始まりは数年前、探偵社を設立して一年経ったぐらいのころだった。是非アイドルになってくださいと奇妙な依頼がやってきたのだ。
 その一ヵ月前だったか。大物女優の警護任務の際、大立ち回りがテレビに映ってしまうことがあったのだが、その動きを見て惚れ込んだ。凄いパフォーマンスが出来るに違いない。とやってきたのだとそう言っていた。当然、最初は断ったがその後一ヶ月近く毎日こられ、頭を下げられ続けとうとう折れてしまった。
 そうして福沢はアイドルになった。
 今は探偵社社長兼国民的大人気アイドルとして二足のわらじをはいている。
 忙しいが何とかこなせなくはない日々。周りの助けを借りつつアイドルとして人前で歌い続けていた。国民的とまで言われるまでになった今当然ファンも多く、中には自分勝手な者も多くいたがこれはどう判断すべきなのかと福沢は暫し悩んでいた。
 真夜中、何者かの気配で起き身構えていた所やってきた青年はこんばんはとまるで親しい間柄でもあるかのように微笑んで笑い、そして遊びましょう。と言ってきたのだ。
 黒い服を身に纏い包帯を巻いたその青年を福沢は見たことがなかった。笑顔はこの世のものに思えないほど美しいのに、全身から不吉なオーラを放っている。
「警察を呼ぶのも捕えるのもなしですよ。抵抗はしないでください。妖な動き一つでもしたらこの辺り一帯はどっかんです」
 そう言って指さしたのは青年の首に巻き付くやたらとごつい首輪であった。まさかと目を見開かせる福沢を男は口角を上げて笑う。
「ちなみに起爆剤スイッチは私の体のどこかです。手かもしれない、足かもしれない、背中や腰だってありえる。何なら一つじゃない可能性も。いかな達人といえど、一瞬ですべての動きを止めることは不可能ですが、私はわずかな間で押せます。
 意識を奪うのは止めた方がいい。それは賢くない選択です」
 うふふ。うふふ。青年は楽しそうに笑っていた。まるで無邪気なる子供のように頬を染めて愛らしく。その歪みの何とおぞましきことか。
 青年を見ながら歯を噛みしめる福沢は何も答えることが出来なかった。じゃあ、遊びましょう。青年が再び口にする。その差しだされる手を拒む手段はない。
 その青年についてきながら福沢は考えるのだ。この男の目的は何か、ファンか、探偵社を狙うものか。ファンだと言うのであれば己の命は守り助かる術を探すが、もし探偵社を狙っているのであればこの男は異常すぎる。
己の命をくれてでもここで排除すべきだと。
 どちらであろうか、ファンにすぎてはいきすぎていて、探偵社を狙うものとしては爆弾を自分の首につけていることが理解できない。死んでも仲間がいるということなのか。
 今まで自分でけちらしてきた行きすぎたファン達のことを思いだしてみても断言できない中、男の足は止まっていた。
 二人が来たのは港、この時間は周りに誰もいない。ここでならばと考えていた福沢はその目を見開いて青年の後ろにあるものを見た。海の上浮いているのは船、……潜水艦であった。
 あんぐりと口まで開いてしまいそうなのを何とかおさえこむが、動揺は殺しきれなかった。
「これに乗るのか」
「ええ。探偵社について調べさせてもらったのですが、地上はどこにいても見つけられてしまいそうなので、探索の難しい空高くか海深く逃げることにしたのです。海にしたのはその中でも見付けにくいのもそうですが、
爆弾が爆発した時、空から落ちて地上にふり注ぐか、海の中を漂うかとなった時、海の方が素敵に思えたので潜水艦にしました、
万が一の時は、一緒に海の中踊りましょうか」
 福沢には全く理解のできぬ言葉を青年は吐いていく。その姿を見ながら福沢は己が明日になればとどこかで考えていたことを悟った。
 そしてそんな考えは甘いものであったことにも、手の平を握りしめる。ファンか敵か。正確な答えは出ていない。だが考えている時間はないと見据える。
 ああ、そうだと潜水艦に乗り込もうとしていた青年が振り向いていた。
「私は探偵社に危害を加えるつもりは一切ないですよ。貴方のことも五日後には帰して差し上げる予定です。死ななければですが」
