二人の始まり

「嫌です! やー! ちょ、止めてください! 嫌ですたら、あ、ダメ!! もう本当に止めてください!! いやあああ!!」
 常日頃から何かと騒がしい探偵社ではあるが、その日は何時にもまして騒がしかった。悲鳴じみた声が響き渡っている。社内にいる全員の視線が閉じられた扉に向かう。声はそこから聞こえているのだが……。
「いやぁああああああ!!」
 一際大きな悲鳴が上がる。扉を見つめるみんなの目が国木田に集まった。無言でどうすればと問い掛けてくるいくつもの目。国木田は迷いながらも首を振る。でも太宰さんがと敦が口にするのに……、たまにはいい薬になるんじゃないかと引き攣った声を出して答えた。そう聞こえてくる声は太宰のものであった。
 数時間前、何処かに出掛けていた与謝野と乱歩が、帰ってくるなり嫌がる太宰を引摺り、医務室に連れ込んだ。それからしばらくは静かだったのだが、何かが落ちるもの音が聞こえたと思ってからは、争い会う声に物音がし、それが太宰の悲鳴へと成り変わっていた。
 何故みんな見ているだけで医務室に向かわないのか。それは医務室に入る前の乱歩の言葉のせいだ。
「僕がいいって云うまで誰も来ちゃダメだからね。扉を開けてなかをみるのもダメ」
 探偵社の頭脳である乱歩に逆らえるものはいない。中で何が起きているのかと心配する一同の前で悲鳴がやむ。次に聞こえてきたのは啜り泣くような太宰の声だ。
 ぎょっと全員の目が見開く。
 酷いです。もうやです。許してください。こんなことするなんて。やです。
 聞こえてくる声に心配とは別に好奇心が沸き上がってくる。あの太宰がこんな声を出すとは一体中で何が起きているのかと。
「無理に決まっているでしょ!! 絶対無理です! 無理無理!! もうやです! 返してください!」
 太宰の声が聞こえてくる。中を覗きたいと言う欲望が募り始めた。だが思い出すのは乱歩の開けてなかを見るのもダメと言う言葉。さらにその後に続いた開けたらどうなるか分かるよねと言う乱歩の後ろで、怪しく笑う与謝野の姿だった。気になる。気になりはするが解剖はされたくないとみんなが思う。
 うーーとみんなのもどかしい唸り声が社内を満たす。探偵社員全員の意識が医務室に向いていた。
「何をしているんだ」
 そこに聞こえてきた低い声。その声が聞こえた瞬間全員が振り返り背筋をただした。外出に出ていた福沢が入り口にたち訝しげな表情で探偵社内を見ている。
「そ、それがその……」
 福沢の問いに答えようとしながら、何と言っていいのか分からず国木田の声は小さなものになっていく。周りもどう説明していいのやらと戸惑い社長である福沢を見る。片目では国木田と医務室を交互に見ていた。
 そんな社員の態度に自然と福沢の目は医務室に向く。
「もう嫌です! やだあああああ!」
 丁度良く鳴り止んでいた太宰の悲鳴がまた上がり始めた。今度は福沢の目がぎょっと見開く番だ。瞳孔まで見開いたそれはすぐに険しい目付きと代わる。何があったと尋ねられる。
 乱歩さんと与謝野さんが……。答えた声は誰の物か分からないほどに震えていた。険しさがまし眉間の皺が彫刻のように深く刻まれる。福沢が近づいてくるのに周りは道を開けた。医務室へと向かう背に声をかけられる強者がいるはずもない。
 医務室の前に立った福沢は一応ノックをする。するのだが返事は待たずに扉を開けた。入るぞとかけた声。それとほぼ同時に太宰の声が混じる。
「いやーー!ダメーー!!」
 聞こえた声に刻みに刻んだ皺をさらに刻み込む福沢。だが、その視界の中に飛び込んできたものによって全て消え失せってしまう。はぁという小さな声と共に口を開け、目を見開いて部屋の中を凝視する。正確にはそこにいる一人を……。
 部屋の中央にいた人物、太宰は身を丸くして視線から逃れようとしていた。だが残念なことに福沢との間を遮るものは何もない。その全てが見えてしまっている。

