赤レンガで建てられた建物を見上げる。地図とその建物を何度も見て、それからゆっくり息をはく。
「ここか」
 小さな名刺を見る。くしゃくしゃの名刺に武装探偵社と言う文字。その横には太宰治と書かれている。記憶をなくし墨村治守でなくなった孫がこれまで生きてくるのに名乗っていた名。そしてこれからもこの名を名乗っていくのだろう。苦々しい思いが沸き上がるのを振り払う。
 それよりもと見つめる赤い建物は見覚えがある。
「ここは、やはり」
 一度だけここにきたことがある。孫がさらわれた数年後探偵社を設立したと連絡が来て……。探偵ならばと藁をも掴む思いでやって来たものだが途中で無理かと諦めて中にまでは入らなかった。挨拶はしておくべきだったかと後で後悔した。
 銀の髪の男を思い出した。二十年ほど前に出会った男。色々あり妖怪ではなく人間に狙われていたとき護衛をしてもらった。その縁から数年に一度、今でも会い連絡を取り合っている。それがまさか…。
「ここに……いたとはな」
 何時からだろうか。灯台もと暗しともまた違うが存外近いところにいたのだ。良守が見つけずとも繁守が見つける可能性もあったのだろう。
 つまらなそうな仏頂面を思い出す。ここ数年はその表情も柔らかくなっていたか。
 あの男の元でならば治守もそんなに辛い思いはしてないのではないだろうか。だが……。がちゃりと上の方で扉が開く音が聞こえた。思わず繁守は建物の隅に隠れてしまう。もし治守だったらと。
 誰かが降りてくる。
「太宰さん、ちゃんと仕事してくださいよ。いい加減にしないと国木田さんの血管が切れますよ」
「大丈夫なのだよ。彼の血管は鉄のように固いから」
「そんなわけないでしょ」
 聞こえた名に心も体も震えた。見開く目。思わず外に出そうになる体を奥に押し込んで見つからないよう隠れる。隙間から白髪と茶髪が覗く。その茶髪から横顔が覗いたとき心臓が壊れるのを感じた。ふわりと笑みを浮かんでいる顔を見間違える筈もない。例え記憶にあるものから変わってしまおうと間違えたりしない。
 ああと、バカになった涙腺から一筋涙が溢れ落ちた。
「治守」
 大きくなったんだな。本当に生きていたんだな。それだけでいい。生きてくれていただけで。できれば幸せでいてくれたら。それでいい。


 さようならと言う声が幾つか聞いてくるのに繁守は建物の隅から覗きこんだ。数人の人影が見えるものの繁守が待っている姿は見えない。治守をみた後も繁守はそこから離れることをしなかった。帰ればもう二度とここに来ることはないだろう。その前に一つだけ確かめておきたいことがあって。
 もう辺りはだいぶ暗くなっている。随分な人数が降りてきたからそろそろではないだろうかと隠れていた場所からでやすいように体を動かした。
 がちゃんと扉の開く音。やっときたか、いや、だがまだあの子も降りてきてはいないか。まずはあの子だろうかと思うのに足音は二つ分だった。
 かつんかつんと音をたてる足音に酷く静かな足音。聞き覚えのある足音だった。腰をあげるのにかつりと数段飛ばしに降り立つ音が耳を打つ。隙間から茶髪が見えて目が見開く。
「太宰……」
「これぐらい大丈夫ですよ、ふふ」
 待ち望んでいた声が聞こえたのにそれとは違う柔らかな声が答える。治守……、それに福沢、なぜ二人がと少しだけパニックに陥った。社長と社員一緒にいるのがおかしいわけではないが。だが。
 まあ、途中で別れるだろう。その後で用事は済ませればいいかと鳥の式神を作り傍に飛ばした。あの男は無駄に気配に鋭いからなとぶつぶつと繁守は呟く。鳥が近くの電線に止まる。
 すぐに何処かへ歩いていくかと思った二人は中々歩き出すことがなかった。一歩先に降りた太宰の傍に福沢が並んでじっとしている。何かを話すこともなくそこにいて、ん? と繁守の首が傾いた。何をしているのだと二人を式神の目越しに見つめる。
「何処に行くんですか?」
「何処に行こうか」