 とんとんと男の指が首輪をたたく。ニィと歪める口元を睨む。
「それを信じろと」
「信じるかどうか貴方次第ですが、私は探偵社に興味はないです。かと言って貴方のファンなわけでもないのですが、私は」
 青年の足が進む。
 潜水艦の中へと入る男を見つめる。距離が遠くなって声が聞こえなくなっていく。これ以上奥へ入られたら聞こえない。だか中に入ったら終わりだ。
 睨んで吐息を吐く。どちらにしても手の打ち用などないのだと覚悟して入っていく。
「おやおや、逃げなくていいのですか」
「逃げたら爆破するのだろう。そうなれば私もきっと助からんし、この潜水艦を貴君一人が動かすわけでもないのだろう。……民間人か」
「金で雇われただけのね」
 くすくすくすくす青年が笑う。楽しそうな姿であった。まるで本物の子のようにも見えてしまうほど青年は無邪気な姿をしている。悪いことをしている自覚がないのかって疑ってしまう所であるか、そうでないことは行きでの会話が物語っていた。
「それで貴君は敵でもファンでもないのであれば何なのだ。貴君の目的は」
 満面の笑みが咲いていく。それはこんな状況ですら見惚れてしまうほど美しかった。
「貴方のファンが大嫌いなものです。貴方のファンが大嫌いだから貴方をもう二度とテレビで出られない体にすることで奪いとってあげるのです、ふふ、あの人が傷付くのかと思うと今から愉快でなりませんよ」
 福沢の目はまたも見開かれていく。青年の言葉は耳に届いたが、脳まではどうにも回ってくれなかった。唇がふるえていく。
「そんなことでー」
「さあ、行きましょう。大丈夫。手足をそいだりはしませんよ。貴方に恨みがあるわけではありませんからね、ただ……テレビにてられなくなってくれたらいいのです。そうアイドルなんてイメージ勝負。凌辱されている映像の一つやニつ流れたらもう無理でしょう。
 貴方には悪いけど、……でもこうしてやらないと私の気がすまないの。許してね」
 男が伸ばす手を見て福沢は目を閉じていた。




 青年は年に見合わないほどそういった行為にたけていて抵抗もできぬ福沢はただ翻弄され弄ばれ続けるだけであった。
 そんな日が五日続いたのか、人工的な明りしかない部屋の中、心が折れていくのを感じていた福沢は青年が動かなくなった後も布団の上、体を投げ出していた。一mmだって動かす気のおきない中で青年の笑い声を聞いた。
アッハハアッハハと笑い続ける声はまるで狂ったようだった。
 それが長いこと続いて、声がかすれ始めたころ、唐突に止まる。
「ざまぁみやがれ、森さんめ、ふふふ、貴方の大事なもの奪っちゃった。
 でも、いいよね。貴方だって織田作を殺したんだから、織田作を」
 ははってまた狂った笑いが続く。脳裏にかつて共開した友とも呼べぬが、ただの敵ということも出来ぬ男の姿が浮かんだ。


 それからしばらくした後、探偵社の者によって福沢は救出されていた。その時には青年は消えていて、その後、すぐに五日間の間に取ったのだろう凌辱映像が色々なところに流れたものの、その間、乱歩や探偵社の社員が裏工作をしてくれていたこと、救出されてすぐ福沢が周囲を駆け回ったことで仕事が忙しく表に出られなくなったタイミングを狙っての悪質なデマということで片付けられていた。
 結局青年の思い通りにはならなかった。
 そして福沢は青年を探すことはしなかった。青年は姿を隠すことなどまったくしておらず、はっきりと覚えていたけど、見えなかったと嘘を答えていた。


 二年たった。
 探偵社の社長室。そこで福沢はその目を見開き、男をみていた。二年たちすっかりと幼さは抜けていたが目の前にいるのはあの青年で間違いなかった。
 青年は福沢を見て頬をかいた後、それではと頭を下げている。踵まで返してしまいそうで待てと福沢は止めていた。
「今日は面接にきたのではないのか」
「……そうですが、不合格は確定でしょう。種田長官からの紹介なので来ないわけにも行かず来ましたが、決まりきったことに時間はかけたくないのです。貴方も無意味なことはしない方がいいですよ。種田長官がわざわざ勧めてくるくらいですから、知らないとは言えそう易々と切りすてさせないのは分かるでしょう」
