その日の気温はとても暑かった。
 それまで凍えそうなほど寒かったのが嘘のように暑くなり、寒いのにいつの間にかなれていた体は急な暑さにあちこちで悲鳴をあげたようだった。
 ピーポーピーポーとなる救急車が何台も探偵社の前を通りすぎていた。ああ、また誰か倒れたのか。何て思いながらも私たちも倒れそうだと思ってしまうほどには限界を迎えかけている。
 先日から少しずつ暖かいなと感じ始めるようになっていたので一応少しは薄着になっていたが、それでもまだまだ冬の装いでもはや夏と言えるような暑さに耐えられるような格好ではなかったのだ。
 仕事が殆ど手付かずだらだらとしてしまう。貴様ら少しは真面目にしろと国木田が声をあらげた。だがその声も力なく国木田は大量の汗を流していた。ヘロヘロと椅子に座りながら糞と悪態をつく。ぐったりと、倒れそうになるのをこらえて国木田は隣を指差していた。
「見ろ。太宰が一番真面目に仕事をしているぞ。こんなこと今までなかったのに」
 国木田が言うのにそう言えばと国木田のとなり、何か月ぶりかにまともに席へ座って仕事をしている太宰に視線が集まる。今日は無駄な話しもせず、また動き回ることもなく大人しく仕事をしているなとみんな不気味なものを見るようになってしまった。
 全員の視線が集まるのも気にせず太宰は立ち上げたパソコンの資料を、あれ?と国木田は首を傾けた。良く見れば太宰の手は動いていなかった。キーボードに指をおいたまま固まっている。
 はぁと口からでていくため息。
 こいつに期待した俺がバカだったと言いたげな顔をしながら、座っているならちゃんと仕事をしろと国木田は太宰に言っていた。それからすぐに国木田は太宰と太宰の名前を呼ぶことになる。敦もまた太宰さんと太宰の名前を呼ぶ。
 二人の異様な雰囲気に気付いてどうしたんですかと谷崎がきいた。そちらをチラリと見ながら二人は太宰を見る。相変わらず手は動いていない。それどころか体全体が動いていなかった。画面を見つめたままの姿で顔面まで固定されてしまっている。敦などこれは本当に太宰なのだろうか。人形なのではと思い始めていた。
 国木田は数十分ほど前は太宰が動いていたのを見ているのでそうではないと思えているが、にしてもと太宰を見てしまう。
「おい、太宰どうしたんだ」
「太宰さんどうしたんですか?」
 呼び掛けても太宰からの返事はなかった。不穏な空気が漂う。敦があれ? あれ? と首を傾けた。太宰の机の上に大量の汗が流れ落ちている。だが太宰自身からは一滴も汗が流れていなかった。
「太宰さん、本当に大丈夫ですか。しんどいのなら医務室に」
 敦がそう声をかけながら太宰の肩に手を伸ばして、軽く揺する。が、太宰からの反応はなく、敦が手を離すと太宰の体はぐらりと傾き、床に倒れ落ちていた。探偵社の中に悲鳴がこだまする。


「熱射病だね」
 悲鳴が聞こえて事務室に駆け込んできた与謝野は、ベッドの上に運ばせた太宰を見て深いため息をついた。それも重度のと言いながら電話をかけている。電話の相手は探偵社が良くお世話になっている病院で救急患者を一人見て貰えるよう頼んでいた。まもなく救急車が来るだろうと言われてろっとすると同時にああとも言っていた。
 朝からひきりなし聞こえていたあの音にお世話になることになるのか。
「まあ、自業自得だよね。こんなに暑いのに上着なんて着てるんだから。下が裸な訳でもないんだから上着やベストなんて脱げば良いのにさ」
 与謝野が呆れたと口にしたことに、確かにとみんな思っていた。いきなりのあがり方だったとはいえ、太宰の服装は何時も通りすぎた。Yシャツを着てその上にベスト、コートを羽織っていたら熱中症になってもおかしくはないと言うか、ならない方がおかしいくらいだ。
「病院に任せたから大丈夫だろう。あんたらは仕事しな。服装には気を付けなよ。もっと涼しい格好をしたかったら取りに帰りな。さすがに重症患者がでたんだ。だめとは言わないさ。ねえ、社長」
 与謝野は隣にいた福沢に声をかける。太宰のベッドの前腰かけていた福沢は深く頷いている。
「ああ。みんなも涼しい格好をしこまめに水分補給をするように太宰のように倒れるようなバカな真似はするな」
 はいと頷く社員たち。
 彼らがそれぞれ席に戻るのを見つめてから福沢ははぁと息を吐き出した。眠っている太宰を見下ろす。隣にいる与謝野は心配かいときいていた
「まあな」
「そんな重くとらえなくてもいいさ。言わないのはバカだけど、こうやって倒れられただけましになったと言えばましになっただろう」
「……そうだな」