 ふわふわと揺れる蓬髪。そこで遊ぶリボンも。ふわりとたなびくスカートも。ひらひらと動くレースにふんわりつけられた腰の大きなリボンも……。


 何故か、何故か……、太宰は女の格好をしていた。

「ち、違うんです! こ、れは乱歩さんと与謝野さんが無理矢理!!」
 普段飄々とした姿しか見せない太宰だが、今は涙目になりながら違うんですを繰り返す。そのほほは真っ赤に染まっていた。太宰の声に被さるように「あ、入ってきちゃダメって言ったのに」と乱歩の声が重ねられた。
 ニヤニヤとした響きを持つ声。福沢がそちらをみると乱歩と与謝野の二人が楽しげに笑っていた。その手にひらひらとした服をいくつも持っている。
「何をしている」
 地の底から聞こえるような低い声が福沢から出る。
「着せ替えだよ。着せかえ。可愛いでしょ」
 それに怯むことなくにっこりと笑って乱歩は答えた。悪怯れる様子はない。
「ほらほら、太宰可愛いでしょ。今たくさん着せかえてどれが一番似合うか見てたんだよ! ねえ、与謝野さん」
「まあ、そうだね」
 明るくかけられる声。多少福沢の怒気に怯みながらも与謝野も笑みを浮かべて答えた。
「ほら、次の服着るよ。太宰」
「やです! もう着ませんから!!」
「だーーめ、僕が着るって言ってる「乱歩」」
 その手に可愛らしい服を持ったまま太宰ににじりよろうとした乱歩を福沢の声が制した。
「悪ふざけはそこまでだ。悪質が過ぎる。それをもって事務室に戻れ」
 今まで以上に低い声。殺気が籠る一歩手前の目。そんな福沢を見つめ乱歩はわざとらしく肩を落とした。
「はぁーーい。行こう、与謝野さん」
「ああ」
 与謝野が出し散らかしていた服を手際よく纏める。袋に詰め込んで二人は部屋から出ていく。
 パタンと扉が閉まるのを確認してほうと福沢が息を吐いた。
「大丈夫か、太宰」
「あ、はい。その、ありがとうございました」
「いや、乱歩がすまなかったな。きつく後で言っておくがまた同じようなことをされそうになったらすぐに連絡してくれ」
「はい」
「私も戻るがお前は落ち着いてから戻っていい」
「……はい。ありがとうございます。
 …………その、妙なものを見せてしまってすみませんでした。気色悪いですよね……」
「……」
 流れるように続いていた会話が止まった。若干太宰がいる方向とは別の方向を向いて話していた福沢はどう返していいのか迷う。気色悪かったなど言えるわけもなく、そもそも気色悪い等とは思ってもおらず。ちらりと横目で太宰の方をみやる。後ろを向いてしまっているが、その後ろ姿にも気色悪いと云う感想は浮かばない。最初に見えた姿も気色悪いと云うより、むしろ……。
 そこまで思って首を振る。もし己がこんな状況になったとして絶対に言われたくないと思った言葉を浮かべてしまっていた。福沢はどう答えるのが正解なのかを脳をフル回転させて考える。知恵熱がでてしまいそうなぐらい考える。が結局いい言葉が出てくることはなく乱歩がすまなかった。とさっき言った言葉と全く同じ言葉を言って逃げる。
「じゃあ、これで」
 扉に向かい手を伸ばす。ノブを回したところであっと肥があがった。何だと振り向けば涙目の太宰が見上げてくる。頭につけてるカチューシャのリボンが髪と共に揺れた。
「服が、……着ていた服がないんです」