 にっこりと外行きだろう笑みで一通り告げた男はドアノブに手を掛けようとするけれど福沢は再び止めていた。
「まだ面接は終わっていない。これからだ、不合格かどうかも決まってないのに出ていこうとはするな」
「は。ぇーー、そんなのもう決まって」
「……そうだな、貴君の優秀さは知っている。今さら試すまでもないか。合格だ。社員にあわせるからついてきてくれ」
 福沢が口にすると青年はその目を見開いて固まっていた。間抜けな面に少しだけ笑みがこぼれていた。




「合格おめでとう」
 でてきた男に告げるとその顔は見事に歪んでいた。まるで理解出来ない化け物でも見る目で見つめられている。今後はこういう顔で見られることが多くなるのだろうと予想しては少々愉快な気持ちになってくる。
 男・太宰と言う名前だったが、質は違うだろうが乱歩と同程度の頭脳を持っているのだろうことは、前回の時と今回の入社試験で読めていた。にわかには信じられないが、目の当たりにしたのだ。信じる他あるまい。
 そんな相手を翻弄させることなど滅多にできることではないのでこれからどんな表情を見せてくれるのかとそれが楽しいのだった。そんな考えを読みとけたのか男の顔がますます歪んで福沢を睨んでいた。
「私で楽しみたいから合格にされたのですか」
「合格を決めたのは私ではない」
「……私がしたことを忘れでもしたのですか」
「否、覚えている」
 男の目が鋭くなっていくのを福沢は受け止めていた。吐息を吐きだしそうになりなからじっとみて、では何故とそう口にしている。
「私は貴方を犯したのですよ、それを許すとでも言うのですか」
「……許していいよう行為ではないのだろうな」
 いいつつ福沢は過去のことを思いだしていた。男に犯された日々。その間、間違うことなく福沢は男に殺意を抱いていた。殺すことはできない。それでも何らかの方法で男にやり返してやると……後悔させてやるとそう感じていた。
 だが……あの日、聞いてしまった慟哭、それが福沢から殺意を奪ってしまっていた。
「でも私の怒りも何もかも森に向けて吐きすてた。その時点で貴君に対しての憎しみはなくなっている。だから……」
 あの後、何とか男の流した映像の処理が終わると福沢は形だけは覚えていた森の電話番号へと掛けていた。繋がると思わなかった電話はされどあっさり繋がって、そして福沢ははっきりこう言ったのだ。
 すべて貴君のせいだと。
 男の目が福沢の前で見開いていた。口が一度開いては閉じてまた開いて、ほうと吐息が吐きだされていく。
「なるほど見つかれば私はとんでもなく残酷な死に方をするということですか。否どうかな? 私が死を求めていることはあの人も知っていることだし、逆に死なせはしないのかな? 生かしてもっと酷い目に合わせてくるかもしれませんね。
 もしかしてそれが狙いですか? ここに留めることであの人の目につきやすくすると。だとしたら評判とはだいぶ隔たりがあるのですね。まあ世間などそう言うものでしょうけどね」
 うふふと笑う太宰は自分が分かる理由を手に入れられて嬉しそうであったけれど、残念なことにそれは違っている。吐き捨てた後、福沢はこうも伝えていた。
 だから手を出すな、と。森に牽制しているのだ。あの男は少なくともこの件では太宰に手を出すことなど出来ないのであった。
「そんなつもりはない。でもそうだな分かりやすく言うなら長官と一緒、あの方も貴君の優秀な頭脳と異能を利用するため自由を認めているのだろう。それと同時に貴貴君が敵に回ると厄介だから監視できる場所におこうとしている。
 私も貴君を見張っておきたいのだ」
男の目が福沢を見てくる、そのあせた目はじっと福沢の顔に固定されていたかと思えば体を見ていく。そうして吐息を吐いていた。
「まあいいですけれどね。これからお願いします。寝首をかかれないよう気をつけてくださいね」
男が一礼するのをみる。そして福沢はそれでは歓迎をこめて食事を食べにいこうと手を差し出していた。男の体が固まり、はって音を出していた。