 横に立つ相手に太宰が問い掛ける。少し膝を屈んで上目遣いになるようにしていた。それに対して福沢はふむと一度考え困ったように眉を寄せた。なんだそれはと繁守の眉が寄る。人の孫の時間を奪うくせに何処に行くか決めてないのか。そもそも何をしに行くつもりだ。人の孫を駒使いのように使うんじゃないぞとまたぶつくさ呟く。同じように太宰もぶつくさ呟いていた。
「決めてないんですか? 貴方が誘ったくせに。決めてないなら家に帰りましょう」
「家に帰りたいのか」
「……決めてないのにぶらぶらするのは疲れるじゃないですか。それにどこか連れていてくれるのかと楽しみにしてたのに決めてないってきいてがっかりしました。もうでかける気分じゃないです」
 ぷくうと頬が膨れている。昼間見ていたからその事にはもう驚かない。違和感は感じてしまいながらも繁守はそうだそうだと声をあげていた。声をあげながら途中でん? と奇妙な感覚を覚える。何を言っているんだろうと。その通りではあるものの何かおかしなことを言っているような。んんと首が傾くのに式神の首も傾いた。
「たまには気分転換に出掛けるのも良いと思ったんだが」
 お前のような仏頂面な男と出かけて気分転換になるか。それならあの赤い着物の女の子やその隣にいた敦とか呼ばれてた白髪の男の子、それから麦わら帽子をしてた男の子と出掛ける方が良さそうだわ。声には出さなかったが心のなかでそう呟いていた。お前の気分転換にわしの孫を使うなとぶつぶつぶつ。
「気分転換ですか?」
 太宰の首が傾く。そこに嫌そうな様子はなかった。ただ小さく唇だけが尖っている。
「ああ、でぇとと言う奴だな」
「でぇと……」
「はぁっ!」
 もぐりと咄嗟に口を抑える。結。と自分の回りに結界を張った。外からは中が見えないものを。ついでに式神を一つだして。どぎばぐとなる心臓。繁守が隠れている建物の影を銀灰の鋭い目が覗いた。
 誰かいましたかととう声。いや、と低い声が答えた。猫がいる程度だが……。んぎゃぁ。だみ声の鳴き声がした。
 随分可愛くない鳴き声の猫がいますね。さっきの声みたいなのもその猫でしょうか。かもな……。どんな子です。っあ。にゃごああ。……柄もまた何とも奇妙な猫ですね。そうだな。ぶさかわいいというやつか。え? 何だ。いえ、可愛かったですか? 可愛くなかったか? ……ふふ。
 何をあやつはわしの孫を困らせているんだ。かわいいわけないじゃろうが。あれのどこが可愛いんだ。
 結界の中、酷く呆れた顔を繁守は浮かべた。すぐに気がそれるように作った猫の式神は咄嗟過ぎてとても気味の悪いものになってしまっていた。
 行こうか。はい。
 二人が去っていく足音がした。鳥が少し間を開けて飛び立つ。ホッと息を吐いて結界をといた繁守は暫くしてから何いいいと叫んだ。なんだなんだと近くの路地を歩いていた人々が周りを見渡す。
 でぇとと言う奴だな。
 聞いたばかりの声が甦る。
「何をいっておるんだアイツは!あんな能面のような顔をして!」
 地団駄を踏みながら叫ぶ。でぇとでぇと。あまり耳馴染みのない単語ではあるものの逢瀬と呼ばれるものであることは知っている。そして逢瀬とは付き合っている男女が行うものだ。それをそれをバカでないのかと思うのに式神を通した光景が繁守に伝わってきた。
 二人並んで歩く太宰と福沢。何処に行こうかと話している二人。その距離が不自然に近づく。太宰から歩を寄せてそしてそっと手を伸ばした。白くて細い手が固い手に触れる。きゅっと、その指先を握りしめる。
「ちょ、な、なにを、治守!」
 繁守からまた叫びが上がった。伝わってきた情報が信じられない。そんなことがあるものかと思うのに光景は勝手に続いて。
「太宰……」
 少し驚いた顔をして福沢が太宰を見る。横を向いた太宰は少し頬を赤らめていて。
「でぇとなら手を繋ぐのは当然でしょ」
 ふふと笑った横顔。きゅっと指先に込められる力は強くなる。
「そうだな」
 口許をかすかにあげて福沢の指が太宰の指に絡まった。握りしめてくる手も強くなって。
 離れた場所で繁守は膝をつく。ぽかんと開けた口。しょんなりとつんつん立っていた髪が下を向いた。
「な、何だこれは、ど、どどういう」
 何が起きているのか全く理解できない。なんだと言うのか。繁守の頭のなかで七十年近く生きてきて身に付けてきた常識たちが回る。様々な常識知らずのなかで生きてきた彼の常識は普通の人よりも範囲が広いと思っていた。だが、二人の関係は彼の持つ常識では名前をつける事ができなかった。
 手を握り肩を寄せあい、でぇとをする姿はまるで付き合っている男女のよう。まるでではなく、もしかしなくてもあの二人は……
 いや、そんな筈は。そんな筈はあり得ないと思うのにでてくるのは……。
 理解できない事へのパニックが落ち着き己の中で消化できはじめてふつふと怒りが沸き上がり始める。
「おんのれ福沢!! あいつ四十とかだろうが! わしとほぼ同じ年のくせして何をわしの孫と! いや、そもそも二人とも男だろうが」
 邪魔してやる。孫の幸せを願っていたはずだが繁守の頭のなかは今はそれで一杯になってしまった。


 二人が最初に向かったのは何処ぞのカフェであった。福沢には似合わぬようなお洒落な外見の店に二人並んで入っていく。店員に案内され席につく二人。二人を幾つかの視線が追いかけるのにお前は何しれっとそんな店に入っておるんじゃ。一昔前なら梃子でも入らんかった癖に。似合っておらんぞと遠くから鳥を通して二人を見ている繁守は罵る。
 今の繁守には福沢が目にいれても痛くない大切な孫を奪った悪魔にしか思えなくなっていた。
「何にしましょうか」
「お前は何がいいんだ」
 メニュー表を開きながら太宰が声をかけるのに福沢は問いを問いで返す。うふふと太宰の口が大きく笑みの形を作った。うちの孫の問いに問いで返すなと怒る繁守であるが、太宰のその顔はよくぞ聞いてくれたと云うものだ。
「この和風パフェと云うのと苺ティラミスで悩んでいるのですよ。ここの苺ティラミスは甘さと苦味のバランスが良く最高に美味しいと云う話を聞いたので食べてみたかったのですが、和風パフェも中々美味しそうだなと思いまして」
「ふむ。では和風パフェは私が頼むか」
「よろしいのですか」
「ああ」
「ありがとうございます。飲み物はどれにします。私は紅茶にしようかと思うのですが」
「私はお前と一緒のものでいい」
「そうですか。では注文しますね」
 太宰の白い手がちりんと店員を呼ぶベルを押すのに二人の会話をじっと聞いていた繁守からまさかと声が呟かれる。それはわりと本気に絶望していた。
 見たくない。嫌だが、繁守がぶつぶつと考え込むのに二人の注文は終わり、二人で語らいだしていた。頼むのも太宰がやり、話も太宰が沢山話し掛けているのに考えながら、おんのれ福沢わしの孫ばかりにしゃべらせおってとまた新たに怒りを燃やしだす。
 二人の前にそれぞれ注文した品が届けられる。わぁと太宰が歓声をあげた。
「美味しそうですね」
「そうだな」
 可愛らしい赤と茶色のケーキを前ににこにこと笑う太宰に可愛いのう。さすがわしの孫、何とあわせても目の保養じゃ。爺バカな事を思った後、にしてもお前は絶妙に似合わんのう。やくざみたいな顔をしておるからだぞ。福沢には歪んではいるもののそこまで外れてはいない感想を抱いていた。
「いただきまーす。うん。美味しい。聞いていた通り凄く美味しいですよ」
「そうか。では、私も。これもとても上手いぞ」
「ほんとですか」
 にこにこと太宰が愛らしく笑みを浮かべる。ぱくぱくと食べていく姿。美味しそうに食べるようになってとじんわり涙か浮かぶ。決して不味そうに食べる子ではなかったが美味しそうに食べることもなかった。いつもと変わらぬ顔でもくもくと食べていた。それがと悲しいが嬉しいものも感じていた繁守だったが次の瞬間には消し飛んでいた。
「太宰」
「はい?」
 ケーキを頬張っていた太宰を福沢が呼んだ。その手にはスプーンが持たれており、顔をあげた太宰の口元にそのスプーンが差し出されていた。ぷわぁと輝く笑みを浮かべる太宰。ぱっくりとその口が福沢が差し出していたスプーンを含む。よりにもよってそれは福沢が先程まで使っていたもので。
 ぎゃあああああああああ!! 