 そんなことがあった日の夕方。仕事を終え帰路につく太宰はさぁ、どうしようと首を傾げた。前からの約束で福沢の家に泊まることになっていた今日。お泊まりの日は仕事が終わった後一緒に帰り、夜の買い物を共にしていくと云うのがここしばらくの流れだった。のだが、昼間のことがあったからだろう。
「今日は本当にすまなかったな。疲れただろう。先に家に帰っていてくれないか」
 そう福沢から言われたのだった。その提案事態は福沢の云う通り精神的に疲労していた太宰にとってとても魅力的なものだった。だがそうできない理由と云うのも太宰にはあるのだ。
 今日乱歩に言われた言葉が甦る。
「兎に角今日はお前が晩御飯を作る! ちゃんと明日確認するからな」
 ゆっくり休みたい。その気持ちはあるものの乱歩の言葉をなかったことにするほどの度胸はなかった。今の乱歩と与謝野を敵にまわすのは色んな意味でまずいのだ。
「そう言ってもらえるのはありがたいですけど、でも大丈夫ですよ。疲れてなんていませんから。それより今日は日頃の感謝や昼間のお礼も含めて私が社長にご馳走したいのですがどうでしょうか」
 嫌がる気持ちを押し込んでにこやかに笑い太宰が言う。福沢の目が小さく動いた。見開いたように見える動き。じっと見つめてこられるのに、あ、これは信用されていないなと太宰は感じた。証拠にお前がかと声が小さく漏れる。
「ええ。私が。ダメですか」
「……作れるのか」
 問うのを迷いながらも問いかけてきた声。変なものを作るのではと疑われているのに気付きながら簡単なものだけですが、今晩は肉じゃがとかどうですかと口にした。
「だが、……疲れているだろう。今日はいい。また今度疲れていないときにでも頼む」
「疲れていませんってば。大丈夫ですからね、美味しく作りますから食べてほしいんです」
 二人の攻防が続く。
 まあ、こう言われるだろうなとは予測していた。どうすれば福沢を説得できるかを考え、福沢もどうやって太宰を休ませるかを考える。あの後も福沢が見に行くたび太宰は乱歩と与謝野の二人に囲まれており、疲れているのは容易に予想できることなのだ。
「大丈夫ですから。たまには私にも作らせてください。普段お世話になっているお礼がしたいのです」
 太宰がにっこりと笑って告げる。疲れているとは思えないいい笑顔である。よくそんな風に笑えるものだ。思いながら福沢はそもそも、何故太宰が突然こんなことを言い出したのかと考える。そして暫し無言になった。
 浮かんできたのは乱歩と与謝野の二人の姿だ。こないだからどうも二人は太宰にたいしての様子がおかしい。何かあったのかと聞こうかと考えもしたが、今はそれはおいておき一番いいと思える解決法を告げることにした。
「なら今日は共に作ろう。お前も私の家の台所を使うのは始めてだろう。物の場所もわからないのでは不便だろうからな」
「え、そうですけど」
 された提案に戸惑いながら太宰は思考する。乱歩や与謝野には太宰が作ることと念を圧されてはいるが夕食全部とは言われていない。手伝ってもらうのもダメと言う話も出ていない。ならいいのではないか。夕食全部を作るのは面倒だと思っていたのだ。何かを言われてもそこまで言われていなかったで押し通せば……
「そうですね。では、今日は一緒に作りましょう」




「大丈夫か、太宰」
「できているか」
「わかるか」

 かけられる声。向けられる視線。
 それらに太宰はどうすべきなのかと遠い目をしそうになりながら思案した。太宰が作ると言ったときの様子からして作れると思われていないのは分かっていた。が、それにしても、それにしてもだ。信頼がなさ過ぎやしないかと太宰は思う。何をするにしても不安げに見つめられる。これでもまとも、それなりに手際よく作業できていると思うのだが……。大丈夫ですよと抗議の視線を送ればすまぬとは返ってくるのだが、それでも視線は止まない。
「もうちゃんと作れてますから!! ほら!」
 つめてくる目に耐えかねて太宰は声をあらげた。掻き回していた箸に具を挟んで福沢のもとにつき出す。いい具合に色のついたじゃが芋からぽたぽたと汁が落ちる。無言で固まる福沢に妙だとは思いながらほらと、再度口にした太宰。ちょっとの間動かなかった福沢がああとか細い声をだした。まだ少し熱いじゃが芋を口に含む。モグモグと口を動かす至近距離にある福沢の顔。見つめ今さらになってあれ? と太宰は首をかしげた。
 これって、もしかして……。そんな言葉と共に何時だったか探偵社で見ていたテレビドラマの内容と、それと共に起こったあれこれが思い起こされる。何処にでもあるありきたりな恋愛ドラマ。その中でやっていたある一場面に興味を持った鏡花。自分もやりたいと言い出し敦を大層困らせていた思い出。その時は面白がり良いじゃないか少女の小さな望みぐらい叶えてあげるものだよ。何て言っては敦がやるしかない状況に追い込んだ。真っ赤に頬を染める敦を笑いながら見ていた太宰なのだが……。

 もしかして、これって……あーんと云うやつなのでは。敦君あの時はごめん。今なら君の気持ちも分かるよ。これは恥ずかしい。

 赤くならないようつとめながら、太宰の優秀な頭脳は先程の場面を復唱する。低めの位置に差し出してしまったため前屈みになる姿。長めの髪を手で抑える仕草。形のいい唇が開いて太宰の差し出したものを口に含む。

