次の約束の日、福沢はまた朝から来ていた。懐には小ぶりのおにぎりがいくつも入っていて、一時間ずつ一つを食べていた。少女が来るのが早くなっても遅くなっても問題がないようにするためだったが、全部食べ終わったあとも少女は来なかった。
 こないだよりももっと遅くなって、夕方すらも超え始めていた。空を見上げる月が見えていた。もしかしたら今日は少女は来ないのかもしれない。別にそれ自体はどうでもいい。デパートのフードコートは制覇しつつあるので、別の場所に行こうかなんてこの一週間考え込んだりもしていたが、それはまた次の機会に行けばいい。問題はその機会が今回を逃してしまうと何時になるかが分からなかった。
 いつも少女が帰り際に決めていたから。
 少女に連絡する手段すら持たなかった。どうしたらいいのか夜空を見る。少女の喜んだ顔が見たかったのだが、それはいつ見られることになるのだろうか。このまま見られないのは悲しいとそう思ってしまった。
 待ち合わせ場所である路地裏で福沢は静かに少女を待ち続けた。それは翌日朝日が覗くまでの長い間であった。朝日が昇るのを見守ると、さすがにこれ以上は待っても無理かとその場を後にした。次来るときはもう少し大きめの風呂敷に沢山おにぎりを入れてこよう。そう考えていた。腕の中、荷物が揺れる。



「どうして……」
 小さな声が聞こえたのは約束の三日後の晩であった。約束の路地裏で待っていた福沢は少女をじっと観察していた。顔色が悪い以外に少女に変わったところはない。追われている様子などもないようだった。
「次はいつ待てばいいか分からなかったから。ここで待っていれば会えるかと思った」
「昨日もいたのですか……。終わりにすればよかったのか」
「そうしたくはなかったからな。貴君もそうなのだろう」
 桜色をした小さな唇がぎゅうと下に突き出されていた。むくれた表情をしながらも否定はしない。ゆっくりと待てばやがては頷かれる首。少女の目が福沢を映す。
「では、行くかと言いたいが流石に今日は遅いな。次の約束だけをしよう。何時がいい」
「……明後日ならきっと抜け出せます」
「分かった。では明後日ここで待っている。今日はもう帰ろう」 
 少女はしばらく答えられなかった。考えていたのではなく迷っていた。それでも答えた少女に頷いて福沢は己の手を差し出している。眼の前の手を少女はその瞳に映しては大きく見開かせていた。意味は通じているだろう。それでも少女はまた迷って、ゆっくりと考えてから福沢の手を取っていた。日の落ちた時刻、少女の手は少し冷えていた。そんな手を握りしめて歩いていく。


 約束の二日後、少女は夕方遅くにやってきていた。遅くなってしまってすみませんと息を切らせた少女に福沢は良いと首を降る。今日も今日とっておにぎりを持ってきていたのでお腹がすきすぎている何てこともなく、さあ、行こうかって少女の手を取って歩き始めた。
「今日は別の場所に行こうと思うが良いか」
「別の場所ですか?」
「彼処のメニューはもうおおよそ食べただろう。他に貴君が食べたことないようなものが多くある場所はないか探してみた。丁度よい所があったからそこに行こう」
 少女の目が一度大きくなって福沢を見、震えた唇からはいいんですかなんてか細い声が出ていた。
「勿論良い。なんなら貴君が行きたいところがあるならそこにいてもいい。次回までに何処かないか考えてきてくれるか」
「……行きたいところなんて、何があるか分からないから特にはないのですが……、でも本当に」
「そうか。それなら私が今後も考えるが変なところでも許してくれよ。普段はあまり出かけないものでな、最近は貴君とこうして出掛けるのがいい息抜きになっているのだ。
 貴君が楽しめる間でいいから私に付き合ってやってくれ」
 少女が少しでも気を背負わずにすんでくれたらと福沢の口から出ていく言葉。少女はその小さな唇を噛み締めながらも首を縦にふっていた。少女の髪が揺れていく。
 歩いていく福沢はしばらくするとあそこに行くつもりなのだがと人の場所を指さしていた。建物たちがひしめくなかでその場所はやたらと目立つ。他とは違った形の建築物が並んで、その一つはくるくると回っていた。
 少女の目がまた見開いて、唇は細かく震える。あそこって驚く声が出ていく。
「色々この辺にある場所を探してみたが、どこの施設も似たような食べ物ばかりでな。ああいう施設の中のほうが貴君が食べたことのないようなものがあるんじゃないかと思って。偵察にはいけていないがどうだ。嫌か」
 福沢はすまなさそうに眉を寄せて問いかけていたが、問われた少女はふるふると首を横に振ってはその瞳にその場所を移して輝かせていた。福沢が指さした場所は観覧車やジェットコースターなどが建つ所詮遊園地と言えるようなところであった。
「嫌じゃないんですけど、その……、私食べ物もいいですけどあの回ってるやつとかに乗ってみたいです! 知ってますよあれ観覧車とか言って景色を楽しむものなのでしょう。あそこのあれは恐らくジェットコースターとか言うやつでしょう。ちびが最高だったって昔自慢してきました!
 ねえ、駄目ですか」
 期待に頬を赤く染めて少女は問いかけてくる。もしかしたらって福沢が予想していた反応そのもので福沢の口元が少しだけあがってしまった。もちろんってそんな声が出ていくとやったーと少女は喜んで早くいきましょうと駆け出しそうになる。少し待てとそんな少女の手を福沢は掴んだ。
「その前に貴君にこれを渡したいのだが受け取ってくれるか」
「はい? これは」
 差し出した荷物。少女の手がそれを受け取りながら、その目を丸くし福沢を見つめる。なんですかこれって問いかけられては福沢は笑い見てみてくれとそう伝えていた。その言葉に従い中身を見た少女の目はまた見開いていく。ふるふるとその目が揺れ動いて福沢を見上げる。
「あのこれって」
 袋の中に入っていたのは一式の洋服。それはこないだ少女がショップで試着していたものだった。
「そういうのがきたいのかと思って……、私がいるときだけでも好きなものを着たらいいんじゃないかと、流石にそう何着も贈ってやれないのだが良かったら今回はそれを着てやってくれ」
「良いのですか」
「ああ」
 頷けば少女は喜ぶと思っていた。だけど少女はすぐには喜ばなかった。色褪せた瞳を大きく見開かせながら福沢を見ては何故だが今にも泣き出しそうなほどその肩を震わせたのだ。噛み締められた唇から吐息がこぼれていた。
 ぎょっと福沢がしてしまう中で少女はその口元を歪めた。笑みの形にしながらそれでもやはり泣きそうだけど、口から聞こえたのは嬉しいってそんな声だった。
 少女の体が福沢に抱きついてくる、
「すっごく嬉しいです。私、私もう好きでは……」
 胸元に顔を押し付けながら少女が何かをいう。震えている体。どうしたととうが少女がそれ以上何かを口にすることはなかった。ただ体を細かく震わせながら福沢に回す力を強めていた。
 嬉しいって声がまた聞こえてくる。
 どうしていいのか分からなくなりながら福沢は少女の体に腕を回し、落ち着くまでの間しばらく抱きしめていた
「ありがとうございました。後からすみません。取り乱しちゃって……へんなところ見せちゃいました」
 暫くしてから顔を上げた少女は恥ずかしそうにほほえみながら洋服の入った袋を抱きしめていた。そんな少女を離れながら福沢は見ている。一つ一つの些細な動きを見逃さないよう気をつけながらなにかあったのかとそう問いかけていた。
 少女の目が泳いで下を向いた。それはと出ていく言葉は重い。
 すぐに福沢は首を横に振っていた。
「言いたくないのなら良い。詮索するつもりはないのだ」
 少女が福沢を見ては口元を歪めていく。また泣き出しそうな顔になっては袋を胸元に抱きしめ直していた。ぎゅっと握りしめてなにかからまもるようにしながら笑い直している。
 その瞳が遠くのものを見つめるよう福沢を見る。
「貴方は優しいですね。ずっと私に付き合ってくれて……。いつまで付き合ってくれますか」
 その口が小さく開き、また迷うように聞いてきていた。どことなく不安げなまなざしが福沢を見上げてくる。
「それはもういっているだろう。貴君が楽しめる間、望む間だ」
「……何時まででもいいんですか」
 そのまなざしに答えても少女から不安は消えてなくならない。紙袋を握りしめながらさらに問いかけてくる
「例えば一年先二年先……五年先とか」
 少女の目は途中で下を見ていた。言葉を紡いでいた口が止まって息を吐きだそうとする。馬鹿なことを言ったってそう思っているような様子であった。
 だからと言うわけでもないのだが、福沢は少女に手を伸ばしていた。少女の頬を掴んで上を向かせる。少女の中に映る福沢は無表情に近い形をしながらもその目元が少しだけ柔らかく緩んでいる。
「私はそれでいい。むしろそれがいいな」
「本当」
 じっとその目に移して少女は少しだけ安堵していた吐息がこぼれていく。
「ああ。とはいえそんなに長いこと貴君を連れていける場所を用意してはあげられないがな。彼処だって苦肉の策のようなものだ。喜んでくれるとは思っていたが」
「別に真新しいところじゃなくても良いです。こうして外に出るのに付き合ってくれるのならずっと同じ場所でも」
「ならずっと付き合おう。流石に仕事の関係上毎週とは言えない日も出てきてしまうかもしれないが……、会うのをやめることはない」
 ゆっくりと重なっていく言葉たち。少女の目がまた違う意味で震えながら、それでも最後に聞いてしまう。
「……そのこと約束してくださいますか」
「ああ。約束しよう」
 福沢の手が少女から離れて、目の前に小指を一本突き立てていた。映す少女は不思議そうに首を横に傾けている。
「それは……」
「しらぬか。指切りというのか」
「指切り……」
 まじまじと少女は福沢の指を見つめる。指を絡ませるよう促せば、不安と好奇心を織り交ぜておずおずと少女の指が重なる。福沢の指よりも随分と細い指だった。
 そんな指を強く握って福沢はらしくもなく有名な節を口にする。
「指切りげんまん嘘ついたらハリセンボンのーます。指切ったと」
 離れていく指を呆然と少女は見ていた。
「恐ろしい歌ですね……。痛そう」
「安心しろ。貴君にそんなものは飲まさせん。飲むのは私一人だ」
 口元を抑える少女に思わず笑う。もう不安は薄くなっていてそんな福沢に少女も微笑んでいた。そろそろ行こうと手を差し出そうとして福沢の目は夜の街を見る。
 話している間にも太陽は消えて、夕方も終わりに来ていた。福沢の肩が少しだけ落ちていく。
「今日は着替えの時間もいれるともうあまり長居はできないな。何処か別の場所で夕飯を食べて彼処には次の機会に行こうか」
「はい。次はその来週の金曜日辺りになるのですが」
「ああ。分かった。また待っている」


[ 182/312 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



×
BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
- ナノ -