 繁守からはこの世の終わりかと思えるような悲鳴が出ていた。信じられないと目をまんまるく見開いて叫び続ける。わしの孫が、わしの孫がああああああ!! と道にいることも忘れては絶叫して白い目で見られていた。がっくりと地面に膝をついてしまう。
 わしの孫が、わしの孫が汚された。ふ、ふざけるなよ、福沢この恨み必ずはたしてやる。
 怨念のこもった恐ろしい声が繁守から出ていて……
「む……」
「? どうかしました?」
「いや……少し背筋が……」
「風邪ですか? お年ですからね気を付けないと駄目ですよ」
「……大丈夫だ。風邪ではない」
 ムッと唇を尖らせる福沢に太宰がくすくすと笑う。今すぐ高熱で倒れろ。今すぐ倒れろ。倒れろ。倒れろ。倒れろ。倒れろ。繁守は呪詛を続けていた。
「そうだ。福沢さん」
「ん?」
「はい。あーん」
 太宰が自分が食べていたケーキを福沢に差し出す。もちろんそれに使われているフォークは太宰が使っていたもので。
 呪詛を吐き出していた繁守が愕然と口を開く。福沢の口を開きぱくりと食べていた。
 おさもりいいいいいいいいいいいいいいいいいい!そんなやつに食べさせるんじゃない菌が移るぞ菌がああああああああああ!!
 頭を覆い叫ぶ繁守だが残念なことに、それをもし太宰が聞いたとしたら、福沢さんのものが移るならと喜んだだろう。そんなことは知らずますます福沢に向ける呪詛は強くなっていく。
「福沢さん、もう一口貰ってはダメですか」
「良いが、一口など言わず幾らでも食べてよいぞ」
「本当ですか。では福沢さんも幾らでも食べてくださって大丈夫ですからね」
「ああ」
「んーー美味しい!」
 では、早速と福沢の皿から一口をもらった太宰が美味しいと頬を蕩けさせる。美味しそうなその姿に繁守はほうと息を吐き出す。良かった。もうあーーんはしないのかと。そしてもっともっと食べるんだぞ。沢山食べて大きくおなりと思うにハッと我に変える。ダメじゃ、治守! その皿のものは既に菌に犯されておるんじゃ! だから食べるのをやめなさいと聞こえないのを分かっているのに叫んでいた。
「私も一口。……上手いな」
 ぎゃあああああああああああ!!
 強い叫び声が上がった。お前ふざけんなよ!! わしの孫のものを食べるな!! 菌が移るだろうが!! ガミガミガミガミ怒鳴る声。だが悲しきかなその声はやはり聞かせたい相手には届かない。
「美味しいですね」
「ああ」
「ふふ、美味しい」
 繁守が叫ぶなか太宰と福沢二人は恋人のように仲睦まじく食事を続けていた。太宰の口元に甘いクリームがつく。あっとそれが目についた福沢は己の指先で拭い取っていた。ぺろりと嘗めあげるのに太宰の体が跳ね上がる。ぴゃぁああと赤くなっていく頬。な、ななんて事するんですか。震える声が聞くのに僅かに頬を赤めた福沢は口を固く閉ざして近くにあった紅茶に手を伸ばしていた。動揺を静める為口に含む。
 すまなかったと口にする声はか細い。いえと答える声はもっとか細くて………。
 ぎゃあああああああああああ!!
