第二話


 吐き出された吐息が自分で思っていたよりも重くなって太宰は嫌になった。
 こうなることは最初から覚悟していたはずだった。それなのに実際その日が来てしまえば、太宰の中から覚悟はあっさりと消えてしまって。胸が押し潰されるほど傷んで苦しい。 
  呆気なく、あっさりと、簡単に、後ろ髪など引かれず、涙一つ零さず、そうやって太宰は終わらせるつもりだったのだ。
 それなのにそんな計画は初めからなかったかのように立ち消えていた。

 どうせ私だ。太宰治だ。 
 恋などこの世の誰よりも似合わない。したとして一時の恋。なくせばすぐに忘れる。恋をしていたことすらなかったことになる。そう決まっている。 
 太宰はそんな風に思いながら恋をしていたというのに……。   
 胸の痛みに太宰は情けないと心の内、自分をののしる。涙なぞでもしないのに目頭が熱くなった。それもまた苦しかった。 太宰の頭上でガチャガチャと音が鳴る。 その音は太宰の失態を表すようだ。胸が刃に突き刺されたかのように痛む。
 こんなつもりじゃなかったのに。
 明かり一つない部屋の中で太宰は思う。その両手には手錠がつけられ、壁に鎖で繋がれている。殆ど全裸のままで拘束されていた。その肢体には沢山の生傷が刻まれている。太宰が今いるのはポートマフィア本部にある拷問室であり、太宰をこうしたのはポートマフィア首領の森であった。
 理由は簡単。 太宰の秘めたる恋がばれてしまったから。
  五大幹部と言うポートマフィアでも高位の地位を持ち、必要とされる太宰が恋。それも一般人になどと許されるはずもなかった。森にばれたらこうなることは太宰にも分かっていた。だからこうなる前に太宰は終わらせるつもりだった。そのつもりだったのだけど……。 
 恋は人を駄目にする。 
 何処かで聞いたことのあるような言葉。それを太宰は思い出す。まさかそれが自分にも適応されるとは思ってもいなかった。恋をしただけでも驚きなのに、それで正常な判断ができなくなるなど。まさに青天の霹靂。太宰は自分が自分で信じられなかった。 
 誰かと知り合って一年近く。上手い事隠し通してきたが、そろそろまずい事には気付いていた。もう行くべきではない。終わりにすべきだと思いながら誰かの傍は居心地が良すぎてまだ大丈夫。もうちょっとだけなら。そうずるずると終わりにするのを引き延ばしてしまった。 
 その結果がこれだった。 
 太宰は捕まり処罰受け、そして……。 
 もうごめんなさいと謝ったところで意味はないのだろう。いくら謝ったところで誰かは……。
 思い太宰は嗤った。
  気付かれてはいけなかった。太宰が恋をしているなんて自らばらした二人以外には、部下にも相棒にも決して気付かれてはいけなかった。どれだけ太宰にマフィアを裏切る気はなく、誰かと共になる気もないと言った所で、その可能性になり得る存在を森が見逃すはずもないのだから。 
 ばれてしまえば最後。太宰が恋をした誰かは殺されてしまう。今頃……。 
 ごめんなさいと言った所で許してくれる人はいない。
 そもそも許してくれるはずもないのだ。太宰と関わることさえなければ誰かは死なないで済んだのだから。きっと恨みながら死んだのだと思い、太宰は心が苦しくなった。とても優しい人だったのに。 
 気付けば太宰はごめんなさいと言っていた。
 何度も何度もその言葉を口にしていた。そんな事を言った所で何の意味もないのだと思いながら言わずにはいられなかった。無意識のうちに何度も口にする。
 思い出されるのは誰かの姿。
 仏頂面なのに太宰を見るその目は柔らかで頭を撫でる手はいつも優しかった。思い出せばこんな時でも愛おしさが湧き上がる。大好きだったのだと太宰は今さらながらに思った。諦めるなどできるはずもないほど愛してしまっていたのだと。
