端者を排除するこの国から排除されないために。
「何時かお前に言う覚悟ができたら相談する。それまで待っていてくれ。そう長くはかからん」
「……分かった」
 福沢が頷くのを見つめる。
 本当は今日何もかも話すつもりだった。何もかも話して託すつもりだった。だけどもしこの男が受け入れることができなかったらあの子はなくのだろうと思うと何も言えなくなった。
 試すつもりだったのだ。あの子の傍にいていい存在なのか
 だけど今しばらくはあのこの傍にいてもらいたくなった。


「お帰りなさい」
「只今」
 機嫌よく出てきた茶髪に福沢はほっと胸を撫で下ろした。出掛けるときに告げていた時間よりも長くなってしまったから拗ねていないか不安だったのだ。その様子はないようだった。ふわふわと可愛らしい笑みを浮かべてくれる。
 だがその笑みを浮かべた顔がん? と首を傾ける。目が瞬きを繰り返して訝しげな目を向けてくる。機嫌が良かった顔は不機嫌になってしまった。太宰のその様子に福沢もまた首を傾けた。何か怒らせるような事をしてしまっただろうかと思ったのにむうと唇を尖らせた太宰が福沢の来ている着物を掴んでくる。生地の手触りを確認し、まじまじと見つめてくる
「どうしたのですかこのお召し物。着ていたのと違いますよね」
 太宰の様子から成る程この事かと思ってはいたものの問い掛けられたのに目を丸くしてしまった。着ていた服はボロボロに破れてしまったので繁守から着物を借りたのだが、ほぼ同じ色のものであった。生地も似たようなもので……。着物が違えば心配してしまうかとそれを選んだのだが失敗してしまったのが太宰の様子から分かる。ぷくりと頬を膨らませた太宰は浮気ですかとそんなことを口にしている。
「そんなわけないだろう。出先で色々あって着物が破れたから知人のを借りてきただけだ」
「ふーーん」
 疑わしいと言う目が福沢を見る。本当の事をいってくださいとその薄い唇が聞いた。
「本当だ。私が信じられぬのか」
「そうじゃないけどでも、男は浮気をする生き物でしょう。良いのですよ。私は許します。あまり煩く言う女は嫌われ捨てられてしまうと言いますからね」
「お前を捨てることはないし。そもそもお前は男だろう。男が浮気をする生き物だと言うのならお前も浮気するのか。言っておくが私は寛容にはできておらぬぞ」
 ぱちぱちと太宰の目が瞬きを繰り返す。いえ……、私は浮気はしませんが。少し躊躇うような声が答えて。ぱちぱち。もう二度された瞬き。ぽうとその頬が遅れて赤くなった。ふへふへと奇妙な笑みを浮かべる。もうそんなこと言っても私は騙されませんからね。浮気は大罪なんですよ。私は許しますが。うふふと嬉しそうな声が言うのにほぅと福沢は心のなかで息を吐いた。太宰の形だけの怒りを解くことには成功したようだった。あっと明るい声が上がる。
「遅かったので夜ご飯用意しましたよ」
「……お前がか。大丈夫だったか」
「心配しなくとも大丈夫です。出前ですから」
 太宰の言葉に一瞬固まった福沢だが太宰が言った事に安堵の息を吐いた。何でも器用にできる男だと思われている太宰にも苦手なことと言うものはあって家事は滅法弱かった。この家では料理を作るのは福沢の役目だ。折角取ってくれたのだ。すぐに食べようかと居間に向かうため歩を進める。隣に並んだ太宰。
 あれ? とその足が途中で止まる。福沢を見つめて固まってしまった。
「どうした。浮気はしておらんぞ」
「……はぁ、そうではないんですが」
 そうではないけど何か。太宰が福沢を見つめる。何か奇妙なものを感じたような。何だろうと思いながらゆるりと首を振る。歩きだしながら太宰の足は一歩後ろに下がった。
「いえ、何にも」


 食事が終わって数時間、福沢はずっとどうするべきかを考え込んでいた。んーーと顔には出さないようにしながらも悩む。ぽんぽんと手は太宰の頭と背を撫でる。食事を食べ終えた後から太宰は福沢の膝の上に座り込んで胸の上に頭を寄せていた。何時もの体勢ではあるが……それをする太宰は何処か違っていて……。
 やはり失敗してしまったかと。今日の事を思う。冗談めかしていたものの本気で不安になっていたことを気付かぬ程太宰との距離はもう遠くない。隠しているものの今も不安なのだろう。よしよしと頭を撫でながらどう不安を解いていくかを考える。
 ぐりぐりと胸元に頭が寄せられる。甘えるように喉を鳴らす仕草。だがそうしながら時々、太宰の動きは止まり、隠れながら目元を細めていた。隙間からその様子を伺いそれにも疑問が湧く。すんと匂いを嗅ぐ仕草。先程から繰り返される動作だが何のためかわからない。何かを気にしているようだが……。
 ぐりぐりと頭を押し付けている。甘えているようで悲しいのを隠しているものにみえた。
「太宰、どうかしたか?」
 何かいい感じに聞き出せたらと思っていたがいい言葉が見つからずに直接的に聞いてしまう。太宰と共に暮らして太宰が隠そうとするものに気付けるようにはなったもののそこから一歩には中々進めなかった。
「っ! 何でですか」
「いや、どうも苦しそうだ」
 ぴっくりと震えた肩。誤魔化すように笑みが浮かべられる。心配しているのだと伝わってほしいとありのままを声にしてみるものの太宰から笑みは消えなかった。
「そんなことはないんですけど」
 大丈夫ですよと笑って押し付けられてくる。ふんとまた匂いを嗅がれた。
「まさかとは思うが臭いか」
 そうではないだろうと分かってそんなことを聞く。そこから太宰が何を気にしているのか分かることが出来ないだろうかと思って。太宰の目が見開く。それからまた笑った。可愛らしい形をしながらでも何処か歪んでいるのにこの臭いに何かあるのだろうかと思う。すんと嗅いでみるもののよくわからない。何時もとほんの少し違うようなそんな気がするだけだ。
「ふふ、そんなことはないですよ」
 ことりと太宰の耳が福沢の胸の上に置かれる。とくとくと言う音が届いているのが分かる。それで少しでも癒されるのならいいのだが。
「この匂いあまり好きじゃないな」


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