「所で一つ確認するが貴君は二年前から今までの間、誰か家事を教わっているか」
「はぁ? いえ、別に教わっていませんが」
 そうかとそうだろうとは思っていたことを言われて福沢は一つ頷いていた。何をしていたかなど聞いていないがおそらくどこかで軟禁のような生活をさせられていただろう。それをしていた特務異能課の者達が、さすがにそこまでの面倒を見るとは思っていなかった。
 ふっと小さく口元が上がっていく。
「であれば貴君にはしばらく私の元で家事の勉強をしてもらわんとならんな」
「はあ?」
 太宰の目がさらに大きくなる。くつくつと福沢の喉の奥からは笑みがこぼれていく。えっと隠しようもないほど戸惑った声が太宰からは出て、何度も何度もまばたきを繰り返している。
 あの何でと考えても分からないのだろう太宰が福沢にとう。
「お前の生活はいかれているからだ」
「……いかれているとは」
戸惑いはさらに強くなっていて笑みは深まるばかりであった。
「あの五日間、貴君との暮らしは最悪だった」
「いや、暮らしですらなかったのですが」
「風呂にも入れてもらえん、服も毎日同じもの。そこはまあ仕方ないとして、ご飯があれはだめだ」
「一応食べさせましたよね」
「生野菜とレンチンすらされなかったレトルトパックをな」
 はい、これと差し出された人参を二年福沢は忘れられなかった。されたこととか、降りた後自動で動きだした潜水艦、そしてその後の爆発のことなど衝撃的なことが多かった中でそれも充分衝撃的なことだったのだ。
 なにせ人参は丸まる一本。皮すら向いていなかった。
福沢が目をむいてしまう中、何だ食べないのですかと言って太宰は同じものをむしゃむしゃ食べていた。また次の日はレトルトバックのご飯に、レトルトパックの親子丼をかけてだしてきたが、目の前で封を切って準備する男はレンジに入れるそぶりすらなかった。ここのレトルトが一番うまいと聞きましたけど……、だとするとレトルトってみんなが言うほどおいしくはないのですね。とも言っていて返事はしなかったが、爆弾を使用できてレトルトを使用できぬような教育だけは何がなんでもしないようにしようと、つい乱歩の姿を思い浮かべてしまっていた。
「あれ問題でした? 毒はだしてませんよ」
「毒が入ってなかろうと人が食べるための最低限の調理がされてなかった、人参を生でたべさせるならせめてもう少しきれ、レトルトは温めてから出せ」
「えー、それはその時言ってくれたらよかったのでは」
「あの状況で食べ物に文句を言うのは変人だろうが、だがお前の食生活がいかれているのははっきり分かった。よって食生活の改善を行う。さらにあのいかれようを思えば生活全般いかれているのが目で見ずとも判るというもの。よって生活全般の改善、私の元で家事を身に付けてもらう。
 探偵社に入社後の新人研修などは存在せぬが、貴君にはその一環のようなものとしてしっかりと受けてもらうので心しておくように」
 瞬きをした目が福沢を見つめる。福沢はその目を見つめ返す。どちらも無言であった。しばらくして太宰の口が開く。それはえっと小さな言葉をこぼしていく。
「あの……社長が私の食生活も他のところもいかれていると認識しているという話は分かりました。ですが、その、どうしてそのような話になるのですか? 生活のことなど仕事には関係ないのですから放っておけばいいのではないですか」
 褪せた日は先ほどからずっと戸惑い続けて、福沢のことを化け物でも見るようにして見ている。福沢は己が心の底から善人でないことを知っているので、そんな己をこんな風に見るのならば他の者はもっと戸惑ったのだろうなとその姿を想像してしまう。もう見れないのだろうが、国木田などもいい目で見たのだろうと笑う。
「会社の長として社員が健やかに生きていくよう見る義務がある。社員の少ない中小企業だからこそできることであるが、生活に問題だらけであるのを放ってはおけぬ。会社とは人の生命をあずかる場所、健康な生活ができるよう指導するのも役割なのだ」