  ごめんなさいとまた太宰の口から漏れた。愛してごめんなさい。好きになってごめんなさい。私のせいで。零れ落ちていく言葉は太宰には聞こえていない。胸だけが痛み続けていた。  



「い!! 太宰!!」
 声が聞こえて太宰は部屋の異変に気付いた。固く閉じていた扉が開いて中に織田がいた。まさかの人物に目を見開けばどうしてと言う声が落ちる。
 助けに来たと織田は答えた。
 助け、何を言っているのだと言おうとして太宰は言葉を止めた。織田が太宰を縛る鎖を外そうとしていることに気付いた。扉の奥をみれば見張りだったであろう男たちが倒れている。
「織田作、何をしているんだい。こんなことしてどうなるかわかっているのかい、君は」
「分かっている」
 だから逃げてくれ太宰。そう言われるのに太宰の体は震えた。織田の真っ直ぐな目が見つめてくる。仮に太宰が逃げずに留まったとして、きっと織田も太宰が逃げようとするまで留まるだろう。その間に異変に気付いた森がやって来たら。森でなくても他の誰かがやって来たら待っているのは織田の死だ。
 現在捕まっている太宰を逃がそうとした罪は重い。織田は太宰の友だ。死んでほしくないと思う。それなら太宰に今出来ることは共に逃げることだ。だけど……
「逃げてどうなると言うのだ。あの人はもう死んだのに……。それに逃げる必要なんてない私は殺される訳じゃない。少しお仕置きされて監視はつくかもしれないがまたいつも通りに生きていくだけさ」
 だけど太宰は逃げたくなかった。
 逃げる希望を持っていなかった。真っ暗で真っ黒な目が織田を見つめる。いつも見せている目とも違うより深く絶望した目。幽鬼のような顔をする太宰に織田の頭を冷や汗が流れた。対面するだけで恐ろしいと思える太宰にそれでも声を投げ掛けた。
「お前の好きな人は生きている」
「え?」
 太宰の目に光が少し宿った。嘘と呟いて震える。
「安吾が言っていたんだ。間一髪で罠から逃げ出していたと。それでポートマフィアでもおいそれとは手を出せない所に逃げ込んだそうだ」
「マフィアでも……でも、そうだとしても逃げる意味なんて「太宰」
 ホッとしたように太宰は息を吐き、それから一つ首を振った。またあの顔に戻る。もういいんだ。もう終わったんだと言いたげな太宰の名を呼ぶ。
 織田にはずっと言いたかったことがあった。
 太宰が好きな人ができたんだとあの酒場で言った日から、その幸せそうな顔をみて、だけど諦めた顔をしたあの日からずっと太宰に言いたいことがあった。
「お前は言ったな。お前とその男では生きる場所が違いすぎるとだから叶わなくてもいいと。でも俺はお前に叶えて欲しいと思ったんだ。違いすぎると言うならお前が光の世界にすむ住人になればいい」
 いつもつまらなげな顔をした子供。織田や坂口と話すときだけは少し楽しげにしながらそれでもずっと苦しそうだった子供がその人の事を語る時は全ての悲しみから解き放たれたような幸せそうな顔をした。語るその人と過ごした日々の話を聞くだけでどれだけ大切に思いその人の事をすいているのか分かった。
 だから織田はずっと諦めて欲しくないと、その人と、太宰が幸せになって欲しいとずっと思っていた
「何を、そ、んなこと」
「善い人になれ、俺も着いていくから」     
 震えた太宰の声がする。出来るはずがないと言う太宰の手を掴んで織田は声を出した





「久しぶりだね」 
「そうですね」
 「そうだな」 
 狭い店内。カウンターに並ぶ三人。その真ん中の一人が嬉しそうに声を上げれば両隣の二人が同意を示す。
 「もうあれから二年もたつのだね。長かったような短かったような不思議な気分だよ 
