少女と別れてから数日、福沢は自分が腑抜けになっている自覚がありながらもどうすることもできなかった。仕事はちゃんとこなして、特に誰かに迷惑を掛けている訳でもないが、いつもと違いやる気は起きず、なんとか日々のやるべきことだけをこなしているような感じ。日課としている鍛錬もやってはいるものの心あらずの形だけのもので、意味のないものだ。
 己の中から大事ななにかが抜け落ちてしまったような、そんな感じを抱えていた。
 そんな日々のことだった。
 見合いという今一番聞きたくなかった言葉を聞くことになったのは。別段珍しい言葉でなかった。今までも何度か依頼人や政府の者などから持ち込まれることがある。殆どは蹴って、どうしても受けねばまずいような相手のものだけは受けていた。
 今回もそうするつもりで見合いの詳細を聞いた福沢はその顔を思いっきり歪めることとなってしまう。なんといってもその相手は己じゃなくて、社で働く別のものだったのだ。見合いを持ってきたのは政府官僚の中でもそれなりに地位があるもので断るのは難しい。
 とはいえ、社員にこんな話と悩みながらも仕方ないと社員二人を呼び出していた。
「見合い話ですか?」
 並んだ二人が両者とも目を見開く。素直な二人の反応にそれも当然かと頭を抱えたい気持ちで福沢は頷いていた。その脳裏には別れることしかできなかった少女の姿が浮かんでいる。
 見合いなんてものはクソ喰らえだって本当ならば言ってしまいたいのだ。
「ああ、国木田と織田どちらかに是非にと来ていてな。他数人からもこの娘はいいこだからと推してきていてどうにも逃げられん。すまぬが、受けては貰えぬか」
 でも付き合いというものがこの世にはあって福沢は頭を下げるしかなかった。少女のことなど知らずとも、葛藤は伝わってしまうのだろう。二人はそれぞれ気にしないでほしいとそう伝えてくれていた。
 ありがとうと福沢の口からは出ていく。
 最後に見た少女が寂しげな顔で笑っている。



 見合いが終わった二人を労っていた福沢はその途中で首を傾けてしまっていた。はぁと出ていく声は思いの外低いものになってしまってたのか、斜め前にいる国木田の肩が強張っていた。だがそれを向けられた織田は臆することなくもう一度見合いを受けたいと同じ言葉を福沢に口にしていた。
「今回のは一回行けばもう充分なのだぞ。二回目は相手に気があるとも思わせてしまう」
「分かっています。でも俺は行きたいんです」
 織田の目は余計なものなどなく真っ直ぐに福沢を見ていた。声もはっきりとしていて彼の本心であることを伝えてくる。わずかに福沢の眉は寄った。
 捨てれるほど嫌いじゃないからとそういった少女のことを思い出してしまう。すべてがそうじゃない。福沢が囚われすぎているだけなのだと、分かっていてもそれでも福沢はすぐには首を縦に振ってやることができなかった。
 しばらく立ち尽くしてしまう。
 そんな福沢に織田はお願いしますと深々と頭を下げ、仲間思いの国木田も頭を下げていた。
 誠実な男であることは知っている。それでもどうしても考えてしまうことは消えない。
「相手の女性は今回の見合い乗り気だったのか。国木田。お前からも見てどうだ」
 声は低いままに福沢は問いかけていた。背筋をただした国木田の眉が少しだけ寄っていた。銀の目が鋭く国木田を見、織田を見ていた
「その……、俺には乗り気であるように思えましたが……、でも織田は嫌がっていたんじゃないかとそう言っていて、」
「ああ、本人の意志ではないとそう感じた。だがここで俺が断っても他の者へのお見合い話に向かうだけだろう。他の者のところが良いところとは限らない。酷いところになるかもしれない。その前におれのところでと……。結婚しても彼女に対して夫婦としての関係を求めるつもりはありません。
もし他に好きな人がいるならその人と過ごしてもいいと思ってます
 織田の目が真っ直ぐに福沢を見る。覚悟を持っているものの目に息を呑んでしまう。脳裏に少女の姿がちらつく。
「織田……」
 悲しげに少女は笑っていた。せめてもこんな男のもとに臨んでしまいながら、そうではないのだと頭の中の空想を散らす。
「そんな風に犠牲になってやる必要はないのだぞ。お前にいつか好きな人ができた時困るだろう。それにそんな結婚はいつか破綻する」
「そうかもしれませんが……でも」
「……分かった。断るのはまだもう少しまとう」
 織田の目が諦め悪く福沢を見る。福沢もまた諦めも悪く少女を思い出してしまっていた