 思い出しちゃダメ。思い出しちゃダメ。思い出しちゃダメ。

 そう思いながらもその光景が何度も何度も頭の中で繰り返される。壊れたビデオレコーダーのようにその姿しか写さない。その度に髪を耳にかける指がごつごつとした男らしいものでありながらも色っぽかったとか、小さく開いた唇から覗いた舌の赤さやらに心奪われ、大声をあげて叫び出しそうになってしまっていた。
 それを懸命にこらえている前で福沢がうむと一つ頷く。
「確かに旨いな」
 普段あまり笑うことのない顔がうっすらと笑みを浮かべ柔らかな声で述べる。太宰の口が小さく開いた。一気に赤くなるほほ。
「私のもどうだ」
 太宰の変化に気付かないのか今度は福沢から差し出される彼が作っていたおひたし。ますます赤くなった太宰はそのまま固まった。


 


「で」
 好奇心に満ちた声が二つたった一言をハモる。ニヤニヤと見つめてくる笑みを見つめながら太宰ははぁとため息をついた。
「別に何もありませんよ。何もかも今まで通り。進展なぞなにも」
「えぇーー」
「あんたちゃんとやってんのかい。夕食は」
「それはまあ、たまに一緒に作ってます」
「女装は」
「しません!」
「じゃあ風呂場で背を洗ったり、」
「そんなのするわけないでしょ!!」
「え、なにもしてないじゃないか。そんなんじゃ何時までたっても付き合えないよ。好きならアタックの一つや二つ自分からしに行かないとね」
 呆れたような与謝野の声が聞こえるのに太宰はまた一つため息をついた。そして浅く笑う。
「別にいいんですよ。社長を好きなのは確かですが、だからといって私には社長と付き合いたいとかそう言う気持ちはないんです。今のままで充分なんですよ」
 太宰の声が医務室に静かに響き渡る。その言葉に不満そうな表情を与謝野は見せるが太宰の姿になにも云うことはできなかった。
「ねえ、そう言えばさ」
 奇妙に重苦しい沈黙が部屋を満たし出したとき、二人の会話を見守っていた乱歩が口を開いた。
「今日はお前社長と夜出掛けるんだって」
「え? ああ、はい。たまには外に食べに行かないかと社長から言われまして」
「ふーーん。まあ、じゃあ、それを楽しみにしてるんだね」
「え? 何ですか急に?」
「きっと良いことがおきるよ」
「はあ?」






好き。愛。恋。

 心の中で並べて太宰は深いため息をつく。何と可愛く、美しく、そして己に似合わない言葉かと。自分が人を好きになることがあるなど太宰は一度も考えたことがなかった。福沢を好きと思う気持ちさえも実は嘘ではないかと、何かの間違いではないかと、気付いてから二ヶ月以上たった今でも思っているほどなのだ。
 間違いでないのは福沢の姿を見るたびにドキドキしてしまう鼓動だったり、名を呼ばれただけで固まってしまう体だったり、触れられただけで溢れてしまう多幸感であったりと、色んなものがその都度教えてくれる。どうしようもないほどに恋してしまっている。
 ただそこで思うのは似合わないの一言で。
 自分のようなものが恋をして人と付き合ったとしても、どうせなにかを間違えて嫌われるか、その好きになった人を深く傷つけるだけだ。
 ならば叶わなくていい。叶えなくていい。好きという気持ちを抱え続けるつもりも太宰はなかった。
 今は色々あって福沢と多くの時間を過ごすことになってしまった太宰だが、それもまともな生活を送れるようになれば終わること。今まではあまり興味を抱けなくて改善しようという気がなかったが、今は違う。色々自分で調べ出来ることはやり少しずつ改善できつつある。それで太宰が一人でもまともな生活をおくれるようになれば福沢の心配も消え、今のような日々はなくなる。その後は少しずつ福沢との距離を離し、抱いてしまった思いを消していけば良い……。
 それだけだと。