「……そうなのですか?」
 ろくな社会経験などつんでない太宰は首を捻りつつも頷いてはいた。そう言うことなら分かりましたけどと口にする姿にまたこみあげてしまう笑みこらえはしつつも口の上にこぼれている。
「と言うのは建前で単純に私が心配なだけではあるが、今日からしっかりと頼む」
 太宰を見る。ようやっと飲みことうとしていた彼はあっさりと口を開けていた。
「貴方って忙しいのではないのですか」
「まあ、忙しくはあるのだが、貴君の世話一つできないはどではない」
「……そうですか」




「こんな面倒なことするぐらいであれば、その辺で買った方がましだとは思いませんか」
 じゃーと炒める音がする台所で太宰はフライパンをかきまぜながらため息を吐いていた。横で味噌汁用の豆腐を切っていた福沢が、太宰を見ては吐息を吐き出す
「貴君、今さっきまでやっていた作業を言ってみろ」
「油をだす、肉をバックから出して投入、そして今のかき混ぜるで三つですね。貴方が包丁をとりあげるからかですけど」
「よく研いでありますねら腹を綺麗に捌けそうなどのたまう者には当然の判断だろう。明日は子供用のものを買ってくる。それよりそのたった三つでめんどうに思う奴がいるか」
 かき混ぜる手が止まる。そしてしばらく考えたのち太宰は貴方の動きを見ていっているのですと明らかな嘘を口にしていた。口元が綻びそうで包丁が少し音を立ててしまう。
「そうならいいのがな……。まあ、お前の言うことも理解できない訳ではない。とりわけ激務の時などは作るよりも買うことの方が多くなる。ただ探偵社は依頼によっては昼夜逆転してしまう時もある。そう言った時は開いている店を見つけられず自分で作るしかなかったりする。それと出張の時など、食事なども手配してもらえればいいか、そうでないと近所に食べ物やも何もない場所での泊りでこれまた自分で作るしかなくなる。
 食事の仕方一つ知らぬのは問題だ」
「はぁ。大変なのですね。今以上に人心掌握の術を身に付ける必要がありそうです」
 うんざりとした顔で吐息を吐く太宰にまあ、さすがに一回としかそんな仕事来たことないがとまでは口にしていなかった。無理ではあろうがやる気の一つでてくれないかと思っていた福沢は太宰の言葉にその目を見開いていた。はぁ、何てでていってしまう言葉
「待って、何でそんなことになるのだ」
「だってそう言う時は自分でどうにかしようとするより人に愛想を売って気にいってもらい何とかしてもらう方がよいと思いませんか?」
「……まあ、そうかもしれんが……。それでも学んでもらうからな」
「……分かっておりますよ」
 吐息を吐いた太宰か炒め物を混ぜる。その姿を見つつこの男に面倒な仕事をまかせたらすばやく終わらせてくれるのではないだろうか。何てそんな予感がうずまいていた。
「あ、太宰それくらいの色付きになったら今度は塩とあと少しょうゆを入れる」
「しおにしょうゆですか、分かりました。しおはと」
 太宰の目が使いやすいところに並んでいる調味料のたなをみる。褪せた目が止まるのを見てなんとなくどうするのかとそのまま見てしまう。その横で太宰は二つ並ぶ白いものの入った容器のうち一つを手に取ると蓋を開けていれようとしていた。
「太宰、おそらく違ったら言ってくるだろうと思っての行動だと思うが聞く方が早いと思わんか。ちなみに塩はそれじゃなくもう一つの方、赤い持ち手の奴だ」
 すっと太宰の手はとっていた計量スプーンを手放し、元あった所に戻している。隣の容器を手にする。
「開くのが嫌なら味見してみるという手もあるのだぞ」
「もしかしたらこれで私に料理をさせることをあきらめてくれないかなと思いまして、何日間ぐらいするつもりか知りませんがまずいもの食べたくないでしょう」
「なるほど、でも野菜炒めで塩と砂糖ではそんな致命的ではないのではないか。乱歩の奴などはそちらの方を好みそうだ」
 ふ〜〜んて太宰が鼻を鳴らして塩を少しいれていく。しょうゆも少しいれていた。
「かきまぜて、全体にまわったらもう火を止めていい」
「はぁ〜〜い」
 さっさとまぜて太宰は火を止めていた。


