その日から数日、太宰は自分では動かず、裏で暗躍することにしていた。それならば福沢の手をわずらわすこともないと思うと考えてのことだが、そちらも駄目だったみたいだと太宰が気付いたのは福沢に何回目かの誘いを受けた時だ。
お座敷に通されると福沢がまずは寝ろとそう言ってきたのだ。その目元には深い皺ができ、銀色の目は険しい色をして太宰を見ていた。何でと太宰が言ってしまうとはあとでていくような深い息をついている。
ますます険しくなった目が太宰を見る。
「言わなくても理由は分かるはずだ」
「はーー、そう言われても」
「胸に手を当て己の体についてしっかりと考えてみろ」
また太宰からはッという声がでていく。ぱちぱちとその目が瞬きをする。もしかしてと太宰の口が開いた。
「眠りのことを言っていますか」
「それしかないだろう。化粧をして隠しているようだが、そこまでして寝不足を隠さず寝ろ。今夜はお前が寝ない限り帰らぬからな。店のものにも伝えて許可は得ている」
腕を組んだ福沢の口は太宰を見下ろす。太宰はと言うとそんな福沢に対して不思議そうなそぶりをしていた。
「前から思っていたのですか、社長は何でそんなに私のことを気にするのですか。あの子の親だからですか。だとしたら、そんなこと気にする必要ありませんよ。私はあの子をすてた。母として接することも許されません。あの子の親は貴方だけ。それであの子も満足している。これ以上のものをあの子は必要としていないでしょう。なので気にしなくていいです。
それにもし社員だからと言うのであればそれは必要ないです。私は社員としてある程度の働きはしますけど自分勝手にしてますし、他の方に迷惑かけてばかりなので気にしてもらえるような社員ではありません。それと娘の面倒見てもらっていますし」
だからと続けるはずの言葉がなかったのは福沢の目が険しいものだったからではなく、その逆でとても悲しげなものであったからだった。
驚きで途中から太宰の口がはくはくと開く。あのとそんな声が出ていく中で福沢が太宰を見て、まだ深いため息を一つ吐き出していた。
「社員だからと言うのはあるだろう。それにあの子の親だからと言うのもないといえば嘘だろう。だがそんなにおかしいか。私が貴殿のことを大切にしたいと言うのはそんなに信じられないことだろうか。
もともと私があの子を引き取ると決めたのは、あの時初めて会っただけの貴殿を助けてやりたい。そう思ったからなのだが、それでもおかしいだろうか」
福沢の目が太宰を見てくる悲しげな眼。初めて見るようなそんな顔で問われて太宰は次の言葉を紡げない。そう答えていいのか。分からないでいる。途方に暮れた顔をしている中、福沢が再び言葉を紡いでいた。
「私は個人的に貴君を大切にしたいとそう思っている。それだけなのだ。心配されるのが怖いのかもしれぬが、私も貴君がけがをしたり倒れたりするのが心配で怖い。少しだけ許してはくれないか」
一言一言しっかりと掛けられていく言葉。太宰は何も問えずその言葉を聞いて最後には頷く事しかできなかった。
「分かりました」
福沢の目元が柔らかさが少しだけできて、そして座敷の座布団を前に差し出していた。いくらか重ねられたそれは枕にでもしていいということだろう。体も言わず大人しく横になる太宰の頭を福沢の手が撫でていた。触れてくる手を太宰の目が追いかける。
「裏から手を回してつぶしあわせるようにするのも得意なのだろうが、それでは無理もあるだろう。そういう時は遠慮なく私を使え。働き過ぎて寝不足になるよりましだからな。お前も時間をかけて解決させるより、早く終わった方がいいだろう」
「……でも」
「大切なものの力になりたい。それは当然のことだろう。お前の力にならせてくれ」
「ありがとうございました」
「礼を言われるようなことでないがな」
「社長は何を考えているんですか」
太宰がそう聞いたのは二か月ぐらいたった時であった。もう何度か太宰の調査に福沢が手伝った後のことだ。声をかけてきた太宰は初めて福沢をその目に移して答えを待っていた。
問われた福沢は太宰の問いを受けて一度何かを考えこんだ。
「何かとはなんだ」
太宰の目は福沢から外されることなくだってとそんな風に口を開いていた。
「何かしら考えているのでしょう。こんなふうに世話を焼くのは私があの子の親でしょうか。だからと言いますけどそれだけではないというか。
ふむ。何かしら思うことがあるのではないでしょうか。そういえば前に何か言いたそうにしていましたよね」
褪せた目が福沢を映している。
「お前が大切だからなんだけどな」
その目に移された福沢はほんの少し苦笑していた。再び何かを考え始める。
「そうだな。何かを言いたげにしていたというのは貴君にあの子の話をした時のことか。そうだとしたら……それは今の貴君は自分を大切にする以前に自分自身を嫌っている。大切にできないようだから。それが問題と言うか、その事をどうにかしていく方が先かとそう思ったのだが、いうことではない。そう思ったから言わなかったのに、そう言ったところで自分ですぐにどうこうできることでもないだろう。それにそれが自分だけの問題にするのもどうかと思ったのに。まずは大切にされるものだというのを分かってもらおうかと思った。そしたら少しは貴君も楽にあの子と向き合えると思ってな。私は本当に貴君はあのこを好きだと思っているんだ。
せっかくこうして近くにいるのだから大切なものは大切と思った方がいい。お前は自分の血がつながっているのが嫌だと言っていたが、私はその……似ている所を感じると楽しくなったりするぞ。こないだ貴君を寝かせた時は寝顔が似ていて可愛らしいなとそう思った」
福沢の話を驚いた顔で聞いていた太宰の目が最後の言葉の時にはひときわ大きくなっていた。呆とと立ち尽くすように見ていた。えっとそんな声が出ていく。どうかしたかと今度は福沢が問う。
「貴君も少しは貴君が好きになったか」
少し微笑むような目をして尋ねられる。太宰の口は小さく開いたままだ。ほうとこぼれていく吐息。太宰の中に映る福沢はとても優しい顔をしていて、それが直接的に伝わっていた。褪せためが揺れる。
「私は私をずっと好きにはなれないです。だって好きになれる要素が私にはありませんから。でも誰かに大切にされるのはいいものですね。好きにはなれないですけど、少しは認められる気がします」
「今度あの子と一緒に食事にでもいかぬか。あの子が行きたそうにしている所があるのだが、いくらあの子を連れていても私だけでは入りづらくてな」
「ふむ。じゃあまずスイーツバイキング行きましょうか。ちゃんとお腹すかせてから来てくださいね」
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