 そう太宰は思っていた。思っていたのだけど……。
 ああ、もうと太宰は口から出ようとした言葉を飲み込む。たまにはと外食を誘われたときは特になにも思わなかった。二人分を作るのが面倒になったのか、もしくは外で食べたい気分なのかなと思った程度。乱歩さんとかも誘えば良いのに。きっと喜ぶと思うんだけどなとは思ったが、気にするほどではなかった。それがまさか……、
 連れてこられたのは大衆的な居酒屋。この人もこんなところで飲むんだな何てのんきに思っていた所にだされた料理。それを見た瞬間、太宰は呻き声を飲み込むのに一杯になった。
 予約していたらしく福沢が名前を告げて案内された席。席についたなり運ばれてきた料理は鯉の洗いに鯉のうま煮、それに鯉こく。見事に鯉尽くしだった。
 何故こんな料理が出てくるのか覚えは、ありすぎるほどにあった。
 思い出すのは二ヶ月ほど前。
 太宰が福沢への思いを自覚した日の事。その日、乱歩の言葉に混乱し太宰はまともに考えられなくなっていた。そして夕食の買い出しの時、福沢に何を食べたいと聞かれ思わずコイと口にしてしまっていたのだ。
 忘れてしまっていた恥ずかしい記憶。どうせならもう二度と思い出したくなかった記憶であるが、今は思い出してしまったことよりも、その言葉を覚えていたのであろう福沢がわざわざ、己をここまで食べさせに連れてきてくれたということにトキメキ動揺していた。頬が赤くなりそうな思いである。
 福沢がこの場所を最初から知っていたとは思えないし、誰かに聞いたりして探してくれたのだろう。あの日からかなりの時間が経っているところから考えると、知っている人が中々おらず見つけるのにかなりの労力をさいてくれたのではないだろうか。その上で予約までして連れてきてくれたのだ。
 そう思うだけで爆発しそうなほど太宰の鼓動は激しい音をたててしまう。既に箸を手にとり口をつけている福沢を見つめながら指ひとつ動かすことが太宰にはできなかった。
 動かしてしまえば妙なことを口走ってしまいそうで……
「太宰? どうした? 食べないのか」
 そんな太宰をいぶかしく思い福沢が問い掛ける。
「あ、いえ、食べます」
 絞り出した声は細く子供でも分かるほど震えていた。何とか動かした手も震え何度も箸をつかみなおす。
「太宰? どうした? 具合でも悪いのか」
「そ、そんなことありません。だ、大丈夫です」
 何とか笑みを浮かべ答えた太宰。その太宰に福沢の手が伸びた。福沢の手が太宰の額に触れる。別の手は己の額に触れ、悩んだ末に立ち上がった。そしてそのまま太宰の元に体を寄せた。こつんと額と額がぶつかる。数秒時が止まった。動き出したのは福沢の熱はないようだなと云う言葉ともにだったが、それでも太宰は動き出せないでいた。
「太宰。本当に大丈夫か?」
 問いかけられるのにこくこくと頷く。そこに太宰の意識は殆どなかった。太宰は何とか脈拍をコントロールし顔に集まろうとする熱を散らすのに必死であった。
「お、美味しそうですね。早く食べましょう」
 高くなった声が芝居の下手な役者のように言葉を吐いた。震えながらも箸が料理をつかむ。でも口に運ばれる前に何度も落ちる。これ以上心配をかけないようにと思えば思うほど逆効果だ。太宰の行動は妙なものに写った。
「何かあったのか? 今日はもう帰るか」
 太宰を心配する福沢が席を離れようとする。太宰から違うんですと言う声が漏れた。
 もう限界だった。
「あの、本当に違うんです。具合とか悪くなくって、心配されるようなことは本当になくて、至って健康体なんです。ただ、……その、ただ前にコイが食べたいといってしまったのはその、言葉のあやと云うか、そのちょっと前に乱歩さんから私が社長にコイをしてるとか云われてしまって、それで動転してその事ばかり考えてしまっていたものだから、聞かれたときについその言葉が口をついて出てきてしまって……。それで、その……あ、の
…………あ、気のせいなんですよ! 間違いなんです。私が貴方に恋してるとか貴方の事が好きだとか愛してるとかそんなことは全然ないんです。乱歩さんの気のせいで間違いだったんですけど、でも、その……その事を思い出してしまったと云うか、あの……」
 顔を真っ赤にし、かつてないほどの早口で捲し立てていく太宰。耳まで赤くして俯いてしまった。真っ赤になった手が箸を握って膳の上の鯉に向かう。微かに震えながら口許に運び、そして口のなかにいれる。ゆっくりと咀嚼してでたのは美味しいですというか細い声。
 そんな太宰の内心は嵐の日の海のように荒ぶり口々に太宰自身を罵っていた。バカバカと普段なら絶対自分に使うことのないような言葉を己に向けて爆弾のように放り投げている。
「……そうか」
 無言が二人の間を支配する。およそ数十分近くかけて落ち着かせた太宰が何とか顔をあげたとき見えたのは顔を赤く染めて見つめてくる福沢の姿だった。えっという驚きと共に幾分かましになっていた太宰の頬にまた血が昇る。
「間違いなのか」
 上擦った声が太宰に聞いた。
「え、ええ。間違いです。……その、好きとかじゃありませんから、だから……気にしないで……」
 声が小さくなりながら太宰は返す。それにたいしてそれは困ったと福沢は言った。太宰から見る福沢の姿は本当に困っているように見えて……。
 赤くなったほほと口許を福沢が抑えている。水気の増えたように思える目で太宰を見つめてくる。他所に行きそうになりながらも、まっすぐにみてきて。
「今お前に言われて気づいたのだが、どうやら私はお前の事が好きだったようだ。
 お前に恋しているんだが、……お前の方は間違いだったのだな」
 ぽかんと太宰の口が開いた。えっと福沢を見る。好きだと再び告げられた言葉。
「違うのなら言われても迷惑だろう。すまぬ。忘れてくれ」
 開いた口が一度閉じ、開く。意味を持たない声が太宰から漏れた。呆然と見つめる先で福沢は食べにくいのであれば他の料理でも頼むか何が良いと問い掛けてくる。
 回っていない頭は考えることをその時放棄した。
 太宰の手は無意識のうちに動く。並ぶ膳から料理を摘まむと素早くそれを福沢の口に押し込む
「してます! ……貴方に……してます」
 林檎のように赤くなった頬。震える口許から溢れるように声は落ちた。また二人の間を沈黙が支配する。数十分たっても言葉がでていくことはない。
 二人はのろのろとした動きで食べ始め、それから……一時間後に店を出ていた。