 いよいよ明日からなんだね」
  楽しみだよと続く声にそうだなと単調な声。くれぐれも問題は起こさないでくださいねと神経質な声が続く。分かっているよと楽しげな声が響くのに左端に陣取る坂口ははぁと深いため息を吐いた。 
「それより織田作、安吾。久しぶりの再会と新しい日々に乾杯でもしようじゃないか。」
  三つのグラスが掲げられ乾杯と声が響く。その中心で笑顔を浮かべる太宰の姿。坂口は吐きそうになった安堵の吐息を酒と共に流し込んだ。 
 太宰と織田がポートマフィアを抜けてから実に二年ぶりの再会。 
 連絡を取り合っていたものの直接、姿を見るのはあの日から初めてで、坂口はずっと太宰の事が気にかかっていたのだ。あの日死にそうな顔をして別れた太宰が、今もまだ苦しんでいないか。その事が気にかかっていた。今久しぶりに見る太宰はにこやかに笑っている。それが本当かなんてわかるはずもないのだが、あの時すべての感情を亡くしたようだった太宰が笑っている。
 それだけで今は十分だった。
  良かったと声に出さず呟けば太宰の右隣にいる織田がああと無言で頷いた。二人の言葉ない会話に挟まれた太宰だけが、理解できずに左右をきょろきょろとみている。 
「え、ちょっと! 何二人だけで分かりあっているの! 私を仲間外れにしないでくれたまえ。 ねえ、なんなの。なんなのだよ」 
 ぷんすこと頬を膨らませる太宰。その姿に二人が同時に笑って何でもないと口にした。二人の間で笑い声が広がる。その間で困惑していた太宰もいつしか笑い出して三人の笑い声だ店内に響いた。   
「あ、ところで」 
 ひとしきり笑い終わったところで坂口がふっと声を上げた。太宰のほうを見て微妙な顔をする。
 「その格好は何ですか、太宰君」
 「安吾! やっと聞いてくれたね」 
 キラキラとした目が見つめてくるのにあ、間違えたと坂口は一瞬で思った。むふふと板面な笑みが太宰の顔面一面に広がり、咄嗟に奥にいる織田に助けを求めるが……。 
 織田は我関せずと酒を飲んでいた。 
 温かな目をしている彼は残念ながら太宰の暴走を止めるつもりはないようだ。 
「どうこれ凄いでしょう。何処からどう見ても私男だろう」 
 くるくると回転いすを回転させて太宰が回る。彼女は長い髪をバッサリと切り、そして何故か男物の服を着ていた。心なしか背も高い気が……。前より育ったとしても高すぎる気が。 
「靴もちょっと見えないだろうけど厚底でね。背を高くしているんだ。凄いだろう」 
 ニコニコと太宰が告げる。坂口はそれを引いた目で見る。 
「えっと。聞きたくないんですが……、いったい何のために?」 
「そりゃあ、まあ森さんから身を隠すのにね。性別変えた方がいい目くらましになるかなって。それに間違って……あの」 
 言いかけた言葉を太宰は奥に飲み込んだ。楽しげだった表情が苦しげに歪む。その先が分かった気がして坂口は目を瞬かせた。 
「太宰君。貴方明日からの職場どんなところか調べてないんですか」
  驚いたような声にん?と太宰は首を傾げる。 
「うん。調べてないよ。だって安吾が進めてくれる場所だもん。善い所に決まっているからね。後織田作が一応下見に入っているし。ねぇ」 
「ああ、残念ながらそこの社長には会えなかったが見た感じ良い所だと思ったぞ。流石安吾が進めてくれた場所だ」
 「いや、僕がと云うか種田長官なんですけどね……」 
 色々と云いたいところがありながらも穏やかな二人の空気にそれだけを言うのが精いっぱいだった。まあ、いいかと彼は胸の中にしまいこむ。また明日もこなくちゃなと予定を書き替えた。   



「安吾のバカ!!!!」
  静かな店内に響き渡った声に坂口は苦い笑みを浮かべる。 
「安吾知っていたでしょ! あの人の事! な、なのになんであの人がいる所を紹介するの!! 酷いよ」
 「ですから紹介したのは僕じゃなくて種田長官です」
 「そんなの知らないよ。安吾が言う所なら大丈夫だと思っていたのに」
  真っ赤な顔で詰め寄る太宰。坂口ははぁとため息を付きながら目をそらしていた。状況が分かっていない織田は首を傾げて二人を見ている。
 「善い所だと思ったが太宰は違ったのか?」
 「う、違わないけど……。素敵な所だとは思ったけど……でも、でもダメなの! あそこだけはダメなの」 
「どうしてだ」
 「それは……」
 「あそこの社長が太宰君の好きな人なんですよ」
 「……そうなのか」 
 丸く見開いた目で織田が太宰を見やれば太宰は真っ赤な顔で唸っている所だった。
 「それはよかったな」
 「よくないよ だってあの人私をきっと嫌っているよ 騙したって思っているよ それに、何より私は……、……幸い変装していたから私だとばれなかったと思うけど……でも……。あの人の傍でなんて働けるわけないじゃないか……」     
 ぼそりと太宰の声が落ちる。暗い顔をするのに二人は目を合わせる。何か声をかけなければと思いながらも二人して言葉が出ていかなかった。
「止めるか」
 長らく時間を掛けて織田が呟いた。お前が嫌ならと言いながらでもと言葉を続ける。
「お前はそれでいいのか。折角会えたのにすぐに別れて。それに俺は昔一度あの人に会ったことがあるから善い人だと知っている。お前の話も聞いてあの人が二年前のことでお前を嫌っているとは思えない。むしろ心配しているのではないか」
 織田の言葉に太宰の目はゆるりと震えた。俯いていた顔が僅かに上向く。
「そうですね。僕も仕事の関係で何度か会ったことがありますが織田作さんの意見に賛成ですね。あの人ならきっと太宰くんのことを心配してくれていると思いますよ。それは太宰くんだってよく分かっているのでは」
 太宰の唇が震えた。知っているけどでも、と言葉を紡ぐ。その先が落ちることはなかった。その日それ以降会話はなく三人の間を無言が支配した。


 そしてその翌日。
「決めた!!」
 また三人の集まった店内に声が響く。今度も同じ太宰のもの。意気揚々としたそれを二人が見上げた。
「決めたよ! 二人とも私は彼処で働く!! そこで頑張って誰よりあの人の為になる、あの人に必要とされる社員になる!」
 おお、頑張れと織田は口にした。坂口は目を点にした。はい?と声が出る。
 何、私の頭脳を持ってすれば簡単なことだよなんて、私頑張る何て楽しげに言う太宰を見上げえ、いや社員になるのはまあいいと思うんですが、その前に好きなんですよね。そこはどうしたんですか。まさかこのままその変装し続けていく訳じゃないですよねと些か早口になりながら問い掛けた。キョトンとした眼差しが返ってくるのにあ、これは無理だと坂口は思った。
「え、私もう永遠にこれで行くつもりだけど。あの人のことは好きだけど付き合う気とかはやっぱりないかな。あの人の傍にいれるならそれだけでいいや」
 それだけで十分幸せだよ



 ふわりとした普段見ることないような笑みを浮かべるのに先は長いなと坂口は外に出さずにため息をついた。胃が痛んだ気がした。



[newpage]



「何なのだよ、あの人は!」
 狭い酒場の中に太宰の声が響く。その声を聞いて坂口はまたかとため息をついていた。今度はなんですかと坂口の口から呆れた声がでていく。その目は太宰ではなくその奥にいる織田を見ていたが織田は首を傾けるだけだった。
「乱歩さんだよ、乱歩さん」
「と言うと、探偵社にいる名探偵の事ですか?」
「そうだよ」
「その彼がどうかしたんですか」
