ある日の夜だった。
依頼が立て込んでいたのもあり、帰りが遅くなったその日、福沢は一人の男に出会ったのだ。
その男は公園の中、ベンチの上でも滑り台の上でもシーソーやブランコの上でもなく地面に寝転がっていた。生きているのが動きで分かってどうするべきか悩む。
あまり厄介ごとにはかかわるべきではないが、見捨てていくのも探偵社としてはどうかと。どうするのが最善なのか。その為にしばしその男を見つめた。
上下に動く胸。わずかに見える頬は蒼褪めている。酒瓶などは近くになく、酒の匂いなどもしてはいなかった。男の様子も酔っているのとは違うようで、真っ先に見捨てることのできる相手ではなくなった。体調が悪いのだろうことは伺える。ただどこかを怪我している様子はぱっと見では見受けられない。
声をかけるかと男に近づいた。声をかけた時、少しだけ後悔した。呼びかけに答え、上を向いた男の顔は美しかったのだ。美という言葉は男のためにあると言われても信じてしまいそうなほどの美しさであった。
美は厄介ごとの種とは言いたくはないものの行き倒れの美男など嫌な予感しかしない。正直に言うと今すぐにでも放り出して帰りたかった。
なんだかんだと社員に慕われ、もてはやされ、会社自体も多くの人に良く思われているものの、それとは別に面倒を抱え込むつもりは今のところ福沢にはなかった。守るべきものも多くなった今、悪戯に手を広げて身動きが取れなくなるような、そんな状態になるのはあまり喜ばしい行為ではなかったのだ。だが男とはもう既に目が合ってしまていた。
褪せた目をしていた。そしてその中に福沢を映しては口の端を上げて笑っている。どうしましたなんてそんなことを問う。問われた福沢はその顔を歪めて男を見た。
それはこちらのセリフなんだがと福沢が言えば男はその目を丸くした。少しした後に今の現状におもいあたったのかへらりと笑い、何でもないんですけどと言うのであった。
「怪我したのか」
「まあ、そんなところですかね。帰れるまでもうしばらくかかるのですが、こうして寝ていたらいつかは帰れるようになりますのでご安心を。
どうぞ私など気にせず行ってください」
笑う男。本来ならば福沢も男の言う通りにしたかった。だが、なにかが気になってしまったのだ。男のなにかが気になって駄目だとそう口にした。
「このような所で倒れて他の者にも迷惑がかかるだろう。せめてベンチにいけ」
「動けないんですけどね」
男の目元が小さくよっている。困ったような素振りであるがどことなく演技臭い。男の体は一つも動かなかった。そんな男の体を福沢がさわる。持ち上げやすいように動かしては、ベンチへと運んでいた。
ぱちぱちと男の目が瞬いて福沢を見た。何ですかと問いかけてくる声。
「迷惑になると言っただろう」
「……まあ、そうなんですか。せめて一言くらいいいませんか」
「疲れてそうだから喋らせるのもどうかと。それ(何となく断られる気がしてな」
「それはその通りなのですが」
寝かせた男の肌を何となく撫でた。
一度閉じる口。額にはうっすらとだが汗をかいている。じっと仰向けになった男の体を見ていく。怪我はやはり見えなかったが、ただ気になったのは男を抱えたときの感触であった。二の腕辺りがやけに奇妙な感触で熱があった。もしかしたら骨が折れているかもしれない。
そんなことを考えながら男の顔に視線を戻していた。美しい顔だ。そこらの奴らに飼われてるといわれても疑問にも思わない。
ただ気になるのは。
「どうしました」
男の目が福沢を見た。その口許が上がる。歪む目元に胸のなかざわりとなにかが動く。それは嫌悪とか恐怖とか言ったものだ。福沢は表にださないよう努めていた。そして目をそらしていた。
「ここで何をしていたんだ」
「おや、私のことに興味があるんですか。ですが残念ながら何にもないですよ。会社から家に帰る途中しんどくて倒れてしまっただけです」
「会社」
ベンチに横になった男はその顔を青ざめさせたままぺらぺらと話す。
「ええ、親戚の会社なんですけどね。仕事が忙しかったもので疲れてしまったんですよ
早く帰らないと義父に叱られてしまうんですけどね。あ、私実は婿養子なんですよ。義父は有名な政治家でして、その親族の方がやっている会社で働かせてもらっているんです。何時出社したとかまで筒抜けなのでちょっと寄り道してもばれてしまい自由がないんです。とても厳しい方なので婿にはいったのなら家に尽くせって早く帰って義父や義母のご機嫌取りをしなくてはならないんですよ。なんで暫く休んだらもう帰ります。家も近くてほらこの辺にあるでしょう。無駄に大きい屋敷。あそこなんです」
普段からして口数の少ない福沢が感心してしまうほど男はへらへらと話しては笑っている。
見下ろす銀の目は不快気に歪んで、その口からは細い吐息が吐き出されている。
「分かったが、そんな体では動けんだろう。もしよければ送るが」
男の目が瞬いた。そして福沢を見てからへらへら笑う。
「大丈夫ですよ。これぐらいなら少し休めば帰れますから」
「そうか」
「ええ。ここまで運んでいただきありがとうございます。でももう十分ですから」
男が笑うのを見下ろす。その眉間に深い皺を作りながら、そうかともう一度口にしていた。男の褪せた目は暗い夜の空を見ている。
その日の夜、時計の短針もてっぺんを過ぎ去ってしまった頃、気になって福沢は再び男とあった公園に来ていた。そして男にまた会った。
男はその公園にいたのだ。
