だから福沢はその次の時、男に蟹が入ったおにぎりを渡したのだが、男はそれを一口食べた後、落としそうになっていた。
「え、えっと……」
 褪せた目が手当の途中であった福沢を見てくる。男は気にもしてなさそうに見えたがしっかり約束は覚えていたらしい。と言っても男にとってはただの戯言であったのだろうが。こうして思い出すあたりその記憶力の良さが伺えるものであった。
 男の姿をじっと見ながら福沢はうまいかと聞いた。男は蟹が入っていておいしくないわけないですよねと答えている。可愛くない答えではあったものの福沢は満足していた。男の手当てをしていく。
 男の怪我は一つよくなってもすぐに一つ二つ増えていくような状況で鼬ごっこであった。それもあって男は手当てする福沢を奇妙なもののように思っているようだった。
 そこにきての蟹入りのおにぎり。本当物好きですよねと男が言いながら食べる。
「種田長官が貴方を人情味がある人といったのがよくわかります。善い人と言うのはそういう事なんでしょうね。貴方の下で働けたかもしれないのにと思うと少し残念です。まあ、もうどうしようもないこと。今更遅いですが」
 少しだけ悲しそうな顔をしたがすぐに笑って隠す。残りひとくちとなったおにぎりを飲み込んでいた
 美味しいですと男はそういうけれど福沢はそんな言葉今はどうでもなかった。ただ本当にと男に問いかけていた。男の首が傾く。何を言っているのですかと男が言う。
 「今からでも遅くはないと思うが、」
 福沢のその言葉に褪せた目は大きくなり、そしてただ笑っていた。無理ですよとそう明るく口にする。
「言ったじゃないですか。マフィアだけならどうにかなるけど表でまで追いかけまわされたらどうしようもないですよ。しかもあの男の権力はこの国に広く根付いている。森さんと違って合理性なんて欠片もない。ただただ私を追いかけまわしてくる。そんな奴から逃げるなんて無理ですよ。
 私にできるのはここで朽ちるのを待つだけです。だからまあ本当は手当てもされたくないのですけどね。だって怪我が治ったらその分死が遠ざかってしまうでしょう。早くこんな生き地獄から解放されたいですよ」
 男が楽しそうに笑う。男が言うことは分かる。それでも手があると思う。だが福沢は男を見て口を閉ざす。
 そして手当を終えて男の隣に座る。つい多めにまいた包帯。何を言えばいいかわからない。それでも福沢は男に手を伸ばして、それからその頭をゆっくりと撫でていた。
 男が驚いた顔をしつつも何も言ってくることはなかった。



 どれくらいその逢瀬を続けただろう。だがある時から男をさっぱり見かけなくなった。遅かったかと思いつつそれでも通い続けて二週間した頃。また男の姿を見た。
 男は酷く驚きながらまだいたんですかと笑っていた。よくやりますねと言う呆れた声。男はどこか疲れている様子で歩くのもしんどそうだった。そんな男を支えてベンチに連れていく。最後に見た時よりも細い体は今や骨だけのように思う。目元の隈も酷く頬もごっそり痩せている。そんな男はただ笑う
「今週は忙しかったんですよね。ろくに家にも帰れないぐらいでずっと会社に泊まりっぱなしです。その間は義父に殴られないからいいんですけどね」
 ふっふと男は笑う。相も変わらず楽し気な男の本心など欠片も分からないものである。その笑みよりも福沢は男の言葉に顔をしかめてしまっていた。眉間に酷い皺ができる。
「労働法違反ではないのか」
「さあ? どうなのでしょうね。そもそも私は働きには出ていても社員かどうか怪しいところがありますからね」
「は」
 傾いた男の首。男の言葉に福沢の目は見開いて何を言ったと問いかけていた。とても信じられないといったふうな福沢の姿を男が見てはふふと笑う。
「親族と言うことで給料もらっていないんですよね」
「はあ、そんなの違反だろうが」
「あ、やはりそうなのですか」
 男の頬が膨らんでいた。もうなんてでていくわざとらしい言葉。
「私今までマフィアしかしたことなかったからその辺の感覚が分からなくなっていたんです。
 あ、ちなみにそちらはお休みとかとらせてます。こちらは年中無休家の用事とかで出掛けなくてはいけないときだけ休みになるんですけど」
「ありえん。忙しい時などは社員に頑張ってもらうこともあるが基本的には週二日は休み。もちろん大型連休も取り入れている」
「ふむ。やはりそういうモノなんですね。最低な会社ですねうちのところ。まじめに働いているのが馬鹿らしくなりますよ」
 ますます頬が膨らんだ。ただ膨らんでいるものの嫌そうな様子はない。別に今更どうとも思っていないだろう。ただ新しく知った知識だけは楽しんでいる様子がある。なるほどねなんて頷いていた。
「今更か。給料さえまともにもらっていなかったのだろう。残業代などももちろんもらっていないのだろうな」
「残業代」
「就業時間をすぎた時はしはらわれるものだ」
「特別給付のようなものですか。マフィアはその人の働きで階級によって月にもらえる額が固定されていましたから。あまりそういうのは分からないんですよね。ボーナスと言うものは知っていますよ。マフィア時代もありました。それに会社の人もみんなもらえるのを待っていますからね」
「会社の者が何か言ったりしないのか」
「その辺はうまくやっているので会社の誰も私のことに無頓着なのです」
 男がにこにこと笑う。何が面白いのかなんてさっぱり分からなかった。福沢の方は男の話を聞いてずっと怒りをため続けていた。だが吐き出すことはしないよう気を付けている。
 ベンチに眠らせていた男の体をそっと持ち上げて己の膝の上に載せる。その頭を撫でていく。男が不思議そうにして福沢を見上げたものの何も言わなかった。
「家に帰っても休めんだろう。少しここで寝ていけ」
「まあ、そうですね。寝ていきましょうかね。さすがの私も眠かったところです。おやすみなさい」
 目を閉じた男はそれから朝が来るまで起きることはなかった。福沢はそんな男を膝にのせて一夜を迎えていた。
 起きた時男は変なのと言った。
 その日のそれは福沢にだけ向けられたものではないとそう感じた。


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