 問いながらも坂口はどうせ社長と仲が良すぎるとかそう言うことだろうなと思っていた。件の相手が福沢、太宰が好きな相手の養い子であり、共には暮らしていないが毎週のように福沢の家に遊びに行っていることを坂口は調べて知っていた。太宰は思いは伝えるつもりにないようだが、それでも好いた相手に特別親しい人がいるのは、例えそう言う間柄でないとしても好ましくはないのだろう。
 まあ、可愛らしいものだ。
 愚痴ぐらいは聞いても良いかと坂口はそんな気になったが、でも太宰からでてきたのは坂口が考えていたこととは全く違うことであった。二百五度ぐらいは違う。
「あの人、天才過ぎるんだよ!」
「へ?」
「どんな難事件でも一瞬で解決できるとか凄すぎるでしょう。探偵社なんてもうその頭脳だけあれば後は殆ど必要ないじゃないか! いや、荒事を行う担当はいるけど、でもあの人がいればそれだけで殆ど大丈夫じゃないか!」
 ポカンと口を開けた坂口は首を捻った。最初は何だ福沢さんの話ではなかったのかと驚いただけだったが話を聞いていくうちになにかおかしいと思い始める。名探偵が凄いと言う話かと思ったがどうも太宰がそんな様子ではなかった。怒っているような、拗ねているような。目元に深い皺を寄せて今にもがーと暴れそうだ。どう言うことだと織田を見るが織田も不思議そうに太宰を見ていた。
「それは、ダメなことなのか」
「ダメだよ」
 酒を一口飲みながら織田は問いかける。がんと太宰の手がカウンターを叩いた。振動で太宰のグラスと坂口のグラスが揺れる。ワイングラスじゃなく良かったなと思いながら坂口は自分のグラスをてにしていた。何で荒れているのだろうか。考えながら一口を飲む。
 太宰はシオシオと萎れてカウンター席に頬をつけた。だてさと、そのくちが開く
「私が一番になれないだろ」
「は?」
「私はあの人の一番にはなれないけど、変わりにあの人の役に一番立てる人物になりたいんだ。私がいれば探偵社は安心だなんて思って貰えるようなそんな人物にさ。だけど乱歩さんがいたらなれないじゃないか。それに与謝野先生だってそう……。あんな凄い異能の人がいたら私は叶わない。
 所詮、私の異能は異能を消すだけだしね」
 小さな声で言われたのに初め坂口は首を傾けていた。織田もそうでじっと太宰を見るのに太宰はぽつぽつと話し始める。それは二人には良くわからない内容だった。どう言うことなのか分かることはできる。まあ、確かにとも思うがそれでもん? と首を捻ってしまう
「確かにあの名探偵の頭脳は凄いものですが太宰君だって負けてはいないでしょう。二人の頭の良さはそれぞれ質の違うものですし比べられるものでもない。策略においては貴方の方がたけてると思いますけどね」
「策略にたけてたってあの場所においてどれだけ役に立つと言うのさ。探偵社にとっては必要なのは私みたいに薄汚れた頭脳ではなくあの人のようなものさ。私では役に立てないのだよ」
 はぁと息を吐き出す太宰はカウンターに額を押し付けてしまう。坂口と織田、二人はお互い視線を合わせて首を振った。どうしたらよい。分かりませんよ。どうしたら良いと思います。分からん。そんな会話がきこえてきそうだった
 二人の手が太宰の肩を撫でる。わりと細く薄い筈の彼女の肩が分厚く感じて成る程、パットを入れているのかと織田はその感触を確かめた。そうまでして男として生きていくつもりなのだと太宰の決意を感じた。はぁと太宰からまた息が吐き出された。
「私はせめてあの人に必要と思って貰えるようにはなりたい。それだけで良いから……。せめて」
 太宰の声が小さく聞こえていく。



「太宰君。君は何をしているんですか」