福沢が最後に見た姿のままだ。
「早く帰らぬとまずいのではなかったか」
男の傍に近づき声をかければ男は目を見開いた。
「やはり動けぬか」
「いえ、動けますよ。ただ面倒なだけです。今更帰っても怒られるのは変わりませんでしたから。それなら明日にでも仕事が終わった後帰って怒られるのも同じかなと思ったのです。怒られるのは二回より一回の方がいいでしょう」
そういうことありませんかと男が聞く。思い出すのは子供の頃だった。世に言う悪餓鬼だった福沢は何度となく親に怒られたがその中にはまあ、確かに似たような考えをするときもあった。
でもそれとこれとは違うのだろう。
そう思いながら福沢は男のそばにおにぎりと水筒を置いていた。男の目がそれを見る。
「食べるものを食べたら少しは動く気にもなるだろう」
「はあ。ありがとうございます」
男の首は寝ながら小さく傾いていた。不思議そうにしながらおにぎりを見て福沢を見る。暫くしてから声に出した男はそのまま動かなかった。福沢も男ではなく周囲を見ていた。
夜も遅い時刻だからか周りには人の姿はない。
しばらくしてから男の手が伸びておにぎりを掴む。ほうと男からでていく吐息。意味ありませんよとそう言っていた。
「私、あの人と喧嘩しているんです。いや、喧嘩ではないのかな。そんなものじゃないのか。戦争とかそう言ったものですかね、まあ内容は簡単で私が諦めるか死ぬかのどちらかなんですけど。
さすがに光の世界までも敵に回し追いかけられたら逃げ場はなくなってしまいます。頭を下げてマフィアに戻るか、それともなぶり殺されるまで耐えるか。どちらか一つ。
それだけの話なんですよ」
男が笑っていた。話の内容とはとても似合わない微笑みでどこか楽し気でさえある。そんな男を見下ろす福沢にそれでと男は聞く。
「貴方はあの人のなんなのですか。敵ではないと思いますが、味方でもないですよね。一目見て私があの人と関係があると感づいたことからそれなりに近しい人だとは思いますが、でも私は一度も見たことないんですよね」
ねえと微笑む褪せた瞳は福沢を映していた。他に人はいないからだろうが、福沢は少しだけ驚いてしまった。
そうでないかとは僅かに思っていたもののまさか本当に気づかれていたとは。それほどまで福沢が分かりやすいのか、それとも男も特別なのか。
男を見下ろす。ベンチの上で男は器用におにぎりを食べていたが、水筒を呑もうとしてむせていた。水筒が顔に落ちていく。横になって飲むものではありませんねとは云っているものの治そうとはしないようであった。
「今は敵だ。かつては味方のようなものであったこともある。師の指示で共に戦ったのだ。今も敵ではあるが、あの男のこの街を守るという信念には共感している。私もこの街を愛している。だから守りたいと思っている」
褪せた瞳の中に映る福沢が大きくなったような気がした。男の笑みが固まってその目が見開かれている。それから笑いだしていた。
「分かりましたよ。貴方武装探偵社の社長でしょう。かつて夏目先生の指示であの人共に戦っていた頃の噂は聞いております。でも縁とは不思議なものですね。本当なら私も貴方の部下になるはずだったんですよ。
二年ほど地下に潜ってマフィアの頃の薄暗いもの全部なかったことにしたら、種田長官が紹介してくれるという話だったので。でも残念。うまく隠れていたと思ったんですが、あの人に見つかってしまったんです。今やあの家でかごの鳥。仕事で外には出ていますけどね。なぶり殺されるのを待つだけの日々です。
本当こんなところで会うなんてな。残念です。種田長官が言っていた通り人情味ありそうな人なのに、もう下につくことなんてないんでしょうね」
男の口から大きなため息が漏れ出していた。唇が尖って惜しいことをしただなんて何度も口にしている。
福沢の目は今までの男の話に見開かれていた。そうして男を映しながらはっとそんな短い言葉を落とす。その脳裏に思い浮かべたのは何度も世話になったことのある異能特務科、そこの長である種田の姿。そしてその種田から貴殿に紹介したい人がいると言われた時のことだ。一年ほど前のことだっただろうか。男がにっこりと笑う。
「あ、もしかして私のことを言われてました。中々使える奴だって言っていたでしょう。私もそう思います」
「自信があるのだな」
「だってあの人がこうまでしてマフィアに取り戻したい、他の所に行かせたくないと思うんですよ。そりゃあもう厄介だからですよ」
「なるほどな。そう聞くと少々残念ではあるな。
貴殿はこれからどうするつもりなのだ」
「さあ」
ベンチの上で男は上だけを見ていた。
どうしたらいいのでしょうねなんてはた目には暢気な言葉を口にしている。
「どうしようもないというのが一つの答えですけど、そうですね。まあのんびり死ぬのを待っていますよ。人というより物使いが荒いですからね。すぐ死ねるでしょう」
ふふと男の口に浮かぶ笑み。それを見下ろし福沢の目元に深い皺ができていた。
「貴殿はそれでいいのか」
「まあもとより私は死にたがりで、今は忙しくてできませんでしたけど自殺愛好者ですからね。願ったりかなったりです。痛いの嫌いですけどね」
「そうか。怪我の手当てなどしていいか。一応そのために救急箱も持ってきているんだ」
男が瞬きをした。不思議そうにしながらまあ、いいですけどとそう言っていた。
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