 上がる叫びは大きかった。治守、治守とこの世の終わりのような顔をして涙を流し灰になる繁守。さらさらと消えていく。
「……美味しいですね」
「ああ」
 気まずい雰囲気になる二人だが、徐々に持ち直しまた穏やかな空気に戻っていく。穏やかというよりは甘いピンクの色をした空気。二人が笑いあうのは最早繁守には見えていなかった。治守が治守がと繰り返す。
「うん。美味しい」
 太宰がぱくぱくとケーキやパフェを食べていく。
 呆然としていた繁守はだけど徐々に我を取り戻しあれと思いだしていた。楽しそうな孫の姿。その姿になにか違和感を……。何だと思うのに福沢の手が太宰にまた伸びていた。ゆっくりと太宰の頬を撫でていく。
「太宰。一つ聞いてもよいか」
 んと太宰の褪赭の瞳が見つめる。何ですかと柔らかな声が聞くのに福沢の眉間には僅かに皺が作られた。
「誰にこの店を教えてもらったのだ」
 その問いをきいた瞬間太宰の顔にはさまざまな感情が渦巻き、そして静かになった。それは繁守がよく知るもの。娘によくにた幼き治守がずっと見せていた感情を感じさせることのない人形のような……顔。
 ふわりとその表情を掻き消すように太宰は笑みを浮かべた。
「知り合いに教えていただいたんです」
「それは誰だ」
「貴方が知らない人ですよ」
「だから誰だときいているのだが」
「秘密です。どうしました? 焼きもちですか、可愛らしいですね」
 ふふ、ふふと笑みを浮かべる太宰。にこにことしたその顔にぴったりと添えられた福沢の手はゆっくりと撫でていく。その手の感触に僅かに笑みを緩めた太宰の顔は何処か泣き出しそうで二度瞬きをするとゆっくりとそれがなにもない顔に変わっていく。
 ああ、そうかとその変化を見ていた繁守は深く息を吐き出した。横浜は旨いケーキたくさんあるんだって、俺横浜の旨いケーキ屋全部制覇してくるから。もうだいぶ前にそう語っていた良守の姿を思い出す。へぇ、そうなんだ。父さんにもどのケーキ屋が美味しかったか教えてね。おう。と修史と話していたが帰った時良守はその話はしなかった。兄ちゃんに治守兄ちゃんにあったんだとその話を興奮して話、また修史もそれ以外の話を聞くような状況ではなくなっていた。
 だがきっと兄に再会する前に美味しいケーキ屋を食べ歩いていたのだろう。そしてその一つを話していた。
 太宰がここに来たのはその話があったから。美味しいと言われたものが気になったのか。それとも良守が美味しいと言っていたのが気になったのか。どちらしても良守の事を考えてしまっていたのだろう。
 あれは空元気だったのか。
 福沢に頬を撫でられる太宰はゆっくりと息をしながら目を閉じていた。おいしいでしょと呟く声は何処か力ない。
「凄くおいしいって食べたら病み付きになるかもと云う話を聞いたんです」
「そうか」
「美味しいですよね」
「ああ。それで」
 何かを問い掛けようとした福沢の口が閉じる。誰なのだと聞きたかったのだがどうせ答えてはくれないだろうと眉間にできた皺が濃くなった。撫でる手に力がこもるのに秘密なのですと太宰が口にする。秘密なのですと何処か寂しげに。テーブルの上をさ迷う視線にはぁと深いため息が福沢からでていく。撫でていた手が離れた。名残惜しげに最後に一撫でしながら
「早く食べよう。せっかくのパフェが溶けてしまう」
「はい」
 むっすりとした顔で繁守は二人の様子を見ていた。あれほど怒っていたのが嘘みたいに今は静かだ。ただ静かに太宰の事を見ていた。


「ほら、見てください。かわいいですよ」
「ふむ。そうだな」
 ケーキとぱふぇを食べ終わった二人は店をでてしばらくぶらぶらと歩いていた。特にこれといった行く宛もなく歩いた後、二人はデパートへと足を運んだ。あまりこういった場所には来ない二人だがたまにはよいだろうと。そしてそこで見かけた猫をモチーフとした雑貨店で太宰は足を止めたのだった。
 そこにある商品に手を伸ばしては福沢にほらと見せる。猫好きでありながら普段そういったものに手をださない福沢はわずかな羞恥を感じながらも太宰が己の為にと手にとっては見せびらかせてくるものに素直に応えていた。
「あ、この湯飲みとかよくありませんか。普段使うのにぴったりなサイズだと思うのですが」
「そうだな。だがこれは」
「どうせ使うところを見るのは私しかいませんよ。もし誰かに戸棚を開けられて見られても私が使っているのだと言えばいいのです」
 にこにこと話す太宰。確かにと福沢が唸るのにぴっくりといまだ二人の様子を監視し続けている繁守の耳が大きく動いた。確かにではないは。お前の家にわしの孫の持ち物があってたまるかと声に出す。ぐぬぬと強く歯が噛み締められている。
「だがそれなら実際お前が使っているのを見たいものだ」
「へ?」
「何時だったか言ってなかったか。愛らしいものに愛らしいものを足したら倍愛らしくなるのだと。自分で使うよりも癒されそうだ」
「…それはそうですね。よし。二個かいましょう。大丈夫です。私に押しきられたと言えばみんな信じますから」
「そうか」
「はい」
 二人が手にもつ猫のがらの湯飲みが割れればいいとわりと本気で繁守は思う。福沢の手に二つの湯飲みが渡って今なら孫の手が怪我をする恐れもないのだから。壊れろ壊れろと呪った。
「これとあとは何を買おうかな」
「まだ買うつもりか」
「良いじゃないですか。福沢さん猫好き何ですから。猫に囲まれた福沢さんかわいくて大好きですよ」
「全く。あと少しだけだぞ」
 フワッと笑う太宰に福沢はんんと声を出して顔を背けた。それを見ていた繁守はわしも猫に囲まれたら可愛いぞと叫ぶが聞くものはいなかった。可愛いんじゃからなと叫ぶ。
 そんなことをつゆ知らず二人は可愛い猫雑貨を楽しそうに見ていた。幾つか手に取りそれをレジへ持っていく。その二人の姿は何処からどう見ても愛らしい恋人同士だ。
「うふふ。良いもの買いましたね。これは是非今日にでも貴方に使ってもらわなければ」
「ああお前にも使ってもらわないとな」
「あんまり期待しすぎないでくださいね。思ってるほど可愛くないですから」
「そんなことはない。きっと期待している以上だ」
 買い物袋を携えた二人が猫雑貨店のなかからでていく。楽しげに笑いながら歩く二人はまだデパートからはでず色々な店を見て回り会話を楽しむ。二人ともあまりショッピングを楽しむ質ではないが、こう言うのもたまにはいいなと思っていた。
「これ、可愛いですね、鏡花ちゃんとか好きそうではないですか」
「そうだな。これなどは敦に良いのではないか」
「ああ。ビッタリですね」
 ショッピングウインドウを楽しんでいた二人は一通り見て回り終えた後、色んな種類の集まる雑貨店に足を運んだ。特に買いたいものもなかったが帰るのが名残惜しくてそこに来たのだった。そして探偵社の社員に似合うものを二人で選んでいる。
「あ、これとか与謝野先生にあいそうですよ」 
 キラキラとした目が指し示したのは酒瓶の形をしたペン立てだった。
「いや、それはないな」
「そうですか?」
「ああ。そんなものを贈られても困るだけだ。それならば普通の酒を貰えた方が良かったとがっかりしてしまうからな」
「なるほど。福沢さんも似たようなものを贈られてがっかりしたことがあるんですね」
 むっと固まる福沢。ふふと太宰が笑ったのに否定する言葉は出てこない。何せそれは真実だったから。何時だったか酒好きならばと酒の形を模した飾り物を貰ったがこんなものを贈ってくるならば普通に酒を贈って欲しかった。とがっかりしたことがあったのだ。貴方への贈り物に酒の飾り物とかはなしか。とは言え酒は沢山貰ってますもんね。みんなと同じものはやだし、猫ちゃんグッズですかね。昔の事を思い出す横で太宰は唇を尖らせてそんなことを言っていた。
 別に贈り物等いらないのだが。傍にいてくれたらそれだけでとは言わないでおく。それよりうーーんと考え込んでいる顔を見つめるのがいとおしくて。
 見つめながらああ。と目にはいったものに手を伸ばした。
「これなど与謝野にいいのではないか」
「え、お猪口ですか。随分大きいですが 」
「ちょびちょび飲むよりもこの大きさで一気に飲んだ方が良いだろう。あやつも大きいサイズのお猪口が欲しいと言っていたからな」
「女性に贈るようなものではありませんよ」
「あのペン立ても似たようなものだろう」
「まあ、そうですね。んーー、あ、このハンドクリーム等いいかもしれませんよ。凄くいいと女性の間で大人気らしくて」
「ほう……」
 大きめのサイズのお猪口に全くと呆れた顔をした太宰だが福沢に言われてえっへと誤魔化すように笑った。そして見つけたものを指差す。可愛らしいポップにも大人気と書かれている。
「確かにいいかもな。手荒れがひどいとよくぼやいているし」
「でしょ。ナオミちゃんや春野さんにもこれがいいかもですね。あ、でも料理とかは谷崎君がしていると云う話だったから谷崎君かな……。んーー、ふふ。それより二人にはこれの方が似合いそうですね」
 考え込んでいた太宰が何かを見つけたのかにやりと笑う。その手が触ったのは二人がかりで座れそうなほど大きなクッション。その形はハートだった。
「見てくださいよこれ。yes.noって書かれてます。枕でならみたことありますがまさかこんな大きなクッションにもあるなんて。あ、此方にはラブラブって書かれたのもありますね。他にも幾つか文字のバリエーションがあるようです。
 やはり二人にはこれがお似合いではないですか」
「これ……は」
 止めておいた方がいいのではないかと福沢の頬がひきつるが太宰は楽しそうに笑うのみだった。
「いえいえ、絶対に合いますよ。ナオミちゃんなど喜んで毎日使ってくれます。よし、谷崎兄弟にはこれで決定ですね。
 後は国木田君に賢治君ですね。国木田くんは最近肩凝りが酷いと言っていましたので肩凝りに効く健康商品にして差し上げましょう。賢治君は畑仕事が大変だと言ってましたしそれを助けるような……そうだ。首にまくかいろとかどうですか。最近のは熱い日には冷却材を仕込めるものもありますからね」
「そうだな。良いかもな。それだとあちらの棚の方か」
「そうですね。でもふふ」
「どうした?」
 福沢がゆびさした棚を見ながら太宰は笑みをおさえることができなかった。笑ってしまうのに棚に向かおうとしていた福沢が足を止める。見つめてくる目に太宰はまた口を抑えて笑う。
「いえ、最初はただぬいぐるみとか部屋の飾り物とかで皆に似合いそうなものを選んでいたのに何時のまにか実用的なものに変わってしまっているなと思いまして」
「確かにな。与謝野のペン立て辺りからか」
「社長が本物の酒の方が喜ぶとか云うから。そうだ。どうです。このまま皆にかっていてあげましょうか。日頃の労りを込めてと云うことにして。みんな社長から贈られたら喜びますよ」
「ふむ。だが二人で買いにいたことがばれると思うぞ。私一人では選ばないものも多いしな」
「そうですね。でもいいんじゃないですか。たまには二人でみんなにからかわれましょうか」
 にっこりと笑う太宰にお前がそれでいいならいいがと答えた福沢はだがとみんなにと見てきた品を思い出した。持って帰るには些か重いぞと。
「大丈夫ですよ。最近は宅配サービスと云うものもありますからね。全部探偵社に送ってしまえば良いのですよ。そうと決まれば早速残り二人を選びましょう」
「ああ」
 上機嫌で棚に向かいだす太宰はその途中ふっと足を止めていた。その目が一つのものを見つめる。
「これが気になるのか」
「あ、いえ、」
「お前にしては珍しいな。犬のぬいぐるみなど……犬は嫌いだろう」
 白い毛の大きめの犬のぬいぐるみ。それが太宰の視線の先にはあった。福沢の手がぬいぐるみの耳に触れる。じっとその動きを太宰の目が見ていた。
「……犬は嫌いですが、流石にぬいぐるみを恐くは思いませんよ」
 もはややさぐれた思いで道の横に座り込み二人の様子を見ていた繁守の耳がぴくりと動いた。ずっと福沢に対する呪いの言葉を吐いていた口がやっと止まる。
 犬が嫌い。
 呟く声は呆然として震えていた。見開かれ揺れる目が見つめるなか太宰の手がぬいぐるみに触れる。
「それに…………まだ、……犬は貴方ですからね」
「む」
「銀狼何ですから。貴方は犬でしょ。わんわん。それならばぬいぐるみであれば可愛らしく思いますよ」
 何か言いかけた言葉を飲み込み。違う言葉をはく。福沢にはその言いかけた言葉が何なのか分からなかったが繁守には分かった。孫が言おうとしていたのが斑尾。墨村家付きの妖犬の事であると。よく孫と一緒にいた姿を思い出す。孫の事を気にしていた妖犬に孫も懐いていたようで……。もうそこまで思い出してしまっているのかそんな言葉がわいた。
「買うか」
「いりませんよ。ぬいぐるみを欲しがるような年ではありませんし、貴方は何時でも私の傍にいますからね。本物がいるのに代わりはいりませんよ。代わりがいたって……」
 飲み込まれる言葉。じっと福沢が太宰を見つめる。繁守もまた太宰を見つめてその手を強く握りしめていた。