 目を覚ました太宰はさてどうやってここから逃げ出そうかと真っ先に考え、目を閉じていた。
「太宰」
 聞こえてくる聞きなれた声。目蓋を開ければ白い天井。探偵社のもの。太宰の家、福沢の家、太宰が寝ていそうな家のものでは確実になかった。そして少し体を動かせば見える福沢の姿。その声は反射のように険しかった。
 何をやらかしたのかは欠片も覚えていないが、それはそれとして何かをやらかしたのだろうと言うことは分かる。
「何で私、病院のベッドに寝ているんですか」
 天井や部屋の様子から恐らくそうだろうと辺りをつけて太宰はとう。福沢はジィと見つめてくる。分からないのかと、そうきいているのだろう。福沢が見つめてくる意味を理解しながら太宰はうーんと考え込む。覚えていることがあるとしたら頭がぐらぐらするなと思ったこと、そして……
 もう落ちるかと意識を飛ばしたことだった。
「倒れたんですか」
「そうだ。熱中症だそうだ」
 頷いた福沢。やはりかと思ったところに聞こえてきた症状。なるほどと頷いてから太宰はん?と首を傾けた。それになるにはいささか寒くないですかと太宰が呟き考え込む。が、福沢は今日の気温は三十二度超えだそうだがなとこともなにげに言っていた。

 えっと太宰の顔が歪む。そんな筈ないじゃないかと思う。ちゃんと朝のテレビを見て来ないからこうなるのだと福沢はため息をこぼしていた。
 むっと太宰は口を尖らせる。誰のせいだと思っているのか。何て的はずれなことまで考えてしまっていたのに、はぁと聞こえてくる福沢のため息。
 上を見上げた太宰はどうしようかと首を傾けた。怒っているんですか。そう口にする
「怒っていないと思うのか」
 問いかけに返ってくる問いかけ。太宰ははぁと息を吐く。そんなに怒らないでくださいよと口にするが福沢の変かはない。
「今日は無茶とか特にしてないんですが」
「そうだな。知っている。が、お前か倒れたのを見て平然としていられるほど出来てはいないからな。腹が立つ」
 福沢の表情はいつもと変わらない。だがその声はいつもよりずっと低い。太宰の眉が大きく下に下がった。尖っていた唇がしぼんで罰が悪そうな顔をしていた。
「ごめんなさい。これからは気を付けますから」
 少し肩を下げてそう口にする太宰。ねぇと福沢の目を下から覗き込む。福沢の顔が変わることはなかった。一つ頷いて低い声を出す。
「そうか。どう気を付けるか知らぬが、気を付けてくれ」
 肩を下げるようなそぶりをする福沢。呆れたような様子に太宰の口が再び尖った。福沢を見てむぅと頬を膨らませる。
「社長の意地悪……」
「すまぬな」
 拗ねたような声が太宰から出る。じぃと太宰を見てから福沢はふふと笑った。柔らかな顔をして太宰を見つめる。
「だが……、乱歩が言っていたからな」
 福沢から出ていく言葉。えっと太宰の目が驚き見開かれた。ことりと傾く首。
「乱歩さんが、」
「ああ、お前は体温が分からなくて調整が出来ないってな。周りの服を見て決めているとな」
 何をと問いかける前にその答えを福沢は答えている。太宰の目がさらに見開いて、そのくちびるが震えた。左右に彷徨い出す瞳。逃げる場所を探してあたりを見てから福沢を見た。
「お前がいってくれるのを待っていたのだがな、それがこんなことになるとは……」
 はぁとため息をついて福沢が太宰を見た。咎めるような色をした瞳に太宰は隠れるように布団の中に潜った。蓬髪だけが白い布団の隙間から覗いている。じっと何も言わずに福沢は見下ろす。そのまま時間が過ぎっていた。
 ちらりと布団の隙間から太宰の目が見てくる。視線が合うのに再び太宰は布団の中に隠れた。
「……ごめんなさい」
 布団から声が聞こえる。ふっとまた福沢は笑った。布団越しに太宰の頭を撫でていく。
「まあ、良い。これでやっと口うるさくすることができるからな」
「え」
 穏やかな声が福沢から出ていくけれど聞こえた言葉は不穏なものだった。太宰の目が再び布団から出てくる。じっと見つめてくる目を見つめ返して福沢はにぃと口元を上げた。
「お前に服のことで言いたいことはたくさんあったのだ。
 これからはどんどん言っていくぞ」
 楽しそうに福沢が言ったのに太宰からは嫌そうな声が出ていていた。




[ 282/312 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -