ぱちくりと瞬きをくり返してしまう太宰を福沢はその口の端に笑みを浮かべてみていた。
 えっとと首を傾けている男にどうした。何てわざとらしく問いかけていく。太宰の目が福沢を見ては歪む。その唇は噛みしめられていて、怒りではないもののそれに近いものを表現していた。何ですかと聞きたそうだが、それを聞くのも悔しいのか口は閉ざしている。
 今二人の前には赤く色付き美味しそうに盛りつけられた蟹が並んでいる。
 食べようか。何て言われ返事までしたくせにどうせただの社交辞令。本当に行くことなどないのだろう。と思っていたのだろう太宰は本気で驚いているようであった。
 その顔を一人でゆっくり堪能したかったためだけに、お店ではなくわざわざ自宅で蟹を調理することをえらんだ福沢は手間も多かったもののそれ以上の満足を得て太宰をみている。
 何故、福沢がそんな気持ちを抱くのかなどという、根本的な思いには気付かぬまでも、そう言った所などは読みといているのだろう。ますます不機限になってしまわれるが、ここしばらくは探偵社での外行きの笑みしか見ていなかったので違う顔を見られるのが嬉しくてどうしようもなかった。
「ほら、食べよう」
 でもそう言う所までも気付かれてしまうとこの先で困ることになるだろうと食べる方に意職を向けさせる。太宰は今は福沢を見るのは嫌なのか、素直に皿の上、並ぶ蟹を見て、それからしばし無言になっていた。
 動きを止めてじっと見下す太宰を見る。
 そのロは少しばかり尖り不機嫌なだけのようにも見えたが、何かしらの異和感のようなものを感じて眉をよせた。その先で太宰がため息をついていく。
「私、蟹は好きですか、蟹の皮をむくのは嫌いなのですよね。社長がむいてくださいませんか」
 にっこりと太宰は笑う。そうして口にするのは福沢からしてみるとどうとでもないことで、良いがとあっさりと頷く。ただ何かが気になっていた。蟹をむきつつ太宰を見る。太宰の方も福沢のことをじっと見ていた。
 特にその手元を真剣に見ていて福沢の動きを覚えようとしているようであった。
 ああと太宰の姿に思いあたるふしがあって福沢はまた口をゆるめそうになる。仏頂面の中に表情をおしこむのは得意だと思っていたが、怒りなどはそうでもこういった方面では機能しないらしかった。
 何とかおさえて太宰をみる。
 聞いた時からもしや嘘かもしれぬとは思っていたが、どうやらそれはあたっていたようで今、必要になって皮のむき方をマスターしようとしている。食べたことすらもないのだろう。
 嘘をついたとはさすがに言いづらいのか。それとも何かあるのか。
 問うこともせず足をきれいにむいていた。そしてほらと太宰に差し出す。じっと見ていた太宰はすぐに掴んでいる。ありがとうございます。と不機嫌の中喜んでいるようなそぶりもみせる器用さをみせていた。
 一口食べて美味しいです。とそう言葉にしている。
 喉の奥からまた音がこぼれそうになりながら福沢はその姿を見る。またたべようと食べ始めたばかりだと言うのに言葉はでてしまう。


「も~、うるさいよ。僕が何しようと僕の勝手でしょう、何でそんなに言ってくるのさ」
「そりゃあ、言うよ」
 もう忘れてしまったと思っていた医院の中、呆れたような吐息を吐きながらもう思いだしたくもない男が、忘れた言葉を吐いている。
「私は君の保護者のようなものだからね」
 ヘドが出る言葉。吐きすてられたその時はただ驚いた。
「驚くことないだろう。今の君の世話を焼いているのは私なんだから、保護者なのは当然だろう。何ならお父さんと呼んでくれてもいいのだよ」
「呼ぶわけないじゃん。バカじゃないの」
 つっけんどんな声を出したけど親なんてものを知りもしなかったからその言葉が少し嬉しかったりもして、そして今はヘドを吐きそうなほどにそんな己が気持ちの悪い過去である。