 買い物が終わって二人が次に向かったのは福沢の家だった。そこで別れるかと思い孫を一人帰らせるつもりか。送っていけと怒ったのは束の間、二人が揃って家の中に入るのに繁守の口はがっくりと開く。立ち上がりかけていた腰から力ががへなへなと抜けていた。座り込んで二人を見つめるのにただいまと太宰が口にする。お帰りと福沢がいい続いてただいまと口にする。おかえりなさいと太宰が出迎えの言葉を口にする。
 二人のなんとも言えない様子を見て繁守は今度こそ撃沈した。まさかまさかとだけ呟く。
 二人は居間に向かい、太宰はそこで座り込むのに福沢は荷物を置いた。厨の方に向かおうとしていたその裾を太宰の手が掴む。ついついと引っ張ってくる手に福沢はすとんと太宰の横に座る。俯いている太宰の頭を引き寄せて自分の肩に凭れさせた。ことんと福沢の手に従う太宰は居心地のよい場所を己で探して目を閉ざす。ゆっくりと整えるように呼吸をする太宰の頭を撫でながらどうしたと柔らかな声がささやいた。
「疲れたのか? 今日はもう眠るか」
「いえ……、その必要はないのですが……ただ少しこうしていたいなと」
 答える声はとても静かなもの。福沢の手にすり寄りながら口許に穏やかな笑みを浮かべる。ついぞ治守が浮かべることのなかった笑み。治守が浮かべたのは母を真似したような薄い笑みだけだった。
 ねえ、と穏やかな声がでた。
「今日はありがとうございました。私のために出掛けてくれたのでしょう。気付かれていないつもりでしたけど私が塞ぎこんでいるのわかっていたんですね」
「もうずっと見てきているからな。隠しても落ち込んでいるかどうかであればすぐに分かる」
 だからあまり隠すな。
 福沢が声をかけるのにうふふと、太宰は笑う。寄り掛かりながら幸せそうな笑みを口許に作る。はーいと軽い声が答えた。ふわふわと撫でる手は優しい。
「気分転換にはなったか」
「勿論です。とても楽しかったですよ」
 良かったと安堵した声が福沢から落ちた。それにますます太宰の笑みが深くなる。今日一日楽しげだった太宰の様子を思い出して気分転換と言わずたまにはいいかもなと福沢は考えた。
「また今度も何処か行こうか」
「そんなに気を使わなくとも良いのですよ」
「使っているつもりはないが……」
 そして思ったままとうのに返ってきた言葉。福沢さんはあまり外を出歩くのは好きではないでしょう。休みの日は家で本を読んだり囲碁をするのが好きなことは知っているのですから。腕の中で目を閉じながら太宰は言う。だからいいんですと。それは確かなのだけど福沢の口許に苦笑が浮かぶ。
「お前と出掛けるのは私も楽しく……、ときどきであればそんな日も悪くないと思ったのだが……お前は嫌か」
 問い掛けるのに今度は横に振られる。少しだけ開かれた目元。嫌じゃないですけど。もごもごと口が閉じ音が籠るのにふっと苦笑が笑みに変わる。
「なら、良かった」
 ふわふわと撫でていた手が頭の形をなぞり頬にたどり着く擽るようにふれる指先。太宰が柔い笑みを作る。穏やかにまた目を閉じる姿に福沢はゆっくりと語りかける。
「太宰。全て話してほしいなどとそんなことは言わぬが、でも何か苦しいことがあるならば何時でも頼ってくれて良いからな」
「……」
 目を閉じた太宰は口許だけを小さく動かす。笑みにも似たような奇妙なものに。分かっていますよと口にする声は少しだけ震えていた。
「むしろ頼ってほしい」
 震えた声を聞いて福沢は言葉を重ねる。太宰の中に染み込ませるように静かに。
「私はできる限りお前には笑って生きてほしいのだ」
 これから先ずっと笑っていてほしい。
 聞こえてくるそんな声に太宰はうっすら目を開ける。視界に移るのはとても優しく見つめてくる銀灰色の瞳である。細められたその瞳が眩しく薄く開けていたのをさらに細めた。声が鈴のように口からでた。
「……ねえ、福沢さんはずっとそばにいてくださいますよね。傍にいて守ってくださいますよね」
 願うような言葉。弱く太宰の手が福沢の服の裾を掴むのに福沢の眉間が小さくうごく。
 何をあたり前な事を呆れるような色をのせながらもその目は強い
「お前が求めてくれる限り私はお前の傍にいてそしてずっと守り続ける。
 太宰、好きだ。お前を私に守らせてくれ」
 聞いたこともないような穏やかな声が囁く。その声に繁守は静かに目を伏せていた。固く口が閉ざされている。



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