 いただきますと手を合わせた太宰はしばらく箸をつけなかった。福沢が食べるのをみて食べている。
「味の方はどうだ?」
「まぁ普通なのではないですか?」
 もくもくと食べる姿は人参を食べていた時と変わりがなかった。ただ食べているといった感じである。
「そうか。明日は魚の料理もしてみよう、それから他の家事、洗たくや、そうじなどもしてもらいたいが一度にするのは大変か? 明日はとりあえず洗たくをしてもらうか……」
「研修なのでしょう。好きに決めてください」
 太宰がまた吐息をついている。



 福沢の心配は当たりだった。
 太宰は生活に必要な知識についてほぼ何も知っておらず、まだ親元で暮らす子供のようであった。そんな太宰に一から教えていくが、嫌嫌言いつつも太宰の吸収は早くてだいたい一度だけ教えれば充分であった。
それでも一か月たっても研修が終わらず中々太宰は寮の部屋に移れなかった。
 おもに福沢が忙しいのが理由であった。最初の二日間は夜何とか時間を作れたもののそれ以来中々時間を作れず教えることが出来なかったのだ。
 それでも何とか教えをおえて明日から太宰は一人暮らしをするようになる。
 今晩はその祝いということで机の上には豪華な料理が並んでいて太宰は眉を寄せてはげんなりとしていた。
「今日はドラマ撮影で昼からずっと社にいないと聞いていましたが、こんなもの作る時問あるのなら、帰ってくる時間もあったのでは? 書類がたまっているのではないのですか」
「今日も途中でふらりといなくなったと言う貴君にだけは言われたくないのだが、……昨日から下準備していたので今日はそんなに時間はかかっていないのだ。帰ってきたのも貴君より少し前ぐらいか」
 太宰の眉がますますよって嫌そうな顔をしていた。
「どうして貴方ってそう面倒な時間の使い方するのですか、研修だって一日に一作業など言っておらず、どうせ簡単なのですから一気にやってしまえばよかったのに」
「少しずつの原因となったお前にそう言われたくないがな。やる気もなく嫌ってさえいたのに一気になんてしたら途中で話をきかなくなるだろう。それに、研修としては長いが、貴君という男を近くにおいて見極める時間を考えたら充分……少し足りないぐらいではないか」
 太宰を見つめて福沢は口角をあげる。太宰のまねをしてつりあげてやれば、つまらなそうな顔をして福沢を見ていた目が開いてそれから笑っていた。
 ほうと興味深そうな声がでている。
「それでは私をどうするか決めたというのですか」
「そうだな。貴君には今まで通り探偵社社員として働いてもらう。その価値が充分にあるし、貴君にとってもよきこととなるだろう。あがいているのだろう。その手助けにきっとなる」
こちらもまた見極めようとしていた目が細められて、また吐息点がでていた。なるほどと声はおちていく。
「確かに見極められているようですね。でも本当にそれでいいのかははなはだ疑問が残りますけど。貴方の言葉は分からないことだらけ、優しい人であるのはいいですが、その優しさで足をすくわれないよう気を付けてくださいね」
 つまらなさそうにして褪せた目はよそを見る。机の上に並ぶ料理がうつるとそれにも嫌そうにしていた。
 はぁーと吐き出される吐息を聞く、笑みがこぼれそうになりながらそろそろそろ食べようと箸を伸ばしていた。
 話すのも疲れたのか素直に食べ始めている。それなりに気合をいれて作ったものであるが食べる太宰はいつもと同じで人参を食べていた時の顔をしている。
「そう言えばお前は結局好きなものを教えてはくれなかったな。きいても何でも食べるばかり。そろそろ教えくくれる気にはならぬか」
「……好きなものなどありませんよ。何でも食べますから
 でもそうですね」
 またその質問ですかと目元を歪めた太宰はでもふっとその動きを止めていた。疲れているようなその姿にかわりはない。だが一瞬だけ目を伏せると口の端を少しだけあげている
「蟹ですかね」
 笑みではないものを浮かべて太宰が答えた。それがどういう意味を持つのかまでは分からないけど、そうかって福沢は口元を緩ませていた。