 あまりにもバカバカしすぎて今にも泥に流されてしまいそうなほどおろかな考えだった。
 だから起きた時、太宰は布団の上で吐いてしまいそうだった。寝起きは最悪で、二度寝するきにもならない。
 頭すら痛みだす中で、太宰の脳裏に浮かんだのは森の姿ではなく、昨夜の福沢の姿だった。蟹を前にして太宰を見ていた。
 わざとらしくどうして何て言いもしなかったけど、それはいつだったかに共に食べようと言っていたからだろう。
 だから一番嫌な記憶を思いだしてしまった。今もなお忘れていたはずの記憶を思いだす。
「ま~たまともにご飲食べてないんだって。広津君も困っていたけど、マフィアに入ったのだったらちゃんと食べてくれないとだめだよ」
 それはマフィアに入ってすぐの頃だった。
 森の執務室に呼びだされた太宰はそのようなことを言われたのだ。太宰の目は冷えた色をして森を見ていた。
「ちゃんと死なない程度で食べてるからいいでしょう。そんなことのためにいちいち呼び出さないでほしいのだけど」
「そんなことではないよ。食は生の基本だよ。ちゃんと食べたまえ」
 返事なんてものはしなかった。そんな気さらさらなかったからで森も分かるから深くため息をついている。全くといいつつ太宰を見ていて、
「そうだ。太宰君。
 好きな食べ物は何だい。それなら少しはたべる気になるだろう。今度連れていてあげるから言ってごらん」
そうしていいことを思いついたとばかりににこやかに笑う森を太宰は冷たく睨み続ける。
 はぁと出ていく声。口元は大きく歪んでいた。
「僕に好きなもの何てないの森さんなら分かってるでしょう。何だってあるもの食べるだけだよ」
「そうなんだけどね」
 情けない顔をして森は太宰を呼ぶ。森が困っていようが別にどうでも良かったけれど、その姿を見て少しだけ気紛れを起こしてみる気になったのだった。
「じゃあ……蟹。私、蟹が好き。今度、美味しい所つれていてよ」
 ねぇ、と口にした言葉に期待があったことをきっと二人とも知らなかった。知ったのは後になって気付いた太宰だけだ。
「じゃあってそう言って決めるものじゃないだろう。まぁ、気がむいたらね」
 その日は来なかった。どうせただ口にしただけ。好きでもなければもしかしたら食べたこともないだろうこと森は分かっていたから連れていく意味など感じなかったのだ。
 そんなことがあったから一人じゃ食べる気もならず、昨日まで太宰は一度も食べなかった。
 昨日それを食べた。案外おいしかった気がしたから夢なんてものを見てしまった。
 その夢とともにいつまでも居座る男を追い出すために太宰は一つ舌打ちをしていた。



 探偵社の仕事終わり、太宰は社に近い所にあるCDショップへと来ていた。目的はただ一つ太宰の上司、福沢論吉の新作CDを買うではなく、それを買う客層を掴むためである。
 そんなことをしに来たのは今日の昼間、探偵社でされた頼み事。もはや強制に近い福沢のライブチケット抽選申し込みのためであった。

「はぁ、ライブがあるのですか? それの申し込みを私もしろって……」
 それを言われた時、福沢のアイドル活動についてみじんの興味を抱いてなかった太宰はその首を傾けてしまっていた。 
 何とか嫌な顔をしてしまうのはおさえつつも言ってきた乱歩を見てしまう。隣りにいる与謝野も頼んだよと言ってくるし、周りに集まる事務員達もお願いしますと頭を下げてきていた。
 その手にはそれぞれ携帯を持っていて何やら操作をしている。おそらく今日からとのことだったのでそれをしていたのだろう。いつもは仕事にうるさい国木田も何も言わず、携帯をつついていた。
 薄々と言わす勘づいていたが、探偵私は社をあげて福沢を推しているようである。そのため太宰も巻きこまれようとしているのであった。
 場に溶けこむためにはその場にいる多くの者が好きなものは好きであるふりをするのは定石だ。だがこれに関してはどうしていいのか、未だに決めきれていない太宰は今の所は行く予定にないのですが。と口にしていた。
 そうだろうけど、と乱歩は机を叩いた。
「お前が抽選に参加することで僕らがあたる倍率があがるんだよ。社長のライブは人気すぎてここにいる全員で抽選しても行きたい人数分あたらないんだ。だからお前も抽選して当選確率を少しでもあげるのに協力して」
「なるほど。でも関係者として用意してもらえたりするのでないのですか」
「貰えるけど社長の分だけじゃ足りなんだよ」
 ぎりりと乱歩だけじゃなくその場にいるほぼ全員が歯ぎしりをしていた。そうなのですか。とうなづいてそれではとその場でライブチケットの申し込みはすませた。でも太宰は口には出さないものの、それならもっと効率の良いとり方あるだろうと考えていたのだった。
 そしてその為にCDショップにまで来ている。
 興味が今日のその出来事でわくことはないが、探偵社のメンバーに恩を売って損することはない。
 みんなが欲しいのであれば手に入れてもよいだろうとそういうわけだ。
 新作が出たからというだけではないのだろう。やたらとでかく棚の一つ占領しそうな福沢のコーナーを見る。
 人気だと言うことは知っていたがこうしてみると予想以上と言わざる終えない。凄いものだと感嘆の息を吐きつつCDを手に取っていく人の姿を見る。やはり女性が多いが男性も多かった。
 見せるパフォーマが魅力というような文を二年前知らべる時に見たことがある。武人としての実力は太宰が知る中でも最上位、少なくともマフィアの中では異能力を無視してしまえば敵うものはいなかった。それをパフォーマにもいかしているとなると納得のいくものがある。
 歌も上手いという話だが、そこは知らなかった。
 二年前は情報だけあればよいかと聞かなかったし、今も聞いたことはない。そう考えてみると聞いてみる必要もあるなと眺めていた棚に近付いた。ポップなども飾られた棚は派手で誰のものか一瞬でわかる。
 その中から一枚CDを取りだしていた。
 表ジャケットを見れば、画面の中の福沢と目があう。カメラを真っ直ぐ見つめているのだろう。眼差しは力強くてついその目を見てしまう。
 あわてて目をそらしたその時、太宰は後少しで己に近付く気配を感じていた。後を振り向けば肩を竦める男の姿が目に入る。
「やはり後ろは取れぬか。この人混みならばいけるかと思ったのだかな」
「私の背でも刺すつもりだったのですか」
「ただこの場でやると驚いてくれるかと思った」
「今でも驚いておりますよ。何でここに貴方がいらっしゃるんですか」
 ほぅと太宰の口から吐息が出ていく。それだけでも福沢は嬉しそうにするので、太宰の口元は歪んでいた。
「ここの店長へあいさつに来ていたのだ。地元だからか毎回やたらと豪華してくれるからな」
「なるほど」
 福沢の目が棚を見ていくので太宰もまた棚を見ていた。改めて見ると確かに派手だ。
「でもこれ地元だからというよりここの店員に貴方のファンがいるからですよね。その方、毎回はりきっているのでしょう」
「そうなのか」
「ええ、作りを見たら大体わかります。一回店内を見てみましたが、このポップの文字をいくつかみかけてます、それらに比べて勢いや作り込みと言ったものか強く感じられます。きっと楽しみながらか作ったのでしょうね。
 並べ方にもこだわりを感じますからだいぶ熱烈なファンなのでしょう」
「ほう。そう言ったことは気付かなかったな」
 二人の目が棚をじっと見、そうしてから太宰の目は周りを見ていた。隠れるというつもりがないのか。
 人気アイドルだと言うくせに幅沢は変装の一つもしておらず、周囲はざわめきだしていた。