 その翌日。
 目覚めた太宰は顔を赤く染め上げる。目の前にあるのは福沢の逞しい胸板で……。いつも見ているものなのに今日に限って別のもののように見えてしまう。震えるてで太宰はその胸板に触れた。好きと云われた昨夜のことを思いだしその頬はさらに赤くなっていく。恐る恐るすり寄り顔を埋めた太宰はふっと空気が動くのにばっと顔をあげた。灰色がかった翠の目と目が合う。
 赤い顔が見つめた。
「い、いつから……」
「すまぬ……」
 震えた声。返す声も震えていて……。太宰は思わずその顔を福沢の胸板に押し付けることで隠した。だがそうすることでより深く相手の温もりを感じ、早い鼓動までも耳にしてしまう。太宰の鼓動も早くなる。
 どう顔をあげていいのかも分からなくなっていた太宰にそのと福沢の声が聞こえた。
「昨日は確認するのを忘れていたのだが、私たちは付き合いだしたということで良いのか」
 所々、口ごもりながら恥ずかしげに云われた言葉に太宰はふわぁと妙な声を口にした。ますます顔を隠してしまいながら太宰は弱い声を出す。
「そ、そんなこと、い、今きかないでください! 恥ずかしいじゃないですか」
 可哀想に思えるぐらい震え小さくなった太宰。福沢はすまぬと言いながらもそんな太宰を抱き締める
「でも大切なことだから」
 お前と恋人になりたいと小さな声になってしまいながらも福沢は告げる。その響きにますますみを震わせながら太宰はこくりと頷いた

「……付き合ってます」




おまけ


「私たちは何を見せられたんだい」
 顔も耳も手足も全部を赤く染め上げた男二人がのれんを潜り出ていくのを見つめ、詰めていた息を二人の人物がはぁと吐き出した
「僕らに全く気付かなかったよね。二人とも。まあ、こうなることは予測してたけどさ。でもさ、まさか彼処までとは……」
「砂糖のかたまりを口のなかに詰め込まれたような気持ちになったよ妾は」
 二人が行くであろう店を推理し待ち伏せていた乱歩と与謝野である。福沢と太宰がでていたのを見送って彼らは机の上に倒れる。起き上がれる気力はなかった。
「ああーー、明日は大変なことになるな。国木田大丈夫かな」
「あ、どうい」
 うことだいと乱歩の言葉に意味を聞こうとした与謝野の声が止まる。聞かなくても分かってしまったのは好奇心の籠った目が自分達に集まっていることに気付いたからだ。太宰は言わずもながら、武装探偵社社長である福沢も横濱では有名人である。そんな二人が往来であんなこっ恥ずかしい告白劇場を繰り広げていたのだ目立ったないわけが……なかった。
「あーー、駄目だね。明日の国木田は使い物にならないだろうよ」
 だよねと返しながら乱歩はまあ、それよりも大変そうなのがいるけどと声に出さずに思った。乱歩の目には遠く離れた席に座る黒い服の男の姿が見えていた。


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