「では近いうちによければ共に食べよう」
「……いいですよ。お声がけいただけるのを期待せずに待っています」




次の日の晩、福沢は酒を肴にして昨夜のことを思いだしていた。
お酒飲んでいるのが理由ではなくその体は火照っている、太宰の他の社員には見せていない表情の数々、理解できないと見つめてきた目、そんなものを思い出して体は震え、杯を握っておらぬ手は着物の裾をさいて己の体を弄っていた。
肌を辿り、胸やその中心にある乳首、わきと言った個所に触れてくぐもった熱い声をだしていく。
あの五日間の間に福沢の体はすっかり作り替えられ、今でも熱で頭がおかしくなる時がある。
だが今日は明確な意思で体に触れてその手は下へとのびていく。
太宰のことがずっと浮かんでいる。
そして随分優しいのですねと言ったその姿を思い出しては笑みがこぼれていく。とても可愛いことを言うのだなと。福沢は決して優しいわけではないのに。
そうありたいと人を救って生きていきたいと善人でいたいと願い、乱歩の存在にも助けられ、そのために探偵社を作り近い所まで来ることができていた。
そうであるが今の自身が優しさからは遠いているのを福沢は知っていた。
何せずっと福沢の中にはあの五年前の太宰がい続けてるのだ。
思いだすだけで体の熱は増して指の動きが早くなる。五年前狂ったように笑ってた太宰はすべての糸が切れたからくり人形のように突然笑うのをやめ福沢の上に倒れ込んでいた。そうして動かなくなりながら嘘つきとそう言葉に知ったのだ。
森さんの嘘つき。保護者だって、お父さんだって言ってたじゃないか。なのになんで何もしてくれないの。何で織田作まで奪うの。お父さんだって信じてたのに」
小さな声。
見開いた目で見たその目の焦点はあっていなかった。自分が口にしていることを理解しているのかも怪しいぐらいに暗い色をしていて、福沢の胸はその時、音を立てた、
それは森と言ったそのことに対してではない。今までの姿や、その壊れてしまった人形のような姿、言葉にその空っぽな瞳。そんなものに音を立てたのだ
ドクドクと大きく鳴りひびく鼓動。
太宰から目をそらせなかった。その何もかもを失ってしまったあとのような空虚な仕草に福沢の中で何かが動こうとした。それは福沢が普段見ないふりしている飢えている部分だ。
乱歩に出会い周りに人が増え、アイドルになって好きだと口にしてくれるものが出てくるようになって、それでも埋まることのなかった欲。福沢の中で幼きころからずっと存在しつづける誰かに愛されたいという欲。
過激なファンと初めて遭遇した時、気付いてしまった、もしかしたらと高鳴り求めた欲、だかそれにはあたいしない、どれたけ言ってこようとつまる所福沢というアイドルが欲しいだけだと気づいて、そうではない
福沢諭吉。
そのすべてを求めて愛して、そしてそれだけしか見ないでほしいのだと気づいて蓋をしたドロドロと重苦しい普通とはかけ離れた獣のような欲。
それがあふれていく。
もう何もないのだと空っぽになってしまったた姿を見るとこの子であれば愛されたくてそして何よりも愛したいという己の欲すべて流し込んでも受け止めて、そして何もかもない分、福沢だけを映してくれるのではないかとそう感じてしまったのだ。
あの時の何もない目のなんと甘美なことだったか。
思い出しては福沢の背は震え、高い声が出ていた。むわりと熱が部屋の中を満たす。白く汚れたものを手に絡みつかせていく
 捕まえておかなくてはと思ったが、あの時は体が動かなくてそれができなかった。諦めようとそう思っていたが、再び舞い戻ってきたのだ。
 この一か月ずっと見ていたが、何か見据える者こそあれどもその目は未だ空。
 たどり着けたとして何かを見出せるとは思えない。
 あの頃と同じ空虚な子供。それならば愛を与えればいい。そしてその目に福沢を映せばいい。
 どろりとした白濁をなめとり福沢は笑う
「あれは俺のものだ。誰にも渡したりはせぬ


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