 眉を寄せてしまう。福沢も気付いて出ようかとそんなことを言ってくる。別に自分はと太宰は思ったが話していたのもあって自分の方にも視線が向いているのに気付いては息を吐く。
 手にしていたCDは元の場所に戻して福沢の後についていく。
 何だか共に帰るような流れになってしまいそんなつもりなど欠片もなかった太宰はどうしようかと考えるが、逃げ出せそうにはなかった。
 福沢が町を歩きながらせっかくだ。共に夕食を食べようと口にしてきていた。断りの文句が一通り浮かびなから、それを口にするのが面倒になってただ福沢の後をついていた。
 後を歩いていく中でそう言えばと福沢が太宰の方をみる。
 どうどうとしてるからなのか、皆気づいているが声をかけようとまではしていなかった。だから会話をするのに困ることはない。
「私のCDを手にしていたようだが、もしかして興味でも持ってくれたのか」
「いえ、別に、アイドルとか良くわかりませんし、ただみなライブのチケットがほしいようなので、貴方のファンと仲良くなって重複し当選しててしまった分をこちらに譲ってもらえるようにしようかと誰に近付くのがいいか下見をしていただけです」
「……一応名義人と同行者だけが入れることになっているのだがな」
「そんなの守ってない人も多いでしょう。まあ、気になるなら同行者がいなくても複数購入する方とかもいるようなので、その人のチケットを譲って貰えるようにしますけど。
 そしたら同行者としてなので問題はありませんしね。もしくは……社長が用意できる関係者席以外にも関係者席ははあるでしょう。そのチケットを持っている偉い人に取り入るとかですかね。
 こっちの方が手っ取り早いかと思って目星はつけてあるんですけど、果たして貴方のチケットからえられる利益に体を売る程の価値があるのか考えてしまうのですよ。
 仲間内とはいえ恩の一つや二つは売っておきたいのですけど」
 ん~と首をひねる太宰は立ち止まった福沢の背にぶつかりそうになった。どうかしましたかってその目が福沢を見る。 
 福沢の目は少々見開いて太宰を見下していた。
 太宰と低い声が、名を呼んできている。
 何ですか? と太宰の首は少しだけ傾いて福沢を見ている。
「マフィアにおいてどうだったかは知らぬが、探偵社において何より大切なのは社員の存在そのものだ。
 それ以上に価値のあるものなどない。
 だから貴君も己をそう安安と道具にするな。
 それは大切にするもので……、大切にしたいものがいる」
 太宰の目は軽くみひらいていた。
 そうしてからはいって答えている。でもその肩は竦められていて、やれやれとそう思っているのを伝えていた。分かりつつ何も言わずに福沢は進んでいく。
 そうして少ししてから口を開く。
 もう話は変わっていた
「お前も次のライブに来てみるか。チケットを贈るが」
「嫌ですよ。みんな行きたがっている中、新入りの私が行ったらなまいきと言われますからね。それに私、貴方に興味がありませんから」
「……ふむ、そうか」
「あ、でもあれ。貴方のせいで買えなかったCDくださいな。貴方に興味はないのですが、ファンに近付くにも偉い人に近付くにも貴方の歌ぐらいは知っていないとだめですからね」
 にっこりと太宰が笑う。むうと福沢の口元は少し尖ったものの、一つ吐息を吐きだせばまあ、いいとその言葉が出ていた。 
「やつらにいい顔をした所でえられるものはないと思うがな。とくに乱歩は売るだけ損だぞ。
 それより今日の夕食は何がいい。何を作るかまだ決めてなくてな」
「蟹ではないのですか」
「今日は用意していない。今度用意するからまた共に食べよう」


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