 その数日後、織田とお見合い相手の二回目の席が設けられていたその日の夕方、探偵社はざわざわと浮足立っていた。
 理由は単純でありながらも誰も正解が分からない。
 探偵社の事務所に織田のお見合い相手の女性が来ていたのだ。女性は敦の席に座りながら俯いている。隣で織田が色々と声をかけているが、どこか心あらずといった様子で反応は薄かった。
 そんな少女を遠目で見ながら席から追い出されてしまった敦とどんな態度をしていていいか分からず己から離れた国木田がひそひそと話している
「あの人ってお見合い相手ですよね。どうしてここに」
「ああ。どうも探偵社の話をしていたところ自分から来たいと言い出したそうなんだが……」
「え、探偵社の話って」
「知ってもらえたらと思って写真など見せていたそうなんだが……」
「あの態度は誰かに助けられたことがあるか、誰かになにかされたかのどっちかかね」
 眉をしかめ女性を見る二人、その話に与謝野が入っていた。ああと二人の首が上下に動いた。女性の様子は興味を抱いているもののそれではなくて、言われてみればそうだとしか思えなくなる。ではそれが誰なのかと二人の目は女性や周りを見る。
 探偵社の事務所にはもうすぐ退社時刻なのもあって殆の社員が集まっているが、女性の目は机をじっと見ていてその中の誰かを見ていることはなかった。だとしたら今日は出社していない面子なのかと賢治や谷崎などの姿が浮かぶ。どちらも比較的温厚でトラブルとは縁の少ない側だ。
 助けられたが正解かなんて三人が思う中で、女性の顔が上がっていた。それとほぼ同時ぐらいにかちゃりとドアノブが回る音がして、奥の扉が一つ開いていた。音を聞いた社員たちが居住まいを正して出てきた人物が来るのを待つ。
 そして奥の部屋から出てきた福沢にお疲れ様ですと頭を下げていた。女性の相手をしていた織田も例外ではなく、頭を下げていないのは女性だけで、その目がわずかに潤んでいた。じっと見つめる瞳。
 あたりを見渡し今日も皆が無事であるかを確認していた福沢の目がそんな女性に向いた。
 そしてそのめもまた見開かれていた。
 かたりと音を立てて女性が立ち上がっていた。どうしたと隣りにいた織田が少し驚いてとうが、その声は女性には聞こえていないようだった。女性の目は真っ直ぐに福沢だけを移していて、気付いた周囲が首を傾ける中で福沢のめもまた女性だけを移していた。
 女性の手が握り締められて、その目が惑うように揺れる。あのと小さな声が出ていくけどそれは形にはならなかった。
「貴君は……」
 掠れた声が今度は福沢から出た。ドクドクと早鐘を打つ鼓動。その音はやたらと大きくて耳の直ぐ側で鳴らされているようだった。
「ああ、その子、例の織田の見合い相手の子で今日は探偵社を見たいっていうからきてもらってるそうだよ……って社長」
 うるさい鐘の中で与謝野の声が聞こえている。その間にも福沢の足は女性のもとにまで向かっていて、戸惑う周囲はそれを見守ってしまうだけであった。どうしたらと全員の目が福沢と女性を見ている。
 福沢の目の中には女性しかいなくて、それは女性も同じだった。感じ取った織田が席を立ち距離を取った。手を掴める距離までに近づいて福沢が女性を見つめる。
「見合い、相手。では貴君の名前は」
 問いかける声は震えていて、問われた女性そのものも震えていた。肩を震わせて福沢を見ている。
「も、…森治です」
 小さな声。その声に福沢の目は限界まで見開いて、そして、泣き出す一歩手前のように歪められていた。探偵社の誰もが初めて見るような顔であった。後悔や悔しさといったものがひしひしと伝わってきて、動けなかったものがますます動けなくなっていく。静まり返った部屋の中時を刻む時計の音も聞こえないほど二人を見てしまう。
 二人は無言で見つめ合っていて、ぎゅうと握りしめられる女性の手に、強く噛み締められた福沢の唇が動いていた
「…………見合いのけんだが、私では駄目だろうか」
 静かな部屋にやたらと大きくその声は響いた。目を離せないぐらいに引き込まれ見守っていた社員たち。そのうちの一つである与謝野からはぁと素っ頓狂な声が出ていた。国木田の手からは書類が落ちていた。
 二人の世界に入る邪魔な音だが、聞こえなかったのか女性の目は福沢だけを移している。そしてその口元を歪ませては音を紡ぐのだ
「……織田作と国木田さんが選ばれたのは探偵社と繋がるにしても現社長では私との歳は違いすぎる。厳格な男でもあるから落とすのは難しいだろう。それより社長候補のどちらかを落とすほうがぶはあるだろうと判断されたからです。
 だから、……貴方が私がいいって言ってくれるなら、貴方でも……」
 期待を込めた声。潤んだ目で見つめられて、苦しげだった顔が僅かに綻んでいた。女性を一心に見つめる。
「私は貴君がいい。
 貴君は?」
 今までと違う意味で持って声が震えていた。期待と怯えを持って少女を見つめる先で、女性の唇がほころんでいる
「……貴方がいいです。他の人は嫌だ」
 福沢の口元も綻んだ。手が女性に向かって差し出されていく
「ずっと貴君が好きなんだ。私の嫁になってくれ」
「はい。私もずっと好き。だからずっと私のそばにいてください」
 差し出された手を女性は掴む。重なった手を引き寄せて抱きしめる細いからだ。腕は自然と背に周り熱い抱擁をかわす。
 一部始終を見届けてしまった社員たちからそれぞれ吐息が漏れていく。国木田が床にへたり込む中、福沢に子供の頃育てられていた与謝野が二人をじっと見ては周りに視線を向けていた。
「話がなんだかいい感じにまとまっちまったんだがどういうことか誰か説明してくれないかい」
「え、いや、知り合いだったんですか……」
 問われたって誰もわからない。横に振られるしかない首。二人の世界に入っていた福沢が気づいて、皆というより織田の方に視線を向けていた。女性は福沢の胸の中に顔を埋めてそこから動きそうにもない。
「ああ。この子が婚約するというので別れたのだが……ここを選んでくれてよかった。ふたりとも済まぬがこの子は私がもらっていく」
 少女を抱きしめる腕の力を強くして福沢は宣言していた。頬は赤いもののその目は鋭い。抱きしめられている女性の口元はとても幸せそうに微笑んでいて……。
 誰も何も言えるはずもない。


 呆然とする事務員の肩をちょんちょんって乱歩がつつくだけだ。振り向いた事務員はいたんですかってまずそのことに驚いてしまうほど存在が今までなかった乱歩は抱きしめ合う二人を指さしていた
「……。ねえ、社長に年の差つっこんてきてくれない」
「むりですね。」
「そればっかりは乱歩さん自分でお願いします

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