 はぁと酒場に聞こえるのは坂口のため息だ。太宰の声と坂口のため息はもはやこの酒場でセットのようなものだ。ここ最近はいつものようにカウンターに項垂れかかる太宰は坂口が手にしているグラスにてを伸ばした。ぺしりとその手を坂口が叩く。
「駄目ですよ。今日の君は酒を飲んでも良いような体調ではないでしょう」
 ぷくりと太宰の頬は丸くなったがそれはすぐに萎んでいく。萎えてしおれたモヤシのようにカウンターよりかかる。手は力が抜けて倒れていた。目元には深い隈が出来ている。
「何をしたらそこまでの状態になれるんですか。探偵社はそこまで忙しくないでしょう」
「別にそこまで悪い訳じゃないよ。いつも通りでいようと思えばいつも通りでいられるし、隈だって来る前に入水してきたから化粧が取れただけだし、水に強いやつ今度買わないとな」
「化粧でごまかしている時点で大丈夫とはほど遠いんですが一体何をしているんですか」
 はぁとまた呆れたため息を坂口がつく。太宰。あまり無理はするなと織田が言っていた。
「無理何てしてないんだけどな。やってるのはちょっとした調査と後探偵社が関わりそうな事件の事前の下準備だよ。相手の人数の把握や武器にちょっとした細工をしたり、後は人間関係をちょっとぐしゃっとさせて裏切りをさせやすくしたりね。情報は武器だし、事前のそう言う準備が探偵社を助けることになる。あの人は事件が起きてから動くからね。私はそうではなく事前に動いておくことで少しでも役に立てる量を増やせることにしたんだ。
 荒事の方にも力をいれてるし、実質今月の武装探偵社の事件解決量は私が断トツの一位だよ」
 カウンターでごろごろと転がりながら太宰が言う。どやりと胸を張る姿に二人ははぁとため息をついている。何をしているのかと遠い目をして太宰を見るのに太宰は私が一番あの人の役に立つんだからと言っていた。
「そんなに気張らなくともお前なら十分役に立てるだろう。体を壊すぞ」
「だめ。私は一番が良いの。一番以外は求めていないの。それにこれぐらいの事で体を壊せるようなやわでもないしね。とても残念なことだけど」
「お前が体を壊したらあの人も困るのではないか」
「大丈夫。仮にそう言うときが来たとしても勤務中には倒れないし、だめだなって判断したらすぐに止めるから」
「あの人は優しい人だ」
「分かっているよ。大丈夫。やりようはいくらでもある。使いたくはないけど私には元マフィアって言う手札もあるしね。裏切ったふりをしてマフィアのために探偵社に入った、何て言うことにしたら大丈夫でしょう。実際私はあの人を裏切ったことがあるしね」
 ふふと太宰は口許に笑みを浮かべる。何処か寂しげに笑う姿に二人は口を開いたが言葉は音にならず閉ざしてしまう。何を言っても聞かないだろうと思いふぅとため息をつく。太宰から奪い取った酒を坂口が飲んだ。辛っと小さな声がでていく。
「私のお酒」
 太宰の目がぼんやりとその姿を見る。
「太宰君はもうだめです。今日は家に帰ってゆっくり寝てください」
「そうだね。取り敢えず一仕事したら帰るよ」
 言いながら太宰の酒は彼女の頭上を通り、織田の手に渡されていた。受け取った織田がそれをごくごくと飲んで行く。すぐに空になりマスターに渡されるグラス。お水を三杯と頼んでいるのに何時ものと太宰も言っていた。かしこまりましたと言ったマスターはお水を三杯用意する。それぞれの前に置かれた。
「マスターまで私を病人扱いする。私はいつも通りなのだけどね、ちょっとやる気が起きないだけでさ。うーーん、仕方ない。今日はお暇させていただくよ」
 ん、と背伸びをして太宰は起き上がった。置かれたお水を飲み干して立ち上がる。大丈夫ですかと坂口が問うのに、大丈夫と振られる手。頬には赤みがあり、笑顔はいつもどうりだ。動きもしなやかで疲れているようにも見えない。目元の隈さえもさほど目立たなくなっている。
 それでも本当に大丈夫なのだろうかと二人は太宰の姿を見つめてしまった。送ろうかと織田が言うのに大丈夫だよと財布から札を数枚取り出した太宰は言う。カウンターに置くだけおいて太宰は去っていた。はぁと二人はためいきをつく
「大丈夫ではないんでしょうね。どうにかしてあげたいですが、彼女頑固ですから……」
「そうだな」
 からりと空になったグラスのなか、氷が溶けて音を立てた。



 口元につけたグラスの口。縁をたどり口腔内に入ってくる液体。舌で味わうまもなく飲み干して坂口ははぁとため息をついた。隣には剥れた顔の太宰がいる。その奥にいる織田は坂口と同じように酒を飲んでいた。時折太宰を見てため息をついている。
 太宰はたまにため息をつきながら酒を飲んでいる。マスターおかわりと声をかけているがその声はどろどろで酔っぱらいのそれだった。実際に酔っぱらった姿は見たことがないので大丈夫ではあろう。だから坂口はただ呆れるだけだった。
 がんと太宰の手がカウンターを叩く。大抵三人がいるときはそうなのだが、周りに他の客がいないのは救いだ。
 頬を膨らませて太宰はカウンターに顔を押し付ける。顔を上げては酒を浴びるように飲んでいた。完璧にやけ酒である。はぁとまた坂口からため息がでていく。
「そんなに剥れるなら最初から無茶なことしなかったら良かったでしょう」
 つい責めるような声がでていく。むくっと顔を上げた太宰が坂口をにらむ。
「別に私は無茶はしていないもの。自分にできることを自分ができる範囲でしていただけ。それなのになんで怒られないといけないのだよ。私は悪いことなんて一つもしてないのに」
 ぷりぷりなんてそんな擬音が聞こえてきそうなほどには怒りを露にしている太宰。実際怒っているのかどうかはさておいて本気で悪いとは思っていないようで、坂口と織田の二人は同時にため息をついていた。
 あれを悪いと思わないのかと。
 夜遅くまでの情報収集。時には一人でヤバイアジトに潜入してまでの小細工。まではばれていないので良いとしても、そこまで荒事が得意ではないのにも関わらず、そちらを得意とする織田や国木田を置いての戦闘行為の数々。誰にも言わずに勝手に依頼を受けてはとんでもない量を一人で処理。事務仕事などもほぼ全て一人で終わらせてしまう。
 そう言った数々のことは問題だ。
 仕事ができるのは良いことではあるものの、しすぎである。明らかに一人でやるべきでない量、複数人でやるべき量を一人でこなすのは褒められたことではない。他の人がいる意味がないとかではなく、単純にそれをこなす人が体を壊してしまうからだ。一人が無理しなくともまわるのだから、しなくて良い無理はするべきではないのだ。
 それを怒られるのは当然。まして、そのせいで戦闘の際、大きな怪我をおったのだ。体調が良くなかったのではないかと言う点も、そもそも国木田と織田が行っていた怪我などせず取り押さえることができるあいでであったと言う点も言われるだろう。
 それなのにと二人は思う。
「どう考えても無茶しすぎだと思うがな。自分がやれる範囲をしたら良いだろう」
「別に無茶じゃないってば。あの人の役に一番立つのだもの。これぐらいして当然だよ。……私はあの人に酷いことをしたのだからこれぐらいはしなくてはだめなのだよ」
 太宰の小さな声が酒場の中に響いた。太宰の言葉を聞いた二人の脳裏にある日のことが思い出される。だからかと音に出さず織田は呟いて太宰を見下ろす。カウンターに伏せる太宰の体はいつかのようにとても細く見えた

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